何だろうね、何が私をそんなに気に喰わないのかねぇ。よしんば、このblogで私が自分の事を書いて居て気に喰わないんなら?何故、私が嫌がる様な事を言うのだ?。だから書かれるのだろう。今までに言いたい放題を言って居ただろ。一昨日はハサミを盗られた。だって物を盗んで居るのはあなた方しか居ないから。鍵変えてあるのだから。外からは誰も入れないはずだから......。だからあなた方だろう。新しい更新記事は、まだ当分更新出来ません、だから宜しくね。。。。
喫茶店で、ベーコンエッグ・サンドと、サラダ、アイスコーヒーを食べた。美味しかったです。。。(๑>◡<๑)
私は、最近、カセットテープに凝って居る。昔は高校の頃は、カセットテープのケースに自分で写真でコラージュしたものを、表紙にして居た。結構うまく出来て、市販のテープみたいに見えるので、高校の同級生たちに見せると、たちまち賛否両論が起こった。ある人は「よく出来て居て自分も欲しいからケースの表紙の作り方を教えてくれ。」またある人は「お前が作ったテープを俺にくれ。」また反対に「カセットテープの表紙にアーティストの写真なんかコラージュしやがって気に喰わない。」または「幼稚だ。バカらしい。」人は千様万別だ。1970年代から1980年代に掛けては手作りのものを結構皆んな作って所有して居た。私はブルース・ギタリストでシンガーだった「フレディ・キング」のレコードを録音して、当時音は悪かったが、ロック・ミュージシャンやらブルース・ミュージシャンのライブ音源がAMラジオで放送して居たが。私はもれなく毎週放送される音源を楽しみに聴いて、それらのライブ音源をラジカセで録音してコレクションにして居た。
サンスイステレオラジカセと録音したカセットテープを紹介!
FM東京やNHK-FMで放送されるライブ音源。唯一、日本でブルースのレコードを掛けて放送した、音楽評論家の中村とうようさんがディスク・ジョッキーを務めた「ブルース・アワー」。テレビの音楽番組、確かフジテレビだったか、夕方5時に放映される「ザ・ロック」「ミュージック・アワー」などは私が愛してやまない貴重な音楽の音源を流してくれた。高校当時は、学生の身分であるから、金は持っては居ない。私はカセットテープを買い込み、ラジカセで音楽を録音して、それを大切に所有して楽しんだ。そして私はそれだけでは物足りずに高円寺にあるブルース喫茶に足繁く通った。そしてそこで日がな一日、ブルースを聴いて居た。マスターとも友達になった。また、音楽通の人たちとも交流が出来た。私は乏しいお金でレコードを月に2枚ぐらいずつ購入して居た、殆どがブルースのレコードだった。高校と大学の数年間は、今思うとバンドをやって居た事もあり。意固地だがブルース一筋だった。勿論ロックも聴いては居たが、私にはブルースの方が魅力があったのだ。矢張りブルース喫茶と言うだけはあって、ブルースに造詣が深いミュージシャンやら、大学生らが大勢来て居た。
ある日、そのブルース喫茶で知り合った同じ高校生の友人が、自分の高校の担任の先生の家に行こうと言って私を誘って連れて行った。その教師の住んで居る家は平家の一軒家だった。友人に促されて、その家に入ると間取りが結構広く。8畳が1部屋と10畳が2部屋の畳敷の3部屋が連なって居た。その8畳間に高級ステレオが置いてあり、その先生はヘッドフォンを掛けて、身体をクネらせ、大音響でブルースとロックを聴いて居た。知識も半端ではなく「カーター・ブラザーズのレコードは聴いた?」と聞いて来た。