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スコット・ピーターソン事件

2004-12-15 15:12:51 | 日常生活
Key dates in the Peterson trial(CNN.com)

日本ではぜ~んぜん話題にならないニュースでも、CNNではトップニュースで堂々と伝えていることはよくあるのですが、
この「スコット・ピーターソン事件」なんてまさにその典型。正直なところ、やっと終わったかというのが率直な意見です。

事件の概要は、ここにあるように、2年前のクリスマスイブにスコットの妻で二人の間の子供を宿していた
レイシーが行方不明になり、そのときは夫スコットも「妻を早く見つけ出したい」とテレビで泣きながら訴えていました。
しかし、実はスコットには愛人がいて(そのあたりはあまり覚えていない)、あれやこれやで結局夫が妻を殺したとして逮捕された、という事件。

つまらないサスペンス小説ならよくありそうな事件ですが、これが全米中で大注目。メディア(主要紙含む)は
連日のように裁判のニュースを流し、スコットのお母さん(お父さんは既に死亡)やレイシーのお母さんが
テレビの前に出ては涙を流すという風景がテレビのワイドショーなどでも盛んに流されていたようです。

確かに法律的側面で考えた場合、ほんのわずかな状況証拠しかない(よくわからないけどそうだったらしい)のに、
夫が殺したと判断され、死刑宣告までされたという点が、重要だともされるのですが、そんなところまで一般市民はわかるわけでもなく、
よくある殺人がらみの裁判ものニュース同様、判事や弁護士、証人たちの言動がいちばん注目されたわけです。

ただ、証拠と量刑の関係については法律専門家の議論に任せることにしても、陪審員制度のあるアメリカでは、
多くの国民が陪審員として召還されればそれに従う義務があるので(選出者から12人の陪審員が選ばれるわけですけど)、
陪審員判断に付される殺人事件のようなものは、アメリカでは注目を浴びるのは仕方ないことなのかもしれません。

陪審員制度の良し悪しがよく議論されますが、少なくとも良い側面としては、裁判がわかりやすいということにあります。
つまり、法律に疎い一般市民が判決を下すわけだから、証拠が何よりの判断となります。当然ながら、法律上の難しいことは
裁判長からの説明を受けることにはなります(説示)。弁護士や判事たちは自分の気を引いてもらうために、
ロースクールでは演劇の訓練すら行なわれているくらいです。逆にそれが行き過ぎると、下手に感情へ訴えたりすることもあるのて、
その点は欠点の1つとされています。ちなみに今回の裁判では、初犯であるスコットのお母さんが子供の頃の写真を見せたりして、
「息子はあんなことする子ではありません!」みたいに訴えたようですが、裁判長からは「初犯であることや
お母さんの証言は考慮しなくていい(責任軽減事由からの排除)」と説示されたそうです。

日本でももうすぐ「裁判員制度」というのが始まることになっています。陪審員ほどの権限はないとされていますが、
これほどに国内が大騒ぎするような事件でも、一般市民が裁くことになる日は近いです。

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