R32スカイラインのフロアパネルに穴を開けてしまった私。いつもの日産中古車ディーラーに行き相談。修理にそこそこかかると聞き、それまで溜まっていた車への不満からか安い車に買い替えたいと担当者に伝える。
荷物が積めて四駆が良いと言ったらこの車を紹介された。
価格は確か80万円ほどでR32を下取りしてそれで残債も払ってもなおお釣りがきて喜んだのを覚えてます。(それ以来、無借金人生を邁進中)
形は今で言うミニバン🚐
マニュアルだったが四駆で荷物も詰めるし当時の自分にはピッタリの車だった。ただ2リッターエンジンのくせに馬力が100馬力もなくてキビキビ走らせるにはエンジンをぶん回さないといけなくて逆にマニュアルだったのが幸いしたかな。それでも高速道路を使ってスキー仲間の車と白馬とかにスキーに行く時はついて行くのに苦労しました💦
更にこの車の1番好きだったところは後席両側スライドドアだったこと。今でこそ軽四とかミニバンには常識になっているけど、当時としては片側だけはあっても両側スライドドアは珍しかったと思う。右側もスライドドアである事のメリットは駐車場でドアの開閉に全く気を使わずに荷物を後席に置けることで大変重宝したなー。
そして雪道でもアテーサ(当時の日産のフルタイム四輪駆動システムの名前)が素晴らしく、ツルツル路面で滑ってもマニュアルシフトと相まって物凄くコントロールしやすかった。その点が今時の滑った時だけ四駆になるパートタイム的な四駆システムとは全く違うところでした。
この車にSONYのカーステレオとCDチェンジャーを付けて、バスを運転してる様だったハンドルも車検に通らんけど小径の物に交換してハンドリングはキビキビにして、ルーフにキャリアを装着してボードとマストを載せ、3列シートだったけど3列目は外してカーゴスペースを確保しセイルやウェットスーツなどの道具を積んで休日は海に通ってました。
冬はスキーを積んで白馬や上越に。
地元に帰ってからも大事に乗ってました。そういえば北茨城に仕事で半年行ってた時もこの車だったなぁ。この車は安くてボロかったけどこれまでの車で1番愛着があったかなぁ。
6〜7年くらい乗ったかな?
エアコンがぶっ壊れて流石に買い換えることに。(続く)
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