gooブログでの航海14日目⚓一転快晴⛅️。
女装さん※がつどう日本国内最大級の招待制SNS(以下、あのSNS)からフラフラと抜け出してきた機関士(エンジニア)ネコのgooブログ旅十四日目です。
本日の航海日誌は、健やかな晴空のもと、九日目の第一章につづきネコの愛する女装(トランスヴェスタイト)さんへの想いをシレっとふたたび語ります。
波乱と謎に満ちた十三日目までの冒険記録とは打って変わるまったく別の世界線のおハナシ。猫の目のように、この旅はいくつかのパラレルワールド(カテゴリー)を渡り歩いていきます(おもにネコの推敲の都合で)。

トランスヴェスタイト♥️ラヴ
アンチテーゼ 第二章
"Transvestite's Love"
アンチテーゼ 第二章
"Transvestite's Love"
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「女装」考
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前置きになりますが…。
前回の第一章(009日目)からずいぶんと日が経ちました。この間ずっとこの想いをどう表現したらよいのか悩んでいました。正直なところ、いまだ落としどころがわかりません。
この航海日誌をgooブログで公開している以上は、それなりに多くのかたの目に触れることを想定しつつ、ある種の不安のもとでしたためています。特に「ジェンダー(性自認)」に関する内容を取り扱う自覚とともに、できる限り多くの範囲に誤解を与えないよう丁寧に表現するよう努力しています。もちろん今回の投稿も、です。あのSNSを通じて知り感じ得たあくまでもわたしの主観ということを先にお断りさせていただきます。
その理由は、はっきりいえば「女装」さんが存在する世界観にまったく縁がないかたの目にこのシリーズがどう映るのか、もういまとなってはわたしにはまったくわからないからです。そしてまた、現実に女装されているかたにとってわたしもひとりの傍観者にすぎない、という自覚があるからこそでもあります。
「想い」を表現するのはほんとうにむずかしい…。
どんどん冗長になり、しまいにはさも学問のように書き連ねてる自分の筆運びに苦笑すらしています。だれかに頼まれているわけでもないのに。
その上で、このシリーズに“も”冠している「アンチテーゼ」の意義をいまいちど掲載させていただきます。
Google AI Overview 🔗から抜粋
アンチテーゼとは、特定の肯定的な主張に対する否定的主張、または対立する理論を指します。肯定意見を認めつつも否定するもので、完全否定やただの否定的な主張ではありません。理論を進めるための対立意見として用いられます。
つまりこの章は、ある特定の意志によるとみられる「女装」への刷り込みに対するアンチテーゼなのです。
さて…。
いまとなっては「おとこの娘(男の娘)」がいちばんしっくりくるのでしょうか。とくに若い世代を中心にふつうにジェンダーとしてもしくはライフスタイルやはたまた趣味のひとつとして「女装(行為)」は一定の市民権を獲得したように見受けられます。ことさら「おかま」と表立っていわなくなったように感じるからです。
そうであっても、ある界隈のある一定以上の世代ではやはり「女装」がしっくりくるというかたも少なくないのではと考えています。それは、ブログランキングサイトのジャンル分けで「マイノリティ(性別少数派)」の中の「女装」と定義されていることからも説明できます。ひとつはサイト開設時期によるものだと思いますが、こうしたところからも時代背景とその流れがわかりますね。たとえばご存じ最大手の「にほんブログ村」は2024年の11月で20周年を迎えたそうです。
🔗ブログ村20周年♪♪ 20年間頑張れました!
20年前の2004年といえば、以前の日記でも触れたようにちょうどmixiが生まれたころです。そして“あのSNS”はその数年後にオープンしています。
振り返って、前回の第一章(009日目)の〆に、グローバルな時流が「女装」の定義を「トランスセクシュアル」に誘導しているかのような事例としてニューヨーク州のメンタルヘルス事務局が「Language Matters:GENDER(意訳:性別についての呼称の問題)」としてPDFファイルで頒布している事実をリンク付きで取り上げました。同様に1980年代の日本でいっときミスターレディが席巻したことにも触れています。それを伏線としたのも、つまりはおなじ理由なんです。
振り返って、前回の第一章(009日目)の〆に、グローバルな時流が「女装」の定義を「トランスセクシュアル」に誘導しているかのような事例としてニューヨーク州のメンタルヘルス事務局が「Language Matters:GENDER(意訳:性別についての呼称の問題)」としてPDFファイルで頒布している事実をリンク付きで取り上げました。同様に1980年代の日本でいっときミスターレディが席巻したことにも触れています。それを伏線としたのも、つまりはおなじ理由なんです。
グローバルとLGBTQ+~
さらに、この航海日誌では「LGBTQ+~」表現のあつかいについて慎重であることを何度かお伝えしてきました。2024年暮れから2025年初頭のいまに至り、まさしくこの「LGBTQ+~」はひとつの転機を迎えています。ただし、このことについては毎日のように多くの関連ニュースが飛び込んできますので直接このブログで触れることはいたしません。
けっきょくですが…
おもに第三者向けのコンテンツとしての「女装」がその時代ごとに都合よく解釈されてきたはずなのです。もちろんそこには「性的消費」も含まれるはずです。
おこがましいのかもしれませんが、いまにいたってひと口に「女装」とくくることにわたしは違和感を感じるようになりました。だからこそ、わたしはわたしにとっての「女装」さんを再定義したい。
わたしが愛してやまないのはトランスヴェスタイトさんです。
あのSNSを通じてこの想いにたどり着けたことに心から感謝しています。
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異性装者と倒錯
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グローバルなジェンダー定義の中で、特に「トランスヴェスタイト」については「異性装することで倒錯感をおぼえる」というある種の性癖のように説明されています。時代遅れな表現と揶揄され、“社会に非難される”存在のごとく、ともすると病的な扱いまで受けています。これには納得がいきません。
なぜ、なにが納得いかないのか?
