昨日の続き
保健所に連れて行かれてしまい迎えに行こうか
悩んでいたが、連休があったり
保健所に電話をすると収容所に
移されたということで確認のために
収容所に出かけたのだった。
時折雪がパラついた寒い春の事だった。
10匹ほどが檻の中で、私を見て一斉に
出してとばかりに吠えていた。
私に気づいたセッター犬は、私をジィーッと見つめて
分かったようだった。
保健所での手続きで私の不始末で離れてしまったという
始末書を書き、(繋いで飼う事と
今後気をつけますのような書類だった)
4日分のフード代金も支払った。
そして、鑑札と登録の費用(市役所)支払い
収容所にセッター犬を迎えに行ったのだった。
白い秋田犬が、檻の隅でセッター犬を威嚇していた。
奥の隅でうなだれるセッター犬は、
日曜日を挟んですぐに連れ帰れなかったせいか
餌も食べなかったのと衰弱していた。
家に連れ帰り、体を拭き玄関の中に新聞紙を敷いて
電気ストーブで温かくしても
水も飲まず、ささ身も食べず、近所に新しくできた
動物病院で、6日間点滴に通い少しづつ回復して
家に来てから、3年近く生きたのだった。
亡くなったのは、クリスマスイブの日だった。
交通事故だった。
名前は、「トム」
私の不注意だった。
私の人生で、一身上の出来事があり
人に会いたくなくなり、夜中の12時過ぎに
トムとミミの散歩は、泣きながら歩いた
そんな私から、去っていった。
「自分の身勝手で、家の子にしてトム君は
しあわせだったのだろうか。
今年ももうすぐ、クリスマスだ。
トム君に謝る日になっている。
一度だけ、私の膝に乗って抱っこしたことがあった。
手足が長いので、あまり快適でもなかったのか
その一度だけだった。
いつも散歩から帰ると水を飲んだ後、「ミミ」が、私の膝に乗り
抱っこするのを横目で見ていたのだった。
それから10年後、今いるポメラニアンを飼うのは、とても悩んだが
母を亡くし落ち込む私を見かねた1年後、半ば強引に
ケージからフードからすべて用意し、県外のホームセンターで働く
友人が連れてきたのだった。(請求書持参)
(いったん断っていた。犬と暮らす自信がなかった。)
慣れるまで、ストレスだった。
動物病院の先生に相談して、上手く付き合えるようになり
現在高齢犬だが、元気でいてくれる
時には私を見守っているような、やさしい眼差しに
涙ぐむこともある。