3.11関西学生ネット阪大のブログ

被災地支援と原発問題に取り組む、大阪大学の学生団体です。被災地でのボランティアや「希望のひと針プロジェクト」を行います。

夏休み被災地派遣報告

2012-10-08 19:47:41 | 被災地支援

こんばんは。代表のYです。

遅くなりましたが、夏休みに被災地派遣を行ったので報告します

3.11関西学生ネット阪大では、9月3日から8日にかけて第10次被災地ボランティア派遣を行いました

今回も岩手県遠野市にある「遠野まごころネット」にお世話になりました。

 

1日目

仙台に集合し、高速バスで遠野へ向かいます。

仙台から遠野へは3時間ほど。遠野へ着いたのは20時過ぎでした。この日は夕飯を食べ、22時に就寝です

まごころネットの宿舎は、洗濯機3台、乾燥機、シャワー室、洗面台4つ、など、以前よりも設備が充実していて驚きました。

 

2日目

遠野まごころネットでは、7時40分にラジオ体操で一日が始まります。意外と朝は時間に余裕がありました。

 

 

この日は釜石市鵜住居(うのすまい)へ。津波で流されてしまった宅地跡の清掃を行いました。

東北は涼しいイメージがありましたが、かなりの暑さです。

付近には防災センターと釜石東中学校・鵜住居小学校がありました。

防災センターは本来の避難場所ではなかったのですが、

たくさんの人が避難し、100人以上の方が犠牲になってしまいました。

一方、釜石東中学校と鵜住居小学校は、全員が助かったことで知られています。

被災地外では助かった美談の報道が多いですが、

現地では防災センターのことの方が知られているそうです。

なにを報道すべきなのか、考えないといけないと思いました。 

 

3日目

雨が降り始めたため、大槌町の中心部やハーブ農園をバスで回りました。

ハーブ農園は、ハーブやいろんな花を植えて庭のようにしてある素敵な場所です。近くに川があり、釣りができるそう。

大槌町の方々に散歩などして楽しんでもらおうと作られました。

 

 

雨がやんだので、大槌町蕨打直(わらびうちな)にある第二まごころの郷へ。まごころ農園で作業をしました。

まごころ農園は、大槌町の方々に、1人1区画で農場を貸して農業を楽しんでもらっている場所です。

はじめは人が来ませんでしたが、冬の間も地道に声をかけ続け、住人の方々が集まる場所になっていったそうです。

作業内容はたい肥作りでした。

河原の草を刈り、細かく切って積んでいくという作業。

しかし、再び強い雨が降り出したので作業は20分ほどで終了。臼澤さんより大槌復興米の話を聞いた後、遠野へ帰りました。

夕飯は遠野駅前の、「Deん」へ。

 

4日目

まごころネットの活動をお休みして、私たちだけで大槌町へ行きました。

電車とバスに2時間弱揺られた後、まずは大槌町の中心部を見て回ります。

写真は旧大槌町役場

大槌駅から防潮堤、大槌町役場、ふれあいセンター、大槌病院と歩き、北小跡のきらり福幸商店街へ。

お昼はラーメンでした。磯ラーメンおいしかった

 

その後、「希望のひと針プロジェクト」でお世話になっているサンガ岩手の工房を訪ねました。

前よりも可愛い商品が増えており、女性陣はハートをつかまれたようです(笑)

7月に「希望のひと針プロジェクト」で作ってもらった商品も、デザインなどを変えて売られていました。

こうやって僕たちのデザインが取り込まれていくのはうれしいですね。

おばあちゃん2人が講師をしてくださり、がんばるゾウ作りのワークショップが始まります。

その後は、お菓子を食べながらサンガ岩手代表の吉田さん、おばあちゃんたちとお話をしました。

おばあちゃんたちは涙ぐみながら話し、最後には「また来てね」と言ってくださいました。

みんな、おばあちゃんたちに会うことができて満足した様子です

 

