此の間は、病院に行って来た。日頃は病院まで歩いて行くのに、足が毎度痛くなるのですが、今回は何時も恐らく早足で行くからだろうと思い。かなり遅足で行って見たら。案の定、足が痛くは無かった。病院に行って精神科の主治医に眠くて仕方が無い。毎日、煎餅布団を敷いて朝から寝て居て困ってしまうと言ったら、、「薬を2錠減らすから...。」と言われて眠たくなる薬を外してくれた。結果、眠気が無くなると言う事は無くなりはしませんが、、少しは起きて居られる様には成りました。精神科、内科と受診して、体重が2kg減ったと言われて、、良い傾向だと言われました。そして最後に栄養指導の先生と話をしたのですが。何か言われました。「あなたは、まだちゃんと病院まで通って来るから良いわよ」と言うので。「だって病院には来無いとでしょう???」と言ったら。「それがね、来れ無い人も居るのよねぇ....。」と言うのですよね・・・・・・。だってね、薬が無くなるのだから普通は行くのじゃ無いかなと思いますけどね???。でも来れなくなる患者の方が多い見たいですね。何故来れ無いかと言うと、それだけ精神科で飲まされて居る薬が強いのですよね。。。前に訪問看護師の女の子が言って居たけど。私が眠くて困ると言ったら。「kiyasumeさんなんてまだ良いわよ。こうやって話して居る最中でも、寝て居る人が居るのだから」と言って居ましたけど・・・・・・。内科に罹ってから、栄養指導まで1時間、間が有ったので、何時もは昼食は外のレストランで食べるのですが。その日は病院内のレストランで天ぷら蕎麦を食べました・・・・・・。
病院内のレストランで食べた天ぷら蕎麦。高かった730円もした・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
本当は言いたか無いけど、最近の80代の男性は我儘で自分勝手な老人が多い。以前こう言う人が居た。私の掲示板に書き込んで居たので。此方はちゃんと返事を書いたのだが、どこを見て言ってるのか。自分が、 どのblog記事にコメントしたのか解って無くて。「自分の書き込みも掲載されずに、返事も書いて貰えんかった、、」と、新しい記事の掲示板にそう書いて怒って居るのですよ。私は「何だ?」と思って、「あの此処では無いですよ。あなたが書いたコメントは。貴方の書き込みも削除して居ないし。返事もちゃんと書いて居ますよ....。」と言ったのだが。「頭に来た、若造の癖をしおってからに!!」と書いてあるので。その人のblogまで行って掲示板に書き込みを仕様としたら。私の書き込みが出来ない様になって居たのだ。私は「此れだから老人は!!」と怒りが暫し湧いて来た。こう言う歳を取った男性からの、自分勝手な思い込みの書き込みはこの人だけではない。今までに5人も居ました。。。
歳を取った人に言いたい。「世の中、自分は歳だから何でも若いものは言う事を聞くだろう。あいつより歳上だから自分の方が正しくて偉い」と言う思い込みは辞めた方がいい。私だってもう64歳にもなる。しかし老人の独り善がりは嫌いだ。そして老人はすぐに僻む。何がどうしたと言う訳でも無いはずなのに。自分の一方的な思い込みで人を曲解する。女性。おばあさんはそう言う事は余り無いが、此れは男性。おじいさんに多い事だろうと最近になって思って居ます。歳を取ると頑固になると言うが。自分の思い込みで勝手に怒って貰っても殆困る。そして言いたい。歳を取ったら若いものの文化はくだらんと言うのでは無くて。若者から学びなさいと言いたい。私なんか自分より14歳も歳下のGACKT君やら32歳も年下の青木志貴ちゃんからパワーを貰って居ますよ。そして私よりも遥かに若い恋人からも、色々と教えて貰って居ます。。。。
私は、それなりの知識(自分が知って居る限りの)はあるつもりで居ますが。最近の若い人たちは皆頭がありますからね。参考になります。私なんぞは64歳にもなるのに彼らに及ばない事が度々ありますから。歳を取った人の知識は古くて断定的です。だから、決して侮って「なんだ、ガキが!!」と言う様になったら。お終いですよ。まあ、でもたまに若くて何も知らない人も居ますけどね。そう言う人は年寄りぶった話し方をしますよ。解って居るのかなと思って話して見ると何も知らない。処で話は変わりますが。GACKT君が何時も言う「思考」其れは単なる、思考と言う言葉よりも彼の哲学の中核を表す言葉ですね。彼の考え方は、実践哲学だ。私が読んで居る。ショーペン・ハウアーが隠居(悪い意味では無い)の生き方を説いた哲学であるならば、GACKTの哲学は行動を旨とする哲学だと思う。マルティン・ハイテガーですら、「存在と時間」で言いたかった事は。都会的な生き方よりも田舎の生き方の方が実践的だと言う事だった。私は、そんなに哲学に詳しい訳では無いので、余り哲学者の論理的な記述が出来ないのだが。。。GACKTの哲学は彼が49年間生きて来て培って来た。想いなのだと思う。
