今は、明け方の5時だ。こんな事は書くのはどうかと思ったが、、先ほど、寝て居たら、何だか、尿が少し漏れた様な気がして目が覚めた。少し尿道が緩んだ気がしたのです。だから慌てて、起きて下着を触るも、濡れて居ると言うか、そんな風では無いが、、少し湿り気があるかな?と思った。はっきり言って、私はもう歳だ。だから「気を付けないと行けないな、、」と思う。気持ちが悪いので、下着を取り替えた。私は独り身です。だからと言うか、物を余り持って居ない。この間ヘルパーのおばさんに言われた。「鍋やら、フライパンやら、磨いて挙げようとか思うけど。クレンザーも、タワシも無いじゃ無い?これでは掃除は出来ないよ?」と。だから慌てて、Amazonから其れ等と、石鹸。タオル。そしてパンツが余りにも少ないので、3枚ほど買ったのです。そうしたら、昨日届いた。しかしblogはどうしてもプライベートの事を書く様に成る。それが嫌な人はblogは書けないでしょう。ある人が言って居た、「自分は物に執着が無い、だから一人暮らしだし、購入したマンションを売ろうと思って居る。そしてシェア・ハウスに行こうと思って居る」と言う。その人は、よく自分の事を考えて居ますよ。マンション暮らしで、歳を取ったら一見ヘルパーだと雇えばいいと思うけども。中々そうも如何無いと思う。私は障害を持って居る為に、ヘルパーを雇ったが、、色々と大変です。だが障害者は雇った住宅介護者はお金は国が持っては呉れるが、普通の人は実費で雇わなければ成ら無いだろう。私はその他に看護ステーションから、訪問看護師も雇って居る。だからそれらも、料金が、月に8万も掛かるのです....。まあ、是も国が全額見て呉れて居ますが。でも。健常者が必要な時には実費で雇う事に成ると思います。障害者は映画館の料金も1千円で観られます。国はこうやって、障害者には良く仕手呉れて居るのですよ。福祉は日本はいい方ですよ。ただ、健常者の方でも障害を待てば矢張り国が面倒を見てくれますよ。皆さんこの事を知らない人が多い。そして福祉が成って居ないと、国会の野党議員の言う事を鵜呑みにして、自民党は福祉は切り捨てて居ると言うのです。私も自分が障害を持つ事になって初めて国が面倒を見て呉れるのかと、少し驚いたのです。処で、一昨日、ロング・べストと帽子、そして欲しかった3way holster chest bag trench coatを購入しました。どれももう売って居ません。メリカリなどで中古のものを購入しましたよ。。。。
Ryo takashimaのトレンチコート
このイギリス製の「setin Lay Ooverlap coat」は、男女問わず。とにかく格好がいいのです。
しなやかでハリのある、高密度織りのコットンギャバジンを使用して居ます。上質な素材ならではの上品な光沢が特徴です。内ポケットがついた裏地は、総裏仕立てでしっかりと作られて居る。滑らかなキュプラを使用しているので、袖通りや裾捌きも綺麗に行う事が出来ます。
トレンチコートとダブルブレステッドコートを重ね合わせたデザインに仕立てられて居ます。身頃と袖幅がかなり広く作られて居る為、オーバーサイズながらも、縦のラインが綺麗に出るシルエットに調整されて居ます。
特徴的なシルエットに対し、エポレットを省く事でミニマルな印象に仕上がって居ます。ウエストに付いた共地のベルトと、大きめのガンフラップで、クラシックな印象も感じられます。また、袖と後ろ身頃にはジップが付けられており、開いて着る事も出来ます。開くと中性的な雰囲気になる事が特徴です。
ですが・・・・。メーカーでは在庫切れ、、しかも、中古でも在庫があっという間に無くなって仕舞った。高いですがね、10万幾らかの物だから。それが飛ぶ様に売れるって、、確かにこの金ない私がすごい無理して買おうかと思った位ですからね...。
だから、このデザインを継承して居て安い物でないかな?他のブランドのものでもいいから、と思って探して居たら、有りました。それが今回購入したこのコートです・・・・。
