musings ➼ Le Samouraï (1967)
私が応援して居る。声優で舞台俳優で歌手の青木志貴ちゃんです。。。。
『Violet Evergarden OP Full - Sincerely 』Legendado PT BR
La Prima Notte Di Quiete (1972) - Je t'aime
皆さん、学生時代のノートって持って居ますか?。私の母親は私が書いて居たインドネシア語のノートも教科書に使って居た本も拓大のインドネシア語の教授が書いたインドネシア語の辞典も全て捨てて仕舞ったけど。私は哲学の講義のノートとか金融論のノートとかをいまだに一部だけど纏めたものを所有して降ります。そのノートの内容に今の知識を足し込んだ文を書いてパソコンに纏めて居ますよ。勿論、今からほぼ40数年前に書かれたものですが、、でもほんの数冊ですけどね、インプットは紙でアウトプットはこうしたデジタル媒体でしょうかね?高校の時に書いた漫画もいまだに数枚は所有して居ますしね。訪問看護師の女の子たちが見せてくれと言うけど。前に一人の子に見せたら用紙の両端を握りしめてワナワナ震え出して「一体!!これ!!誰の真似よ!!」と怒声で絶叫仕出したからもう、2度と人には見せて居ません。その子に見せた漫画の原稿はその子が強く握るものだから半分ぐしゃぐしゃになって仕舞ったしね。人って自分が出来ない事を人が出来ると僻み嫉み妬みの心が精神を支配する見たいですね。もし自分もその人の様に成りたく思えば、自分だってやって見ればいいのですよね。例えば漫画を描いて居るgoo・blogの会員さんなど沢山居られますよね。皆さん個性的でお上手ですよ。でも殆んどの人が、「この人の書いた絵とかイラストはいいですね」とは言わないのですよね?何故なんだろうか、矢張り僻み妬み嫉みに陥って仕舞うのでしょうかね。
私はまず自分の思想があって理論で考えながら行動するタイプです。漫画を描いて居た頃は1975年ぐらい。ちょうど高校2年生の頃でしょうかね。此間、YouTube見て居たら。ミニマリストの成り方の番組で。過去に集めて居たものを全て捨てよ。考え方も捨てよ。記念に取って置いて居る物も全て捨てて、全ては新しくリセットしてから出直せばいいとか言って居ましたが。それ言ってるのは大馬鹿者ですね。だってね、新しい事は過去の事例。経験の積み増さねから出て来る物なのですよね。過去にこう言う経験があったから、こうは成らなかったとか。過去にこう言う事を学んで居るから今の自分の思考があるのだとかね、、まあ、人それぞれに、何か思う事があるはずなんですよ。それをその番組では全て捨てて真っ新になって1から始めようと言って居た。それではその先、歳を取って行っても歳を重ねて行け無いでしょう?「ローマは一日にして成らず。」と言う諺は、皆さんよく知って居る事だと思います。今村昌平監督の映画で「楢山節考」と言う映画が昔ありました。要するに姥捨山の話です。昔は老人に成ると子供の間引き見たいに。食い扶持を減らすために姥捨山に老婆やら老人が捨てられて行きました。何故なら、若いものの方が有利で新しい事を知って居て、老人などは何もボケて居て知りはしないと考えられて居たからです。ですが現実は違った。ある災害が起きた時に老人の知恵が、ある若い夫婦たち、村人たちを救ったそうです。
その事で老人には新しい知識は無いかも知れないが。知恵があると見做されて、それ以後、姥捨山に老人を捨てに、行く事は無くなったそうです。自国の伝統に根差す事なくして、どうして真に大地に足のついた思想が展開出来ると言うのか?よく言われる事ですが。日本では自国の過去の思想を思想史として定着する事が出来なかった。今日、これほど日本論とか日本学とか盛んになっても思想の全体像は朧げだ。最もそれは日本思想史全体に内在する問題とも言われるのだろう。古いかも知れないが私は何時もこの問題を考える時に丸山真男の言葉を思い出す。。少し前の思想がすぐに古いと捨て去られる事が問題だとは思うけど。。私たちの思考や思想を思うに。「私たちの思考や思想の様式を色々な要素に分解し、、それぞれの系譜を遡るのならば、仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なものーーー要するに私たちの歴史にその足跡を印したあらゆるものの断片に行き当たるであろう。問題はそれらが、皆雑然と同居し相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向に判然として居ない処にある」それを整理し、それからの展開を求める方が非日常的なのかも知れない。だがその作業が日本的であろうが非日本的であろうが、実はどうしても不可欠なものだ。。再び、丸山の言葉を借りれば「むしろ過去は自覚的に対象化されて現在の中に止揚されないからこそ、それは背後から。思想が現在の中に滑り込むのである。思想が伝統として蓄積されないと言う事と伝統思想のズルズルベッタリの無関連な潜入とは実は同じ事の両面に過ぎない。」思考の内在化とはそうした事だろうと思います。
