KAZU1000のブログ

「阪本研究所 SK laboratory」
代表 Kazuyoshi Sakamoto

【峠八幡神社】(とうげはちまんじんじゃ) 柏原市  じゃらん旅行記

2016年11月28日 | 日記

 


大阪府柏原市峠に鎮座する【峠八幡神社】(とうげはちまんじんじゃ)です。延命地蔵尊(畑地蔵尊)が石段の横にあります。石段をあがって鳥居を抜けると正面には本殿が見えます。参道石段脇に設置された柏原市教育委員会の説明板によると、神社前の道が江戸時代の亀瀬越奈良街道であると書かれていました。この神社についての由緒等は不明です。延命地蔵尊は格子戸が施錠されていましたが、中のお地蔵さんに御簾や涎かけはありません。左手に宝珠を持ち、半跏趺坐された地蔵菩薩はとても珍しい。説明板によると鎌倉時代末期~室町期の造立と考えられているようです。

住所:大阪府柏原市 峠494
アクセス:大和路線三郷駅 から徒歩14分(1.1km)

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【龍王社】(りゅうおうしゃ)大阪府柏原市峠

2016年11月28日 | 日記



【龍王社】は大阪府柏原市峠、JR大和路線の河内堅上駅(かたかみ)より北東1.4km、大和川右岸の亀の瀬にあります。【龍王社】のある亀の瀬は「畏(かしこ)の坂」として万葉集にも登場するほど、地すべりでおそれられてきた場所です。数百万年前に「亀の瀬」の北には火山があり、最低2回は噴火したといわれています。1回目の溶岩やそれに堆積した地層の上に、2回目の噴火に伴う溶岩がのっています。その溶岩の境目が非常に脆く、水分を含むと上の溶岩が滑り台のように滑ってしまいます。亀の瀬には昔から亀岩と呼ばれる巨石があり、この亀岩が動くと、地すべりが起こって大和川がふさがれ、大和に洪水が起こるという伝承があります。亀の瀬右岸には龍王社があり、修験道の開祖・役行者が二十八品を埋納した葛城二十八宿経塚の内、最後の経塚とされます。経塚は和歌山県加太町の「友が島」を第一品経塚として始まり、「亀の瀬」の第二十八品経塚が、最後の経塚となります。奈良時代の頃から神仏習合が行われ、
写経して神前に奉納したり、経塚に納める風習が起こりました。亀の瀬は剣先船の船着き場があった地で、【龍王社】は船仲間が運航の安全を祈った祠でもありました。ここには、「大坂剣先船問屋中」と刻まれた石燈籠も建っています。

場所:大阪府柏原市峠、JR大和路線の河内堅上駅(かたかみ)より北東1.4km

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【高安古墳群】(たかやすこふんぐん) / 高安千塚古墳群

2016年11月23日 | 日記

高安古墳群(たかやすこふんぐん)は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に分布する古墳群。「高安千塚古墳群」の名称で国の史跡に指定されています。八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基の古墳群が現存しており、その多さからこのあたりを「千塚」と呼ぶようになりました。 古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて造られ、大正時代の調査で、かつては600基ほどあったとみられています。 その多くが、横穴式石室を持った直径10~20メートルほどの小さな円墳で、高安山の中腹、標高50~300メートルあたりに多く分布しています。 大抵の場合、南側に開口している。 このあたりでは4, 5世紀の古墳時代前・中期にかけては巨大な権力を持ったごく少数の人物が巨大な前方後円墳を造った。しかし古墳時代後期には権力が分散し、財力のある小豪族がこのあたりに勢力を伸ばし、小規模な円墳を造るようになり、多くの墳墓が集中するようになったと考えられています。具体的な被葬者については詳細不明です。 明治時代初期に モースが開山塚古墳などを調査・スケッチをして、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介しています。 また、W・ゴーランドが二室塚古墳の写真撮影を試み、1897年(明治30年)に論文で「双室ドルメン」として発表していることが後の研究で判っています。 なお、坪井正五郎は1888年(明治21年)に「古墳・塚穴、ドルメン同源説」という論文を発表しています。