1950年代後半から1970年代に活躍して居た黒人のブルースバンドで長男のアル・カーターがギター、次男のジェリー・カーターがピアノ、三男のロマン・カーターが歌とベースを担当して居る。1949年にカリフォルニア州サン・ファーナンド・ヴァリーに移住し、1954年にバンドを結成し活動して居た。60年代はジェリーとロマンが兵役に就き活動を一時中断したが。1964年にアール・コールマンがプロデュースし、彼の持つレーベルに「Consider Yourself 」、「Southern Country Boy」を吹き込んだ。後者はJowelに買い取られて再発売され、65年に南部でヒットしました。その後もJowelにシングル盤を5枚程度吹き込んだ。思えば、今よりも当時の方が私はブルースを本格的に聴いて居た様です。そして私が「余りカーター・ブラザーズは聞いて居ない」と言うと「「Jowel盤」は聴かなきゃ駄目だよ。」と教えてくれた。
Carter Brothers Southern Country Boy
またアイルランドの白人のブルース・ロック・ギタリストが作った「taste」も聴いてご覧と教えてくれた。その高校教師は可也な音楽通でした。8畳間1間と2間の10畳間にはぎっしりとレコードが置いてあり。そのレコードは壁沿いに天井まで渦高くラックに収まって居た。他にも4畳半程の部屋がありそこが寝室の様だった、ベットは置いて居なかったが、和室で押し入れがあったから多分布団が積んであったのだろう。そしてその人が座って居るオーディオ・コーナーには、当時進歩的なインテリが読んで居た、漫画月刊誌「ガロ」の1964年からのものが積み上げて置いてあった。私は凄い人だと思った。その人は30歳で独身だ。そしてレコードは1万枚を超す枚数だったので一軒家の平家を借りて居ると言う事だった。私は圧倒された。他に本棚があって哲学書、「ドゥールズ・ガタリ」「ラカン」やら、「キネマ旬報」が置いてあった。私の父親は本を全く読まなかった人だ。母は児童文学書の文庫本を、訪問販売で売りに来たものを買って小学生の頃に家の居間に置いてあったが。自宅にあったのはその本16冊だけだった。私は自分もこう言う人の様になりたいと思った。
Taste - What's Going On (Live At The Isle Of Wight)
私は今現在、その目標は3分の1ぐらいは達成して居る。そしてそれで最後だろう。レコードは720枚。CDは460枚ぐらい所有して居る。他にビデオテープがいまだに60本。DVDは2,640枚、書籍が760冊ぐらいはある。これでもレーザーディスク・プレイヤーとレーザーディスク400枚ぐらいは処分したのですが。お陰でやっ噛まれる事もある。物を溜めない人は贅沢だと怒る人も居る。人は色々な事を言う。いいでは無いか、私に取ってはささやかな楽しみだ。私の歳になれば自宅を持って、自家用車は2台あり子供が2人は居て。奥さんがガーディニングをして居て。部屋には4kテレビとオーディオ類。パソコンがあるだろう。私にはそんな幸せな家庭は無いのだ。
