私は通園や通学が好きではなかった。
幼稚園のバスがお迎えに来ると、泣きじゃくった。だから、毎日、母と一緒に、幼稚園まで歩くようになった。
楽しい高校3年間の寮生活も息苦しかった。
夏休みが終わると、寮に帰らなければいけない。さみしさというか、自由になりたかった。
私の祖父は医者だった。
私が生まれたとき、「この子は、1人で生きていける」と言ったそうだ。
物心がつく前に、祖父は癌でなくなった。
祖父の名前は、母子手帳に押印している。
母の姉と母も、後を追うように、同じ病院で、同じ病気で、なくなった。
私が、身内を見送るなんて、若すぎた!
折に触れては思い出す。
頼るあてもなく、おひとりさまで生きる。
ほんの少しの記憶をたどっていけば、なんとかなると思う。
キラキラ✨桜のように散ってしまいたい。