「高安千塚古墳群」の国史跡指定:平成27年3月10日付けで告示[文部科学省告示第38号]。


 
 
 「八尾ドルメン」
 
全国的に有名な大阪府八尾市の高安古墳群の中で「八尾ドルメン」(又は「河内ドルメン」)と呼ばれる古墳です。墳丘の盛土が失われ、石室が完全に露出した状態になっています。この「ドルメン」と言う言葉の意味ですが、これは支石墓(しせきぼ)のことで、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種のことです。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとります。

This ancient tomb is called "Yao Dolmen" (or "Kawachi dolmen") in nationally famous Takayasu tombs of Yao City in 
Osaka, Japan. This ancient's stone chamber has been completely exposed after embankment of the mound was lost.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「二室塚古墳」
 
二室塚古墳(にしつづかこふん)は、300基近い古墳からなる高安古墳群の服部川に所在する、6世紀後半頃に造られた横穴式石室墳です。石室の構造は、右片袖式(みぎかたそでしき)の玄室を2つ連結したもので、全国的に類例のないものです。複数の石室を有する複室構造(ふくしきこうぞう)といわれる石室は、九州を中心に分布していますが、二室塚古墳の石室はこれと異なり、畿内で典型的にみられる片袖式石室を連結した構造で、このような石室は、同じ高安古墳群の郡川にある交互二室塚古墳(こうごにしつづかこふん)(右片袖式に左片袖式の石室を連結)にしかありません。二室塚古墳の石室は、当時の政権の中心であった畿内において、独自の複室構造として造られたものであり、畿内の横穴式石室を考える上で大変貴重なものです。また、二室塚古墳は、日本近代考古学の草創期である明治時代に、「日本考古学の父」といわれる英国人ウィリアム・ガウランドが、米国人ロマイン・ヒッチコックとともに、ガラス乾板による写真撮影を行い、「双室ドルメン」として、いち早く海外に紹介した古墳として貴重な学史を有する古墳です。ガウランドは、大阪造幣寮(おおさかぞうへいりょう)(現在の造幣局)の技術指導のため、わが国に招かれたお雇い外国人でした。彼は、日本各地の古墳の調査研究を行い、その業績は古墳の科学的研究の基礎を築いたものであり、「日本考古学の父」といわれています。ヒッチコックもまた、お雇い外国人であり、卓越した写真技術を持ち、日本の古代研究等にも大きな業績を残しています。彼らは、明治20~21年(1887~88年)に、高安古墳群を訪れたと考えられており、その写真には、当時の二室塚古墳石室の姿が明瞭に残されています。 


Double chamber ancient tomb in Yao city, Osaka, Japan.
This ancient tomb ,“Nishitsuzuka-kofun” is located in Hattorigawa area of approximately 
300 tombs ofTakayasu-kofun in Yao city, Osaka, Japan. It is horizontal stonechamber 
structural type, which wasconstructed in late 6th century.

 

In the latehalf of the fifth century, Kofun mounds in the northern part of Kyushu and the
Kinai region increasingly adopted the horizontal stone chamber structural style.
The construction of this horizontal stone chamber is Migikatasode-style (a stone chamber with 
passageconnected the right side in the wall of the burial chamber) and opened to the south. 
As two burial chambers are connected together inside ancient tomb, it is very rare nationally.
 
 
 
 
 
 
 

「抜塚」(ぬけづか)

大窪・山畑7号墳(抜塚):浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳(よこあなしきせきしつ)です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚(ぬけづか)ともよばれています。現在、残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。羨道の長さは8m、高さは2.2mあります。本来はこの部分の北側、本堂寄りに、玄室といわれる棺(ひつぎ)を納めた部屋がありました。玄室は、長さ5~6m、幅3m前後と推定され、石室の本来の長さは、13~14m前後になると想定でき、高安古墳群中で最大級の石室の1つであったと考えられます。現在、「抜塚」は国史跡になっています。

Ookubo/Yakatake No.7 ancient tomb : This ancient tomb is horizontal stone chamber style which is
located at the 
south side of graveyard of Raiko-ji (temple). It is also called "Nukezuka" because its 
shape is like a tunnel that 
people can go through. The remaining part is a passage of stone 
chamber, which is called, "sendo".
 
