はい、本日も2年前の下書き引っ張り出しております
前回の続きです。
センチメンタル大河ブログでごめんなさい
私がこんなことを思ったきっかけは、
実は、
以前少し書いた、理不尽な出来事があったからでした。
これです。
リーフ国とフラワー国(久々なのに暗めです💦ごめんなさい💧) - 日々片付
詳しい内容は書いてないので、読み返さなくても大丈夫ですが、
身内が理不尽なことに巻き込まれています(現在も進行中なんです)
それを書いた時は、
街を通る人たちも、何気にしてるけれど、
理不尽なことに巻き込まれたりしながら、
酸いも甘いも噛み分けて生きてきてるんだろうなぁ
なんて思えたんですが、
最近は少し怖くなってきて、
道ゆく人たちも、善良な顔をして、実は身近な人を陥れたり、
あるいはこちらを悪意持って見てたりするのかな、
なんて思うこともありました
それくらい、私にも理不尽で、
怖い怖い出来事でした。
それが解決するか、まだわからない。
ひょっとして解決しないかもしれない。
解決しない時、
こちらは世間的には「悪」となってしまうのです
けど、以前ブログに書いた言葉。
>こちらは一点の曇りもないつもりだけど、
>やはり相手には相手なりの正義があるのだろう。
そうだ。
違う、逆なんだ。
相手に相手なりの正義があったとして、
こちらを「悪」と認定したとしても、
こちらはこちらの正義で、
一点の曇りもなくやってきたんだ。
決して人を陥れようとしたり、
私利私欲で物事を進めたことなど一度もない。
人間ですもの。
ちょっとした間違いはあったかもしれません。
だけど、
批判され、糾弾されるほどのことは一切していないと誓える
この理不尽な問題は、結構長引きそうで、
リーフ国とのお話に例えると、
戦争になるくらいの。
(もちろん本当の戦争じゃないですよ)
もしそうなれば、
自分達に非がないつもりでも、
世間はそう見ないかもしれない。
こちらは負けて「悪」と見なされてしまうかもしれない。
そのことが、
私には何より怖いことでした
けれど、
こちらの行動に、その基盤となる心に、
一点の曇りもなければ、
そんな評価なんておそらくどうだっていいのだ。
そんな評価は、歴史の河のほんっの短い短い間のこと。
私たちは大きな大きな河を、
たった一瞬流れているに過ぎない。
だから、
人の生きている一瞬の間では、
「正義は勝つ」の結果が見るのに、
間に合わないことがあるかもしれない。
だけど、歴史の大河はずっと流れ、
ずっと続く。
人の思いは永遠につながれ、
永遠に流れる
大きな大きな河と同じくらい、
大きな大きな魂の輝きを持ってすれば、
きっときっと大丈夫なんだ。
曖昧で、センチメンタルで、なんのこっちゃだとは思いますが、
そんな気持ちを強くしたのでした。
だからこれからも、
緩やかにたおやかに
一点の曇りもないこころで
大河を流れ、生きていこうと思います
読んでくださっている方にも、
そんな理不尽な思いをされた方もたくさんおられると思います
どうか負けないで、
一点の曇りもないこころで、
緩やかに歩み続けていけますように
(あ。もちろん、「一点の曇りもない」というのは、
人として当たり前の普通に善人である、
お天道様に恥ずかしくない、というような範囲です。
迷ったり不安になったりする曇りは当然あるし、
時々「ケッ」とか悪態ついちゃうくらいの悪は、
笑って許されるはずですきっと)
こんな自己完結で自己満足な長文を、最後までなんとか読んで頂いた忍耐強い方、
心から感謝します
ありがとうございます
今後も見守っていてくれると嬉しいです
結婚したいほど好きです
えへへへ
ここからまた現在2024年に戻ります
とっても感傷的な文章をご鑑賞くださいまして、
感謝に堪えません
2年以上前に書いた文章を、今更アップしましたのは、
実はこの「理不尽な出来事」がまだ続いているからです
幸いなことは、こちらが「悪」とみなされ、周囲から誹られるような事態は起こっていません
けれど、やっぱりまだ「理不尽」なことが続いています
だけど
きっと
やっぱり大丈夫なんだ
そんなふうに、もう一度しっかり思いたかったから
私たちは
一生懸命、普通に、生きている私たちは
きっときっと大丈夫なんだ
私も
あなたも
私が
あなたが
皆様が
一点の曇りもない笑顔で新しい年を迎えられますように
(なんてキレイに年末の挨拶まで済ませてみたけど、
また年内にひょろっと現れるかもです
それもまた2年前の文章引っさげてたりして
ごめんなさい〜〜〜)