おさだ塾には、児童部がある。週に一回の稽古だけれど、とても楽しい稽古である。子役の養成ではなく、演劇を通して子供の持つ素晴らしい感性を可能性を発見して伸ばしてゆくことを目的にしている。今日も稽古だった。春の舞台も終え、今は秋の「町かどの藝能」に向けての稽古。かくたという江戸時代の京の都で生きた少年の命を預かっているよしのり君の稽古・・・。児童部も大人の稽古も自分以外の人物の生活を再現することは同じである。どちらかと云うと児童部の方が、集中して信じることに関してはよくやるとも言える。稽古場の前で、「かくたにございます。どうぞよろしゅうおたのもうします」と言って手をついている姿は、現代の少年ではない。素敵な江戸時代のかくたにしか見えない。町かどの藝能と言う演劇は皆さんが知ってられる演劇と一寸違うので、又その事については、次回に・・。
4年ぶりのブログの更新。父が亡くなった事がきっかけだったのに、ほんの少し書いてやめてしまった。今となっては、どうして続かなかったかも記憶に残ってない。今回は、仕事場の先輩方から進められての再開。
この4年間いろんな事があった。東北地方太平洋沖大地震があった。母が昨年亡くなった。仕事場(劇団)の60周年記念公演があった。35年前卒業した高校での依頼公演が昨年あった。他にも上げればきりがない。
再開後も書き始めた時と同じように、生かされていることに感謝し暮らす中で心に思う事を素直に綴っていこうと思う。では、これから劇団の稽古に入るので今日はここまで
この4年間いろんな事があった。東北地方太平洋沖大地震があった。母が昨年亡くなった。仕事場(劇団)の60周年記念公演があった。35年前卒業した高校での依頼公演が昨年あった。他にも上げればきりがない。
再開後も書き始めた時と同じように、生かされていることに感謝し暮らす中で心に思う事を素直に綴っていこうと思う。では、これから劇団の稽古に入るので今日はここまで
田舎で、母や家内や親族が作った手料理をいただいた。美味しかった。小さい頃、法事があると普段いただけない精進料理が沢山作られそれが来られる方々に振る舞われた。小さかった私達は、ほっておかれたけれど、その「お数」を居間の端の方でいただいた。その美味しさは今でも記憶に残っている。今回もおやじの逮夜での料理だった。昔いただいた料理とは違ってはいたが、美味しかった。中でも私の一番好きなのは、今も昔も『麩の辛子あえ』である。今回食せて幸せだった。・・。ところで唐突だが、人は食べなければ生きてゆけない。つまり、生きている人はどんな形でも食べているのだ。大きく云えば、地球の人口分の食の形があるわけだ。それは考えればすごいこと。その膨大な食の形の中のどれくらいの人が、感謝と喜びを感じて食しているだろうか・・。少なくとも数十年前の日本人は、数多くの人が、手を合わせ感謝をして食事をいただいていた。今は、どうだろう。政治が、経済が、環境が等と云う人々が、一回一回の食事に感謝して喜びを感じている人々だったら、もっと早く世の中の必要な道筋が通るように思う。生きられること自体が奇跡であり、大変な喜びなんだ。食事が出来る事も大変な有難いことなんだと思うことってそんなに難しい事ではないような気がするのだが・・・。話は法事の食からえらい処へ飛んでしまった。・・・。
粕汁は寒の時期のご馳走の一つ。高校まで福井の若狭小浜で育った。中学か高校かは忘れたが、クラブを終えたあと自転車で家に向かう時・・。神社の前を通ると、遠くに家の明かりが見えてくる。近づくにつれ粕汁の香りが感じられる。何とも幸せだったか。嬉しかったか。思い出すと・・何ともいえない懐かしさを感じる。それも香り付きの幸せを。今朝自宅で粕汁を作った。朝から・・・でも田舎で母が作ったあの味は・・作れない。人ってすごいね、思い出の中の香りで幸せを感じる事が出来るのだから・・・。
ごはんが美味しい。これってなんと言っても幸せ。この歳になって(いくつ??)つくづく思う。つい最近父が亡くなった。父はごはんの素の米で作る液体のほうが好きだった・・。その父は亡くなる前半年以上食べることも飲むことも出来ず、点滴だけで過ごした。最後にお酒を口に含ませてもらったのだが・・・もう一度ゆっくり酒を飲ませてあげたかった。当たり前に食べて飲んでしているが、これも生きているから出来ること。ゆっくり味わって等出来ないと思うが、その幸せだけは味わって行こうと思う。おそらく父もそう言ってる。