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「新宿でなかったらタイガーは生まれていなかった。」映画『新宿タイガー』予告編
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「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。推理小説のジャンルであるが、サスペンスや文学など他のジャンルの主人公をハードボイルド風の文体で描く作品もある。アーネストヘミングウェイの作品は主に文学に分類されている。行動的な探偵が主人公であるが、ハードボイルドとは対照的に非情さを前面に出さず、穏健で道徳的な作品は「ソフトボイルド(Soft Boiled)」と呼ばれる。
==『ハードボイルド小説の歴史』==
ミステリのハードボイルド派は1920年代のアメリカで始まる。パルプマガジン『ブラックマスク』誌(1920創刊)に掲載されたタフで非情な主人公たちの物語がその原型で、同誌にはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、E・Sガードナーらが寄稿した。特にハメットは『血の収穫』(1929年)や『マルタの鷹』(1930年)などにおいて、簡潔な客観的行動描写で主人公の内面を表現し、ハードボイルド・スタイルを確立した。『大いなる眠り』(1939年)で長篇デビューしたチャンドラーは、ハメットのスタイルに会話や比喩の妙味を加え、独特の感傷的味わいを持つ『さらば愛しき人よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)などのフィリップ・マーロウ、シリーズを発表した。
ハリウッド映画でも多くのハードボイルド・スタイルの作品が作られ、『カサブランカ』(1942年)はアカデミー作品賞を受賞した。
ハメットやチャンドラーの作品には、「西部開拓精神を内に宿した主人公がアメリカ社会の諸問題に対処していく物語」という面があり、『動く標的』(1949年)で私立探偵リュウ・アーチャーを登場させたロス・マクドナルドはその後継者とされる。一方、『裁くのは俺だ』(1947年)でデビューしたミッキースピーレーンは暴力とセックスを扇情的な文体で描き、本作で「暴力的ハードボイルド」の代名詞となったマイク・ハマー・シリーズはベストセラーとなった。
1940年代終わりから1950年代にかけて、銃と軽口と女の扱いに長けた私立探偵が、おもにペーパーバック・オリジナルで大量に現れる。『マーチィと殺人と』(1947年)でピーター・チェンバーズを登場させたヘンリー・ケイン、『消された女』(1950年)でシェル・スコットを登場させたリチャード・S・プラザー、『のっぽのドロレス』(1953年)でエド・ヌーンを登場させたマイクル・アヴァロン、The Second Longest Night(1955年)でチェスター・ドラムを登場させたスティーブン・マーロウなどが主な作家である。極め付きはオーストラリア作家のカーターブラウンで、1958年からアメリカのペーパーバックに登場し、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月1冊というペースで発表した。また、G・G・フィックリングの『ハニー貸します』(1957年)で登場したハニー・ウエストはセクシーな女性私立探偵として人気を博し、テレビ・シリーズにもなった。
1960年代になるとアメリカ社会の問題は、個人の行動だけでは対処できなくなる。ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーは事件を見つめるだけで行動しなくなり、次第に内省的になっていく。これを受けて1960年代末から1970年代にかけて、社会的問題を正面から扱うよりも、探偵の個人的問題を通して社会を描くような作品が多くなる。主な作家には、マイクル・コリンズ、ジョセフ・ハンセン、ビル・プロンジーニ、マイクル・Z・リューイン、ロジャー・L・サイモン、ロバート・B・パーカー、ローレンス・ブロックなどがいる。日本においては、これらの作家の作品は当時、評論家小鷹信光が「ネオ・ハードボイルド」と名づけたが、実際にはハードボイルドの枠組みを超えた要素が多く、近年はこの表現はあまり使われない。