此処で、私が愛読して居る。ショーペン・ハウアーの哲学の思想を書くが、哲学するための要件は、第一に、心に掛かる如何なる問いをも率直に問う勇気を持つこと。第二に、自明の理を思われるすべての事を改めて明確に意識し、それを問題として掴みなおすこと。そのためには、本当に精神的な余裕がなくてはならない。我々自身が行う真剣な瞑想や省察に比べると、他人との対話は機械的である。所詮、他人の事は理解できない。深い哲学的な真理が明るみになると言う事は、対話の中ではありえない。結局、最終的には自分で考えなければならないと言う事。
自分で行った貴重な省察は、出来るだけ早く書き留めて置くべきである。我々は自分の体験でさえ時には忘れて仕舞うものだから。それに、思想と言うものは我々の望み通りではなく、気まぐれに去来するものだから。反面、他人から学び取ったものは、書き留めない方がよい。記憶力に対しては甘やかして従順さを忘れさせない様に。何かを思い出せないときは、すぐ検索するのではなく、何時間でも自分の記憶力に詰問してやめないことが大切。思い出すまでに時間を要した事ほど、長期間記憶に残る....。
ディープ・パープル / ハッシュ
しっかりとした思想を持つためには、くだらない事を考えない事がもっとも近道である。暇になるとすぐ書物に手を出すのはよくない。暫くは自分の頭の中を鎮めるがよい。独創的な思想は、歩いて居るか立って居る時に訪れる。座って居る時に訪れる事は極めて稀である。
・ア・プリオリ(先験的、演繹的思考)、ア・ポステリオリ(経験的、帰納的思考)
知識欲は、普遍的なものに向かうときは学究心と呼ばれ、個別的なものに向かうときは好奇心と呼ばれる。女性は普遍的な物事に対する感受性が薄いので。大概の人が好奇心のみである。大抵の人間は、自分の生活の中では、出来るだけ思想を費やさずにやりくりしようとする。考える事は厄介な負担だからである。したがって彼らは、自分の職業上のどうしてもやむを得ない範囲で物事を考え、ごくありふれた出来事を眺めて過ごす。これは「無知な人々の長い閑」である。。。
まあ、GACKT君の言って居る事と少し重複するかとも思うが。彼の本で「GACKTの勝ち方」と言う本がある。ビジネスに限らずお金、人間関係、時間、健康など。人生にまつわるコトやモノにふれながら。己の人生をどう生きるか生きたいか、生きるべきかを、哲学的で日常的に。もっとも重要な問いに対し。GACKTが自らの信念と自身の人生の歩み、そして日々の実践のあり方を本音で語る本になって居る。
・自分で決めて、自分で行動すればいい・ビジネスの場でファンをつくろう・常にオマエと言う個を感じさせろ・覚悟があるから勝負に勝てる
・ともかく動こう(知覚動考)・お金、時間、仲間の正三角形・成功から成幸・コイツ・・・ヤベエ!と思わせろ。などなど、毎日を、本当に真剣に生きるためのコトバとメッセージが詰まって居る。
彼はよく「男の美学」について語って居る。
この美学に関しては、こう定義出来ると思う、以下の様に考えて居ます。
男の美学について
- 自分自身の男としてのこだわりを持って居るか
- 自分の人生の譲れないものを持って居るか
- 一度決めた事を、毎日欠かさずに実践して居るか
彼の場合、毎日欠かさずにトレーニングをして居る事や、1日に2時間しか仕事をしないと言う事を決めて居る。彼はワーカホリックの処もあり、自ら自分を律してある程度の制限を掛けて居ると言う事らしい。
ビジネス書とありますが、中身は読者を奮い立たせる自己啓発の要素が強いです。
事業収入の額や過去に手掛けた事業の内容などは意外なほど率直に書かれて居ますが、
具体的なマネタイズのノウハウが記されて居る訳ではありません。本人もそこはあえて自分が書かなくてもいいと考えて居るのではないでしょうか。あくまでもアーティストとしての信念を貫き通したいからこそ、ビジネスで自分の存在を維持する事を選ぶ。本書では書かれてませんが、音楽業と並行して此処まで事業も大成させるのは並大抵の努力では辿り着けない境地かと思います。
信念・ファンの為に清濁併せ呑む生き様から、読者に強さと覚悟をくれる良書です。
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今を一生懸命生きろ。
素適な明日を迎えられるように。
二度と帰ってこない昨日を後悔しないように。
昨日は過去。
明日は未来。
今のお前にとってこの瞬間は、
神から与えられた贈り物。
だから英語ではこの瞬間を
《プレゼント~The Present~》と呼ぶ。
- Yesterday's the past,
tomorrow's the future,
but the today is a gift.
