Cube3で走るオーストラリアの旅2012

シドニー、メルボルン、アデレードそしてタスマニアを訪れ、夫婦のんびり旅行のエピソードや楽しみ方を伝えたいと思います。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012MenindeeはBroken Hill

2012年06月19日 | 日記
MenindeeはBroken Hillから東南に110kmにある人口数百人程の小さな町だ。White Cliffsとは32号線(Barrier Hwy)を挟んで南北に位置し200km程距離が離れている。私が予定を変更してMenindeeのKinchega NPを訪れたかった理由は、インフォメーションセンターでもらった観光パンフレットに夕日に照らされ湖畔にたたずむ男女のシルエット写真ががとても綺麗に映し出されていた。しかし鉱山の中を歩くMiningツアーも見逃せなかった。迷った末に幸子の同意も得てやはり「男女のシルエット」を選ぶことにした。
Menindeeまでは舗装された道路、とても運転しやすく対向車もほとんどなかった。
Menindeeの町は、思ったと通り閑散とし、人々は容赦なく照りつける陽ざしが西の傾くまで、家の中でじっと我慢しているのだろう。静まり返った町にインフォメーションセンターの看板を見つけた。そこにいた若い女性が私を見ると直ぐにお「センターは閉鎖されたよ」と言った。そしてMenindee Lakeへ続く道は、大雨の影響で通行止めになっているかもしれないと教えてくれた。若い女性にはその一言が私を落胆させる簡単な言葉だとは想像できなかっただろう。しかし女性は同じような湖があることを教えてくれた。その湖は、町から10km離れたPanamaroo Lakeである。もう少し詳しい情報を知るためにPolice officeを訪ねるとPoliceがガラスドアの向こうから私を手招きした。ほとんど訪れる人のないofficeに彼は「何?」と言いたそうな顔をして私の話を聞くと、納得したのか質問に答えてくれた。そのMenindee Lakeは、数週間前に降った大雨でそこに通じる道路は全て通行止めになっている。彼は、私に「残念だね」と言っているようだった。
 私達は、Panamaroo Lakeに向かった。途中から硬くなった土の道路を走り、しばらくすると白い湖面の湖が見えてきた。Panamaroo Lakeは道路に沿って続いている。私達は湖に近い場所を選び今夜のCampsiteとした。あたりを見渡すと遠くに1台だけ車が止められていた。今夜は、人もなくとても静かな夜になると思った。
 幸子はテーブルを広げ夕食の支度にかかった。私は、火を起こす為、枯れ木を集め始めたが、大雨が降った割に拾い集めた古木は、結構。乾いており焚火をするには都合がよさそうであった。NPではないので古木を集め燃やすのは問題ないだろう。
Cube3を駐車した所から一段下り、10メートルも行くと水辺にたどり着く。
想像していた様に湖の色は白く、水の中には幾つもの木々が生息している。青い空と、白い湖面から湧き出たように空高く伸びる雲、音のない世界が彼方まで広がっている。男女のシルエットのあるシーンより誰もここにいない方が私を満足させてくれる。まさしく自然は生きている。
今夜の食事はカレー、野菜サラダ、酒の肴はスルメ。陽が落ち周りが徐々に薄暗くなってくると白い湖面は雲の中からもれてくる光が影を作り、木々は逆光の中、暗く映し出されている。光と夕やみの中の表裏の環境が異なった湖の姿を見せてくれる。
さて、物事にはいい話ばかりではない。暗くなってから私達は蚊の猛攻撃に会うことになる。蟻や蠅の多い事は想像できたが暗くなり、食事以外の時は、それほど気にかけないように努力している。幸子は食器を洗い、食後の散歩から帰り、寝支度をはじめた。蚊が車内に入らないようにCube3のドアは、速やかに閉じていたが敵もさる者、私達が分からないうちに数匹の蚊達が耳元で騒ぎだすと、あっという間に体のあちこちがかゆくなり、いてもたってもいられなくなった。持ってきたスプレーをかけるがあまり効き目はない。車内はだんだん暑くなり私達は、窓もあけることができず体は汗にまみれてきた。なかなか眠ることもできず、素晴らしい景色を見せてくれた代償として、耐えきれないほどの蚊の訪問を受けたのである。これもオーストラリアらしい自然の贈り物である。
今日のCube3の走行距離は198km。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 Broken Hill

