心のままに

命日に寄せて(祈り)

今日は娘みつほの命日です。

 

でも、いつもの日常で、

自分のすることをやっていました。

 

お昼前に主人とゆっくりとお経をあげました。

終わって、主人が言いました。

 

11年過ぎたんだなぁ、

一年が、早いのか、遅いのか、、、

 

前よりは一年が早く過ぎるようになったけどね。

前は一年がすごく長かった。

すごく苦しかったからね。。。

 

そう返事しただけの短い会話です。

でも、分かりすぎるほどに、

お互い分かります。

 

みつほからのメッセージは、

心の安定剤ですね。

悲しみはあっても、

穏やかに、

今日を過ごしています。

 

 

肉体を離れることは解放であり祝福である

前回のblogに書いた言葉です。

きっと抵抗を感じながら読まれた方も多いと思います。

今日はこの体験を綴りたいと思います。

 

1月10日

とても尊敬している大好きだった先生が亡くなられました。

ボランティア時代の顧問の先生の突然の訃報でした。

 

先生とは生涯学習の一歩を踏み出した頃に出会いました。

優しく穏やかで、凛とした生き様に、

とても憧れていました。

いろいろなことを相談させていただきました。

いつも心の中に支えとして存在していた方です。

とてもショックでした。

 

先生の訃報を電話口で淡々とお話しされる奥様、

まだ実感が湧かないのだと思いました。

お葬式が済み、忌明け、、、

何かしらやることがある間は、

実感があるような、

無いような、でした。

心が麻痺している時期ですからね。

 

お通夜の日は、3日間の講座の初日でした。

この訃報の前に、

この3日間に絡んだ、

さまざまな調整が入っていました。

全てが仕組まれていたかのように、

一気に心は動きを止め始めました。

 

幸い、連絡をいただいた夜は、

美穂子さんのヒーリングを受ける予定がありました。

ヒーリングを受けて、少し落ち着き、

自分が何をどう選択したいのか、

考えることができるようになりました。

 

翌日のお通夜は講座を夕方早退し、

葬儀場に向かいました。

ちょうどみつほが倒れた夕方にそっくりな天候でした。

空はどんより重く、雪がちらちら、降り始め、

寒い寒い夕方でした。

 

奥さまとお話がしたくて、

通夜式のお時間より早く到着しました。

奥さまとお話しした後に、

先生のお顔を見せていただきました。

 

その瞬間感じました。

「先生ではない。もうここにはいらっしゃらない」

この広い空間にいらっしゃると感じました。

 

解放」の感覚でした。

 

そして、これ、実は、

みつほが亡くなった時に、

私が感じた感覚でした。。。

その時は、

こんな風に感じる自分を、

ものすごく責めました。

冷たい親だ、、、と。

でも、それは誤解だということを、

先生から教わりました。

 

その後、お通夜が始まるまで、静かに座っていました。

そしたら、先生が私のところへきてくださいました。

「荒川さん、よく来てくれましたね」

生前の先生そのままのお声で、

そのままの歩き方で、

来てくださったのです。

何も視える訳でもない、

何も証拠があるわけでもない、

ただ、私の中の確かな感触でした。

いつもの穏やかで優しい語り口調で。

 

あ~「死は祝福である」って、

こういうことなんだ、

その理解が深いところにストンと落ちてきました。

それからしばらく心の中で先生に話しかけていました。

 

人は肉体を離れても、

生前と同じように存在している。

 

先生はこの瞬間も、

私を導いてくださっている、

そう感じました。

それは間違いなく「祝福」という感覚でした。

 

私はこの体験で、心が満たされ、

先生とのお別れができたと感じ、

翌日のご葬儀は失礼し、

今、自分が目指していることへ、

講座を受講するという選択に、

切り替えました。

 

自分にとってOK

周りにとってOK

世界にとってOK

 

これがその瞬間の選択でした。

 

人生を愛する、

自分を愛する、

さまざまな視点から、

この体験が、

魂の滋養になっていくことでしょう。

 

 

 

~娘の命日に寄せて~

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