GACKT君が言う様に、自分がある人の様に成りたい。「あの人は自分の出来ない事を知って居る。やって居る!!」ならば、それを見て悔しがって敵意を、向き出しにする暇があったら。冷静になって自分もやって見ればいいだけです。私は小学校から中学生の頃、絵が好きだったし同じぐらい音楽も好きだった。だからブルースマンに成りたくて(ブルースが好きだったから)エレキギターとブルースハープを吹ける様に練習をした。ギターは40年前に辞めたが。ブルースハープは、一応26年間のブランクの後、また始めて今です。いまだに、ちっとも上手くは吹けないけれども、もうプロになる訳では無いのだし。老人の趣味として吹いて居るのだから。向上は目指すが今や余り焦っては居ませんよ。前に、此処に引っ越して来る前に住んで居たマンションの部屋でブルースハープを吹いて居たら、ある日、下の階から、「ブォ〜〜」っとハーモニカを吹く音が聞こえて来た事がありました。多分、私のハーモニカ聴いて?吹こうと思ってブルースハープを購入して来たのでしょう。私は嬉しかった。だから部屋を越す時に部屋にお別れを言った時に「今まで6年間住まわせてくれて有難う御座いました」と言ったついでに下を向いて「ハーモニカ頑張れよ!!」と言って越して来ましたよ。そう言う向上心がある若者は何時か大成しますよ。私も勝手は若かったのだしね。今の時代は若いも年寄りもない時代です。ジャズメンたちなんかの平均年齢は皆60代ですよ。老いも若きも皆んな頑張れ!!そう思います。。。。下は高校2年の時に描いた漫画です。(色々な漫画家からの影響はありますよ( ◠‿◠ ))下手ですが。これも自分の中でのいい思い出ですね。。。
今日の昼食「銀のさら」の寿司です。。。
『情報収集のコツ』
どれだけ発想を広げられるかは、(1)頭の中の情報量(アイデアの素材)、(2)情報が潜在的アイデアに加工されて居る割合(加工率)、(3)潜在的アイデアを引き出せて居る割合(発想率)――この3つで決まる。
多くの人にとって最も有効なのは、発想率を高め、発想のモレを防ぐ事だが、情報量や加工率の改善も、発想を広げる上では欠かせない。そもそも引き出すべきアイデアやその素材が少なければ、顕在化できるアイデアも当然限られて来るからだ。そこで今回は頭の中の「情報量(アイデアの素材)」を増やす方法について考えて見ましょう。
知識は「総量」よりも「多様性」が肝心
頭の中の情報量と言うのは、創造的なアイデアの素材となるすべてのものである。知識量と言ってもいいかも知れない。
幾ら知識があっても、それを引き出す力(発想率)がなければ意味がない。そこで「学ぶ」と「考える」を峻別して、これからは思考力のある人材に有利な時代がやって来ると思う。
そうは言っても、発想を広げる上で知識が多いに越した事は無いし、情報=アイデアの素材をインプットする上でも、工夫出来る事は2つある。
(1)頭の中の情報は量を増やすよりも、幅を広げる
(2)頭の中の情報を知識で終わらせず、知恵へと深める
今回論じるのは(1)についてだ。頭の中の情報の「絶対量」を増やすよりも「幅」を広げる、と言う話は少々解りづらいかも知れない(幅を広げれば当然、絶対量も増えるから)。此処で言いたいのは、絶対量を増やすにしても、「偏り」を無くした方がいい(=多様性を増やした方がいい)と言う事である。
なぜ夏目漱石は「ウィンドウショッピング」を重んじたのか?
勝手、文豪・夏目漱石のもとに地方出身の学生が訪ねてきた時の事。学生が「私は小説家になりたいのです」と語ると、漱石はこんな質問をぶつけたと言う。
「君はウィンドウショッピングが好きかね?」
若者は大変真面目な学生だったので、次のように答えて、文学への情熱をアピールした。
「ウィンドウショッピングなんかして居る時間があったら、私は書斎で本を読んで居ます」
しかし、それを聞いた漱石は、「君は小説家に向かないからやめておきなさい」と諭したそうだ。このエピソードはさまざまに解釈出来ると思うが、漱石が此処で「ウィンドウショッピング」と語って居るのが、知識の「幅」を広げると言う事に通じていると思われる。
頭の中の情報量を増やそうと言うとき、あなたはどんな事をするだろうか?