まず、この「トランスヴェスタイト」に対して「クロスドレッサー」こそがいまの主流でかつ適切であるかのようにグローバルジェンダー定義が誘導していると見受けられるからです。これも異性装者を意味しますが、その文字面からも二つのジェンダーをクロス(行き交う)するのが特徴のはずです。
「女装」=男性が異性装する場合、つまり女性装を嗜むことですが、AIの回答からも見て取れるように、グローバルはあえてここに「女性としての精神性」と「性的興奮」を含めようとしていません(2025年2月現在ですが)。
たとえば、「クロスドレッサー」は海外の性的コンテンツのジャンルとして「トランスセクシュアル」と比肩するレベルの立ち位置を築いています。国内でも自分の性別志向(コミュニティの中にあっては立ち位置)を「クロスドレッサー」と自称するかたは少なくありません。
ならば「トランスヴェスタイト」をわたしは推します。
そしてたいへんなことに気付いたのですが、いつものように「Cross-gender」をGoogleで検索しその結果(AI Overview)をGoogle翻訳に投げると、一語も対象となる単語・表現がないにもかかわらず自己判断(といっても、もとは学習の成果)で「愛」を語り始めます。たとえば「異性愛」のようにです。DeepL翻訳では、むしろこのジャンルが苦手なのか(あえて方針的に翻訳の質をとぼけているのか)、いつものようなキレがないあやふやな結果を返してきます。これは気持ち悪いな。けれども…
コレ、ちょうどタイムリーなネタとなりました。
まさしく納得がいかない点のふたつめです。たとえばこの日誌もAIによる情報収集を今後受ける可能性はだれも否定できません。むしろそうしてAIは学習を重ねより肥大化しています。AIで問題視されている意図的な善悪の操作がもし本当に行われているとするならば…。
だからこそグローバルな潮流に反しているとはいえアンチテーゼをこうして綴っておくことはわたし自身のアイデンティティを満たしてくれます。
また、ちょうどここで「愛」というキーワードが出てきました。つまるところ、わたしがこうして「トランスヴェスタイト」を推しているのも、自己愛こそがひとを魅了する力と考えていることに気づきました。
ここで、この章の前段にあたる第一章008日目に、このgooブログでブロガーをされている恭子さん(@masyo69・執筆ブログ名「いつまでも女でいたい 💖」)からお寄せいただいたコメントを慎しんでご紹介させていただきます。
そう、「倒錯」です。
いいですよね。
今回の記事、ためになりました。
サディズムと、マゾヒズムの同居‥
やっと答えが見つかった感じです。
自分の中に、自分をいじめるもう一人がいるんです。
シースルの衣装を着て外出する時、人前での露出に躊躇する自分が居て、でも露出行為を命令する自分が居て‥
その命令に興奮している自分が居て‥
つづく😻
gooブログとの相性・使い心地に思う:014日目
あちこちのプロモーションバナーに動画ファイルを練りこんでいるのはちょっとどうかな?と思います。たとえば、とあるPCから見た編集ページの中段に「about_dpcmp.mp4」のファイル名で動画が自動でロードされていますが、コレ約4MBあります。ポイ活~という広告です。基本的にブラウザからのブログ編集は自宅の光インターネット環境前提としているのかもしれません。それ以外では、ブログ記事を読む一般のページでも、モバイルからのブラウザアクセスの広告バナーに動画のデータが自動で流れ込んできます。採取したもののひとつは2MB以上ありました。ファイルフォーマットはWebmです。これがつぎからつぎへと自動的に流れ込んでくるわけですが、ブログ所有者はさておき、一般のアクセスにとっていったいどれくらいの負荷(ギガが減っちゃう)になるのか。
技術的観点、倫理的視点でいろいろ語ることはできますがアンチテーゼとしてはあまりにもおこがましいのでいまはしません。もしかしたらわたしのインターネットトラフィックへの考え方が旧式なだけかもしれませんし。無料でつかわせていただいておりますし、広告は運営費に充てられるべき大切な要素であることを理解していますし、そうずっとここでは唱えてきていますし。
ただ、もうちょっとだけユーザーフレンドリーであってもよいのでは?と本日は記してみます。もちろん届かなくてもかまいせん。なぜなら・・・
💬おとなしい機関士ですが、ちょっとばかりのアンチテーゼとして、そして自身のUI/UX設計能力向上のためにも、気づいたことをシリーズとして書き留めています。
このgooブログでの「旅のしおり」
📍目的地
不明
関心ごとに変化が生まれてきました。
🎒もちもの
おやつは税込324円まで
さまざまな好奇心がこの航海を支えています。
今度はどこの港にたどりつくのか...ニャ🐱
KⒶz.ne℃o🐈
