今日は、オミクロン株のワクチンを打ちに、地域区民センターまで行って来ました。私の処はタクシーが中々来ないんですよ。だから決められた時間の45分前に家を出たのですが、、何時もはタクシーを捕まえるのに20分、酷い時には30分は掛かるのだけども、今日は、何と7分ぐらいで捕まえられたのです。そして今日は、何故か調子が最高に悪くて、立って居るのもやっとでした。何せタクシーに行き先を行ってからタクシーの椅子に横に成って仕舞ったぐらいでしたから。そしたらタクシーの運ちゃんが「大丈夫ですか?」と言ってくれまして、、保険センターには今回は早く着きまして。25分前に着きまして。1時20分の接種でしたから、椅子が用意してありまして、時間までそこに腰掛けて居て。そうしたら接種券と予診票、それから本人確認書類を手に持って下さいと言われて、持って居たら職員の女の人がバインダーを持って来まして。全ての書類を其のバインダーに挟んでこれを持って時間が来たら行って下さいと言って、時間が来たらまた案内をしてくれて、スムーズに接種は出来ました。ただ注射をしてくれた女性が愛想が悪い人でしたけど。帰りがまたタクシーが中々来なくて往生しましたが。20分ぐらい待って居たらようやく1台来て、それ乗って、帰って来ました。まあ、本来ならば、電車で来るのがいいのだろうけど。今日見たいに体調が悪いと電車じゃ休めませんからね。行って注射を打ってすぐに帰って来たのですから。それでも1時間半は時間が掛かったのかな?何か厚着をして行ったから、少し汗ばんで居て。今、帰って来てそう言えば風呂には入るなと言われて居るなと思いまして。ただ今日は受付の女の子が可愛かったので、何か良い気分でした。女の子は愛嬌ですね。。。さてと今、午後の3時半ですが少し横になります、、それでは今回は少し気になった事を書いて居ます。短いエッセイですがお読み下さいね。宜しく....。
最近思う事があります。こんな事は言いたくは無いし、語弊が立つとも思うけど。敢えて苦言を呈すると。最近、イケメン、イケメンと中国のドラマとか、韓流ドラマを見て熱烈に騒いで居るけど。その韓国と中国が日本に対して何して居るのでしょうか???韓国はもうお解りだと思うけど。統一教会で日本を牛耳り。中国は日本侵略を始めて居ますよ。中国は北海道の土地を買い漁り、何と京都の土地やらも買い漁り。新幹線やら富士山を商標登録して居ます。お陰で日本人でありながら新幹線も富士山も使えません。そして中小企業の町工場を1億から3億円の値で買収して中国のものとし、日本のアニメーター達を53万円の値で買い叩き契約させて。中国に来させて中国アニメを作らせて居ます。だから、思うのですよね、、それは韓流も中国ドラマも面白いとは思いますが、もし中国、韓国の政治的思惑で、日本で両国のドラマが放映されて居るのだとしたら。それは、危険な事では無いかと、、まあ日本のドラマも韓国 中国で放映されて居るのだとは思いますが・・・・・。まあ何見ようと人の勝手ですけど、最近の中国やら、韓国を観て見るに、大丈夫かなと思いまして。一言言いたく成りました。北朝鮮も弾道ミサイルを打ち込んで来るしね物騒な時代です。。。
私は韓国人やら中国人に対して今まで悪い感情は持っては居ませんでした。然し、最近の風潮を見るに心配になって来たのですよね。確かに中国の料理を日本は真似て、例えば中国では水餃子とか蒸し餃子しか無かったものを、改良して焼き餃子を作り出しました。日本で生まれた焼き餃子は、今、中国の中華料理店でも定番のメニューと成って居ると言います。日本人は外国の文化に対して通底概念を持って居ます。政治に参加する市民はどんな考え方をすればよいか。そうした意味で「政治のための教養」を切り口として、丸山思想について紹介したいと思います。丸山は戦前・戦中期から思想史研究者として活躍して居たが、言論人としての本格的活動は戦後からです。その出発点としての庶民大学三島教室は、庶民に自分の思想を語り、対話の中で自分を見つめ直す相互教育の場として、丸山のデモクラシーへの信念を支えた根源的経験でありました。
同時にリベラル・デモクラシーが、20世紀の社会では基盤を掘り崩されて居ると言う問題も彼の意識にあった。それは早く「政治化」現象として論じられたが、戦後には、大衆社会でマスメディアが人々の感情を刺戟して熱狂的な政治参加へと動員し、あるいは娯楽情報に関心を集中させて政治的無関心を招き、価値観が画一化する危惧が語られて居る。