That's why it's called the present-
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ビジネス、スポーツなど、なんであれ、半端ない覚悟を持って臨む事が出来れば。人生の1日1日はさらに輝きを増す。
彼は実践的である。。其れゆえに下手な哲学者の言葉よりも人に感銘を与える。しかし彼は読者を突き放してこうも言う。「自分は物事の最短距離を教える事は出来る。しかし其れを実践するのは所詮は君たち次第なのだ。」と。世の中には為になる言葉は沢山溢れて居る。その言葉を知っても、其れをまるで子供が玩具箱に仕舞って喜んで居る様な状態じゃあ、仕方が無い。蘊蓄は誰でも言える。知識を得れば....。だから迷わずに行動を起こす事だ。アクションを起こす事で、其の覚えた知識はその人の血肉となり精神となる。彼の思想は明確だ。そして彼はその思想の為に体を鍛え。語学を5か国語話せる様になり。武道も身に付けた。テコンドーはオリンピック選手並みの腕前だし....。空手は黒帯だ。彼は何時も言って居る。「思考」こそが結果を導かせる。「皆んな、やらないだけだ。行動もしないで棚からぼたもち状態を期待して居るから。何も出来ない。」と。彼の座右の銘は「とも(知)かく(覚)うご(動)こう(考)」だ。行動する事を何よりも尊ぶ考え方だ。
例えば、話は変わるが。音楽ひとつ例にとっても。自分の好みの音楽は聴くし評価するが。其れ以外の音楽は聴かないし。評価もしないと言う事がある。そして、そう言う人の方が大半だろう。一つの事を掘り下げるのはいい事だとは思うが。もっとフランクに音楽と付き合えないものかと...。よく人を見て居て私はため息を吐いて居る。今もジャズを聴きながらこの記事を書いて居るが。例えばジャズ・シンガーでジャンプ・ブルースの歌い手でもある。ジミー・ウィザースプーンと言う人が居る。「エイント・ノーバディズ・ビジネス」で知られるブルース・シャウター~ジャズ・ブルース・シンガーだ。1940年後半にデビューし、97年に亡くなるまで、50年代末の数年間を除き、コンスタントに活動し、膨大な量のレコードを残して居る。彼はスタンダード・ブルースのひとつとして、特に後年のライブ盤でよく「スト・マン」を取り上げて居た。ロベン・フォードとのライブでは3バージョン残して居る。
生前最後のアルバムとなった『Live At The Mint』もフォードとのライブで、同曲を収録。ウィザースプーン本人は、普通にスタンダードとして歌って居るし、さすがにフォードも“Tボーンだ、ウェイン・ベネットだ”ではない、独自の世界に行って居る。ほかにギター・レス・バンド、ピアノ・トリオの演奏も幾つかあるし、デューク・ロビラード・バンドとの共演ライブも死後に発売されたが、ウィザースプーンは声が出ずに絶不調。ロビラードのTボーンに成り切りぶりだけが目立った。個人的にベストとしたいのは、おそらく60年録音で、ケントからシングルにもなった、『Sings The Blues』(Crown/CDがAceから)収録版。ウィザースプーンの歌も新鮮、スモール・コンボに乗ったロイ・ゲインズと思われるテキサス・スタイルのギター・サポートが光る。しかしこの人もジャズを聞いて居る人は殆どが知らないだろう。何故なら、彼はジャズよりもブルースで人気があった人だからだ。
こんなふうに一つの音楽だけを聞いて居ると。思わぬ落とし穴が待ち構えて居る。例えば私が1970年代に夢中になったサザン・ソウル・シンガー「ジェイムス・カー」と言う人が居る。一般的には「サザン・ソウル」と言うとOtis Redding(オーティス・レディング)やAl Green(アル・グリーン)の様なビッグネームの名前がまず第一に思い浮かぶだろうが、個人的にはJames Carr(ジェイムス・カー)のサウンドの方がしっくり来る。前者の大物2人は、もちろん素晴らしいのだが、彼らは超一流のエンターテナーであり、ジャンルの垣根を超え、時代を象徴する存在でもある。それに対してジェイムス・カーは、もっと不器用で、時代とは関係なく、彼個人の「ソウル」で勝負して居る様に感じるのだ。レコードを聞いて居ると、意識がメンフィスの何処かのライヴハウスにトリップして、もっとパーソナルな空間でジェイムス・カーが歌って居る様な感覚に執われる。
彼の代表的なアルバムに「You Got My Mind Messed Up」と言うものがある。このアルバムには、シンプルな、これぞサザンソウルと言う曲が凝縮されて居る。このアルバムを含めたった2枚のLPしか残して居ないのに、バラードからアップテンポの曲まで、信じられないぐらい魂の入った歌を聞かせてくれる。なかでも“These Ain’t Raindrops”、“The Dark End of the Street”、そして“You’ve Got My Mind Messed Up”の3曲は、サザンソウル史上最高の名曲だ。こんな素晴らしい作品を残して居るのに、ライブではなかなか本領を発揮できなかった。生まれたときから精神的な疾患を抱えており、長期間のツアーを安定して熟したり、エンターテナーとして振る舞う事には向いて居なかった様だ。