書店に行って本を買う人、インターネットを検索する人、セミナーなどに参加する人、いろいろ居るだろう。
しかし、此処にも「バカの壁(無意識の思い込み)」が入り込んで居るはずだ。つまり、あなたがその本を手に取った事にも、その人に話を聞きに行った事にも、必ず何らかの前提がある。そうでなければ、「この情報が自分に役立つはずだ。学んで見よう」と言う判断が出来ないからである。
勉強する事が悪いと言いたい訳ではない。しかし、どれだけ自分で知見を広げて居るつもりでも、結局の処、それらの情報収集は、自分の経験・知識・常識の枠組みの中で行われるものでしかない。つまり、情報の総量は増えて居ても、本当の意味で幅が広がって居ないのである。
それに対して、ウィンドウショッピングと言うのは、ある意味、無目的の情報収集(正確には収集とは言えないが)だと考えられなくもない。もちろん、自分の足で歩いて居ると言う意味では能動的な部分があるが、ぼんやりとしながらフラフラと歩き回り、情報が向こうから勝手に飛び込んで来るのを待っている受動的な状態である。
これを情報流入と呼んで居る。
小説家の様な高い創造性が要求される仕事をする為には、アイデアの素材に多様性(幅)がなければならない。「ウィンドウショッピングが好きか?」と学生に尋ねた漱石は、情報流入の習慣を学生が身に付いて居るかどうかを確認して居たのではないだろうか。知識に多様性を持たせる為には、どうしても情報流入が必要である。だが、此方から情報を取りに行くのでは無く、完全に受動的な状況を作ると言うのは、意外に難しい。たとえば、マーケッターがこんな事を語って居るのを見たことはないだろうか?
「私は電車に乗って居るとき、表参道なんかで途中下車してあてもなく街歩きをする事があります。そうすると、イマドキの消費トレンドだとかマーケティングに関するヒントが沢山見つかるんですよ」
しかし、これを本当に情報流入と呼べるかというと、じつはかなり怪しい。彼がその駅で降りて街歩きをしようと思った背景には、やはり何らかの前提があるはずだからだ。つまり、その人があらかじめ知りたいと思って居た現実にしか触れられて居ない可能性が高いのである。本当に「受け身」な状態をつくろうと思えば、所ジョージさんの番組でやって居る「日本列島 ダーツの旅」の様に、行き先そのものをランダムに決める仕組みを導入する必要があると思いますよね。
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毋は私によく言った「お前はミーちゃんになるのかい!!」母の親戚にはミーちゃんと言う凄く絵が上手い人が居て。何でも画伯の大家の処に弟子に行かせたらしいのだが、毎日炊事と洗濯で3年明け暮れても何も教えてはくれなかったと帰って来て仕舞ったそうだ。
その人でも画家になれなかったのだからと言う事なのだろうけど、時代が違うのです。今は、と言うか1970年代後半でも。ちょうど高校の頃に自分の書いた絵がニューヨーク批評家賞入選になった事がある。自然をちょっとシュールに描いたのだが、それがどう言う経緯かは解らないが。当時アメリカで入選に成り100万ほどの賞金と英語で書かれた賞状が学校から手渡された。そして高校生の頃。或る美術の授業の写生の時間に私は石を一つ描いて見た。しかしそれが自分で言うのもなんだけども、よく書けて居たので私はそれだけで満足して仕舞い。それ以上は何も書かずに提出した。そうしたら美術の先生から職員室に来る様に言われた。「〇〇君ね、あくまでこれは授業としての一環なんだからさ、君が上手いのは私も芸術家の端くれとして解って居るのだから、だから絵を完成させて下さい」と言われた。しかし私はそれ以上何も書かなかった。するとやはり教職員会議に掛けられた。母が呼ばれて高校に行って来たので、何言われたと聞いたら「授業の分担を逸脱して居るのは良くはないのだけれども、この石、生きて居るんですよ。芸術的に見て悪く言い様が無い。だから優です」と言われたと行って居た。
それ以来、母はミーちゃんの事は言わなくなった。処で、私は映画を本格的に勉強する映画養成所に興味があった。1980年代、黒澤明が映画養成所を設立したのだ。その入学テストがシナリヲの提出だった。近所に文房具店があり、そこで原稿用紙を30枚ほど購入しようとしたら、そこの親父が、「おいおい、何書くの、辞めれば、どこに出すんだか知らないけど、どうせ書いたって入選しないよ。買うの辞めな!!」と言うのだ。その男は帝京大学出身の、しがない男で唯一の自慢が、プロのジャズのクラリネット奏者に習って居るのを誇りとして居た。もう20年も習って居るのにピーともアドリブも吹け無い手合いだ。人の事はすぐに貶した。「あそこの息子は高校しか言って居ないバカだ。」「あいつはロクでもない野郎だ」とか言って居た。何時か私が弟にアニメのチラシをコピーしに行って貰った処。「おい、なんだ高校生にもなって漫画とかアニメとか普通は小学生止まりだぞ!バカだな!」と皮肉を言われたと怒って帰って来た事があった。処が、それから程無くその男は癌に掛かった。抗癌剤と放射線治療で痩せ細って髪の毛は一本も無くなって行った。自分も無いのに他人をとやかく言う男の哀れな末路だった。
当時医大に通っていた弟が慰めの声かけをしてやったら、それ以来、弟の事を先生と呼ぶ様に成った。まさにデッド・エンドだった。私は原稿用紙にSFのシナリオを書いたが、やはり選考で落ちた。確かに現実は甘くは無い。最近になって引っ越しの片付けでそのシナリオの原稿が出て来たが....。去年、母の入院先の病院に7年ぶりに会いに行った。何を話しても何の応答もないので、少し不安になって帰って来たが。次の日になってケア・マネージャーから連絡があった。なんでも私は聞かされて居なかったが、母は手術をして居たらしい。(私は聞かされて居なかったので分からなかったのだが)なんと次の日、母は自力で2メーター程歩いたそうだ。姉がびっくりして、「一体弟は母に何を言ったのか?」と不思議がって居たそうだ。分かって居てくれたんだね母さん・・・・。最後に成ったが、認知症になる前に母がお前に渡したいお金があると言い出して、大金をくれた。どうやらボーナスを貯めてくれて居たらしい。その金のお陰で、今こうやって、働いても居ないのに7年間も暮らせて居たのです。しかしもう金は残り僅かだ。今年1年間しか持たない。気を引き締めないと。。。
