此処でkiyasumeは長期の休養に入ります。何故なら調子が悪いからです。精神状態が悪いです。そして血糖値と血圧が、可成危ない数値です。今まで体が悪いのを騙し騙し使ってblog更新をして降りましたが。今回ばかりはもうダメな様です。だから静養と言う事で無期限の休息に入ります。ですので、blog記事は、今回で当分本当にお休みとなります。毎日、布団にくるまって寝て居ますので、当分の間は更新は出来無いと思います。でも書き込みをくれたら返事は必ず書きますから宜しく。それと生活保護の受給が決まったら、追伸として此処にまた書き加えますので宜しくね。処で、皆さんは精神病院の事をどう思って居ますか?頭がおかしくなった人が独房のような鉄格子のある部屋に入れられて、唸って居るとでも思って居るでしょう?精神病院は、今はどこも綺麗ですよ。そして部屋の隅にはソファーなどが置いてあります。図書室もありますし、レクリエーション室も完備されて居ます。そして、そこには数台のパソコンが置かれて居ます。このblogで知り合った統合失調症の患者さんは、今、矢張り調子を崩して病院に入院中だそうです。しかし入院先の病院からパソコンで連絡をくれました。今頃は統合失調症の患者は皆体調を崩すのですよね。
精神病院で病状が軽くなった患者には外出と外泊が許されます。外出とは、自分が好きな街に遊びに行ける事です。外泊とは、自分の家に帰る事が出来る事です。精神状態がまだ不安定の人には看護師が行きと帰りに付きます。まあ、大抵は自分1人で外出も外泊も出来ます。今までそう言った事で問題を起こした患者は居ませんよ。私の知って居る限りに於いては。そして病院に入院と言えば皆んな思い浮かべるのは食事でしょう。入院生活、唯一の楽しみです。そしてその食事は病院の栄養士が手間暇掛けて作ったヘルシーな料理です。私は病院の食事だけで8kgは痩せました。それは精神病院ですから窓は開きませんし、鉄格子も入っては居ますが。中では患者は自由に過ごして居ます。私が思うに精神疾患とは脳の障害ですから、若年認知症の様な患者も居ますよ。知能程度がおかしいと言う様な人も中には居ます。だからそう言う人と部屋が同じになるとトラブル続きになります。そこが精神病院の嫌な処ですね。まあ、ざっと言うとこんな処でしょうか。
処で日曜は美容院に行ったんですよね。月曜が病院だったので。パーマだけ掛けて来ました。これからは染色は3ヶ月に1回にしようと思います。生活保護の身では早々お金の都合が付きませんから。髪は明るめに染めて居ます。パーマを掛けて居ると、その上で染色すると髪が切れてしまうのですよね。そうパーマは髪の質が悪くなって切れ出したので、気を付ける事にしました。また、髪は長めにします。。お洒落も60歳廻ってから、要約出来て来た有様ですからね。せめて若作りで行きたいですよ。私は生きても後10数年だろうから、それまではお洒落をしたいですね。モダンでイケてる老人に成りたいです。そう、ヨウジ・ヤマモトこと、山本耀司さんみたいに。何遍も言うけど、あの人は髭を生やして居て染めて居るんですよ。だって78歳で白髪じゃ無いはずないでしょう???
「山本耀司さんは今年で78歳です」昨年の写真です。とても77歳には見えないでしょう?