また、1960年代後半からはじまったフェミニズム運動と女性の社会進出により、1980年代には女性作家が女性の私立探偵を主人公にした作品を書くようになる。まずマーシャー・マラーのシャロン・スコーンが『人形の夜』(1977年)で登場し、続いてサラ・パレツキーのV・I・ウオーショースキーが『サマータイム・ブルース』(1982年)で、スー・グラフトンのキンギー・ミルフォーンが『アリバイのA』(1982年)で登場した。以後、リアリスティックな女性私立探偵小説は一大潮流となる。
1970年代以降の作品の多くは、文体も主人公たちの性格もハードボイルドではないため、私立探偵を探偵役にしたミステリは私立探偵小説(PIノベル、Private Eye Novel)と言う名称で呼ぶのが一般的になった。
こうした私立探偵小説の流れとは別に、ハードボイルド文体で描かれた犯罪小説がある。ハメットと同時期の作家で、ハードボイルド文体の創始者として挙げられるのが『リトル・シーザー』(1929年、映画『犯罪王リコ』の原作)のW・R・バーネットと、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1934年)のジェームスM・ケインである。『ブラック・マスク』誌の出身であるが独自の道を歩んだホレス・マッコイは、『彼らは廃馬を撃つ』(1935年)で大恐慌時代の明日なき青春を冷徹な筆致で描く。また『ミス・ブランディッシュの蘭』(1939年)で登場したゼイムス・ハドリーチェイスは、イギリス人ではあるがアメリカ英語で作品を発表した。『殺人のためのバッジ』(1951年)など警察官を主人公としてアメリカの社会問題を描こうとしたウイリアム・P・マックバーン、ハメット・スタイルで書かれた『やとわれれた男』(1960年)でデビューしたドナルドー・E・ウィドレイクもハードボイルド小説に新風をもたらした。これらの作品の手法・文体は映画の影響を受けた部分もあり、また多くの作品が映画化されることによる相互作用で、ハードボイルド・タッチは熟成していった。
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==『日本のハードボイルド小説』==
日本のハードボイルド史は、第二次世界大戦後に翻訳紹介されたアメリカ製推理小説の受容から始まる。1950年から数年の間に、ハメット、チャンドラー、スピレインの代表作が立て続けに日本語訳され、また同時期の映画の影響もあって、「ハードボイルド」と言う言葉は急速に浸透していった。しかし、短期間に様々な要素が一度に移入されたため、混乱も生じた。昭和20年代から島田一男が行動的な探偵役を用いた作品を発表していたが、先駆的作品にとどまった。
明確にハードボイルドを意識した作品を書き出したのは、共に大学生で作家デビューした高城高と大薮春彦である。高城は「X線附近」(1955年)、「ラ・クカラチャ」(1958年)など叙情的な作品を書き、大藪は処女作『野獣死すべし』(1958年)以降、タフで非情な主人公がアクションを繰り広げる作品を多数発表した。河野典生も20代から作品を発表し、短篇集『陽日の下。若者は死ぬ』(1960年)や日本推理作家紹介賞を受賞した『殺意という名の家畜』(1963年)などがある。この3人はいずれも1935年生まれで、日本のハードボイルドは若者が既存の価値観に異議を唱える手法として始まったと言える。
それより前の世代の作家では、デビュー以来様々なジャンルのミステリを手掛けてい欠場昌治が『支社に送る花束はない』(1962年)からハードボイルドの分野に進出し、『暗い落日』(1965年)など私立探偵小説の傑作を発表する。正統的ハードボイルドを日本に移植することを目指した生島治郎は『傷跡の町』(1964年)でデビュー、『追い詰める』(1967年)で直木賞を受賞した。1960年代前半からスパイ小説に新境地を拓いていた三吉鉄は、1968年から新聞記者を主人公にしたハードボイルド・スタイルの「天使」シリーズを書き始めた。仁木悦子も『冷え切った町』(1971年)などの三影潤シリーズで、優れたハードボイルド私立探偵小説を書く。
また、この時期のハードボイルド文体の犯罪小説に菊村倒『けものの眠り』(1959年)、石原慎太郎『汚れた夜』(1961年)などがある。
こうした社会問題を描く手法としてハードボイルドを取り入れた作品とは別に、純粋にアメリカ産のハードボイルド・タッチを楽しもうとする作風も出て来た。そうした作風は、当時通俗と言われたハードボイルドの翻訳者に多い。中田耕治の『危険な女』(1961年)、山下論一の『危険な標的』(1964年)、都筑道男の贋作カート・キャノン・シリーズ(1960年)などで、小泉喜美子が別名義で新聞連載した『殺人はお好き?』(1962年/連載)もこれに加えても良いかも知れない。また、翻訳者・解説者としてハードボイルドの普及に貢献した片岡義男や小鷹信彦も、時期はズレるが創作している。