リベラル・デモクラシーを支える理性への信頼と、その存立を困難にする現代的条件の認識とが葛藤するなかで、丸山は思考を続けた。彼が矛盾解決の糸口として考えた一つは「遊び」としての知では無いかと思われる。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をふまえて丸山が考えたのは、実用性を意図しない「遊び」としての知的営為の役割だった。ルールを共有した上で競いあう「遊び」の修練を重ねることで、異質な者が共存する営みとしての政治に関わるための判断力も培われる。丸山が大学教育、ひいて成人教育一般に期待したのはそれであった。彼は勝手言いました。日本人はその思想にすぐに外からの思想を抱き合わせる。そしてそれを内包して仕舞うと。現代は、「ボーダーレス」と言う言葉に代表されるように、国境を越えた交流が盛んな時代であると思います。応用倫理学と言う分野においても、現実的課題への応答として、共通の論点に関する 国境を越えた議論の交流が行われて居る。 ただし、国境を越えた議論の交流は、必ずしも普遍的規範の共有へ至る訳ではない。例えば、生命倫理学において米型・仏型・独型と区別されることがあるように、論点や課題を共有しつつも、それへの対応の仕方には国の個性が現われると言う側面がある。
此処には、丸山の言葉を借りると、「自己を世界に開くと同時に自己を画する」側面が現われて居るのではなかろうか。 しかしまた、「日本的なもの」は自明なものではない。それゆえ、「日本的な」思想、文化、 思考様式とはいかなるものであるのかと言う問いが喚起されることになる。この問いに応答するための手がかりの一つとして、丸山の「古層」論が大きな意義を有するだろうと考える。 何故なら、「古層」論とは、戦中・戦後を生き抜いた丸山が、「日本」と言う国の自己規定と、 「日本」が目指すべき方向性を、「日本人」として探求する試みから生まれたものだからである。 日本人の意識の「古層」概念について論じるにあたっての重要概念である「古層」には、丸山による別の二つの名称がある。 一つは「原型」であり、もう一つは「執拗低音」である。これら三つの語が意味する内容は同じものであるが、 現代は、「ボーダーレス」と言う言葉に代表されるように、国境を越えた交流が盛んな時代である。応用倫理学と言う分野においても、現実的課題への応答として、共通の論点に関する国境を越えた議論の交流が行われて居る。 ただし、国境を越えた議論の交流は、必ずしも普遍的規範の共有へ至る訳ではない。
例えば、生命倫理学において米型・仏型・独型と区別されることがあるように、論点や課題を共有しつつも、それへの対応の仕方には国の個性が現われると言う側面がある。此処には、丸山の言葉を借りると、「自己を世界に開くと同時に自己を画する」側面が現われて居るのではなかろうか。 しかしまた、「日本的なもの」は自明なものではない。それゆえ、「日本的な」思想、文化、 思考様式とはいかなるものであるのかと言う問いが喚起されることになる。この問いに応答するための手がかりの一つとして、丸山の「古層」論が大きな意義を有すると考える。 なぜなら、「古層」論とは、戦中・戦後を生き抜いた丸山が、「日本」という国の自己規定と、 「日本」が目指すべき方向性を、「日本人」として探求する試みから生まれたものだからである。 日本人の意識の「古層」には、丸山による別の二つの名称がある。 一つは「原型」であり、もう一つは「執拗低音」である。これら三つの語が意味する内容は同じものであるが・・・・・。「執拗低音」とは音楽用語であり、低音部において同一音型を執拗に反復する技法の一種である。思想史家の丸山眞男は、日本が外来思想を受け入れる際の、日本的変容の働きを説明する言葉としてこの用語を援用しました。
勝手日本も、アメリカのエンパイア・ステートビルを、一時所有して居たことがありました。 1991年に実業家の横井英樹氏が買収して居ます。 ただし新聞ネタになって米国人から非難されたのは、1989年の三菱地所によるロックフェラー・センター買収の方です。 当時の、日本脅威論の代表例とされて居ます。
だから、今、中国が日本の土地だとか優秀な人材をお金で買い叩いて居るのは、私は見て居て勝手、日本がアメリカに対して行った事だなとも思っても居ます。経済大国になった中国は。勝手、経済大国だった日本を真似て居るのか???ただアメリカと日本は同じ民主主義を持って居る同盟国です。中国の場合は同盟国でも無く共産主義です、そして勝手に買い漁って居るのですよね。此のことが、中国の「一帯一路」に取り込まれて居るとしたら怖い事ですよ。皆んなもっと危機感を持った方がいいと思いますよ。韓国の新しい大統領は「日本と共に外敵を向かい撃つ」とか。日本寄りにすり寄って来て居ますが、、そんな大統領は韓国人は嫌いな様ですね。韓国と日本の溝を埋めることは出来るのでしょうか??何か一言言いたく成りました。それではこの話はこれで・・・・・。(๑>◡<๑)
今日の昼食です。。。