Led Zeppelin - Stairway to heaven LIVE
There's a lady who's sure all that glitters is gold
And she's buying a stairway to heaven
When she gets there she knows, if the stores are all closed
With a word she can get what she came for
Ooh, ooh, and she's buying a stairway to heaven
There's a sign on the wall but she wants to be sure
'Cause you know sometimes words have two meanings
In a tree by the brook, there's a songbird who sings
Sometimes all of our thoughts are misgiven
Ooh, ooh, and she's buying a stairway to heaven
Ooh, it makes me wonder
Ooh, it makes me wonder
There's a feeling I get when I look to the west
And my spirit is crying for leaving
In my thoughts I have seen rings of smoke through the trees
And the voices of those who stand looking
Ooh, it makes me wonder
Ooh, really makes me wonder
And it's whispered that soon if we all call the tune
Then the piper will lead us to reason
And a new day will dawn for those who stand long
And the forest will echo with laughter
***
If there's a bustle in your hedgerow, don't be alarmed now,
It's just a spring clean for the May Queen
Yes, there are two paths you can go by, but in the long run
There's still time to change the road you're on
Ooh, it makes me wonder
Ooh, Ooh, it makes me wonder
Your head is humming and it won't go, in case you don't know
The piper's calling you to join him
Dear lady, can't you hear the wind blow, and did you know
Your stairway lies on the whispering wind
***
And as we wind on down the road
Our shadows taller than our soul
There walks a lady we all know
Who shines white light and wants to show
How everything still turns to gold
And if you listen very hard
The tune will come to you at last
When all is one and one is all
To be a rock and not to roll.
And she's buying the stairway to heaven
光るものはすべて黄金だと信じている女がいる
彼女は天国への階段を買おうとして居る
彼女は知っている たとえ店が皆閉まっていてもあそこに行けば
一言かければ お目当てのものが手に入ることを
おお おお 彼女は天国へ行く階段を買う
壁に掲示がある 「よく確かめなくちゃいけないわ」
時に言葉には裏に隠された意味があるものだから
小川の脇の1本の木にさえずる鳥が1羽居る
時に私たちの考えることすべてが疑わしい事もある
ああ どうしたことか
ああ どうしたことか
西を向くと私にはある感情が生まれ
私の魂は抜け出たがって声をあげる
頭に浮かぶのは木々の間から出る煙の輪
そして立って見ている者たちの声
ああ どしたことか
ああ どうしたことなのだろう
こんな囁きがする もしあの曲を吹くように頼めば
笛吹きは私たちが道筋を立てて考えるように仕向けてくれる
そして長く立ちんぼうして居た者たちに新しい朝が明ける
そして森に笑い声が木霊する
もし君の家の生垣がガサガサ音がしても驚いてはいけない
それは五月祭の女王を迎えるための春の大掃除なのだから
そう,君が行く道は二つあるけど結局
今君がいる道を変える時はまだあるということ
ぶんぶん耳鳴りがしている とてもしつこく思うだろう
もし
笛吹きがいっしょに来ないかと誘っている声だとわからなければ
ねえ君、風が吹くのは聞こえないかい? わからなかった?