ryo takashima 3way trench coatトレンチコート。。

3way holster chest bag trench coat
=kiyasume=
夢の意義
睡眠中には脳が、過去に見聞きした情報をジャンルごとに整理する。ジャンルは例えば「小学校時代」、「大学時代」、「友達」、「家族」、「恋愛」、「仕事」などに分けられ、ジャンル分けされた記憶の倉庫から引き出したり、まとめたりの作業を脳が睡眠中に行っているが、その過程を脳内で再生している状態が夢だと言われて居る。いわば、自分だけが見る事の出来る、「個人的なドキュメンタリー映画」のようなものである。従って、睡眠環境から取り込まれた刺激以外は、体験した事や実際に目にしたものが断片的に組み合わされ、脳内でストーリー化して行く。ただし、子供はテレビ、絵本、漫画などの外部刺激に夢の内容が左右されやすく、実体験以外の映像や想像などの要素でも、それらが組み合わさり夢になる事がある。夢の内容は、最近の夢に関する調査の際の頻出語から、高齢者では、「旅行」、「仕事」、「トイレ」、「母」などが多く、大学生では、「友達」、「遊ぶ」、「サークル」、高校生は「友達」、「学校」、「クラス」、「部活動」など、どの年代を通しても生活上、密接に関わっている言葉が多く確認されて居る。この結果から、自我の確立する高校生以上の年代では、日常の実体験を元により日常に近い内容で夢が構成されて居ると言える。
夢の生成メカニズム
現代の神経生理学的研究では、「夢と言うのは、主としてレム睡眠の時に出現するとされる。睡眠中は感覚遮断に近い状態でありながら、大脳皮質や(記憶に関係のある)辺緑系の活動水準が覚醒時にほぼ近い水準にある為に、外的あるいは内的な刺激と関連する興奮によって脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されつつ、記憶映像に合致する夢のストーリーを作って行く」と考えられて居る、と言う。
入眠時に図形や模様、人の顔などのビジョンや、音楽や話し声などが不随意に発生する現象がある。これらの不随意な心象現象は「入眠時幻覚」と呼ばれ、厳密には夢とは別のものとして扱われる。上述のように夢には連続性やストーリー、夢を見る人の視点が備わって居るが、入眠時幻覚は概ね感覚的で個人の経験とはかけ離れており、両者の生成プロセスは異なると考えられて居る。
睡眠時に起こる外的現象
睡眠時は本来ならば何も感じて居ないと考えられる大脳が覚醒時と同様な活動状態を示す脳波になる。時にはその活動に刺激されて反射運動がみられる場合がある。この反射運動には、寝ている状態で手足を動かす、声を発する(つまりは寝言)などある。寝言の中には歌を歌いだすと言う報告もある。
反射行動の中には日常生活では見られない行動、奇異であり不思議な行動が見受けられる。フロイトの報告によれば、普段聞きなれて居るのだが、発音できなかった(もしくは上手で無い)外国語を突然、流暢に喋りだすと言う事例がある。また、睡眠中に突然起き上がり歩き回るが覚醒時にはその記憶が残って居ないなど、その行動が顕著な場合に夢遊病と呼ぶ事がある。
夢のメカニズム
メカニズムに付いては不明確な部分が多く、研究対象となって居る。 例えば、夢は浅い眠りに陥るレム睡眠中に見るとされ、一般的にはノンレム睡眠時は発現されないと考えられて居た。しかし、ノンレム睡眠時にも夢を見ると考える研究者も多く、そうした研究も続けられて居る。
夢を見る理由に付いては現在の処不明である。
覚醒や意識レベルと夢との関係
寝ながら見る夢では、その人の普段は抑圧されて意識して居ない願望などが如実に現れるケースも多いとされる。ただ、それらは誇張されて居る事も多く、結果的に現実としては不可解な現象で表現される事が多い。
また、普段の生活から興味がある現象について夢を見やすいと言われて居る。具体的には色に興味がある人は色が付いた夢を見る、などである。