1970年代になると、ハードボイルドにこだわり続ける戦後生まれの作家が現れる。短篇「抱きしめたい」(1972年)で小説デビューした矢作俊彦と、短篇「感傷の街角」(1979年)で登場した大沢在昌である。この2人は日本的泥臭さとは無縁の都会的な作風で、日本国産ハードボイルドの新時代を築いた。また2人とも漫画原作も行っているが、この頃から劇画にもハードボイルド作品が多くなり、そうした漫画の原作者だった関川夏央は後に小説も書いている。
1970年代末から1980年代にかけて冒険小説がブームとなり、その担い手となった作家には船戸与一、佐々木譲、志水辰夫、逢坂剛、藤田宜永など、ハードボイルドにも意欲を見せた者が少なくない。中でも北方謙三は、日本的ハードボイルドのひとつのスタイルを作り上げた。1988年には原寮が登場し沢崎探偵シリーズ第2作の『私が殺した少女』(1989年)で直木賞を受賞する。
1990年代には東直己、藤原伊勢、加納諒一、真保祐一、石田衣良ら優れたハードボイルドの書き手が登場した。また、桐野夏生の『顔に降りかかる雪』(1993年)や柴田よしきの『RIKO 女神の永遠』(1995年)誉田哲也の『ストロべリーナイト』(2008年)松田圭祐の『探偵の探偵』(2014年)など女性を主役にしたハードボイルド・タッチの作品も現れている。
他方、時代小説では股旅物を中心にハードボイルド的な要素を持った小説は存在していたが、こちらでも1960年代から本格的なハードボイルドに根ざした物語が現れ始める。ただ、時代小説におけるハードボイルドは『大菩薩峠』の主人公、机龍之介に始まるニヒリズムの系譜の影響が根強い。また、舞台背景が封建社会という制約もあり、地縁や血縁、義理人情、仇討ちなどの「日本的」ともいえる独自色が色濃く絡み合い、その枠の中での葛藤や闘いが描かれるパターンが多い事が、現代小説との比較では大きな相違点として挙げられる。その中でも大ブームを起こした作品としては、笹沢佐保の『木枯紋次郎』、池波正太郎の『仕掛け人・藤枝梅安』の両シリーズが、テレビドラマ化されてさらに大ブームになった。
監督 | エウへニオ・マルティン |
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原作 | マービン・H・アルバート |
脚本 | ホセ・G・マエッソ、オウへニオ・マルティン |
撮影 | エンツィオ・バルローニ |
音楽 | ステルビオ・チビリアーニ |
キャスト
Luke Chilson | リチャード・ワイラー |
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Gose Gomez | トマス・ミリアン |
Eden | エラ・カリン |
今日の昼です。蕎麦処「笹陣」でミニ野菜天丼付き蕎麦を食べました。美味しかった。
名作アニメです。まあ、騙されたと思って観て下さい。「カウボーイ・ビバップ/リアル・フォーク・ブルース短縮編集版」
Cowboy Bebop - Finale
ヴァイオレットエヴァーガーデン 少佐 愛してる
リアル・バイオレットちゃん。青木志貴ちゃん。【㊗︎チャンネル登録10000人突破!】仕事、YouTube、
此の間、年配の訪問看護婦さんが来た。眼鏡を作ったと言ったら、如何にも贅沢なと言った面持ちで聞いていたので、又かと思った。そうしたら、「今のメガネはどうしたのですか」と言うので、「此の儘ですよ、このメガネの他に、丸いフレームのサングラス・メガネを作ったのですが・・・」と言ったら、「ジョン・レノンが掛けていた様な?」と言うので「そうですが、、」と言って、「生活保護では眼鏡を作るのに費用は出ますか?」と聞いたら「生活保護では今、掛けているメガネのレンズの度が合わなくなったり、眼鏡自体が壊れなければ、作る事は認められていません!!。」と言う。厳しいなと思って聞いていたが、私はまだ、生活保護を受給していません。この間同じくヘルパーさんが「kiyasumeさん、服買ったんですか?」と言うので「コートを買いましたが、どうかしましたか?」と言ったら「だって、はーもにかを沢山買い込んだとか。言っていて〜!!、」まあねぇ・・・、だからBluesharpは12本でワンセットだと言っているのに意味が解っていない。(笑)