君の階段はさらさら吹く風に乗っかって横たわって居る事が
道をくねくね進むにつれて
私たちの影は魂より高くなる
ほら向こうに皆んなが知っている女が歩いて居る
彼女は白い光を輝かせ教えたくしょうがないのだ
どうやってすべてのものが黄金になるのかを
もしよく耳を澄ませば
最後にはあの調べが聞こえるだろう
皆がひとつになり ひとつが皆になり
岩になるときに 転がりはしない岩になるときに
そして彼女は天国への階段を買う
すっかり元気になって走り回っているかな。
美味しいものを沢山食べて
素敵な音楽と共に…
また、来世で逢おうね。
必ずね、きっとね。
=哲学者「東浩紀」=
東京三鷹市出身。学部時代の専攻は科学史、科学哲学であり、大学院時代の専攻は、哲学(現代思想、フランス現代思想)、表層文化論である。本人は「現代思想好きのオタク」を自認する。思想系の研究者としての道を歩む中で、情報社会論も専門として居るが、決して社会学者ではない。大学教員としては、東京大学大学院情報学環客員助教授、国際大学グルーバル・コミュニケーション・センター副所長・教授、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授。早稲田大学文学学術院教授などを歴任している。しかし、2013年3月に早稲田大学教授を退職して、同年4月以降は大学への所属はない。
小説家でもあり、サイエンス・フィクション作家である。日本推理作家協会賞会員。
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』は、2017年2月から11月にかけて東浩紀を聞き手として行われた石田英敬氏の連続講義(全3回)に、全面的な加筆・修正を行い書籍化したものです。あわせて石田氏による書き下ろしの補論「ハイパーコントロール社会について」(原稿用紙140枚)を収録しました。
講義は記号論という19世紀以来の学問を、現代の情報社会の条件に照らし、最新の脳科学の研究を踏まえてアップデートする事を目的として居ます。提示される例は動物たちの動きをダイナミックに捉えたクロマニョン人の壁画に始まり、リュミエール兄弟による世界初の映画、画面に触れて操作できるiPadやスマホまでじつに多彩です。スピノザ、フッサール、フロイト、パース、デリダなど、数々の哲学者の理論を踏まえたうえで、従来の記号学を超えた射程を持つ「新記号論」が語られる様子はまさに圧巻。専門用語や固有名詞には詳細な注釈を加え、高度で先端的な議論を理解しやすいかたちにパッケージングしています。構成は、ベストセラー『哲学用語図鑑』の編集・監修を務めた斎藤哲也氏が担当しました。
講義は東京・五反田のイベントスペース「ゲンロンカフェ」で行われ、のべ200人近い聴衆を集めました(インターネット経由の有料視聴者を加えると1000人超)。全3回の講義の模様は、動画配信サービス「Vimeo」で現在も配信しています。書籍版ではカットされたやりとりもすべて収録。書籍の予習・復習にもご活用いただけます。
ゲンロンカフェ on Vimeo「石田英敬『新記号論』シリーズ」
https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou
【徹底討論】インターネット変革、でもバカはバカ?(堀江貴文・東浩紀・宮台 真司)
東浩紀の仕事は一貫して居る。彼は二十歳に下ろした批評「ソルジェニーツィン試論」から「存在論的、郵便的ージャック=デリダについて」を通過し、現在(とは言えもう過去の)の「思想地図ーアーキテクチャ」に至るまで、その一貫した仕事は、端的には人間、情報(より広範囲の)、構造(やや反復だが)に対しての興味に貫かれて居ると言えるのではないかと思う。その中で本書は彼の中心的出発点であると言える。(それは有る意味では、終点でもある。)
どう言う事か。彼は、当初、博士論文において「デリダとメディア」(「自由を考える」参照)との関連で様々な文献を調査して居た。その中で、博士論文として書き下ろしたのが本書であるが、本書を読めば如何にハイデッガーーデリダーフロイトにおいて東浩紀ー哲学者が見いだす存在論的脱構築、郵便的脱構築が我々の認識、欲望、構造に由来して居るかが分かるはずだ。
つまり、デリダの理論を通過し、無限の脱構築の世界に突入した彼は、極めて形而上学的な議論(デリダが形而上学的言説を脱構築しようとも我々の愚かな能力は再び形而上学する)の果てにポストモダンの社会を見事に描いて見せて居る。(かなり消極的にではあるが)改めて簡単に述べるなら、デリダの理論を有る意味では終点とし、開かれたポストモダンを新たな出発点(それも有る意味では終わりである)としたと言える。以上の事を受けての議論は「動物化するポストモダン」「東浩紀コレクション」「思想地図」等々のすべての著作において明確に具現化して居る。そう言った現代において、人文学が行き着いた先は自らの開かれた限界だった訳だ。(もしかすると、これはデリダが考えて居た脱構築の意味とは違うかも知れないが、)その現実を見つめつつ彼の行動を見ればすべてが理解出来るではないだろうか。(価値観は共有出来ないにしても、彼の議論は現実的だ。)
「動物化するポストモダン」
70年代までの「大きな物語」が有効だった時代に対し、80年代はイデオロギーや「大きな物語」が消失し、その空白を埋めようとして生じた「物語」消費の時代となった。しかしポストモダンが全面化した90年代に入るとそうした「物語性」ではなく、深層にある情報(データベース)とその情報の組み合わせである「小さな物語」を消費すると言うデータベース・モデルに移行したと言う事。