覚醒時に考えて居た(悩んで居た)事が影響するケースも多く、考えていたテーマに新しい着想を夢の中より得た事例もある。ブラム・ストーカーは、カニを食べ過ぎて悪夢を見て、これを元に恐怖小説『ドラキュラ』を書き上げている。 この他にも、重要な発見や発明、芸術作品など、夢で得たイメージを元として居る事例は多い。
明晰夢
通常、夢を見ているときには自分で夢を見て居ると自覚出来ない事が殆んどであり、覚醒するまでは夢である事が分からない。これに対し、夢の中でも自覚して居る現象を明晰夢と呼び、その場合には夢の内容をコントロールする事も可能であると言われる。この為、望むままに夢が変化する事も多いため(現実では無いが)願望を叶える事が出来るとされる。
白昼夢
白昼夢(白日夢)とも呼ばれる。目覚めていながら夢を見て居るかの様に現実から離れて何かを考えて居る状態をいう。空想や妄想と同様、夢を見ている自分を自覚出来る事、夢の内容を自分でコントロールする事が出来ると言う点で、通常の夢とは異なる。
ー在りし日の原田芳雄さんー
原子力戦争 オリジナル予告編
愛情砂漠(原田芳雄)
READY TO SHOOT
ー自称弟分のkiyasumeです〜影響を受けて居ます〜
「引っ込め〜〜ってか、、引っ込みますよ〜〜ん...。」
心理学における夢の理解
深層心理学においては、無意識の働きを意識的に把握する為の夢分析という研究分野がある。
夢分析の古典としてはジークムント・フロイトの研究、あるいはカール・ユングの研究が広く知られて居る。そこでは夢の中の事物は、何かを象徴するものとして位置づけられて居る。これらは神経病の治療と言う臨床的立場から発展しており、夢分析は心理的側面からの神経症の治療を目的とした精神分析の為の手法の一つである。
フロイトは『夢判断』で、人が体験する夢を manifest dream(顕在夢)と呼び、それは無意識的に抑制された幼児期由来の願望と、この願望と結びついた昼間の体験の残滓からなる夢のlatent thought(潜在思考)が、検閲を受けつつdream work(夢の仕事)によって加工され歪曲されて現れたものだ、とした。
ただし、フロイトによる夢分析に限ると、性的な事象に紐付けられた説明が余りに多く、そのまま現代人や日本人に適用するのは無理がある、とする説も多い(例えば、銃が男性器を、果実が女性気を、動物性欲や性行為を象徴するなどとされたりした。これには、当時の禁欲的な世相が反映されて居るとする説や、フロイト自身が抑圧された性的願望を抱いて居た為に偏った解釈をして居るとみ見る説が多い)。
フロイト学派のエーリヒ・フロムは、象徴と言うのは人類がかつて使って居た言語だが現代人はそれを忘れて仕舞って居るのであって、夢というのはその象徴という言語で語られる無意識の経験であるとし、象徴の解釈によりその真の意味を理解する事が可能だとする。カール・ユングは、夢は、意識的な洞察よりもすぐれた智慧をあらわす能力があるとし、夢は基本的に宗教的な現象だとした。ユングによると、人間の無意識のさらに深い領域には全人類に共有されて居る集合的無意識があり、古代から継承されたアーキタイプ(元型)が宗教・神話・夢と言った象徴の形で現れるとされる。
ユング研究家の河相俊雄は夢の「ストーリー性」を重視しストーリーの変化は心の変化であり、夢分析で重要視されるとしている。例えば同じテーマの夢を繰り返し見る「反復夢」では、ストーリーが月日の経過とともに変化して行くが、「怖い夢」でも何度も反復して見るうちに、恐怖の対象が自分に対して実害がない事が分かり、それを楽しむ事が出来る様にすらなる。こうした変化で心理的な症状も変わって来る事があり、繰り返し見る夢がどう変わって行くか、心理療法における「夢分析」ではこの部分が大きな意味を持つとして居る。もう一つのポイントは「象徴性」で、例えば白蛇は普通の蛇よりも象徴性が高く特別な夢だが、スピリチュアルな意味や、癒やしの意味がある可能性がある。