それでも1979年には来日公演を果たし、伝説のライブを残して居る。そのライブでは薬を服用しすぎて、ステージ上で意識が飛んでしまい、凍り付いた様に動かなくなって仕舞った。いい伝説では無いかも知れないが、ジェイムス・カーらしい話だ。たとえライブが苦手でも、彼の作品の評価が下がる訳ではない。この様に「音楽」とはエンターテイメントであると同時にアートでもある。オーディエンスは演者の生き様を感じたいのだ。今、2人の偉大なシンガーを挙げたが。J-POPだけしか知らない人には。こう言った音楽の良さも解らない訳です。私は此れでもミュージシャンの端くれだと自分で思って居る。だから音楽の話を少しして見たが・・・・・。要するにGACKT君が言いたい事は、『なすべき事をやれ。そうすれば道は自ずと開ける』と言う事だろう。『やるべき事を、今。やれ。』と言う事だ。。。
===『哲学者・吉本隆明』===
数十年前、当時のニューアカの中心人物だった浅田彰や中沢新一、また彼らの後見人的存在の蓮実重彦や柄谷行人らも含めて、彼らは吉本隆明という巨大な存在に対する思想的カウンターパートとして出てきた側面があり難解なものをいかにわかりやすく説明するかと言う事が一つの流行になって居た事もあった。吉本隆明は知の巨人でした。
吉本隆明。
詩人、評論家。東京に生まれる。東京工業大学電気化学科卒業。いくつかの会社を組合運動で追われるが、その間、戦中世代として受けた敗戦の衝撃からの精神的転機を図る思想劇ともいうべき、詩集『固有時との対話』(1952)、『転位のための十編』(1953)、評論『マチウ書試論』(1954)などを発表して注目された。ついで、戦後革命とその挫折(ざせつ)を弾劾する論拠として、戦前戦後のマルクス主義文学者の戦争責任を糾明する評論『文学者の戦争責任』(1956)から、さらに転向の原因を権力の強制による屈服とする通説に反して、大衆からの知識人の孤立として剔抉(てっけつ)する評論『転向論』(1958)に及ぶ、非共産党左翼の思想と論理の確立に努めた。安保闘争に際して「全学連」を支持し、1961年(昭和36)「自立」を掲げ、谷川雁、村上一郎(1920―1975)と『試行』(1964年に個人誌に切り換え)を創刊。「大衆の原像」論の視点から『日本のナショナリズム』(1964)、『自立の思想的拠点』(1966)の刊行を経て、それを『共同幻想論』(1968)の刊行によって結実する一方、文学における言語表現の分析『言語にとって美とは何か』(1965)、心的世界の解明『心的現象論序説』(1971)の刊行によって既成のプロレタリア芸術論を排した。その後、多様化した評論活動として、『源実朝(さねとも)』(1971)、『源氏物語論』(1981)等の古典文学論、『最後の親鸞(しんらん)』(1976)、『〈信〉の構造』(1983)等の宗教論、『悲劇の解読』(1979)、『宮沢賢治』(1989)等の現代文学論、『マス・イメージ論』(1984)、『ハイ・イメージ論I・II』(1989、1990)等の大衆論と表現論を融合する取組み等、文学と思想の浩瀚(こうかん)な著書によって、不断に革新の展望を開いた。
吉本隆明、全著作。
『吉本隆明全著作集』15巻・続3巻(1968~1975、1978・勁草書房) ▽『吉本隆明全集撰』全6冊(1986~1988・大和書房) ▽吉本隆明研究会編『吉本隆明が語る戦後55年』1~12(2000~2003・三交社) ▽『吉本隆明全集』38巻・別巻1(2014~ ・晶文社) ▽『共同幻想論』改訂新版(角川文庫) ▽『心的現象論序説』改訂新版(角川文庫) ▽『マチウ書試論・転向論』(講談社文芸文庫) ▽『源氏物語論』(ちくま学芸文庫/洋泉社・MC新書) ▽『ハイ・イメージ論1~3』(福武文庫/ちくま学芸文庫) ▽『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫) ▽吉本隆明著『わが「転向」』(文春文庫) ▽『定本言語にとって美とはなにか1~2』(角川文庫) ▽鮎川信夫著「吉本隆明論」(『吉本隆明詩集』所収・1958・ユリイカ) ▽磯田光一著『吉本隆明論』(1971・審美社) ▽菅孝行著『吉本隆明論』(1973・第三文明社) ▽埴谷雄高著『吉本隆明を「読む」』(1980・現代企画室) ▽好村冨士彦著『真昼の決闘――花田清輝・吉本隆明論争』(1986・晶文社) ▽神山睦美著『吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの』(1988・思潮社) ▽松岡祥男著『吉本隆明と吉本ばななのあいだ』(1990・大和書房) ▽鷲田小弥太著『吉本隆明論――戦後思想史の研究』(1990/増補版・1992・三一書房) ▽斎藤慎爾編『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996・朝日出版社) ▽吉本隆明・吉本ばなな著『吉本隆明×吉本ばなな』(1997・ロッキング・オン) ▽芹沢俊介著『主題としての吉本隆明』(1998・春秋社) ▽小浜逸郎著『吉本隆明――思想の普遍性とは何か』(1999・筑摩書房) ▽岡井隆著『吉本隆明をよむ日』(2002・思潮社) ▽竹田清嗣著『世界という背理――小林秀雄と吉本隆明』(講談社学術文庫)』
昔買った、「共同幻想論」のCD-ROM.