では、70年代までを支配した行動原理・世界観とはどの様なものだったのか。
東氏は「一方には、私たちの意識に映る表層的な世界があり、他方にその表層を規定して居る深層=大きな物語」があり、70年代までの近代的世界観では「その深層の構造を明らかにする」事が求められて居たのだと語る。
例えば自分たちの身近にあった裕福な家庭と貧しい家庭。こうしたものもかってであればマルクスによる階級闘争に歴史の1断片として取り扱う事も出来ただろうし、それを克服するものとしての「共産主義」が信仰されただろう。あらゆる「小さな物語」は背景にある「大きな物語」の表象であり、常に「大きな物語」とつながって居たのだ。
しかしこうした「大きな物語」に対する信頼は、ベトナム戦争や共産主義国家の現実、あるいは「連合赤軍」の終焉など、70年代を通じて失墜して行く事になる。
現実には「大きな物語」は凋落して仕舞ったものの、とは言え「大きな物語」を求める心性はそう簡単に無くなるものではない。例えば79年から放送され未だに根強いファンを有する「機動戦士ガンダム」。この「ガンダム」のファンたちは単に「ガンダム」のストーリーを追いかけて居るだけではない。その背景に広がる「世界観」こそを求めており、それこそが《架空の》大きな物語として消費されたのだ。
こうした状況を大塚英志は「消費されて居るのは、1つ1つの<ドラマ>や<モノ>ではなく、その背後に隠れて居たはずのシステムそのもの」だとし、このシステム=「(架空の)大きな物語」を消費する為に、1つ1つの「小さな物語」=「1話」やそれぞれの「商品」を購入する様子を「物語消費」と呼んだ。これが80年代のスタイルとなった。
しかしこのモデルはポストモダンの本当の姿ではない。連合赤軍が「理想の時代」の終焉を告げた様に「オウム事件」が「虚構の時代」の終焉を告げる事になる。
90年代に注目を集めたものとして「萌えキャラ」がある。こうした萌え系のキャラクターは、メイド服、ネコ耳、ネコしっぽ…。などの形式化した「萌え要素」の組み合わせで構成されており、オタクたちがそうした萌えキャラに「萌えた」のは、キャラクター(シュミラークル)への盲目的な没入や感情移入と同時に、その対象を「萌え要素」に分解しデータベースの中で相対化しようと試みたからだった。
「同人誌」やマッド・ムービーの制作など、本来の「ストーリー」とは別に、個々の要素を抽出・マッシュ・アップし、盗作やパロディやサンプリングとは違う原作と同じ価値をもつ「別バージョン」を生み出そうと言う欲望が背景にあったのだ。
此処にポストモダンの行動原理である「データベース消費」の構造が見られる。萌え要素の様なデータベース(大きな非物語)から必要な「情報」を読み込み、「小さな物語(シュミラークル)」を作り続ける。それは近代のツリー・モデルのように「小さい物語」の背後に「大きな物語」がある訳ではない、そこにあるのはあくまで意味を持たないデータベースであり、即時的な「小さな物語」が無限に生産・消費され続けるのだ。
こうした変化は「大きな物語」が失われた後に登場した「日本的スノビズム」から「動物の時代」へ移行したと言う事も出来る。コジェーヴによれは人間は「欲望」を持つが動物は「欲求」しか持たないと言う。「欲求」とは、空腹→食べる→満足と言う様に、ある対象の欠乏とそれを補う事で完結する単純な回路だ。これに対して「欲望」は満たされる事がない。
学校で1番の美人を彼女に出来たとしよう。それで満足するかと言うとそうではない。彼女に自分の事だけを思って欲しいとか、他人から羨ましく思って欲しい・自慢したいとか「他者の欲望を欲望する」という間主体的な感情を持って仕舞う。これを動物的な「欲求」と対比して「欲望」と言う。
勝手の様に深層に「大きな物語」が存在しない以上、ポストモダンに生きる人々が「生きる意味」を与えてくれるのは表層の「小さな物語」だけである。データベースは意味を与えてくれない以上、そこから紡ぎ出される「小さな物語」によるお手軽な「感動」を楽しみ、感情移入するしかない。こうして「ポストモダンの人間は『意味』への渇望を社交性を通しては満たす事が出来ず、むしろ動物的な欲求に還元する事で孤独を満たして居る。」「世界全体はただ即物的に、誰の生にも意味を与えず漂って」居るのだ。
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今、この著を読み返す意味は、1つにはインターネットを含めた現代の状況を確認する事だ。先日読んだ「東京から考える」では、経済のグローバリズム化や消費社会の進展にともない都市そのものも動物化した時代に即した「ジャスコ的郊外」が広がって行くとあった。
確かにそうだろう。インターネット上でのサービス・IT技術の進展はそうした状況をますます加速させるのだろ。人は便利なものに慣れ、手軽じゃないないものは避けるかも知れない。エンターテインメント分野では1つの「ヒット」をもとに要素の組み合わせで無数の類似作品が生み出されるかも知れない。
しかし同時に20年代に来た今、それだけでは物足りない動きも感じられはしないか。
コンビニでは店員とお客さんとの関係が「冷めた」ものから「声を掛け合うもの」・「手を包むようにお釣りを渡すもの」へと変わり。J・POPの世界では、「大塚愛」「オレンジレンジ」の様な即時的なバカ騒ぎ系から「コブクロ」「倖田來未」「絢香」のような「関係性」や「生」「つながり」を求めるものへ。あるいは東氏が「人文系が語るネット」で記したように、ニコ動の盛り上がりは人と人との繋がりを希求して居るのかも知れない。まあ、でも今はコロナのせいと矢張り技術革新で、また冷めた関係に戻りつつあるのでしょうか?