また、夢には逆説的な意味があり、例えば自分が死ぬ夢では、実際に死ぬ事は無く、むしろ自分が大きく変わる、よい意味の可能性がある。悪夢は一般によい夢であり、発達障害の患者では、楽しい夢しか見ない人は比較的多い。しかし、治療が進むにつれ、怖い夢や、宿題をし忘れる夢などを見始め、しっかりした意識が形成されてくる。すなわちネガティブな夢を見ると言う事は、課題を持ち、解消しようとして居る事を意味する。さらには正夢についても言及し、宝くじが当たるなどの大成功する夢を見たら、好機と捉えて行動するのもよいとして居る。ただし夢には多少の誤差があり、宝くじが株であったりすると言う。夢は多義的であり、一義的な解釈をすべきで無いとも発言して居る。
現在では夢分析も改良され、広く現代人の実情を考慮した分析が多い。自分で自分の夢分析をするためのガイドブックや事典なども出版されており、何がしらの自己分析・自己発見の役に立つことも多い様である。
〜〜夢幻論〜〜
著者は在野の研究者なのか、高校の教師とかの情報があった。大森壮蔵や西田幾多郎にインスパイアされた人の様だ。
論証学は、私は本当に理解しがたく、事実に付いてのべようとするので無く、思想間の議論の違いとかを永遠と議論するので、私はこの方面の理解力が可也足りない。ナーガールジュナも取り上げられて居るが、内容は似て居る。
と言う事で、この本に付いてほぼ述べる事は無い。
経典の引用が一番気になった。これ、すべてを語り尽くして居るのでは無いかと思えました。
一世紀の『フリダヤ・スートラ』と言う経典と書かれてあったが、『般若心経』の事ですね。気づくまで似て居るけど、こっちの方が分かり易いと思ったが、『般若心経』であると気づくまでの時間が恥ずかしい。
もしも、思いをこらしてこの世界を見きわめることができたならば、
知がきわまり、虚妄の奥が開かれる時、
私は知るだろう。
この世界が形ある存在のままで同時に、
どこまでも透きとおった幻であったということを。
その時、よろこびも憂いも、もはや実体としてあることをやめるだろう。
求道者たちよ。
去来する一切の現象は、全て不生不滅の永遠の幻想なのだ。
不生不滅の永遠の幻想という形でそれらは存在しているのだ。
物も心も、何もかもがそうなのである。
求道者たちよ。
全て存在するものは幻想であって、
新たに生じることもなく消滅することもない。
形ある存在でありながらどこまでも透明であり、増えることも減ることもない。
このゆえに、夢幻の世界にあっては、
物はそこに存在していながらどこにも無い。
意識も、意志も、感覚も、そこに存在していながらどこにも無い。
視覚も、聴覚も、嗅覚も、味覚も、触覚もなく、
見るものも、聞くものも、味わうものも、香るものも、触れるものも無い。
世界もなく、意識も無い。
無知の闇も無く、無知の闇がなくなることも無い。
老死も無く、老死が尽きてなくなることも無い。
解脱への道のりも無く、知るものも得るものも無い。
実体として執着すべきものが何もないと分かる時、
虚妄を越えた知があらわになり、心にとらわれも無く、恐れも無くなるのだ。
虚妄を遠く離れた知によって真相を達観し、私は夢幻の世界に自らを憩わせる。
そして無限の知にいだかれて、
私は憂いを越えた世界に到達したことを悟るだろう」
この世界は実体が無く、すべて幻想である。言語や観念が作りだした世界を実体あるものと我々は見なして居るし、知覚世界も生物が外界を知覚する為の模造や創出された絵にすぎないのだ。そこに言語の網の目がかぶされて、我々は実体のない世界を現実のものとして暮らしている。そう言う事では無いだろうか。
この知覚世界の確実性を、我々は疑い得にくい訳だが、この世界の基盤である身体感覚すら、感覚と言う実体なきものを基盤として居るので、われわれの世界と言うのは、じつに怪しいものでは無いだろうか。
