野沢温泉の民宿・喜楽荘の日記

湯の郷の素朴な「農家民宿」喜楽荘です。自家製どぶろくやいろりで焼いた岩魚の炭火焼、郷土料理のおいしい宿の日常。

喜楽荘のホームページ更新、公開

2021-11-01 21:32:43 | 行事

喜楽荘のホームページが、新しくなって、本日公開しました。

訳が有ってHPが消えて5、6年。初代女将が無くなって外国人のお客様の受け入れに営業をシフトしていったこともあり、ホームページも余り気にしないでいたものですが、コロナで2シーズンも入国が「0」となると、死活問題。家族で相談して、国内のお客様にお出で頂くしか無いと、HPと旅行会社様のサイトをお願いして、スキーシーズンに備えたと言うところです。

トップページのブログ(最新情報)からこのブログにきますので、HPで更新が出来ない内容を、こちらでお知らせ出来ればと思っております。

 


2021-2022野沢温泉スキーシーズン説明会

2021-10-22 18:27:54 | 行事

野沢温泉スキー場の片桐社長の挨拶、担当者の説明、スキークラブからの大会スケジュール、観光協会から大会受け入れ協力や空室提供の協力要請がありました。一番変わった点は、長坂ゴンドラにアクセスする長坂センターハウスが完成したこと。多くのスキー場が青息吐息の中、やっと野沢温泉スキー場も、スキー場の拠点施設が他社に遅れて完成したのです。宅配カウンター、スキー・ボード預かりロッカー、チュンナップサービス、トイレ・パウダールーム、総合インフォ―メーション、チケットセンター、カフェ、レンタル、コラボショップ、スキー場管理事務所等、今までの野沢には無かったグレードアップだと思います。村民が手造りで始め1基、又1基とリフトを増設してきたスキー場に加え、スキー場の底辺が幅広でポイントが決め難い事もあったと思います。又、旧長坂ゴンドラやまびこ駅1Fに130名のキッチンセアボスがオープンするそうです。山麓の輸送リフトが、老朽化と利用減少とスキー場再編諸々で運休、この周辺にはシャトルバス対応となる説明でした。質問の中に、スキー場管理区域外の侵入について、見解を求める発言がありました。所謂バックカントリースキーについて現在、毛無山山頂周辺から青木山方面と柄沢ゲレンデ方面の2か所に西部劇の酒場に出て来る様な出入り自由なゲート扉を設けていること。バックカントリースキーは対応が難しい所があり、登山と同じような考え方で、入山手続き的な届け出をしている。ロープのみの規制では、届け出をしている方が、ロープを持ち上げて入ろうとした時、誤解を招くのでアクセスポイント(ゲート)を設けた旨の回答がありました。又、合わせて3つの区域として①管理区域外②進入禁止区域③ゲレンデ、コースをみんなで周知して欲しい要望がありました。昨日、毛無山に雪が来て、コロナ化の中ではあるが、みんなで協力し、頑張って行こうと気持ちを新たにした説明会でもありました。


村出身超有名人の講演会

2021-09-29 17:55:58 | 行事

村の回覧板と有線放送で、オリンピアンの話を聞こう「人との出会い」のお知らせがありました。講師は、この村の出身、杉山進さんです。公民館主催のいきいき大学のカリキュラムで、良く杉山さんが来てくれたなーと思いながらも、出かけてみました。私が今更言うまでもなく、杉山さんは、野沢温泉村出身のオリンピック選手第一号で、海外での活躍も豊富で、その人脈には驚きです。日本での拠点は、勤務していた長野電鉄の関係で、隣町の志賀高原ですが、生まれ故郷の野沢温泉村には、昔から献身的な大きな支援をいただいております。オーストリアのサンアントン村との姉妹村の橋渡し、スキー指導者のオリンピック❓野沢温泉でのインタースキー開催の立役者、岡本太郎画伯や小澤征爾さんなど有名人を道祖神祭りに連れてきたのも杉山さん。私の様な者でも、枚挙に暇がありません。講演の内容は、日本のスキー発祥直後、野沢にシュプールが付いたスキーの村で、小学4年生の時、校内大会(3学年)で第2位→終戦の年飯山北高入学→長野電鉄入社、丸池スキー場でパトロールを皮切りに涸沢の雪渓等で技術の向上を得て、国内のスキー大会優勝、注目を浴びる好成績からオリンピックへとつながるのです。2時間を超すお話なので省きますが、杉山さんは野沢温泉村とスキーのDNA、長野電鉄への感謝、お世話になった先輩や、多くの人々の御蔭で楽しい幸せなスキー人生を送らせて貰ったと何回かコメントされていて心に残った。休憩時間に、初子さんの席まで近寄り、談笑されたり知り合いのお年寄りと何人も話をされて、子供の頃の野沢に帰ってきた雰囲気でした。自分のところにも来られたのですが、ちよっと緊張していて、余り意味の無い話をしてしまいました。


何もない敬老の日

2021-09-20 20:12:32 | 行事

敬老会実行委員会の係りの人が、小さな紙袋を持って来てくださいました。自分の年も忘れピンときませんでしたが、今日は、敬老の日です。コロナ感染防止で、今年も敬老会が出来ないメッセージと、紅白のお饅頭、それに村内限定商品券が2枚入っていました。薬の副作用のひどいときは別ですが、普段元気で朝から晩まで動いているので、特に敬老しても貰えませんでしたが、気分的にゆっくした一日でした。


道祖神祭り、無事終わる

2015-01-18 20:27:53 | 行事

道祖神祭りが終わって、今日は日曜日。朝は雲が多かったが、その内薄日が差し次第に晴れて、新雪も丁度良く有って絶好のスキー日和。

落ち着いた処で道祖神祭りを振り返る。

日本三大火祭りの一つとして揺るぎない「野沢温泉の道祖神祭り」昔、冬は娯楽が殆ど無かった村人の楽しみの一つ。土着の自分たちの祭りです。今以って曜日に関係なく、1月15日の夜、どんなに雪が降ろうが実施されています。この祭りは、単に祭りではなく、野沢組と言う自治組織(地縁団体)を中心に、行政とは違った自分たちで考え、自ら実行する全国的にも珍しい生活圏の団体が執行する古来からの行事の一つでもあります。この祭りは、初子の成長を祈る初灯篭をはじめ、松明の炎をかざし突進する子供の火付けの時間帯がある様に、小さいころから関わり、中学を卒業して間もなく会の名前を付けて、25歳の厄年として祭りの参加に備えるのです。祭りの楽しみと共に、この様に次代を担う子供の成長と、一人前の村人として仲間に迎え、村づくりを進めるのです。しかし、近年。いや、スキーのお客様が多くなってきた頃からか、冬の風物詩としてマスコミにも取り上げられる様になり、長野オリンピック、パラリンピックで世界にも発信されるようになって、又、グローバル化の中で道祖神場は様変わりして、課題を残すようになりました。私は、当日、祭りの執行責任者、野沢組惣代の役員の一人として、警察署の方と警備本部を務めました。警備本部は全体が見渡せる場所なので、見物客の方も周りに押しかけ、賑やかでした。立っていては見えないと後ろのお客さんに注意されたのにはビックリしましたが、確かに会場は外国人のお客様も大変多く、大きいので、とても普通の場所では、何をやっているのか解らないと思いました。

完成間近か(1月15日)道祖神神社

大提灯は祭りの最高責任者、野沢組惣代の証。燃え上がる社殿