 
 
 
 
 
 

「愛宕塚古墳」
 
愛宕塚古墳(あたごづかこふん)大阪府指定遺跡 円墳。直径25m、高さ6m。6世紀後半。
生駒山西麓部で、横穴式石室をもつ最大のホタテ貝式古墳とも言われている。標高70mの見晴らしのいい高台にある。開口部は南向き。円憤経は25m、墳高は60mで、古墳時代後期(6-7世紀)の築造と考えられている。横穴式石室(右片袖式 全長 16.8m、玄室高4.1m)は府下最大級の規模で、内部は両袖石室になっており、家型石棺片に、二上山の白色凝灰岩と、播磨系の石材の二種類が使われていたことが確認されている。家形石棺片、鉄製品、鉄地金銅張の馬具一式(鉄地金銅張子持剣菱形杏葉・鉄地金銅張垂飾板・銀象嵌龍文鞘金具 )金銅製装飾類、土器、玉類等が出土。捩(ね)じり環頭(かんとう)太刀の一部のほかに、多数の須恵器が出土した。古墳は府指定史跡で、出土品は府指定有形文化財になっている。

Atagozuka ancient tomb is designated important cultural property by Osaka. It is a round burial mound 
and hasdimensions of diameter, 25m and height, 6m. The constuction is in latter part of the sixth 
century. Atagozuka ancient tomb is said to be the largest scallop-shaped tomb at the western foot 
of Mt.Ikoma.

住所 : 八尾市神立4丁目42-89
アクセス: 近鉄信貴線 服部川駅下車 徒歩20分








「服部川78号墳」
 
 
 
 
 
 
 
「服部川7号墳」
 





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【寳頭神社】(ほうとうじんじゃ)と【狸のとめやん】 大東市野崎

2016年11月22日 | 日記
大東市野崎に鎮座する【寳頭神社】(ほうとうじんじゃ)と【狸のとめやん】です。
寶頭山不動明王拝殿の脇の石段を登って行くと、寶頭神社です。石段と鳥居があり、石段を登り詰めた所に拝殿が見えます。左手にひっそりとした感じの自然石の碑があります。これが【狸のとめやん】が祀られているところです。この神社の案内板によりますと、由緒は不明です。御祭神は、市杵島姫命です。南條神社を合祀されていたこともあったようです。元はこちらの方が立派だったと思われます。
南條神社をまた分祀された時に、御祭神の素盞嗚命も遷られたようです。また、面白いのは、【狸のとめやん】のお話が伝わっています。昔、このあたりに「とめやん」という狸がいて、毎日のようにいたずらをしていました。困った村人が捕まえると、「皆がとめ公と呼んでバカにする、高吉大明神と呼んで祀ってほしい」と言うので、自然石に「正一位 吉大明神」と彫り、しめ縄をつけ、食べ物を供えてやりました。すると、それからいたずらはなくなったということです。と書かれてあります。
 
住所:大阪府大東市野崎(大字) 
 
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Houtou-jinja is located in the mountain side of Nozaki, Daito city. In the precinct a stone
monument is placed in obscurity at the left of the shrine. It is the place where Tomeyan is
enshrined. A quide plate shows ;  the details of this shrine are unknown. Enshrined deity
is "Ichikishimahimenomikoto". An interesting story of a raccoon dog called "Tomeyan"
has been told in this local area from ancient times. Local villagers always were having 
a trouble of Tomeyan's doing mischief. One day, when Tomeyan was caught by a villager,
he said to the villager that he was always called "son of a bitch! Tome" by all villagers 
treating him with contempt.  And he requested that he should be enshrined as "Takayoshidaimyoujin".  Villagers made a mounument with shimenawa and offering so 
that he can be worshiped as a deity. After that Tomeyan stopped his doing mischief to the villagers.



