今日は阿見町にある、「予科練平和記念館」に予科練出身ではないものの
陸の「予科練?」ともいうのでしょうか、元、陸軍少年飛行兵(〇野 正様)
つくば在住、年齢91才とてもそんな年齢には見えないおじいちゃん!って感じ
のじいさんでした(笑)
元軍曹!!というからなかなかのじじいではないかと・・・(笑)冗談はさておき
記念館のラウンジには結構な人数が集まり、司会進行の方が質問形式で〇野さんに
話を聞いていきました。
司会:「〇野さんはなぜ、予科練ではなく陸軍少年飛行兵を選ばれたのですか?」
〇野:「予科練は当時大人気で、倍率も相当高かったのに対し、水戸飛行学校は
新設であったため、先輩もいなくてわりと簡単に入れそうだったから受けた」
司会:「なぜ飛行兵になろうと思われたのですか?」
〇野:「簡単に言ってしまえば憧れだね、とにかくカッコ良かった飛行機乗りは
大変な時代だったからね、みんな貧乏だった」
司会:「陸軍も海軍同様、厳しかったのでは?」
〇野:「いやっ、みんなとても親切にしてくれて優しかったですよ」
私・・・一発目から何となくこのじいさん、さらりと言ってくれるな・・・と思って聞いている
司会:「やはり当時は皆、愛する祖国のために覚悟を決め戦っておられたのでしょうね」
〇野:「いやっ、そんなこと誰も思っていませんよ」
私・・・ エっ?そうなの?言うね~
司会:「5年間もの間、各地へ転戦をされて大変なご苦労だあったと思いますが何か記憶に
残る事などありましたらお話ください」
〇野:「・・・沈黙・・・べ・つ・に ないです」
私・・・ないのかよっ!!小さくツッコム
〇野:「ワタシら派遣は命令に従うだけですから」
とっ、こんな感じで淡々とつづきます。
最後に〇野さんも言っておられましたが、自分は当時まだ16才で、正直あまり戦争
というものがわかっていなかった。
すぐに終わるだろうくらいに軽く考えていたと。
司会:「最後に伺います。終戦を迎えて何を最初に考えましたか?」
〇野:「どうやって帰ろうかと思いました。
ここはルソン島(フィリピン)の山奥でしたから」
たしかに深刻な問題です。