Bluesharpは壊れてしまったので仕方なくです。それも1年も前にです。確かにワンセットで2万幾らかはしましたが。Bluesharpは1本、1本が各自独立した音階に成っています。ですから12音階、12本を持っていないと色んな曲に対応が出来ません。ただ、本数を一杯買ったのとは意味合いが違います。そして「コートってどれ?」と言うので「床に積み重ねて置いてある緑色の物ですよ。」と言ったら高そうに見ているので、「私はブランド物は買っていませんよ。それは日本製だけど5千幾らですよ。」と言ったら「トレンチコートだと着たら寒いんじゃない。」と言うので「ポリエステルが殆どだから寒くはありませんよ。」と言い「そこにあるデニム・コートは中国製で安かったですよ、6千円だったから」と言うと
「中国製〜〜着たら寒いんじゃない。」と言うので「今は中国製の服でも品物はしっかりしていますよ。」と言った。そうしたら要約、「ユニクロだって今はベトナムで生産している。」とか・・・「なんか最近タイ人だとか来ている。」と言うので「アジアの人は最近、観光で日本に結構来ていますね。」と和んだ話になった。まあ、最近はコロナの影響で外国人観光客も来なかったが、昨日か日本政府が外国人観光客を受け入れる事を発表したら、何と韓国では日本に行きたい観光客で予約が一杯になっていると言います。しかし人が買い物をすると贅沢だと捉えている。私は持ち金の中から、考えて買っているので、心配してくれているのなら、もう少し冷静に成って貰いたいです。(笑)まあ、生活保護受給者の処を廻っているので、比較してしまうのでしょうけど。何だかんだ、生活保護って大変すぎて厳しいです。あと3ヶ月後には申請だ。さきが思いやられる.....。
日本人は白人コンプレックスが強い。今だに欧州、アメリカを手本として居て、戦争の事もあってアジアは余り見て来なかった。しかしアジア諸国から日本は慕われている。アジアの中で欧米と互角に張り合える国として尊敬されている。なので日本も最近はアジア諸国の面倒を良く見ている。インドなどは日本が大好きな様だ。中国の事を言えば、確かに当時、中国は遅れていて、今日の中国を誰が想像したであろうか。中国も共産主義だけだったら。こんなに発展はしなかったろう。改革開放路線が良い傾向に向いたと思う。国が大きく人口も多いのでいずれまあ、日本を抜くだろうと政治家たちは予測して居た見たいだが。順位は日本を抜いたけど、果たして日本を超えられたかと言うと疑問が残る。今はアメリカと仲が悪く、カナダとも仲違いを始めたが。世界第2位の経済大国なのは確かな事だ。まあ、ある意味日本よりデジタル文化が普及している国です。お札も近じか廃止してデジタル決済にする様です。私は団塊の世代みたいに共産主義にシンパシーは無いですけど...。
日本人は白人に成りたくて高度経済成長を成し遂げた。昔の日本人は海外で、チビで出っ歯でカメラを首からぶら下げて下駄を履いているイメージが白人の中にはあった。それが日本人のコンプレックスに成っていたのだ。しかし、今では日本人はクールだと白人から良く言われる。まあ、日本のアニメもその一翼を担っているのだと思う、宮崎駿、押井守、出崎統、庵野秀明、渡辺信一郎などが、白人たちに尊敬されている。この間、テレビを見ていたら白人の観光客がサッカー漫画で海外で国民的人気がある、漫画、アニメの「「キャプテン翼」のタオルとかマグカップを売っている店を紹介してくれ、教えて下さい」と銀座のインフォメーション受付センターでしきりに熱心に聞いていた。本当に熱心に白人たちが日本のアニメや文化を称えるのはある意味凄い事だ。最近では日本の「生きがい」と言った思想がフランスやらイタリア、アメリカやらブラジルなどで日本語の「生きがい」と言う言葉と共に広がって居る。「かわいい」は世界中で定着した。
話は変わるが、音楽と言うものを考えるに、大体が楽器をやっていない人は、音楽というものが本当に解っていないと思う。病院に入院中に高校生の男の子と相部屋に成ったが、その子は最近のRockが好きで話しが合うので、良く話し込んだんだけど、ただ音楽を聴いているだけなので、私がBluesharpを吹いていると知ったら、ある最近の日本のバンドのハーモニカを吹いているCDを聴かせて(その高校生はCDウォークマンを持って入院していた)。こんな風に吹けるのか?と聞いてきた。まあ、聴いた処、ただ、ファースト・ポジションで3音立て続けに吹いてるだけだったので閉口したが、、ただ、音楽を聴いているだけの人は、何でも高度に捉えがちだ。一度、楽器をやって見ると良く解ると思う。音楽家が他人の音楽家を褒めるのは筋が通っているが、ただ音楽を聴いているだけの人はそこの処が解らない、曖昧に見える。安易に美化するし、何でも高度だと思っている。