もうひとつ引用したい文章。補注が『ガンダビューハ・スートラ』とサンスクリット語だったので気づかなかったが、『華厳経』である。これは華厳経そのものだなとは思ったのだけど。
「小宇宙は同時に大宇宙であり、大宇宙は同時に小宇宙である。
広大無辺の世界はすなわち一点の世界であり、一点の世界はすなわち広大無辺の世界である。
一の世界は無限の世界にほかならず、無限の世界は一の世界にほかならない。
すなわち、夢幻の世界は一なる世界に含まれ、一なる世界は無限の世界に含まれている。
不浄の世界は同時に清浄の世界であり、清浄の世界は同時に不浄の世界である。
一つの毛穴の中には一切の世界があり、一切の世界の中には一つの毛穴の本質がある。
ただ一瞬の世界からすべての世界は生み出され、
それらすべては、まるで虚空のように透きとおって存在しているのだ」
これはこの世界の事を言って居る様に思うが、言語がなければ区切りや境界がなく、境界が無いものは大であり小であるという言語の無効を説いて居るのだと思う。境界がなければ、すべて同じである。
いや、ただ言語の前に知覚・物質世界の境界や輪郭、形がある訳で、そう言う認識には違和感がある。この分離された物体の世界は、言語によって生み出さるのでは無く、知覚によって与えらえるものでは無いのか。この辺がまだよく呑みこめない。
この論証学の本も、驚くほど言語に付いての懐疑や不信がなくて、存在して居ないものを実在に見せかける言語という道具に対する警戒や不信が無いのである。
言語はひとつのマヤカシの世界を作りだし、それが現実にあり、地図にすぎないものを現実のものと見なす作用がある。私たちが想像したり、思い描く世界は、対象そのものではなく、描かれた像にすぎないと言う事を、往々に人は忘れてワナにはまるのである。
言語の世界は、実在しないし、存在しないし、どこにも実体あるものとして存在して居る訳では無い。過去も奈落の底の様に無くなる。言語と過去は、存在して居ないものとして共通しているのだが、それが想起や思考されたとたん、現実に存在するものとして、われわれは認識して仕舞う。その過ちのワナに、容易く我々は救われて仕舞うのである。
下は所有して居る本です。。。
小学校高学年から中学時代に好きだったハードロック・バンド「ディープ・パープル」。しかし、高校になってエレキギターを練習した時には何故かリッチー・ブラックモアのギターはコピーしなかった。なんかとっつき具合が良くなかったからだと思う。
中学の頃にNHKで見た、ディープ・パープルのライブ映像は忘れられない。なんと、その当時の映像が見つかったので挙げて置く。遥か子供の頃の思い出です。
Deep Purple - Live at Granada TV - 1970 (Doing Their Thing,Full)
Deep Purple - Demon's Eye 1971
Deep Purple - New York 1973 - Full Concert
しかしメンバー全員の阿吽の呼吸と言うか。皆んなテクニシャンだ。高校の頃、親友はリッチー・ブラックモアのギターをコピーして居た。彼は結構真似て弾いて居たが、そう言えば、彼からストラトキャスターを貰ったんだだっけな、grecoの紋章を消して、fenderと描いてくれたっけ。まあ、青春の思い出です。そのギターは大学時代に当時組んでいたバンドのボーカリストに挙げたんだっけ。。。そのギターでBBkingのワン・フレーズを教えたら喜んでいたっけな・・・
高校時代の友人は大学ぐらいからライブをやって居たが。ベースが何時も後ろ向きだったのが面白かった。彼は極度に客を恐れて居て(笑)親友の友達はギターをライブでリッチー見たくアンプに擦り付けのパーフォーマンスをして客から歓声を貰って居たっけ。。。処でそんなディープパープルがオーケストラと共演したLPが当時あって、その映像が見つかったので載せて置きます。1969年の映像です。
