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2月16日(木)
昨夜は、蚊の襲来で窓を開けることもできず、今までで一番蒸し暑い夜だった。夜中、あまりの暑さに耐えきれずエアコンをつけたが、切ると直ぐに元の状態にもどり十分な睡眠をとることができなかった。
今日はAdelaideに着く予定だ。私達は土のガタガタ道を避け、リスクの少ないBroken Hillを経由してAdelaideを目指すことにした。Walk don’t Run 急がば回れ200km程、余分にドライブするが安全を優先した。
Adelaideに向かう道は鉄道に沿って走しっている。途中、100両程の貨車を連ねた列車と並走した。貨車の形から推測するとほとんどが鉱物のようだ。昼食は幸子の作ってくれた玉子&ツナサンドを熱いコーヒー飲みながら食べた。見渡す限りの大草原、時折、長距離トラックが過ぎていく。私はパーキングとレールの間を区切るフェンスがあったので昨夜の暑さで汗ばんだシーツを乾かすことにした。草原を吹いていく風がシーツをなびかせ、強い陽ざしが瞬く間にそれを乾かしてくれた
30分で食事を終えるとBarrier Hwyをさらに走るとNSWとSA(South Australia)の州境を越えた。やっとAdelaideのある州にたどり着いた。しばらくすると前方に大きな「STOP」
サインが見えてきた。幸子はそれを気にもせずに走り抜けようとしたので私は何の意味か分からなかったがCube3を止めるように指示した。間もなく近くの建物から一人の男性が私達の方に来て質問を始めた。「フレッシュの野菜、果物は持っていないか?」私は昼食後食べたかったアイスボックスにあるオレンジと夕食のトマトを見せるとその全ては彼の大きな手の中にあった。トウモロコシだけが残されたが何の意味があるのか分からなかった。
私達の後ろで止まったCaravan Carも同じ要求をされているのだろ。オーストラリアは州独自の法律がありフレッシュの野菜果物を持ち込むことが出来ないのだろう。持ち出すことが良いか否かは判らない。
Adelaideの50km手前にあるBurraに着く。1850年以降炭鉱の町として栄え、当時の露天掘りの後に水がたまり湖のようになっている。見晴らし台から見下ろすと数人が乗ったボートがあった。近くには高さ20メートル程の石を積み上げた煙突が立っている。これはPeacocks Chimneyよばれ採掘する時の設備を動作させる為、エンジンハウスと繫がっていた。当時、鉱山のオーナーWilliam Peacocksの名前からとったと案内ボードに記載されている。現在、この町は1,000人程の人たちが生活している小さな町の入口には石造りの教会があり、家々が整然として立ち並んでいる。このような町が内陸のいたるところにあり、オーストラリアの草創期の力強さがうかがえる。つづく
昨夜は、蚊の襲来で窓を開けることもできず、今までで一番蒸し暑い夜だった。夜中、あまりの暑さに耐えきれずエアコンをつけたが、切ると直ぐに元の状態にもどり十分な睡眠をとることができなかった。
今日はAdelaideに着く予定だ。私達は土のガタガタ道を避け、リスクの少ないBroken Hillを経由してAdelaideを目指すことにした。Walk don’t Run 急がば回れ200km程、余分にドライブするが安全を優先した。
Adelaideに向かう道は鉄道に沿って走しっている。途中、100両程の貨車を連ねた列車と並走した。貨車の形から推測するとほとんどが鉱物のようだ。昼食は幸子の作ってくれた玉子&ツナサンドを熱いコーヒー飲みながら食べた。見渡す限りの大草原、時折、長距離トラックが過ぎていく。私はパーキングとレールの間を区切るフェンスがあったので昨夜の暑さで汗ばんだシーツを乾かすことにした。草原を吹いていく風がシーツをなびかせ、強い陽ざしが瞬く間にそれを乾かしてくれた
30分で食事を終えるとBarrier Hwyをさらに走るとNSWとSA(South Australia)の州境を越えた。やっとAdelaideのある州にたどり着いた。しばらくすると前方に大きな「STOP」
サインが見えてきた。幸子はそれを気にもせずに走り抜けようとしたので私は何の意味か分からなかったがCube3を止めるように指示した。間もなく近くの建物から一人の男性が私達の方に来て質問を始めた。「フレッシュの野菜、果物は持っていないか?」私は昼食後食べたかったアイスボックスにあるオレンジと夕食のトマトを見せるとその全ては彼の大きな手の中にあった。トウモロコシだけが残されたが何の意味があるのか分からなかった。
私達の後ろで止まったCaravan Carも同じ要求をされているのだろ。オーストラリアは州独自の法律がありフレッシュの野菜果物を持ち込むことが出来ないのだろう。持ち出すことが良いか否かは判らない。
Adelaideの50km手前にあるBurraに着く。1850年以降炭鉱の町として栄え、当時の露天掘りの後に水がたまり湖のようになっている。見晴らし台から見下ろすと数人が乗ったボートがあった。近くには高さ20メートル程の石を積み上げた煙突が立っている。これはPeacocks Chimneyよばれ採掘する時の設備を動作させる為、エンジンハウスと繫がっていた。当時、鉱山のオーナーWilliam Peacocksの名前からとったと案内ボードに記載されている。現在、この町は1,000人程の人たちが生活している小さな町の入口には石造りの教会があり、家々が整然として立ち並んでいる。このような町が内陸のいたるところにあり、オーストラリアの草創期の力強さがうかがえる。つづく