✳︎「共同幻想論」とは。
共同幻想論とは、幻想としての国家の成立を描いた国家論である。当時の国家論は、集団生活を成立させる機能として国家を作ったと言う社会契約説や、国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論が一般的であった。つまり、国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムなのである。しかし、吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。人間は、詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したのである。これはルイ・アルチュルセールのイデオロギー装置論に似ている。人間は自分の創り出したフィクションである共同幻想に対して、時に敬意を、時に親和を、そして時に恐怖を覚える。特に、原始的な宗教国家ではこれは顕著である。その共同体で、触れたら死ぬと言い伝えられている呪術的な物体に触れたら、自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。個人主義の発達した現代でも、自己幻想は愛国心やナショナリズムと言う形で、共同幻想に侵食されている。共同幻想の解体、自己幻想の共同幻想からの自立は、現在でもラジカルな本質的課題であると吉本は指摘している。
吉本は血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立するのである。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している。
また、吉本にとって、高度な経済力や科学力を持っていた近代国家である戦前の大日本帝国が、やすやすと天皇制と言う、宗教性の強い古代・中世的な政治体制やイデオロギーに支配されてしまったことは大きな難問だった。吉本は、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張し、政治体制は経済体制に規定される(唯物史観)とするロシア・マルクス主義を批判する。その試みは、吉本にとってロシア・マルクス主義からの自立であって、少年期に骨の髄まで侵食された天皇制と言う共同幻想を意識化し、対象化し、相対化しようと言う試みでもあった。
ブルースハープ (Ten Holes Diatonic Harmonica) はおそらくもっともハーモニカの原型に近い楽器だと思われる。長さ10cmほどの掌におさまる大きさで、正面から見ると10個の穴が一列に並んでいる。ブルースで使われることが多いことからブルースハープと呼ばれるが、この名称はホーナー社のモデル名および登録商標である。最近ではテンホールズという呼称も定着してきた。
一つの穴の上面と下面に互いに逆向きにリードが取りつけてあり、吹いたときと吸ったときで違う音が出る。音の配列はメジャー・スケールに沿ったもので主要なモデルにはGからF#まで各調が用意されている。10穴で3オクターブをカバーするため実際の音配列は少し変則的であり、C調を例にとれば以下のようである。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
吹音 | C | E | G | C | E | G | C | E | G | C |
吸音 | D | G | B | D | F | A | B | D | F | A |
つまり3オクターブと言っても完全な音階が吹けるわけではない。その代わり3つの穴をまとめて吹けばトニック・コード、2-4番(1-3番)をまとめて吸えばドミナント・コード、4-6番(8-10番)をまとめて吸えばサブドミナント・コードとなる。
ダイアトニック・ハーモニカのバリエーションとして少し小さめのポケットモデルや12穴や14穴に拡張した大型のモデルもある。また4穴のミニハーモニカはアクセサリーとしても人気があり各種発売されている。
マイナー・キー配列の10穴ハーモニカの代表的なモデルとして、トンボの、「メジャー・ボーイ」の Minor Key 版がある。以前は「マイナー・ボーイ」と言う機種名だったが、統合された。海外では、この「メジャー・ボーイ」と「マイナー・ボーイ」の名称自体、スラングに起因する性的侮辱的な名称としてとらえられ、商品に対する印象として非常に良くないため、 【ウォー】 のハーモニカ奏者であるリーオスカー が彼のソロ・アルバムで「マイナー・ボーイ」を使って脚光を浴びたのをきっかけに、トンボは リー・オスカー と契約を結び、リー・オスカー・ブランド をトレードマークとして使用することで海外進出を図った。 「リー・オスカー」と「メジャー・ボーイ」はケースと表面プレートは異なるが中身は「メジャー・ボーイ・シリーズ」と全く同一のリード・プレート、同一素材同一形状のコームを使用している。日本で一般的な「マイナー配列」(Minor Key Harmonica / Harmonic Minor Key Harmonica)の他に、「ナチュラル・マイナー配列」(Natural Minor Key Harmonica)もあり、海外では「ナチュラル・マイナー配列」の方が一般的に使われている。