Deep Purple Royal Philarmonic Orchestra 1969 Full Concert
オーケストラと共演と言うと、この御仁を紹介しなければ成るまい。。。ヘビメタのギタリスト。イングウェイ・マルムスティーンです。今挙げたディープパープルのオーケストラとコンサートはあくまで共演だが。イングウェイの場合は一人のエレキギターのソリストとしてオーケストラの中で思う存分クラシカルなフレーズを弾いて居る。この人はスウェーディン人で、エレキギターを習得する過程でクラッシックのヴァイオリニストを学んだと言う人で。彼のソロはヘビメタなのだが非常にクラシカルでメロディアスです。まだ聞いた事が無い方は此処で聴いて見て下さい。
Yngwie Malmsteen - Live with Japanese Philharmonic Orchestra Full HD
それから、此処で、ポール・マッカトニーの「マイ・ラブ」を挙げて置きます。
Paul McCartney - My Love
そしてカノンロックを演奏する。最近の日本のバンドです。聴いて見て下さい。
カノンロック / BOND of humanity
それから、懐かしのムーディーブルースの名曲「サテンの夜」です。
Moody Blues -- Nights In White Satin [[ Official Live Video ]] HD
此処までクラシカルなロック・ミュージシャンを紹介しましたが。今度紹介する人は伝説のギタリストです。ロビン・トロワーです。彼のギターはへヴィーでリリカルです。聴いて見て下さいね。。。
Robin Trower Live U. of LDN. UK. 2-25-80
私の姪っ子は作曲家兼シンガーソング・ライターとして、活躍して居た。姪っ子のスタジオでのレコーディングの練習テープを聞かせて貰った事があるが。流石にスタジオ・ミュージシャンは、皆んな上手い。出来上がったデモ・テープを聴いてドラマーの上手さに驚いた。私も、ブルース・ハープをバンドで吹いて居た頃は、プロのベースとドラマーがバックを付けて居てくれたけど。私が下手なもので往生して居た(汗)でも自分で言うのも何だけど、ギターを弾いてたバンドのボーカリストから言われた事がある。「〇〇さんのブルース・ハープは上手くは無いけど味がある。俺は好きだ」と。当時私はブルースハープのテクニックは其れ程上手くはなかった。まあ、今でもそうだけども。よくそんな風でプロのバッキングが居てくれたと思う。まあ、私の事はいい。姪っ子の名は五大ゆりと言います。今は引退しましたが愛内里菜とか倉木麻衣に楽曲を提供して居ました。CDも発売して居ます「first・sound」というCDです。過去にはギザから楽曲を配信して居ました「ワルツの夢」という曲が配信された曲の中では一番好きです。AmazonでCDの方は購入できます。ゆり「first sound」です。中古なら1,280円で購入出来ますよ。宜しく。と言う事で話を元に戻すが。私の言いたい事は。物事、何でも標準があると言う事だ。よく若いアマチュアのミュージシャンが自分とプロと何処が違うんだと言うが。ある一定の域に達したものがプロで、それまで届かないのがアマチュアだと思う。私はもう歳だし、親父バンドでもなければバンドではもう演奏はしない。私は自分の分を知って居ます。今は一人でプカプカやっているのが性に合っている。ハーモニカは一人でも演奏できる楽器ですからね。ただ此の儘では納得が行かないと言う事もある。だから練習は時折仕手居る。まあ、下手ですよ。
