おはようございます。
今朝は、よし、御言葉を読もうと思い、
起き上がることができました。
さて、どんな事が学べるでしょうか。
今日の学びは、詩篇119:89〜94節です。
主よあなたのみことばはとこしえから天において定まっています。
あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えられたので地は堅く立っています。
それらは今日もあなたの定めにしたがって堅く立っています。万物はあなたのしもべだからです。
もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったらそれなら私は私の苦しみの中で滅んだでしょう。
私は決してあなたの戒めを忘れません。それによってあなたが私を生かしてくださったからです。
私はあなたのもの。どうか私をお救いください。私はあなたの戒めを求めています。"
詩篇 119篇89~94節
聖書新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
神様とは、天と地を創られた。創造主です。
はじめに神が天と地を創造された。
創世記 1章1節
罪の現れるまで、すべては素晴らしいものだったんです。
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
創世記 1章31節
こうして天と地とその万象が完成した。
創世記 2章1節
この1章31節に気づきましたか?私たちは、普段、朝昼晩と、1日の始めとして朝を先に話しますよね。
でも、最初の地は、何もなく、闇が大水の面の上にあったと聖書にもあるように、
闇が最初で、神様が「光、あれ。」と言って、光が与えられたんです。
だから、夕があり、朝があった。
ユダヤ人は、今でも、1日の最初を夕を主題に話すそうですよ。
夕があり、朝で、素敵だと思います。
暗闇の後、光が来たってことですよね。
光があって、消えるより、暗闇に、光が現われた方が、希望が持てます!!!
はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"
創世記 1章1~5節
山登りした時や、夕日、朝日の美しさを見たとき、🌇🌄
私は、神様ってこれを造ったんだ。すごいなぁと思います。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから被造物を通して知られ、
はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。
ローマ人への手紙 1章20節
ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、
善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。
ペテロの手紙第一 4章19節
他にも、風の移動の仕方、雷の凄さ、虫という小さな生き物にまで考えられているデザイン。植物の色、花の美しさ。
悲しい事も起きてしまうけど、地震の力強さ、火山の威力、そのものを見る時、偶然できたとは考えにくい。
きっと誰かが、デザインしたんじゃなければ、こんなにも入り組んだ自然や生き物が調和するのは難しいと。
すべては、素晴らしく造られた。「それは非常に良かった」
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
創世記 1章31節
神様が、すべてを造ったなら、じゃあ、悪いことをする人間も神様が作ったんだね。とある人は言いました。
いや、神様は、人を造ったけど、最初に作った時は、罪がなく、人は、神様に似せて造られたんだよ。
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
創世記 1章27節
むしろ、神様は、人をロボットのように感情を持たなかったり、私たちの感情をコントロールしなかったから、
最初の罪が起こったんです。そして、多くの罪も起こっている。
人は、「神様は、私達に隠していることがある」と思った人が、善悪を知りたい。(悪を知りたい)という感情を抑えられなかったから、罪が入って、悪い考えが人にも入ってしまったんだよ。
そして、これを他の人にも分けて、分けられた人も、断らずに同じ罪をいただいた。
そのすぐ後、神様は、罪を告白するチャンスをくれたのに、
人は、神様のせいですよ。あなたが、彼女を造ったからいけないんですと。
神のせいにしてしまった、人のせいにしてしまった。
それが、アダムとエバの話の要約です。
じゃあ、エバが悪いんだね。
いいえ、いま、あなたも、すべての罪は、エバのせいだと、人のせいにしましたね。
エバも、アダムも私たちも罪人なんです。
次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。
悟る者はいない。神を求める者はいない。
すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」
ローマ人への手紙 3章10~12節
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ローマ人への手紙 5章8節
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。
ご自分の義を明らかにされるためです。
神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。
ローマ人への手紙 3章23~25節
神様は、地を創られて、人を造られて、すべては素晴らしかった。
神様は、私たちに自由意志を与えてくださった。
私たちに自分自身の心から、神様にしたがって欲しかったから。
でも、私たちは罪を犯した。
神様は、罪を許す機会を与えてくださった。
罪を許す方法も地を創られた時に計画していた。
神様、私たちが救われるために、イエス様を送ってくださってありがとうございます。
神様は、あなたを造られた。あなたは、偶然できたんじゃない。
神様が、あなたを造りたいと思ったから造られた。
あなたは、愛されている。生きる意味は、神様が教えてくださるよ。
神様が、あなたを生かしてくださっているから
聖書を読んでみませんか。
主よあなたのみことばはとこしえから天において定まっています。
あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えられたので地は堅く立っています。
それらは今日もあなたの定めにしたがって堅く立っています。万物はあなたのしもべだからです。
もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったらそれなら私は私の苦しみの中で滅んだでしょう。
私は決してあなたの戒めを忘れません。それによってあなたが私を生かしてくださったからです。
私はあなたのもの。どうか私をお救いください。私はあなたの戒めを求めています。"
詩篇 119篇89~94節
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