8月9日
一瞬に消えた原爆の 光の怖さ
忘るべからず 長崎の町
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私は保谷市に住んで25年、今年還暦を迎えます。
終戦時には旧姓中学5年(現在の高校2年)でした。
当時の中学生は男女を問わず、強制的に学徒動員に狩り出され、軍需工場で生産に従事させられました。
私は世田谷の軍需工場でした。 . . . 本文を読む
国民徴用令(非常時ということで、平和産業に従事する人や商店で働いていた人を「白紙」の徴用令書で、強制的に軍需産業へ狩りだした国の法律)を受けて、中島飛行機武蔵製作所に徴用第一期生として入所しました。 . . . 本文を読む
私の仕事は、飛行機の熱処理作業でした。
わずかなミスでも飛行士の人命にかかわる仕事だけに、仕事の内容もきびしく、豊富な知識と技術が要求されました。
研究会には毎回のように出席し、分からないところがあれば自分で本を買ってきて勉強し、できるだけの知識を習得しようと励みました。 . . . 本文を読む