それに宇崎竜童さん。彼も74歳だけども髭があんなに黒々として居るはずは無いですよね。彼も染めて居るのでしょうね。ただ美容院やらでは髭を染めたり眉毛を染めたりするのは殆んどやらないそうですね。二人とも自分で染めて居るのか奥さんに染めて貰って居るのでしょうね。何でも眉毛を染めてくれと言ったおばあさんの眉毛を染めて居たら染める液が眼に入って網膜を傷つけてしまい裁判沙汰になり。訴えられた美容師も居るそうですね。髭だからいいのではとは思うけど「染め粉には注意として髪以外は染めないでくれ」と書いてあるからと、私が掛かった美容院では3店舗程ですが皆んな断って来ましたね。まあ、私が髭を生やして居るのは太って居るせいで首が、顎が二重顎になるのでそれ隠す意味で髭を生やして居るので痩せたら髭は剃りますよ。ただ髭もね、白髪隠しのもので少しは染められるのですよね。2年前はよくそれで染めてましたけど。高いし、すぐに染める液が容器から出て来無くなったり髭の状態では上手く染まらない状態が続いたので、髭だけ白いけどいいかなと思って其の儘にして居ます。今の処はね・・・・・・。北大路欣也さんとかは髭だけ白いですしね・・・・・・。
今日はもう1月も、20日ですね。生活費がもう1万3千円しかありません。食費で消えますね。何とかギリギリでしょうか?いや〜〜。早く生活保護が決まりお金を貰いたいです、生活保護関係ではケース・ワーカーさんが、来週の月曜日に来ます。どんな暮らしをして居るか見に来るそうです。ちょうど雪だとか降ると言って居て大丈夫かなと思いますけど。まだ30代の半ばぐらいの女性ですからね、、いい人だと良いけど・・・・。
調子が悪いkiyasumeです、、本当に調子が悪い、あまりに調子が悪すぎて、風呂にも入れて居ませんよ・・・・。訪問看護師さんからは早く入れと言われては居ますが、、調子が悪すぎて入れませんです。困ったものです。。。
さて今回ですが話が短いです。ですから最後まで読んで見て下さいね。動画も見て下さいね。私は最近blog記事は過去の記事を再編して、書き直してまた記事にして居ます。もう新しい記事を書く余裕もありません、ですから読んで居て、あれ、この事は過去に読んだ記憶があるかも?と思う事もあるかと思います。如何せん今は体調も悪く仕方がありません。。。それではどうぞ........。
kiyasumeが夕食に作った野菜ラーメンです。野菜はコショーと塩で味付けをして、ベースになるラーメンは北方ラーメンです.....。メンマを一袋入れました。味は我ながら結構美味しかったです。前に作った時には、薄口でしたので、次回作る時にはもっとスープの量を少なめに加減して味を濃くしようと思ったので。今回はお湯の分量を少な目にしました。当分は自炊の野菜ラーメンですので・・・・。
私は物事は自分の思って居る事の半分も叶えば上等だと思って居る。この考え方は、中学くらいから持って居る。私は中学の頃、体育の教師に因縁を付けられて居た。私の髪が長い事からだ。また、美術の先生は私の描いた絵を評価せずに盗作だと決めつけた。私は勿論、頭に来た。しかし相手は教師だ。どうにもならない。だから私は諦めた。どうにも成らない事をくよくよ考えても仕方が無いからだ。例えば、中学の体育の教師は剣道の時間に成ると、私を試合で自分と組ませて思いっきり叩いて嫌がらせをした。酷い時は喉に突きを入れた。反則もいい加減にしろと言いたかったが、私は痛みに耐えた。母はそんな私を知ってか、その教師にスーツを挙げたのだが、その体育の教師は自分の憂さが私で晴らせるとばかりに、その後も同じだった。その体育の教師は学校でも札付きの悪い教師だと評判だった。そしてバカだった。体育の教師なんかに成るものはバカと相場は決まって居る。レクリエーションの時間にこう言うのだ。「今日は女子が居るので言わないが。男子には女のお○○この話はいずれしてやるからなぁ、、」そうバカ丸出しな事を言って居た。美術の教師も若い女の先生だったが、教え子である私を何とライバル視した。私が絵が上手く描けると、私に「あんた、何の絵を模写したのよ。美大を出た私にだってこんなに上手くは描けないわよ!」と言う。私は「先生がそう思うのなら、それでいいじゃないですか、、」と言った。その教師は年齢が26歳ぐらいだった。私は思った。「成績なんて取れなくてもいいや」と、、そしてその教師は私の絵の事を教員会議に掛けた。「あの生徒は授業を無視して課題の絵を絵画から模写して居る」と。しかしその教師以外の先生たちは真っ当な評価を下した。あの絵は模写では無い、あの生徒が自分で描いて居ると。そして結果的に私の絵は5段回評価で最高の5が貰えた。しかしその教師は私の絵は返さなかった。そして、私が作ったペーパーナイフを「私が特別に貰ってやるわよ!!」と言ってこれも返さなかった。