帰りは吉田さんたちが遠野まで送ってくださったのですが、車の中でもお話を聞くことができました。

大槌町のこれからが見えず、不安であること。

津波が被った地域は盛り土をし、その上に運動公園や体育館を立てることになっているが、

盛り土に使う土をどこから持ってくるのかなども決まっておらず、見通しが立たないこと。

テレビでの震災の報道はもう見たくないということ。

ただ笑える番組とか、ドラマとか、そういうのがみたいということ。

津波では、子どもの小さいときのビデオとか写真とか、そういったものまで本当にすべて流されてしまったこと。

政治は被災地のことを考えているように見えず、期待できないこと。

いろんなことを話してくださいました。

 

5日目

この日は再び鵜住居で作業です。常楽寺というお寺の前で宅地清掃を行いました。

実は2日目にも行ったこの清掃は、しばらくすれば重機が入って更地になるようなところで行っています。

どうせ重機で壊すのに、わざわざボランティアが入って清掃する必要があるのでしょうか?

確かに、効率を考えれば無駄ですし、ボランティアの中にもそうおっしゃる方がおられます。

でも、この作業は単なる清掃ではないのです。

「取り壊される前に、自分の家があったところがきれいになるのを見たい」

という被災された方の思いがあります。

心の中で区切りをつけたり、気持ちを前に進めるためのステップとして、

一度家の跡をきれいにする意味があるのです。

また、この宅地清掃を通じて、現地の方々とボランティアとの信頼関係も作られています。

 

お昼には大槌町出身の知り合いが来てくださり、代表のYだけご飯を一緒に食べに行ってお話しました。

大槌町で盛り土をした後にできる公営住宅は、好きなところに入れるわけではないそうです。

避難所から仮設住宅へ入ったときのように、またコミュニティが壊れてしまうのではないかと心配になります。

夜は遠野の食堂ちどり屋でご飯を食べました

 

6日目

ついに帰る日となりました。早かったー。

遠野から仙台へ再びバスで向かいます。全員けがもなく無事に解散できました

仙台へ向かうバスで大槌町の方が書いた詩集を読みなおし、大槌町の方々の心の傷の深さに呆然となりました。

 

 

今回、大槌町では、この町がこれからどうなるのか、先の見えない不安が住民の方々の中で強くなっているのを感じました。

いま、大槌町ではものすごい速さで人が減っています。もともと1万5000人いた町で、震災による死者・行方不明者が1500人。

仕事が少ないため、今も若者を中心に毎月300人が町を出て行っているという話もあります。

震災ですべて失ったうえに(大切な人、家、車、思い出の品…本当に「すべて」です)、町からどんどん人が出て行く。

大槌町で被災された方は今、そういう状況の中に置かれているのです。

「これからどうなるんだろうねえ」という言葉を何度も聞きました。

 

1年半前に起きた震災は、まだ終わっていません。関西にいる僕たちができることはなんでしょうか。

まずは被災地へ行くこと。

「先の見えないこの町に、遠くから人が来てくれた」「まだ私たちのことを忘れないでいてくれる」

私たちが被災地に行くだけで、住民の方々は喜んでくださいます。

もう一つは、被災した町に人が戻ってくるようにするにはどうすれば良いかを一緒に考えること。

町おこしの方法を考えるのは、被災された方にとっても、被災していない私たちにとっても、希望が湧いてきていいなと思います。

「また来てね」「被災地を忘れないでね」被災された方とお話しすると、必ず言われます。

今回やっと、その意味がわかりました。

関西にいるみなさんにも、被災地のことを忘れないでいてほしい。できれば、実際に行ってみてほしい。

 

これからも、3.11関西学生ネット阪大では、大槌町を中心に被災地とかかわっていきたいと考えています。

皆さんもぜひ、一緒に活動できたらと思います

お問い合わせは、kgnet.handai@gmail.com まで。

 

では、次の更新をお楽しみに



最新の画像もっと見る