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さて、懐かし映画です。今回は「浪人街」です。
江戸下町のはずれ、一膳めし屋の“まる太”で二人の浪人が対立した。この街で用心棒をしている赤牛弥五右衛門と新顔の荒牧源内だった。店の払いをめぐって対立する二人の前に、源内とかつてただならぬ仲であった女お新にひそかに心を寄せている浪人母衣権兵衛が仲裁に入る。一方、長屋の井戸端には土居孫左衛門と言う浪人が妹おぶんと共に住んで居た。二人にとって帰参は夢だったが、それにはどうしても百両という大金が必要であった。そんな時、街では夜鷹が次々に斬られていく事件が起こる。赤牛は意を決して白塗りの夜鷹に扮し、夜鷹殺しの侍を斬るが、それにもかかわらず夜鷹斬りは続いた。翌朝、まる太の主太兵衛の斬殺体が発見された。赤牛、源内、母衣、孫左衛門、それにお新をはじめとする夜鷹たちが集まって太兵衛の遺骸を囲んでいる時、突然夜鷹斬りの旗本小幡ら七人が乗り込んで来た。一触即発の気配が漂う中、赤牛は小幡一党らと共に場を去るが、その日とうとう赤牛は戻ってこなかった。数日後、おぶんを囮に小幡一党をおびきよせようとしたお新は逆に小幡らに捕らえられて仕舞う。
そして、その一味の中には何と赤牛が居たのだった。その頃、孫左衛門の処に、おぶんから相談を受けて居た豪商伊勢屋の妾お葉が百両の情報を持って飛び込んで来た。伊勢屋が小幡の為に百両を立て替え、奉行への心付けにすると言うものだった。孫左衛門は手形を預かった同心の柏木を斬り倒し、首尾よく百両を手に入れるが、その夜、赤牛は酒盛りの席で小幡に「手形を盗んだのは源内に違いない」と告げ口をする。そこで、小幡は源内を誘い出す手として、おぶんを逃がして、お新を牛裂の刑に処する事にした。翌朝、おぶんから事情を聞いた源内は、十数本の剣を体中にくくり付け、お新のもとへ駆け出した。小幡一党120人を相手に、一人立ち向かう源内、だが危うい処でおぶんから聞いて孫左衛門と母衣が助っ人に参上した。小幡一党を相手に死闘を繰り広げる三浪人。それをそばで見ていた赤牛は、小幡を道連れに、自決するのだった。こうして長屋街に平和が戻り、源内はお新と共に旅立っていくのだった。
浪人街 RONINGAI(予告)
へっぴり腰の侍二人による果し合いのシーンから映画がスタート。
で、負けて死んだ方の刀を、原田芳雄演じる源内が自分の竹光(竹で作った模造刀)と取り替えるんだけど、この一連の流れで(特に言葉の説明もなく)、平和が続き侍は真剣をちゃんと使えないと言う状況や、源内のキャラクターの一部を説明してる。
そこから、何者かに夜鷹が斬り殺される事件が起こって居る事や、四人の浪人の職業?や立ち位置。性格なんかが徐々に分かるように筋立てされて居る。
この映画は原田芳雄が3枚目の武士を演じて居て、特に勝新とのやりとりには笑わせられる。
原田芳雄の「源内」と樋口可南子の「お新」の関係も見えて来る。
最初、お新が源内に一方的に惚れてる様に見えるけど、話が進むごとに源内もお新を求めてるとか。悪ぶって見せてお新の愛情を試してると言う風に見える
復讐に失敗し、旗本に殺されようとしているお新を助けにいく手前、源内と店の小僧佐吉のやり取りのシーン。その前のシーンで、源内はお新が死を覚悟で仇討ちに行った事を知って、(多分)自分も死のうとしてるんだけど、佐吉にお新を助けるように言われて「他人のために命はかけねえ」と突っぱねる。
「他人じゃないだろ」「他人だ」「他人じゃない」「他人だ。分かりもしねえで知ったふうな事を言うな」
そこで、佐吉は、だったら源内の命を買うと言う。
「俺は高けえぞ」
「十両」
「十五両」
「買った」「売った」
最後の殺陣は
旗本120人対浪人4人の斬り合い。。。。