Cream - World of Pain
私は教師は大っ嫌いだ。大体が若い教師は生徒にライバル心を寄せる。教師は35歳以上で無いとダメだろうと思う。ガキがガキを教えてもダメなのだ。まあ、こう言う事は他でもあった。例えば大学受験の時に塾から雇った地理の先生だ。でっぷりと太って居たのだが、勉強を教えに来てアメリカに行った時の事を話す、それもコカインをやったとか、マリファナを吸っただとか、そしてそのうちに塾を通さずに自分を雇ってくれと言い出す始末だ。仕方が無くそうしたが、その人は学校の元小学校の教師だったと言う。其の儘雇って居たが、、ある日、授業料の明細書を見て観たら、授業料が塾を通すよりも高い事が判った。そして、其奴は、また教師に返り座いたと言い。途中で辞めて行った。辞める時に月が変わって居たらその月の分を半金よこせと言ったから言ってやった、「子供たちを教える身分の先生が、コカイン、マリファナか。お前の様な人間に教師の資格なぞ無い!!」と言って半金は払わなかった。何が小学校の教師だ。程度問題だった。
FictionJunction - Hanamori no Oka 「花守の丘」[ English Sub ]
私は思うけど、よく頭がいい人が「私は頭がいいから」とか自信家が「俺って凄い人間だから」とか言うのを聞いて居て 、思うけど。本当に利口な人間が自分は頭がいいからと言うか?本当に凄い人間が俺は凄い人間だからと言うか?そう言う人たちは、井の中の蛙大海を知らずだと思う事が沢山ありすぎる。前に筑波大の大学院に行った男と話したがブルースが好きだと言ったら「ブルースって、淡谷のり子か?」と聞かれた。知らない人に向けて行っとくけど淡谷のり子の「別れのブルース」と言う曲があるが。日本の歌謡曲です。初めて題名に「ブルース」と付けられた歌謡曲は、1935年(昭和10年)にヘレン雪子本田の歌唱によって発表された『スヰート・ホーム・ブルース』です。しかし、日本でブルースを広く大衆に知らしめたのはこの「別れのブルース」です。
服部の代表曲として広く知られ、1960(昭和35年)に開催された服部の作曲生活40年を祝う「シルバーコンサート」や、1967(昭和42年)に開催された「還暦記念コンサート」で披露された。また、1992年(平成4年)に開催された服部の作曲生活70年を祝う「服部良一音楽祭'92」でも日本のブルース・バンド憂歌団によって披露された。そして、1993年(平成5年)に服部が亡くなり「服部良一合同音楽葬」が行われた際には、淡谷が歌う事と成った。また、2007年(平成19年)の『服部良一〜生誕100数年記念アルバム〜』では徳永英明がカバーして居る。
しかし、ブルース調の楽曲ではあるものの、ブルース・コードを用いて居ない点や、シャンソンや従来の日本歌謡曲の影響がある点など、本場のアメリカのブルースと異なった点が多い事は、服部克久を始めとする多くの人々が指摘して居るのであり、精神的にはブルースなのだけども、黒人やらアメリカのブルースとは違うものです。私はその筑波大の大学院を出た当時30代だった男に付いてはガッカリした。せめて「ブルースってBB King?」ぐらいは言って貰いたかった。要するに何も知らないのだ。お勉強が幾ら出来てもねぇ....。それから、前に書いたかも知れないけど。私が入院中自宅から映画書籍やら持ち込んで読んで居ると、「この本!どうしたの?」と驚く。「どうしたのって自宅から持って来たものですよ?」と言ったら「嘘だ買ったんだ新刊だ!!」と言うのだ。読んでいた本は5年前に買った本で、まあ、大切にして居たから綺麗だが。よくよく聞いたら。その筑波大の大学院出身の男は本は図書館で殆ど済ましているので、図書館の本は皆んなが見て居て、結構汚れて居たりして汚い本もあるのだけども、そう言った事らしい。。。殆呆れた。。。
別れのブルース 昭和12年のヒット曲(唄:淡谷のり子)昭和46年放送 日本歌謡チャンネル
BB King - How Blue Can You Get (Legends of Rock 'n' Roll)