大東市野崎の山の中に【臍の王神社】(へそのおうじんじゃ)は鎮座しています。

2016年11月22日 | 日記
大東市野崎の山の中に【臍の王神社】(へそのおうじんじゃ)は鎮座しています。実際には鎮座していは云い難い状況です。コンクリート製の鳥居をくぐってかなり草が茂った急な坂を登っていきます。薄暗い山の中にまたコンクリート製の鳥居が見えてきます。現場は人がいないようで廃墟のようになっています。看板には、「御神恩奉載。ようこそ御参拝くださいました。日本最初の御建立創神鎮祭唯一ツの国が認む宗教法人別格氏神本宮真に敬厳豊かな由緒の御祭神宮です。(中略)へそのおは皆様が神の正統子孫を実証の掛替の無い宝物、貴方が母に連結の臍の緒を母から母へ昔に約九千代逆のぼり連結すると明らかに神様に連結、然も臍緒の中一本の血管と二筋の静動脈は貴賎貧富高仁高官を問わず平等に尊い御生命と神血神魂を送授します。思えば大切ないのちの綱です。」と書かれています。

【正圓寺】の境内には鎮守の神を祭る「奥之院」と呼ばれる場所があります。

2016年11月21日 | 日記
【正圓寺】の境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが祭られています。寄松塚(別称 八本松竜王)については、寺伝によると、「聖武天皇が鎮護国家を祈念してこの地に霊寳を埋め、その記念として松樹をお手植えされた処であって、昭和初年までは天をおおう大老松で一大偉観を呈していたと云ふ。」この松が一幹八枝の大木であったのでいつの頃からか八本松と呼ばれていたとの事です。鎮守堂(別称 白玉さん)については、御本尊は仏教系の稲荷信仰で霊験あらたかな枳尼天(だぎにてん)をおまつりしています。「辨財天祠」は、厳島弁天(日本三大弁天の一)と淡路島巡遷弁天を合祀しています。

Shōen-ji (正圓寺) is a Buddhist temple in Abeno-ku, Osaka Prefecture, Japan. It was founded in 939. This temple is friendly called “Tenka-jaya-no-Shoten-san” The principal object of this temple is woodcarving “Daishokangisomitenou” 大聖歓喜双身天王. It is the largest one I Japan.
Kangi-ten (Japanese: 歓喜天, "God of Bliss") is a god (deva or ten) in Shingon and Tendai schools of Japanese Buddhism. He is generally considered the Japanese Buddhist form of the Hindu elephant-headed god of wisdom, Ganesha and is sometimes also identified with the bodhisattva Avalokiteshvara.He is also known as Kanki-ten, Shō-ten (聖天, "sacred god" or "noble god"]), Daishō-ten ("great noble god"), Daishō Kangi-ten (大聖歓喜天), Tenson (天尊, "venerable god"), Kangi Jizai-ten (歓喜自在天), Shōden-sama, Vinayaka-ten, Binayaka-ten (毘那夜迦天), Ganapatei (誐那缽底) and Zōbi-ten (象鼻天).
Kangiten has many aspects and names, associated with Vajrayana (Esoteric Buddhist, Tantric, mantrayana) schools Shingon being one of them. Although Kangiten is depicted with an elephant's head like Ganesha as a single male deity, his most popular aspect is the Dual(-bodied) Kangiten or the Embracing Kangiten depicted as an elephant-headed male-female human couple standing in an embrace.
In the precincts of the temple, there are many old structures to see ; Chinju-do (guardian god hall), grave mound, separately moved shrine, Fudo Myoo(wisdom king) and Goddess of fortune small shrine. And there was Seitenyama ancient tomb in the Seitenyama park next to Shen-ji.



所在地:大阪府大阪市阿倍野区松虫通三丁目2番32号
Address : 32-2, 3-chome, Matsumushitouri of Abeno-ku, Osaka Prefecture



【正圓寺】の境内には鎮守の神を祭る「奥之院」と呼ばれる場所があります。