kiyasumeのハーモニカソロ
黒い色は重く感じる。白い色は軽く感じます。重力的に言うと黒は重く感じるので下になり。白は軽く感じるので上になります。何の話かと言うと、服の話です。だから普通は黒い色のパンツを履いて上は薄い白系のものを着るといいのだそうです。私は何時も最近は黒いYシャツに黒いパンツに黒いべストを着て居ます、夏なので、薄めのものと厚手のロングベストを両方持って居るので。今は薄手のロングべストでしょうか・・・。春先とか秋口には厚手のロングベストを着ますが。それと白いYシャツにデニムベスト、そして青いジーンズでしょうか?それが夏服です。そして秋口にはデニムバッチ・ジーンズにミュージシャンが印刷されているTシャツに、デニムバッジ・シャツを上着にして着て居ます。私は白いジーパンを1本だけ持って居るのですが、何時も履くのは黒いUNIQLOの感動パンツです。それを2本しか持って居ませんが。取っ替え引っ替え履いて交互に洗って居ます。もう1本購入したく思うのですが。何時もサイズが売り切れでありません。
UNIQLOは本当に安くて素材の生地もいいので、感動パンツはいいですよね。あとジーパンかな?UNIQLOのものです。見た目はジーンズに見えるけど、伸縮する素材で出来て居る変わったジーンズです。それとまだ購入して履いては居ませんが、少しカーキ色がかったクリーム色のズボンです。此れもUNIQLOから購入しました。今年の春先には左右色が違うデニム・ジャケット。半分薄いブルーと半分紺のものです。これを購入しました。先ほど言った白いズーンズは白いジージャンと2年前に購入しましたが。如何にせん、あれからズボンのサイズがLLかXLに成って仕舞ったので。恐らくLサイズなので履けないでしょうね。押入れの奥の方に入って居てどこにあるのか分かりません。それと3年前の秋口に購入した、まだら模様のドレーブニット・コートを持って居ます。2年前迄はよく着て居ましたけどね。あとロング・マキシ・トレンチコート、日本製だと思いますよ。そしてヨウジ・ヤマモトブランドのものと、そっくりのチェスターコート。(本物は高くて購入出来ませんでした。)
それと他にアート・チェスターコートと、まだら模様のチェスターコート。それから秋口と春先に着られるヨウジヤマモトの薄手のコート。ジャケット4着、うち1着はヨウジヤマモト。ああ、そしてショートコート。ラシャ柄のもの2着と普通のもの2着。バーバリの高級コート1着。デニム・ジャケット1着。ミリタリー・ショートコート1着。ミリタリージャケット1着。まあ、書いて見たら可成り持って居ますけど(^_^;)、、ほぼコートと上着は此れだけ持って居ますね。。。まあ、私はTシャツは殆んど着ないんですよね。だから、何時も黒いYシャツですよ。夏も冬もね。此間ヘルパーのおばさんから言われたけど?暑く無いって?、、「何時もYシャツじゃ無い?何でTシャツ着ないの?」と言われて居ますけど・・・・。前の美容室の大バカヤローの美容師ならず理髪師からは反対に「何でTシャツなんか着て居るの?」と言われたしね、
人の言う事を一々間に受けて居たら、どうしようもありませんよね。私は私なのだから好きな格好をします。誰がどう言おうとね。前に中華飯店に初めて入った時に。私の長髪と着て居るものを見て、ウエイトレスのおねえちゃんが何故か「ロックスターだ!!」?と言って騒いで居たり。その次には喫茶店で食事して居たら。今時だと思うけど、その喫茶店は部屋の中が薄暗かったのだけども、1眼レフのデジタル・カメラのシャッター音とフラッシュ焚かれて写真撮られて?一体なんだろ?と思って居たら。どうやら雑誌の喫茶店特集の記事の写真だったらしい。そして「あいつなんだ?芸術家か?、いや、ミュージシャンだろ?それか物書きかな?」とかヒソヒソ話されて仕舞い。人は何思うか、、そこの喫茶店は可也此処の界隈では有名な所ですから。沿線沿いの喫茶店として雑誌によく載る事があります。もし雑誌見て居て、喫茶店でポークジンジャー食べながらアイス・カフェオレ飲んで居た。私の写真を見つけたら、まあ、、よろしくです。全身黒ずくめですから一眼で解りますよ。このblog読んで居る人なら、顔はもう知って居るでしょうからね。
眠たくてうたた寝して居るkiyasume.....。
以下、簡単に統合失調症の症状の解説と、対処法を書いて置きます。