そしてその男も言うのだ「僕は利口で頭がいいから解るけど」「〇〇さんはバカだから解らないんだ」と・・・・もう笑ってしまうほど幼稚だ・・・・。思い上がった人間が多過ぎるんですよね、実際問題。私はこのgoo blogをやり始めてから、本当に絵が上手い人。イラストが上手い人。音楽的な知識がある人、哲学をよく知って居る人などと交流を持つ事が出来た。皆さん本当に知識がおありだ。そして皆、謙虚で親切だ。本来本物はそう言う人たちなのだ。
木村充揮×近藤房之助 - 酒と泪と男と女
「さびしさには名前がない」浅川マキ(v)・渋谷 毅(p)
処で、勉強って何だ?勉強をするのは何かの知識で自分を高める為だ。ただ単に知識を知って居ようとするならば、、何でもいい、本を読むことだ。一日一冊読めば1ヶ月で30ぐらいの事柄の蘊蓄が言える事になる。そして、そうして本から得た知識で人を小馬鹿にして自分は知識があると思って居る本気なバカが居る。此処では筑波大の大学院出身の男の、人の目を見る判断基準を言うが。その男は何でも小難しい事が言えれば相手を評価した。相手は本を読んだ知識を曳けら化して居るだけなのに。そして立教大出身の50歳の男と話して居て、こんな話をし始めた。「ある独裁者が居た。その独裁者を捕まえる為に軍隊が家の周りを戦車で囲み、そしてラジカセから大音響でハードロックを鳴らしたら、独裁者が「頭がおかしくなる勘弁してくれ」と家から出て来て捕まえた、、」と言うのだ。私は私より学があるらしい、この二人の会話を聞いて居て吹き出しそうに成った。こんな与太話を本気で話して居て。「そりゃそうだ、ハードロックなんかの、あんな変な曲を聴かされたら誰でもそうなる」と筑波大の大学院出身の男が真顔で言って居るのだ。笑うのに笑えない状況だった。そして彼はまだ30歳ぐらいなのにバリカンで髪に剃りを入れ、私に「〇〇さんは何時、床屋に行くのですか?」と聞いて来る。要するに一昔前の親父の髪型なのです。そうする事がいいのだと思い込んで居る。若いのに歳を取った格好をして大人になれたと喜んで居るのだ。実に幼稚だ...。
私は一度弟を物凄い勢いで怒鳴り付けた事がある。それは弟が「僕って頭がいいから・・・」と言うので「自画自賛するとは何事だバカヤロー。本当に頭のいい人間がそんな軽薄なことを言うかバカ!!」と怒鳴り付けたのだ。勉強が出来る要するに、学問が出来るだけと言うのは或る意味それもバカだ。本当に頭がある人間と言うのは本当の自分は滅多に出さない。そして、学問ではなく知恵を持って居るものだ。頭が良いとは勉強が出来ると言う事とイコールでは無いのだ。それは私は大学時代に知った。ある教授が、毎回大学の教科書を朗読するだけで授業は終わるのだ。本来ならその本に書かれて居る事の意味を解読して学生に分かりやすく教えるのではないか?しかしその教授は毎回朗読しかしない。私はやってられなくで講義には殆ど出なかった。そしてテストの十日前にふらりと出て見ると教授が本を何回もよく読んで置く様にと教えるのだ。そして確かにその本さえ理解して勉強して居ればテストは満点が取れるのだ。私は小学生の時と中学生の時に宿題を一生懸命やった。しかしテストで点が取れなければ成績の評価は取れないのだ。私は中学当時、日本が誇るサックス奏者の渡辺貞夫の自叙伝を読んで、彼が音楽学校の名門バークレー音楽院に入って、理論はイマイチでダメだったけど、テストは実技で高得点を取り卒業したと書いてあったのを読んで・・・。「そうか結果が全てか・・・物事はそうなんだな...。」と思った。だから大学では宿題のレポートを書く様に言われても、殆ど満足には書かなかった。勿論教授からは睨まれて皮肉を言われた。しかし、テストでは頑張った。高得点を取って1、2年はオール優を取った。教授は次第に私を見ると微笑む様に成って行った。しかし2年の終わりに、ある宗教団体のバカにシツコク付纏わられた。ストーカー行為だ。おかげで健康を害して仕舞った。そいつの名は未だに覚えて居る。