勿論、私も4Kテレビとパソコン。それにステレオ。ビデオデッキ。カセットデッキ。ブルーレイ・レコーダー。ラジカセがある。それにハーモニカ・アンプが2台とハーモニカ12本入りのケースが7個ある。あとハーモニカ用のマイクが6本ある。これは趣味の問題だ。他人がとやかく言う事では無いはずだ。しかし私のアパートに来た人は、やっ噛むのだ。皮肉を良く言われる。そして生活保護を受ける様な身分のくせに贅沢な生活だと罵られる。そう言う人は月30万はする旅行に行って居る。高級レストラン、料亭で4万円ぐらいのコースの食事をする。そして自宅には4kテレビと豪勢な家具類が置いてある。自分は何なのだ。要するに人を頭からバカにして居るから贅沢だと言うのだ。「生活保護を受けようとなど考えて居る障害者の貧乏人は貧乏生活をしていろ」と言いたいのだろう。人は醜い。お陰で私は他人が嫌いに成った....。ああ、また愚痴になって居る。話を戻そう。若い頃に影響を受けた事はその後の人生を左右する。おそらく生涯その事からは離れられないのだ。反対に言えば若い頃に何に興味を持ち、何を目指そうとしたのかでその後の人生は決まる。
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歳を取っては最初から全く興味がなくて新しい事に興味を持つと言う事は無い。例え、自分は歳を取ってからこんな事に興味が出て来た、これは初めての体験だと思っても、その核になって居るものは本人には解らないであろうが。若い頃に影響を受けた事がベースになって居るのだ。また、若い頃の事をいったん拒絶しても、歳を取ってから、その事をまた再度興味を持ってやりだすと言う事がある。それだけ10代後半から20代の始めに身につけた事、考えて居た事は消えてはなくならない。私は一旦ロックはもういいと思って聴いて居なかった。しかし最近になってまた聞き始めて居る。聴いて見るとどれもこれも新しい発見がある。若い頃に気が付かなかった点やら、十分に聴いて居なかったミュージシャンが気に掛かる。私は最近、「頭脳警察」などに嵌まって居る。
1970年代の初頭から80年代に掛けて音楽シーンを直走ったバンドだ。私はファースト・アルバムしか聞いて居なかった。TSUTAYAから最近、セカンド、サードとCDを借りてカセットテープに録音して聞いて居る。今聴くと当時は過激だった歌詞も、これは硬派だけどアリだな。と頷けるのだ。彼らの音楽は全共闘の連中やら当時の世相に感化された人たちの鎮魂歌だった。ファースト・アルバムはいきなりライブだ。そして放送禁止用語もあってセカンド・アルバムは当時1週間ぐらいで発売禁止になった。しかしギターと歌のパンタは神聖化されて居る。彼らも、もう今や70歳を超える。しかし頭脳警察は最近若手のミュージシャンをメンバーに添えて復活した。彼らの歌にはアナーキーな香りが漂う。昔は時代もあり問題視されたが、今は今風の体制批判などの歌が聞ける。
頭脳警察 / 銃を取れ Live
もう一つのバンドが居る。「外道」だ。彼らも1970年代にミッキー・カーティスらに見出されたバンドだ。加納のギターはブギを多用して居た。しかし今はリードギターとしてブルージーなフレーズを聞かせる。バンド名の「外道」とはライブ演奏で問題を起こした時に警官から昔言われた言葉だ。それをバンド名とした。彼らもまた最新のCDをリリースして居る。あと昔のバンドで今気になって居るバンドが居る。日本で初めてシカゴ・ブルースの雰囲気の曲を演奏して居た「村八分」だ。彼らは確か京大の西部講堂でのバンド・ラストのライブ盤が正式なレコードとなった様に記憶して居る。ギタリストのチャーがパンク・ロックの「セックス・ピストルズ」を聞いて。「これって「村八分」じゃない?」と言った事が伝説になって居る。パンク・バンドとしても影響力があった。こう聞いて行くと、昔のロックバンドは毒気があった。いや、強烈な個性があった。そしてどのバンドも反体制でアナーキーだ。
外道ライヴ!! 約40年前の日本に、こんな素晴らしい音楽が!!