2012年06月17日 | 旅行
2月15日(水)Broken Hillの街にて。
昨日の長距離の運転の疲れは、あまり残っていないようだ。8時前に目が覚めた。
幸子は、いつも私より1時間ほど前に目をさまし車内を整理し、すでに食事の準備をすませ、シャワーを浴び、昼のサンドイッチを作り終えたところだった。
私は、昨夜だけのシャワーでは髪の中の砂がまだすっきり落ちていないような気持ちだったので急ぎシャワーをとることにした。この街も雨が少なかったのだろうCaravan Parkの芝生も大きな霧吹で水をかけられ濡れた緑の草は朝日にあたり光っていた。私はCube3も体についた赤い砂を水で洗い流したいと思っているに違いない。早々に荷物をまとめCube3を芝生の上に移動した。さらに濡れた車体を水を含んだタオルできれいに洗い流した。これですっきりした気分で今日のドライブを楽しむことができる。
 Broken Hillの人口は22,000人。1800年代に鉱山の街として発展してきた。その頃の様子は街のおおくの所にある古いスタイルのホテル、その他の建築物そして、私達が訪れたMuseumで良く理解できた。Coal ,Copper ,Silver等鉱物を運送する手段として鉄道が敷かれ、その頃の機関車(1888年,Manchester)やレールの上を走る自動車(Rail Car1938年製)等展示されている。炭鉱で働くけが人を運ぶ為に作られた救急車もあった。
この街の中心に石を積み上げた100メートル程の高台がある。それはLine of Lode Miner’s Memorial(鉱夫記念館)であり.多くの鉱夫が地下から鉱物を掘りだしたときの不要な石を積み上げて造られた。私達はその高台に向けてCube3を走らせた。White Cliffsや今日の目的地のKinchega NPの方向もわかる。その一角にあるトンネルの様な空洞の建物をのぞいてみると長い壁に表札程の小さなプレートが掛けられ、そこに人の名前が書かれている。出身地など記載されたプレートもあれば詳細不明と書かれたものもあった。いくつかのプレートに一輪の花が添えられている。色々な国、地方からここで働き事故でなくなったのだろう。一緒に働いていた仲間が石山を造り、無くなった工夫達がこの高台から遠いふるさとが見えるように気遣ったのかもしれない。
 これからKinchega NPに向かう。途中、カーネルサンダーのケッタキーのサインが目に入ると幸子が急に「肉が食べたくなった」と言うのでKFCで昼食をとることにした。幸子の作ったサンドイッチは又午後のコーヒーブレイクで頂くことにしよう。
つづく
落書き:40年前の今日、私達は初めて苗場スキー場の宮様ゲレンデで会いました。
    それから、2年後の今日、長女が生まれ・・・。
その頃、40年後にオーストラリアでこのような旅行をするとは思ってもいませんでしたネ。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 灼熱のWhite Cliffs

2012年06月13日 | 旅行
2月14日(火)  第4編 灼熱のWhite CliffsからBroken Hillへ
このまま何も問題なくBroken Hillに到着出来れば彼の言った「May be OK」は正しかったのだ。
しばらく赤い洗濯板の道路を進むと水の強い流れで赤い洗濯板が大きくえぐり取られていた所にさしかかりCube3は少し下を向いて停車した。私は少しの不安を持ちながら、そのままCube3のアクセルを少し踏むと、下り終えた一番低い場所でタイヤが、空まわりしているのが分かった。さらにアクセルを踏むとCube3車輪は空回りを始めていた。Cube3から降りて見るとタイヤはすでに10センチ以上赤い砂に埋もれ、前のバンパーはすでに赤い砂に充分接していた。私は車体の下を覘いてみると運転席の下部は、バンパー以上に赤い砂に接しておりこれ以上Cube3を進めることはできないと思った。時計を見ると6時を少し過ぎていたが、陽射しはまだまだ強く、急に汗が噴き出してきたように感じた。水の強い流れで道がえぐられた幅は5~6メートルあり、他の場所に比べより砂が深かったのだ。ここでは携帯電話も使えず、私と幸子は一瞬、今夜は赤い砂の中のCampを覚悟した。幸い食料と水は充分持っていたのであまり焦りはしなかったが、夜中に高速で走行してくる車がCube3をみつけられず追突してくる心配があった。私達のやることは、暗くなる前に赤い砂をCube3の下からかき出し移動させることだった。私は護身用に持ってきたに木刀を持ちだした。細く硬い木刀が幸いしたのか、Cube3の車体の下にあるサラサラした赤砂を少しずつかき出す事が出来た。赤い砂は意外に軽く、15分程で充分な空間が出来た。次に私達は埋まった前輪が確実に前進する為、バンバーの下に手を入れ深さ20~30センチの赤い砂を取り払らった。幸子は赤いプラスチックバケツでタイヤの道を2本作り、車体下部が砂にかからないようにすると”準備OK”。 Cubu3の気力が充分であればきっと赤い砂からの脱出は成功すると思った。幸子がハンドルを握りエンジンを始動する。幸子が少しずつアクセルを踏むと私はCube3の後ろから力いっぱい押した。足元が赤い砂で滑るが、ここで力を抜いたら本当に赤砂のCampになってしまう想いが、さらに力いっぱい足を踏ん張り押し続けた。するとCube3は、少し前に動き出した。
幸子は焦らず、さらにゆっくりアクセルを踏むとCube3は徐々に、その車体を前に進め5メートルの赤い砂山を目指した。あと2メートル、1メートル、Cube3は砂山を登り車体が水平になった時、苦しくも楽しい作業は終わると、Cubu3の車体は細かな赤い砂でおおわれていた。私が高校生の時、砂漠に墜落した飛行機が再びそこから飛び立つ映画「飛べフェニックス」を思い出した。もし赤い砂のCamp生活になっていたら「May be OK」もちょっと淋しく聞こえたかもしれない。ガソリンの残量メーターは時計の10時前を指してる。Mutawintji NPまで80km。到着までにはおそらくガソリンスタンドはないと思う。Mutawintji NPを経由してBrokenHillへ行くのは無理である。私達はMutawintji NPを訪れるのはあきらめ直接、BrokenHill を目指すことにした。それ以後は、幸いにも途中の道は危険な個所は無く赤い道は夕陽によりさらに赤く染められていた。BrokenHillに着いた頃、すでに9時を過ぎ、満天に無数の星がちりばめられていた。
CobarからBrokenHillまで、今日のCube3の走行距離は640km。結構なロングドライブでした。