城ノ下 曻と言った。はっきり言って私は小柄だ。そのせいでバカにしてくる奴らが沢山居た。女の子は背が低いのは可愛く見られるが、男の場合はバカにする対象となるのだ。そいつはいい気になってストーカー行為を続けて居るので、前にこのblogに書いたが警察沙汰にしてやると電話で凄んで。「これ以上続けるなら今この場で刺殺してやる!!」と言ってやった。それ以来二度と近寄って来なく成った。私は小柄だからそのせいで中学時代からいい様に扱われた。従兄弟のゆきかずからはバカにされて「「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい〜」だろう〇〇ちゃんヨォ〜〜」と言われたが。ゆきかず自身も私とあまり変わらないぐらいだったが。まあ5センチぐらい高かったのか。私は人は外見でしか、その人間を見ないと言う事は、学生時代に散々思い知らされて居た。大学でノートを取って居ると、今はパソコンだろうけど。いきなり背が高い180㎝ぐらいの学生にノートを取り上げられて返されないと言う事が侭あった。そして返せと言うと「へっ!チビが何一丁前に抗議してんだよ」と言うのだ。だから私は自分にしか解読できない速記で書いて、授業が終わるとすぐにブルース喫茶やらジャズ喫茶で別のノートに普通の文の本文に書き換えて居た。音楽喫茶のマスターたちからは「何書いてんの?ラテン語?」と言われたが....。
そうしたら度々ノートを取り上げていくバカが居たが、幾ら私のノートを取り上げても何が何だか分からず困って居るのだ。仕舞いには「テストが間近だから、頼むから何て書いてあるか教えてくれ!」とノートを返して来る様に成った。私の弟は高校時代に試験の5日前からノートと教科書が無くなった。弟は何時も成績が1番か2番なので嫉妬した奴等にやられたのだが、当の弟は心配は何にもして居なかった。何故なら先生の授業の講義は聞いたその場で頭に入れてあったし、教科書は最後まで読み尽くして覚えて居たからだ。ノートと教科書は出て来なかったが、弟は成績がまた1番に成った。この時の犯人の学生は、弟の友人が教科書とノートを盗む処を観て居て証拠があったので、4人居たが全員退学に成った。4人とも謝ったが、先生は絶対に赦しはしなかった。そう言えば姉が大学の頃、知り合いの大学生の男が2年も落第して、「人生長いんだから留年2年ぐらい長い人生から見たら、大した事は無い」などと、言って居た大バカ野郎が居たが。私は最低な野郎だと思って居た。何が「長い人生のうちの2年ぐらいだ」だ!!普通に大学の授業に出て居れば、優はともかく普通の成績は取れるはずだ。そいつはベースをバンドで弾いて居たが、私もリードギターとブルースハープを演奏して居た。しかし成績はちゃんと取った。
それから中年のサラリーマンが痴漢をする様だが、面白い話がある。ある小柄な可愛い女の子が、50代の男に毎日電車で尻を触られるので時間を変えたり路線を変えたりしたが、それでもその中年男のサラリーマンはしつこく狙って来る。ほぼストーカーだ。そして困ったその女の子は、お兄さんに相談した。あまり話を大きく仕度無いので警察沙汰とかじゃなくて、話し合いでと言う事だったらしい。それがその中年ドスケベ野郎の最後だった。その女の子のお兄さんは大学生だった、なんと上智大のエリートだった。そしてその兄貴はヤクザでもあった。妹の横に乗り込んだそのインテリ・ヤクザの兄貴はいつも通りに触ってきた中年のサラリーマンの手をねじ上げると「おとうさん、えらい事してくれて居るじゃねえか?痴漢行為はいかんと駅にも書いてあるだろう?。」と言い。「オッサン、免許証見せてえな、財布貸してえな、家の鍵よこせや」と次々に取り上げられて、ヤクザものだと聞かされて。しかも自分がしつこく狙って、痴漢して居た女の子の兄だと名乗られたら、そのサラリーマンは「許してくれ...。」と泣き出したそうだ。しかし、そのスキンヘッドに髭面の身長193センチのインテリ・ヤクザは「おっさん先ずは電車降りようか、それから対で相談や。いいだろうな!!」と言って泣いて居るそのサラリーマンを引き摺って居なく成ったそうだ。妹はその後、あのサラリーマンはどうなったか聞いて見ても、そのインテリ・ヤクザは何も言わなかったそうだ。それ以来そのサラリーマンは居なく無ったらしい。その子から直に聞いた話だ。これは実話です。要するに真面に生きて居なければ命さえも危ない時代だと言う事だ。
最後に、私の可愛い妹がTikTokに短い動画を上げて居るので、ここにリンクを貼って置きますね、、見てやって下さい。可愛いと言っても私がそう思って居るのですよね。歳が凄く若いと言う訳では有りませんよ・・・。よく勘違いされて、19歳とか20代の女の子と勘違いされますが。私の歳を考えて見て下さいね。それは私よりも可也年下では有りますけどね。宜しくね.....。
以上です、、それでは、暫くの間、お休みしますね。皆さん、過去記事も読んで見て下さいね、、宜しくお願い致します。それでは、、、(๑>◡<๑)