くたびれて / 村八分(from "1979")2019 Remaster
80年代から90年代に掛けて有名だったパンク・ロックバンド「スターリン」は吉本隆明の対幻想に感化されて居た。哲学者・吉本隆明も「スターリン」を気に入り。よくメンバーと雑誌やテレビで対談をして居た。私はパンクは余り詳しく無い。パンクを語るには歳を取りすぎた様だ。ただ今挙げたバンドはよく聴いては居た。私はこれでもブルース・ハーピストの端くれだ。どうしてもブルースからは逃れられない。ブルースは有りと凡ゆる音楽に影響を及ぼして居る。クラシックを除いてだが。ただ中国ではブルースは受け入られては居ない。ブルース・ハーピスト平松悟はハーモニカ1本持って中国大陸を横断したそうだ。彼は至る所でブルースを演奏したが中国人はちっとも感激しなかったそうだ。
中国にもロックバンドは居る。以前、テレビで見た事があるが、はっきり言ってあまり上手くは無かったが....。ブルーノート・スケールが解らないのだ。中国で文化大革命の後に上映された「君よ憤怒の川を渡れ」での劇中に流れるブルージーで居て尚且つジャージーなメロディーを聴いた観衆は戸惑ったそうだ。初めて聴く旋律だったからだ。この映画は中国で大ヒットし。国民的な映画として人気が高い。反対に台湾。香港などはブルースが僅かながらだが浸透して居る。「クリエイション」と言うバンドで「マウンテン」のベーシストで音楽プロディーサーのフィリックス・パッパラルディーとアメリカ・ツアーもした事がある日本のブルース・ロックギタリスト、竹田和夫は香港のクラブで演奏して居るブルース・ギタリストを見出した。「Tommy Chun」と言う。私は彼のCDを持って居る。
THE STALIN 【仰げば尊し】
Tommy Chung HK blues legend
何故なら確かセカンド・アルバムだったと思うが、私のブルースハープの師匠である、ウイーピング・ハープ・セノウこと、妹尾隆一郎さんがハープで共演して居るからだ。彼のギターは黒人と言うより白人のブルース・ロック・ギタリスト、ジョニー・ウインターやらエリック・クラプトンを可也研究したフレーズを弾く。歌声はまるでジョニー・ウインターそっくりだ。聴く処に寄ると台湾やら香港のブルース・シーンは最近になって要約1950年代のシカゴ・ブルースなどを聴く人が増えたらしい、そう言った意味では、日本のブルース・シーンは本場アメリカに次ぐと思う。ヨーロッパでのブルース・シーンもデンマークでのブルース・ミュージシャンは聴くべきものがあるが、大体がヨーロッパはクラシックの土壌だ。フランスではそれでもある程度のブルース・シーンは開けて居る。矢張り日本がアメリカの次だろうと思う。
Oscar Benton - Bensonhurst Blues (Lyrics)
The Twelve Bar Bluesband - I 'm a Bluesman - live at bluesmoose Café
最近の懸念はこう言ったブルースが廃れて来て居る事だ。「ブルーズ」(アメリカ本国ではこう言う)を演奏するバンドで若手は「Monster大陸」ぐらいだった。その彼らも活動を休止して仕舞った。あとは皆んな古株だ「ウエストロード・ブルースバンド」の永井隆さんは新しいバンドで頑張って居るがもう71歳だし。近藤房之助も69歳で頑張って居る。元「優歌団」の木村篤樹も67歳で頑張って居る。でも皆んな60代後半から70代だ。ブルース・ハーピストの妹尾隆一郎さんは68歳で、もう亡くなってから4年ぐらいは経つ。皆んな歳を取っ手仕舞った。私も歳だもう若くは無い・・・・・。
今日の夕飯。エッグ・ハンバーグ定食。サラダ付き....。
〜〜お買い得、ラジカセを2台紹介〜〜
ラジカセ/TLS-8800/昭和の想いでラジカセ
あの懐かしい青春時代を想い出させるラジカセです。
青春時代に欲しくてたまらなかった、トランジスタラジオ&
テープレコーダー、1970年代の懐かしい青春時代の想い出
がよみがえる、憧れのラジカセで深夜ラジオ番組を録音しょう!!