此処で統合失調症に付いて説明すると統合失調症は、本来ならばあるはずのない症状が認められる病気です。幻聴や妄想と言った症状が代表的で、陽性症状と呼ばれます。病気の始まりは不安や緊張が目立つ事もあり、なかなか診断されない事もあります。ときには幻覚や妄想に左右されて仕舞って、自分自身が病気である事も自覚でき無く成って仕舞う事もあります。統合失調症は、脳に起こった機能的な変化によって「考えや感情を上手くまとめる力」が少しずつ落ち、幻聴や妄想などの奇異な症状があらわれます。そして少しずつ本来あるべき機能が失われて行き、陰性症状が生じます。そして社会生活や日常生活をスムーズに送る事が困難になって行く病気です。
以前は難治の病気で「精神分裂病」と言われ、発症すると入院生活が続いて仕舞う様な難病でした。ですが現在では統合失調症の治療薬が非常に進歩し、早期に発見して適切な薬物療法を行う事で、病気をコントロールしながら社会生活を続けられる患者さんが多く成って居ます。統合失調症は、およそ1%の方が発症する病気と言われて居ます。早期に発見して病気を正しく理解し、継続的な薬の治療が重要な病気です。統合失調症の代表的な症状として、幻覚や妄想が挙げられます。幻覚や妄想が認められたら統合失調症と言う訳ではなく、実は様々な病気で幻覚や妄想が認められる事があります。しかしながら統合失調症の幻覚や妄想の特徴としては、大きく2つの特徴があります。
- 本人にとっては真実で、気分や行動に影響して仕舞う事
- 他人が自分に対して悪い事をする事
本人に取っては疑いもない事実と感じて居るので、周りが幾ら言っても納得が出来ません。ですから本人の気分や行動にまで影響して仕舞います。そしてその内容も、人間関係が中心である事が多いです。他人が自分に対して悪い事をする様な内容です。そしてこう言った幻覚や妄想が続くと、自分自身と他人の思考の違いが判らなく成って行きます。これを自我障害といいます。
具体的に幻覚・妄想・自我障害に訳て、症状を見てみると
【幻覚】
- 自分を批判する様な声が聞こえる
- 自分の行動を外から実況中継して居る声が聞こえる
- 幻聴同士が会話し合って居る声が聞こえる
統合失調症の幻覚では、聴覚に対する幻覚が多いです。いわゆる幻聴ですが、自分を批判する様な幻聴や命令する様な幻聴、他の人が対話して居る様な幻聴が見られます。私は最近この症状が現れました。幻聴に対して本人が反応するため、突拍子もない行動をしたり、独り言を言ったり、ニヤニヤ笑いだしたりするので、周囲からは奇妙に見られる事が少なくありません。
【妄想】
- 誰かに付け狙われている(追跡妄想)
- 咳ばらいをしたのは自分が嫌いだからだ(関係妄想)
- 街を歩いていると通行人が自分を見て居る(注察妄想)
- 黒ずくめの服をきた組織に追われて居る(迫害妄想)
- 自分の悪口を周りが言って居る(被害妄想)
- 自分には特別な力がある(誇大妄想)
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妄想は事実とは異なる思い込みで、思考内容の異常と言えます。本人はそれを真実と捉えて居る為、まわりから訂正する事は出来ません。
誇大妄想は本人がツライ現実に向き合わなくてすむ為、なかなか薬の治療に反応しない事もあります。
【自我障害】
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- 自分の考えて居る事が声になって聞こえる(考想化声)
- 自分の考えが周囲に知れ渡って居る(考想伝播)
- 考えが他人に吸い取られて仕舞う(思考奪取)
- 他人の考えが自分に吹き込まれる(思考吹入)
- 自分が他人にあやつられて居る(作為体験)
- 自分の思考がすべて筒抜けになって居る(筒抜け体験)
- 霊が取り憑いで居る(憑依体験)
- こう言った、自分と他人の境界がハッキリしなくなって仕舞い、思考や行動が他人のモノか自分のモノかが解らなく成って仕舞います。
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私の場合は。今まで幻覚妄想はありませんでした。しかし薬を飲まないとそれが起こる確率は高く成ります。だから薬を飲んで居ます。すると、後遺症で頭痛が起きて眠くなり、しかし幻覚と幻聴が現れて仕舞いました。だから働く事が出来ません。ですから、こう言った精神患者は生活保護で暮らす事に成ります...。
日本の生活保護の受給者はその殆んどが精神疾患者だと思われます。精神疾患者は可也、強い薬を飲まされて居ます。大抵の抗精神薬にはその福作用として、身体が太る作用があります。だから精神疾患者はブクブクと醜く太って居ます。そして理由が解らない一般の人は精神疾患者はバカだから太って居るのだと蔑みます。私は勝手、体重が90kgまで行った事がありました。周りの人はあからさまに私をバカにし。「人間1週間ぐらい食わなくても平気だ。痩せたらどうだブクブクと太って見っとも無い」と言われました。好きで太って居るのでは無いのですよ。人は何も知らないくせに、自分の主観で言いたい放題の攻撃をして来ます。その後、薬の種類と飲む量が変わり、自然と体重は落ちましたが。最近はまた太り始めました。私はほぼ10年周期で太ったり痩せたりを繰り返して居ます。
