Cube3で走るオーストラリアの旅2012
Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra
3月1日(木)初めてのCanberraの朝は、昨夜からの降り続く雨が私を寒く感じさせてくれる。
幸子さんは今日も私より前にシャワーをすませており、私がシャワーを済ませると同時に、今まできていた服を一緒に洗うと言っていた。たっぷりと暖かいシャワーを浴びた後、私は毛布や服を洗濯機の中に入れコインを投入した。その間に私達は食事を済ませ10時前にはCaravan Parkを出発した。
市内の小高い山は、Black Mountainと呼ばれ、晴れていれば市内全域をを見渡す事が出来るが今日の様なガスが発生し、雨が降っている時は、この施設も閉鎖されており私達が駐車場に入ろうとした時に、係員から「No」のサインが出された。しかたなく、少し時間が早かったがParliament Houseへ向かった。
オーストラリアの議会はいつでも定数の見学者を受け入れているようである。Houseの受付で見学の方法を尋ねると、案内されたカウンターにはすでに数十人列を作って手続きを待っていた。
私は名前とinfoでもらった予約Noを伝えると、係官は登録されていない為、反対側にある当日受付入口に私たちを並ぶように指示した。当日受け付けは、予約者で満席であれば見学する事は出来なかったが幸いにも入室する事が出来た。列を作った人のほとんどが市民以外の人かと思われた。
テレビで見る光景と同じように議場には首相のGillardさんや見なれた野党代表のAbbottさんがおり
いつもの調子で議論がはじまりだした。所々、話の内容は理解できるが私達にとってその理解する事よりいつでもオープンにされている議会の雰囲気を感じる事の方がより大切であった。1時間半程議論を聞いていたが以外にその時間は早く感じられた。その事より、Parliament Houseの駐車場はいつでもfreeである。気軽にHouseを訪れる事が出来るなんて日本の状況とはずいぶん違うと思った。
政治がすごく身近に感じられた。Houseの外に出ると西にある1900メートル程の山の頂は雲に隠れ、広大な自然の中にAustralia Parliament Houseは建っている。
今日は1日中雨の為、Museumの見学をする。私達はその後、Australian War Memorialを訪れた。
大変立派な建物に多くの貴重な品物が展示されていた。AustraliaとNew Zealandは第一次世界大戦の時、同じ軍事組織として編成された。独立後、間もない時に有事の時は合同で参戦していた。現在もその精神は引き継がれANZAC( Australian and New Zealand Army Corps)Dayとして今も4月25日は、祝日であり全国で多くの記念行事が開催され、Gold Coastでもマーチを演奏しながら市内を行進する人々であふれている。
又、第2次世界大戦における日本と戦争、捕虜の待遇、ビルマ戦線での橋の建設等ジオラマで分かりやすく説明されているコーナーもあった。私達が訪れた時、20人ほどの小学生たちが2グループに分かれ係員から説明を受けていた。中には手をあげ質問している子供も多かった。かといって事実を客観的に伝えるものであり、子供たちにNationalismや反日の感情を起こさせるものではないと彼らを見て感じた。日本ではこのような歴史教育をきちんと伝えているのか、そちらの方が気にかかってしまう。
16時を過ぎ、Cube3は次の目的地のSydneyを目指す。私達はその道沿いにある適当なCaravan Parkを見つけようと考えていた。Hwyに入ると雨あしがだんだん強くなりガスも出てきた。空はすでに暗くなり運転するにはコンディションはますます悪くなってきた。隣の車線を大型トラックが通り過ぎると一瞬フロントガラスは水しぶきで前が見えなくなってしまう。今夜は宿泊場所を探す事はおそらく難しいと思った。するとHwyの端に特大Macの看板が見えた。私達は今夜80km先のMacで休むことが事故を起こさない一番の方法だと決め、安全に気をつけながらCube3を進めた。
今日のCube 3の走行距離は204’3km
Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra
3月1日(木)初めてのCanberraの朝は、昨夜からの降り続く雨が私を寒く感じさせてくれる。
幸子さんは今日も私より前にシャワーをすませており、私がシャワーを済ませると同時に、今まできていた服を一緒に洗うと言っていた。たっぷりと暖かいシャワーを浴びた後、私は毛布や服を洗濯機の中に入れコインを投入した。その間に私達は食事を済ませ10時前にはCaravan Parkを出発した。
市内の小高い山は、Black Mountainと呼ばれ、晴れていれば市内全域をを見渡す事が出来るが今日の様なガスが発生し、雨が降っている時は、この施設も閉鎖されており私達が駐車場に入ろうとした時に、係員から「No」のサインが出された。しかたなく、少し時間が早かったがParliament Houseへ向かった。
オーストラリアの議会はいつでも定数の見学者を受け入れているようである。Houseの受付で見学の方法を尋ねると、案内されたカウンターにはすでに数十人列を作って手続きを待っていた。
私は名前とinfoでもらった予約Noを伝えると、係官は登録されていない為、反対側にある当日受付入口に私たちを並ぶように指示した。当日受け付けは、予約者で満席であれば見学する事は出来なかったが幸いにも入室する事が出来た。列を作った人のほとんどが市民以外の人かと思われた。
テレビで見る光景と同じように議場には首相のGillardさんや見なれた野党代表のAbbottさんがおり
いつもの調子で議論がはじまりだした。所々、話の内容は理解できるが私達にとってその理解する事よりいつでもオープンにされている議会の雰囲気を感じる事の方がより大切であった。1時間半程議論を聞いていたが以外にその時間は早く感じられた。その事より、Parliament Houseの駐車場はいつでもfreeである。気軽にHouseを訪れる事が出来るなんて日本の状況とはずいぶん違うと思った。
政治がすごく身近に感じられた。Houseの外に出ると西にある1900メートル程の山の頂は雲に隠れ、広大な自然の中にAustralia Parliament Houseは建っている。
今日は1日中雨の為、Museumの見学をする。私達はその後、Australian War Memorialを訪れた。
大変立派な建物に多くの貴重な品物が展示されていた。AustraliaとNew Zealandは第一次世界大戦の時、同じ軍事組織として編成された。独立後、間もない時に有事の時は合同で参戦していた。現在もその精神は引き継がれANZAC( Australian and New Zealand Army Corps)Dayとして今も4月25日は、祝日であり全国で多くの記念行事が開催され、Gold Coastでもマーチを演奏しながら市内を行進する人々であふれている。
又、第2次世界大戦における日本と戦争、捕虜の待遇、ビルマ戦線での橋の建設等ジオラマで分かりやすく説明されているコーナーもあった。私達が訪れた時、20人ほどの小学生たちが2グループに分かれ係員から説明を受けていた。中には手をあげ質問している子供も多かった。かといって事実を客観的に伝えるものであり、子供たちにNationalismや反日の感情を起こさせるものではないと彼らを見て感じた。日本ではこのような歴史教育をきちんと伝えているのか、そちらの方が気にかかってしまう。
16時を過ぎ、Cube3は次の目的地のSydneyを目指す。私達はその道沿いにある適当なCaravan Parkを見つけようと考えていた。Hwyに入ると雨あしがだんだん強くなりガスも出てきた。空はすでに暗くなり運転するにはコンディションはますます悪くなってきた。隣の車線を大型トラックが通り過ぎると一瞬フロントガラスは水しぶきで前が見えなくなってしまう。今夜は宿泊場所を探す事はおそらく難しいと思った。するとHwyの端に特大Macの看板が見えた。私達は今夜80km先のMacで休むことが事故を起こさない一番の方法だと決め、安全に気をつけながらCube3を進めた。
今日のCube 3の走行距離は204’3km