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核実験の翌朝

2006-10-10 23:58:20 | マネー&ポリティックス
今朝も起きてからテレビを付けて、その次に行ったことはドアのポストに挟まった朝刊を取ることでした。
かの司馬遼太郎氏は、どんな時代になっても、毎朝手にとって読むことができる新聞はなくなることはない、
というようなことをかつて語ったことがあると聞いたことがあります。自分もご多分に漏れず、朝起きたら
新聞を見ます。1面の次に見るのはテレビ欄ですが。

しかし、新聞を手にしようとした瞬間、今日は新聞休刊日かと思ったのですが、新聞が挟まっていました。
いつもよりぜんぜん薄い、夕刊よりもぜんぜん薄い新聞。

もちろんネタは例の核実験です。「特別号外」ということで配られたらしいです。そういえば、と思い出し、
カバンの中から探り出すと、そこには昨晩新宿でもらった「号外」がありました。(ちなみに「号外」も
「特別号外」も日経のものです)。しかし中身はどうかといえば、多少のレイアウトが違う程度で、
一部「号外」が刷られた後の記事も載っていたのだろうけど、識者の意見や編集委員のコメントなどは
ほとんど同じものでした。

毎朝、新聞を配達される人たちにはいつも感謝しています。それでも月1回の新聞休刊日というのは、
諸外国と比べても多すぎると言われます。配達員の人たちを休ませるという理由があるようなのですが、
この世界にはワークシェアという概念はないのでしょうか。そもそも、新聞休刊日なのに「特別号外」であるにしろ、
新聞がちゃんと配られたのです。いつもの配達員の人が配ったのかどうかはわからないですが、一体何のための
新聞休刊日なのでしょう?

もっと変に感じてしまうのは、北朝鮮の核を脅威と感じる日本の新聞よりも、欧米の大新聞の社説の方が、
日本のそれよりも先に出揃ってしまう点です。別に社説がその国の政府のことを代弁しているわけでもなく、
だいたい日本の新聞の社説なんてどこも大しておもしろくもないのですけれども、日本国内はもちろんのこと、
新聞の社説は世界の人たちが今回の核実験だけでなく、ざまざまな問題についてどう考えているかを
手っ取り早く知り、考える材料の一つです。

その社説が、日本では他の国よりも1日遅く出るのです。だからといって、ネットで休刊日分の社説が
出るのかといわれれば、そういうわけでもなし。何だか核実験を「号外」だの「特別号外」だのと
大騒ぎしているわりには、その翌日に通常版の新聞を発行できない日本の新聞メディアは今日1日を
どう考えているのかなと思えてきます(別に北朝鮮も日本の新聞が休みだって知って核実験を実行したとは
思えないのだけど)。号外をPDFで配る前に、休刊日という制度自体を考え直したらいいんじゃないでしょうか?


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