【商品特徴】
•SW1/SW2/AM/FМ(ワイドFM)「4バンド」ラジオ受信。
•短波対応:ラジオNIKKEI/海外日本語放送も楽しめます。
•※お持ちの携帯USBプレーヤーに録音すればお好きなところで聴くこともできます。
•集音マイク:自分の声や外部音声をテープに録音することもできます。
•昔、懐かしいヴィンテージモデル。
•コンパクトながら10cm/5Wスピーカー内蔵。
•持運びに便利な2電源、DC100V+単一乾電池×4本併用タイプ。
【録音機能】
•ラジオ→テープ
・外部音声→テープ
•テープ→USB/SDカード(デジタル録音)
・USB/SD→テープ
【商品仕様】
・本体サイズ:約幅(W)29.5×奥行(D)8×高さ(H)20(cm)(取手/ツマミを除く)
・本体重量:約 1.4kg(電池を除く)
・材 質:ABS樹脂
・スピーカー:内蔵5Wx1(10cm)
・出 力 端 子:イヤホン3.5mm
・セット 内容:取扱説明書 / 電源コード(約150cm)
・消 費 電 力:約15W
・生 産 国:中国
・電 源:AC:100V/50/60Hz / 単一乾電池×4本(別売)(2電源)
・保証期間:1年間
※短波放送は時間帯や季節、環境により受信が困難な場合がありますが本体の故障ではありません。
電離層の変化で反射される電波の強さが変わったり、異なる経路で干渉しあったりして起こるものです。
サンスイ
SCR-B2
実売価格例:5770円
’80年代に大流行した横長コンパクトラジカセを模した、デジタルオーディオ対応のラジカセ。ラジオ(ワイドFM対応)、カセットテープのほか、USBメモリーとSDカードに保存したMP3ファイルの再生が可能。ブルートゥースにも対応しており、スマホの音楽などを本機で聴ける。
●受信周波数/AM、FM●ブルートゥース/Ver.4.2(BLE)とVer.2.1+EDRに対応、対応プロファイル:A2DP、AVRCP、対応コーデック:SBC●USB・SD再生可能フォーマット/MP3●電源/AC
100V、単1電池×6●サイズ/幅317㎜×高さ115㎜×奥行き95㎜●重量/約1.2㎏
[レビュー]バブル世代歓喜!レトロだけど機能は最新のラジカセを買ってみた!SCR-B2
単1電池でも駆動するので災害時にも役立ちそう
カセット部分はシンプルな仕様で再生も録音もノーマルテープのみに対応。本体上面に配置されるカセットの操作ボタンも、’80年代当時と同じ仕様なので、ある程度の世代以上は説明書なしで使えるはず。
内蔵ソースとしてはラジオと、USB、SDカードのデジタルオーディオ再生に対応しており、これらをカセットテープで録音することができる。ラジカセ全盛時代のように、深夜ラジオのカセット録音が、今また楽しめる。ソースを指定しないで録音ボタンを押した場合には、内蔵マイクでの録音が開始されるのも、当時のラジカセと同じだ。
カセットを再生した場合の音質も’80年代テイストで、このサイズのラジカセとしては十分という感じ。まじめに音質を追うというより、手軽にカセットやデジタルオーディオを楽しむための機器である。
ブルートゥースを搭載しており、スマホなどから音楽データを受け取って、本機で鳴らすことが可能。通常はAC電源駆動だが、単1電池4本でも作動する。その場合、ラジオなら90時間の再生ができるので、災害への備えにもなりそうである。
●’80年代テイストの操作系
本体上面のカセットの操作系は、当時と同じ「ガシャン」と押すタイプ。録音を押すと再生も下がるなど、昔懐かしいスタイルである。
●USB、SDカードに対応
本体天面にUSB端子とSDカードスロットを装備。USBメモリーやSDカードに保存したMP3音声を再生することができる。
●ブルートゥース受信が可能
ブルートゥースを搭載しており、スマホなどと連係可能。セレクターを「BT/USB/SD」にし、スマホで本機を見つけてペアリング完了となる。
●機動性のいい乾電池駆動
往年のラジカセと同様に、単1電池4本でワイヤレス駆動が可能。カセットの再生なら約50時間、ラジオの再生なら約90時間駆動出来る。皆さん、ラジカセでカセットテープで音楽を聴きませんか?アナログはデジタルに比べていいものですよ。今回は此処までです。此処まで読んでくれて有難う御座いました。