それから、年配の方からするとこの歳でこの髪型か?と思う方も居られるかと思いますが。私は過去の自分と今向き合っています。この侭、歳を取って終わる訳には行かないんです。この侭終わるんじゃ如何にも悲しい....先ほども書いた様に人は見かけで判断しますよ。だから何ですか?人には人の事情があるのです。由緒正しい人たちから見たら可笑しな格好に見えるのでしょうけど。特に年配の方から見れば?誰も自分とは違うのです。同じ尺度で計ろうとするから、あいつは可笑しいと成るのですよね。何遍も言っていますが、京アニに放火したバカですが。自分が行き所が無くなって、京アニを逆恨みしたのです。実力が無いのです。京アニにアニメの原作を送って落選になったら、自分の小説から真似てアニメを作ったと言って居るのです。私はこの時点でもう才能も何もこの男には無い!と断言出来ます。私はバンド関係で結構色々な人間を見て来ました。一緒にやりたいと来た人間で、ギターのコードも押さえられない(知らない)男が来ました。何かギターソロ弾いて見てと言ったら、おもむろにエファクターを装備し出しました。私が直にアンプに突っ込んで弾いて見てと言ったら怒り出しました。人の勝手だと。履き違えて居るのです。はっきり言うとエフェクターの力が無ければ真面に弾けなかったのです。そして断られると、私に「お前はバンマスの資格があるのか!」と喰って掛かって来ました。ねえ、京アニの放火犯人とそっくりなロジックでしょう。楽器が上手い下手で言っていますが。人に例えると強いと弱いなんです。歴史は強者で作られます。勝てば官軍とも言います。世の中強くなければ生きられないのです。弱いものには陽は当たりません。人間とはそんな物です。人生とはそんな物です。
最近問題になって居る引き籠り。一度社会から外れた者は世の中は認めません。人生は過酷です。だから歌が生まれるのです。音楽があるのです。皆んな音楽を聴いて憂さを晴らすのです。憂さの晴らし方にも2通りあります。一つはただ綺麗な音楽を聴いてリフレッシュする事です。この場合好まれるのがクラシックです。荘厳なオペラや、綺麗な旋律です。そしてもう一つは人生の悲哀を歌った歌やそれに共なう旋律の音楽です。ブルース、演歌などがそうです。この二つは相容れないでしょうか?、そこでブルースとクラシックを混ぜた音楽であるロック、ジャズが出て来ます。ロックではプログレッシブ・ロックやらビートルズに代表されるようなソフト・ロックが出て来る事に成りました。ジャズでは、デキシーランド、スイング、ビパップなどが出て来きました。日本には昔、浪花節がありました。今は演歌があります。よくあの映画は浪花節だと言う事があります。映像にも音楽の規定が当て嵌める事が出来るのです。感動できる映画はブルースなのです。浪花節なのです。主人公は不幸を背負って居て幸せは遠い人生のストーリーの映画があります。人生の裏側に集まる群像劇を描いた映画があります。一般的にはエレジーと呼ばれる物です。これはブルースなんです。一般的には間違えてもエレジーとクラシックは結び付きません。でも厳密に言うとクラシックの中でチャイコフスキーやらバッハはエレジーなのです。そしてブルースなのです。
だから映画に音楽は付き物です。世の中はたった5パーセントのエリートが残り95パーセントの人たちを率いて居ます。そんな事は無いと言う人も居られるでしょうけど。ならその人が95%の人間を引き連れて、何か出来ますか?出来ないでしょう。これをパレートの法則と言います。皆んなこの法則で生きて居るのです。しかし上の5%の人たちは残り95パーセントの人たちより常に監視されても居ます。要するに上で95パーセントの面倒を見ている人たちも面倒を見てられて居る人たちも、同じように辛いのです。だから音楽が生まれます。音楽はいいものですね..此処まで書いて来ましたが。そろそろ私なりの音楽論は此れでお終いです。此処まで付き合ってくれてどうも有難う御座いました。
ー下は高校の時に描いた漫画の一部です。下手ですが見てやって下さいねー
==ジャズ喫茶の誘惑==
~新宿~ 「DUG(ダグ)」


新宿駅東口から徒歩約6分ほどの処にある「ダグ」。ジャズ写真家の中平穂積さんが創設した、日本を代表する老舗ジャズ喫茶です。音楽好きが集まる雰囲気あるお店なので、カウンター越しから味わい深い人間模様もウォッチングして見たくなりますね。