最近、私は病院で精密検査を受けて脂肪肝になって居ると警告されたので薬を変えて食事療法の先生に着きました。今はまた、減量中です。おかげで野菜しか食べられません。しかし野菜は飽きました。だから肉を食べて居ます。脂質は最近の研究では取った方がいい見たいです。炭水化物を取るのを辞めればいいと言いますね。目標は10kg減量です。今回は、過去記事から統合失調症に付いて、病状と症例を纏めて少し加筆しました。まあ、統合失調症は皆さん他人事だと思って居るでしょうけど。100人に1人の割合で成る精神疾患です。要するに脳の疾患です。差別は誰にでも出来ます。物事を知らない人なら。しかしちゃんと知って貰いたく思い、此処にこの様に書きました。人生如何なる時に如何なる帰路に立たされるかも知れませんよ、そう成らない様に充分に気を付けて下さい。その為にこのblog記事が少しでも参考に成れば幸いです....。此処まで読んで呉れてどうも有難う御座いました。
---kiyasume---
最近、吹き込んだ音源ですけどヘタですが、、調子が悪いものでして、、余計にね、、、
0p
ブルースバラード SD 480p
私は勝手、アラン・ドロンが好きだった。彼は絶世の美男子だった。この記事を読んで居る方で彼の事を知らない人も居るだろう。彼は若い頃は子供の頃に母親に死別されて、子供の施設に送られて居た。そしてその後里親に育てられ、彼は厳格な寄宿学校に幽閉された。彼はそこを飛び出して。それ以後イタリアのシシリー島のマフィアのボスに可愛がれて、使い走りをして大人になり。彼に寄ってくる女の子たちと懇意になり。ある女優が彼をカンヌ映画祭に連れて行った処。映画プロデューサーの目に留まり。そしてフランス映画界の巨匠。ルネ・クレマン監督の映画「太陽がいっぱい」で一躍有名になった。
私はブオトコだ。だから尚更、美男子でカッコイイ彼に憧れた。そして彼の着こなし。トレンチコートの襟を立てる仕草だとかを真似た。彼も、もう86歳になる。彼の経歴を書いて置きます。「仏パリ近郊の町ソーに生まれる。里親に育てられ寄宿学校を転々とする子ども時代を送り、17歳で仏空軍に入隊。除隊後、様々な職を経て、57年の「女が事件にからむ時」でスクリーンデビューする。「恋ひとすじに」(58)で初主演を務め、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(60)で一躍世界的なスターになる。以降、ルキノ・ビスコンティ監督の「若者のすべて」(60)や「山猫」(63)、クレマン監督の「生きる歓び」(61)、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」(62)で次々と主演を務め、「地下室のメロディー」(63)では仏スター俳優ジャン・ギャバンと共演。66年の「テキサス」でハリウッドデビューしたが、まもなくフランスに戻り、名作「サムライ」(67)に出演する。
69年にはボディガードが射殺され、殺人容疑をかけられる大スキャンダルが発生したが、後に容疑は晴れた。その後も「パリの灯は遠く」(76)などがヒットし、初監督作「危険なささやき」(81)では製作・主演も兼ねた。「真夜中のミラージュ」(84・日本劇場未公開)ではセザール賞主演男優賞を受賞。98年の「ハーフ・ア・チャンス」を最後に引退宣言をしたが、00年に復帰しTVドラマ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」(03~04)などに出演する。最初の妻ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)との間に生まれた息子アントニー・ドロン、2番目の妻との息子のアラン=ファビアン・ドロンも俳優になった。」
私は男優は、勿論渋めの人も好きだ。イブ・モンタンだとか。リノ・バンチュラ。ジャン・ギャバンとかの渋めも好きだ。最近ではジャン・レノとかも。最近の男優で好きなのはヒュー・ジャックマン。ウイリアム・ニールセンとかだ。そして日本では福山雅治とか井浦新とか木村拓哉。亀梨達也そしてGACKTだ。古い処では仲代達也。三船敏郎。原田芳雄。石原裕次郎などですね。人は色々言うのですよ。私などでさえ、色々言われて居る。顔を見せて居るのも一つの要因だろうとは思うが。アラン・ドロンは私のフランスでの永遠の兄貴です。
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