坂野家住宅、昨日の続きです。
今回は、居室部と座敷部についてです。
坂野家の土間から上がると、居室部と座敷部とがあります。
ちょっと見づらいのですが、平面図を載せました。
居室部は主屋建築当初から設けられていた部分だそうです。
広間・茶の間・仏間・納戸が田の字のように並んでいます。
このようなのを四間取り(よまどり)と言うそうですが、
これは、建築後しばらくしてからこの形に変えられたらしいです。
広間は8畳と6畳の二間に仕切れるようになっています。
坂野家の半纏がかかっています。
奥に見える板の間は茶の間です。
こういうのを帳場というのでしょうか?
年季の入ったそろばんが幾つか並んでいました。
広間の南側には、ちょっと変わったものがありました。
雨降りに物干しざおでも掛けて洗濯物を干すのかしら?
と思うようなものが天井から4つ、ぶら下がっていました。
そしたら、違うのですね。
窓のようになっている板をここに引っかけて、風を通すようになっているのです。
窓から外を見るとこんな感じに見えます。
窓が大きいので、開放感があります。
横から見ると、こんな感じで吊り下げられています。
このような戸を蔀戸(しとみど)と言うそうです。
「蔀」とは日よけや覆うという意味があり、
蔀戸は雨戸のようなものでしょう。
上の部分は欄間になっています。
このように蔀戸と欄間が一緒になっている形は、この辺りでは珍しいそうです。
また、この写真では外が見えるように開いた状態になっていますが
この戸はスライドできるようになっていて、
このように閉じることが出来ます。
これは無双連子(むそうれんじ)と言って、お茶室の小間などにもありますね。
蔀戸と無双連子を取り入れることで、風通し、採光、保温性などが工夫されていて、
日本家屋って、機能的にも見栄え的にもよく出来ていると感心いたします。
こちらは、茶の間です。
神棚がありますね。
坂野家の写真パネルなどが少し展示されています。
土間だけではなく、こちらにも囲炉裏がありました。
土間の囲炉裏はきっと煮炊き用だったのでしょう。
茶の間の囲炉裏は団らん用というのでしょうか、そんな感じですね。
奥の納戸部屋には、映画の撮影風景などが写真で展示されていました。
こちらは、カメラ撮影禁止のため納戸の写真はありません。
仏間です。
右手が広間になります。
手前は、座敷部の三の部屋で仏間と繋がっています。
正面右側に埋め込まれているのが仏壇で、
先祖代々の御位牌を祀ってあったそうです。
居室部は、このくらいにして座敷部に移動いたします。
あ、そうそう、移動する前に坂野家の茅葺について・・・
外から見たのでは気付きませんが、
下の方から覗くと、このように何層にもなっています。
このような作りは、この辺りでは大変珍しいものらしいです。
この層の違いが、何をどう表すのかよくわかりませんが、
いずれにしても、格式として高かったのだろうと感じます。
茅葺屋根とひと口に言っても、葺き方にもいろいろあるものなのですね。
今回のことをきっかけに、ちょっとだけ調べていましたら、
ちゃんと茅葺き情報ネットというのがあるのですねぇ。
いくつか知っている場所の家があったりして、ちょっと興味が出てきました。
来客用に設けられた式台玄関です。
座敷部は、南から「一の間」「二の間」「三の間」で構成され、
二の間東には、この建物の特徴ともいえる式台玄関と、三の間東には内玄関が設けられています。
本来このような武家屋敷の様式である表門や式台を持つ玄関などが特別許されていたのは、坂野家が幕府の「出張所」という性格を持ち、幕府の役人が坂野家に逗留するためだったようです。
外側から見た式台玄関です。
家人はもちろん当主もほとんど使うことはなかったそうです。
この奥には来客用の浴室とトイレがあります。
いきなりトイレの写真になってしまいましたね。
すみません。
この建物の特徴になるのかわかりませんが、
トイレと浴室は、ここだけでなく、他にもいくつか設置されています。
特にトイレは多かったです。
こちらは一の間。
床の間と天袋、違い棚を持つ床脇があります。
この座敷部は、来客(特に幕府の役人などの武士層)を接待するための客間とされていたそうです。
天保年間には、二宮金次郎(尊徳)が大生郷村の荒地再興のため、
この家に逗留して村人に農業の仕法を施したという記録もあるそうですが、
その時も、この客間を利用したのでしょうか・・・。
右側は式台玄関で、その向こうには居室部が見えます。
こちらが二の間です。
一の間とやはり少し違いがあります。
こちらには押入れがあります。
そして式台玄関から入る部屋なので、一の間の次の間として使われていたようです。
一の間と二の間の間には、菊の透彫りの欄間があります。
この欄間はもともと坂野家の家紋である蔦模様だったらしいのですが、
蔦の葉の部分が外れ落ちたことにより、初めて菊の欄間であることが判明したそうです。
菊の花弁が16枚だったため、当時では畏れ多いということで蔦の葉で隠していたのだろうとのことです。
式台玄関、二の間、その奥に一の間を見たところです。
三の間にある「梅の木」の墨絵が描かれている帯戸です。
墨絵がどこに描かれているのか、ちょっとわかりませんでした。
三の間は、
他に特別な造りもなく普通の部屋で、役人の付人が使用していたそうです。
三の間から廊下に出ると、西側に庭を挟んで離れの書院(月波楼)が見えます。
その月波楼については、続きということで・・・。
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とても歴史を感じる家ですね。
見ているとホッとしました。
日本人ですね。
せっちんがシンプルで最高です。
でも様式に馴れた人は辛いでしょうが(笑)。
大きなお家ですよね~。
日本の気候にあった建物だなぁと思います。
せっちん、
そうですね、この家にはその言葉の方が合っていますね。
年季の入った帳場、並ぶそろばんに番頭さんが座れば
まさしく時代劇「水戸黄門」の世界ですね~
いいですね~ こうした雰囲気、大好きです☆彡
ドラマの世界と思ってしまいますが、
実際にあったことなんですよね。
私もこういう雰囲気、大好きです。