1995年1月17日
息子は 小学校低学年娘ちは 幼稚園でした
5時47分 家が揺れました
大きな被害もなくて
兵庫に住む両親に電話
実家は 万が一の為 しっかり 防災予防をしてたので
お茶碗が 割れたくらいで済みました
まだ 電話も通じたので
無事の声を 聞いて一旦寝ました
朝起きて TVを見たら見慣れた風景が 見たことの無い風景に…
世の中で大変な事が起こってるのだと
その時 初めて知りました
その時点で 電話は 全く繋がらなくなりました
大きな余震が続く中 とりあえず 娘を 幼稚園に…
息子は小学校に行きました
旦那さんの親戚は
みんな 神戸市東灘区
私も 神戸市長田区の短大にいたので
神戸のお友達も沢山いました
東灘区の親戚は
みんな 避難所から 仮設住宅へ
漏電で火事になり 叔父さんか
一人家具の下敷きになって その上 火災で 亡くなりました
ある日 TVのワイドショーを 見てたら
旦那さんのお母さんの実家が
無惨にやけて あとかたも無く無くなってた 所が写ってました
そるから
仮設住宅でおばさんが亡くなったそうです
旦那さん!!
西宮までしか 電車が走ってなくて 魚崎まで リュック背負って
お見舞いに行きました
灘区にあるお墓も 崩れたそうです
今でも 倒れたままのお墓も 残ってます
大好きだった 宝塚ファミリーランド
花のみちは
倒壊したままでした
須磨区に住む旦那さんの会社は全壊
14階のマンション
ベットが跳んだと言ってました
KinKi 剛くんや光一くん 以前 震災のお話してくれました
剛くん は 丁度 東京の高校に入る手続きをお母さんとしていて
奈良に残された
お父さんと お姉さんの事が 心配で
電話を するのに通じす すっごく 心配 で
でも 元気な声を聞けてほっとしたと言ってました
自分の記録として UPさせていただきました
あのときの
キャッチフレーズは
頑張ろう神戸
あれから15年
桜井翔くん主演の
神戸新聞の7日間
改めて 震災について考えさせられた
ここ数日でした
長々とすみませんでした
2時より 月曜14時まで リニューアルの為ヤプログがオヤスミだそうです
ではでは オヤスミなさいませ