そして、高度な音楽、洗礼されて居る音楽を好む。シンプルな黒人のBluesより洗礼された白人のBluesRockの方を好む。しかし、エリック・クラプトンが何故スーパースターになれたのか、それは、黒人のBluesを自分の血肉に成る程聞き込んで学んで吸収した結果だ。私は高校の頃から、大学時代、Bluesharpの他にBluesバンドやJazzバンドでリードギターを弾いていた。1970年代から1980年代の初頭に掛けてだ。ミュージュック・ライフで高校時代、エリック・クラプトンやジミー・ペイジ。その他 ,Rockのギタリスト達が、黒人のBluesから影響を受けて居る事を知り、ギターでは黒人のBlues、BBキング。フレディー・キング。アルバート・キング。オーティシュ・ラッシュ。アルバート・コリンズ。ゲイト・マウス・ブラウン。etc。Jazzでは、ケニー・バレル。バーニー・ケッセル。タル・ファーロウ。グラント・グリーン。etcを必死になってコピーして学んだ。Bluesharpでも黒人のBluesharpstたち。サニー・ボーイ・ウイリアムソン。リトル・ウォルター。シュガー・ブルー。ビリー・ボーイ・アーノルド。ビリー・ブランチ。etc。黒人のブルースマンから多くを学んだ。 勿論、日本人のBluesharp奏者からも学んだが、まずは黒人の本物のBluesを参考にした。私の師匠のウィーピング・ハープ・セノウこと妹尾隆一郎さんも黒人から学んだ。
まあ、ブラック・ミュージックだけでは無く、Rockの方からも、British・BluesRock、とかAmerican・Rock。European・Rock。Hard Rock。例えば、ジョン・メイオール。フリード・ウッド・マック。チキン・シャック。クライマックス・シカゴ・ブルースバンド。レッド・ツェッペリン。マウンテン。ディープ・パープル。ZZトップ。フリー。タンジュリン・ドリーム。イー・プーetc.まあ、挙げて行くとキリが無い。日本人の演奏するRock、Bluesからも学んだ。いちいち名前を挙げていると大変なのでこの位にします。後、民族音楽。クラシックなどからも学んだ。まあ、言いたい事は色々あるけど。ただ音楽だけを聴いて居るのでは無く。何でも良いから楽器を始められたら音楽の世界も今まで以上に良く解ると思うのです。でも感覚的に音楽を好きに成る事は大切です。
私は音楽家やら好きなミュージシャンを崇拝する事がいけないとは思っていない。応援をするのは当たり前だ。熱烈に好きに成るのも良い事だと思っている。ただ、音楽の良さが広く解るという意味で何か楽器を演奏する事を薦めるのです。私が高校時代に軽音楽部の部室で、皆んなで、Bluesを演奏して、私はBluesharpを吹いて盛り上がっていた処に、ある学生が来て、「なんだか皆んな変だ。Rockなんて演奏して、皆んな麻薬をやっているんだ!!」とRockだかBluesだかの区別もつかない奴が叫んでいて。閉口した事があります。エレキギターのリードギターを弾いていた友達が50分近いギグを終えて教室に戻ったら、「お前は麻薬をやっているんだろう。」と言われたと言って「あのバカ〜〜!!」と言って冷笑していました。馬鹿はどうしようもない。。。
まあ、今と成っては若い頃の思い出ですが。。。最近はRockバンドをやっていると聞いても、偏見を持つ者は殆んど居ないのではないでしょうか。むしろ凄いと声援され、頑張れと励まわされるでしょう。時代は変わりました。そんな事で以下、またもや、懐かしのRockです。今回は1960年代後半から1970年代前半のバンドを挙げて置きます。聴いて見て下さいね。よろしく。。。
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Lynyrd Skynyrd - Simple Man - Live At The Florida Theatre / 2015 (Official Video)
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"Bohemian Rhapsody" Steve Vai & Malmsteen & Zakk Wylde & Nuno@Atlantic City 11/30/18