原田芳雄はこのシーンでバーボンを飲んで芝居をして居る為か、体がやたらぶれるが、それがまたいい雰囲気を出して居る。この時代劇はまともに見てはいけないのです。
タイトルどおり浪人ものの映画であるが、黒木和雄監督の美意識があちらこちらで見られる素晴らしい作品でした。
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皆さん。ブルースについては殆ど盲目だ。特にブルースハープのアンプリファイドについては解って居ない人が殆どだ。だから、端的にアンプの上にマイクが6本もある。「フン!贅沢だ。何でマイクが6本もあるのだ」となる。私はこの6本のマイクは1本ずつ目的用途によって吹き分けて居るのです。手っ取り早く言えば、マイクが変われば音が変わる。マイクは普通のマイクと無線用の丸い形状のマイクを所有して居る。ブルースハープに使うマイクは声を拾うのではない。ブルースハープの音を歪ませる為に使うのだ。だからわざと音が歪む様なマイクを使うのです。シュアのマイクは昔からブルースハープには定評がある。だから私は著名なブルースハーピストたちが愛用したマイクと同じものを取り揃えて持って居る。バンドで吹く時には必需品だ。今はバンドでは吹いて居ないので、あまり出番はないが、アパートでもたまにアンプを通して小さな音で吹く事があるのです。そんな訳で赤の他人はなんでマイクの本数を多く持って居るのかは解らないのですよね、本当に一般の人は、ブルースハープの知識がまるで無いですね。話は変わるが掃除は自分でやりたいのだが、、ただ、ヘルパーでも話し相手にはなるので頼んで居るのですよね。それがなかったら私は自分で掃除をする。そして身体が不自由な人にはそんなヘルパーもちゃんと介護をするのだろう。私は精神疾患者だ。身体障害者と言っても。身体が不自由では無い。だから困るのです。なかなか、精神疾患とはどんなものかと言う事が周りの健常者には解らない。だから薬の副作用があると言うと。「じゃあ、薬を飲むのをやめればいい」と言う。だが飲まないとまた発病するのです。ヘルパーでも解ってくれないのですよね。。。
私は10数年前に、薬を飲んで居なかった。自分の判断で飲まなくたっていいと思って飲まなかったのだ。そうしたら発病した。要するに言いにくいが脳の疾患なのだ。これは、先天的に備わって仕舞ったものなのだろう。障害です。だから私は身体障害者なのですよ。薬を飲んで居れば障害は止まるのです。だから一見健常者と変わらない。だが、無理は一切出来ない。私の場合、薬で寝てしまうし。体が怠くて仕方がない。向精精神薬はキツいのです。掃除ぐらい自分でやれるのだが、そう言う事で、へルパーに頼んで居るのです。それにこれは病院からの指示でもある。私の主治医が必要だと判断して契約を結ばせ派遣されて居るものです。精神疾患者は嫌われる。それは中には飛んだキチガイ的な人も居るからだ。でも大概は皆んな大人しいのですよ。ただ、頭の病気と言う事で嫌われるのです。あいつはキチガイだとね。偏見ですね。酷い人になると。「精神病は移るのか?」と言う人まで居る。無知と理解の無さが精神病患者を孤立させるのです。だから皆さん。精神疾患者は厄介ではないのですよ。たまに症状が酷くて、何言ってるか解らない人やら、おかしな挙動をする人間が居るので。精神病患者は頭がおかしいとなるのですね。まあ、確かに重症患者はそう言った人も居ますが。大抵は、そんな事はないのですよ。ただ精神疾患があると言うことで兄弟は縁を切りますね。大抵。要するに頭がおかしくなった兄弟は。認めないと言う事だろうと思います。私の様に軽症の精神疾患者でも。兄弟は見捨てましたから。私は逆にそんな薄情な兄弟だとかは此方の方から願い下げですが。私は今持って差別と偏見の中に身を置いて居ますよ。だけども私は自分がそうだから、人の痛みが良く解る。障害者になって、人に優しくなりました。そして私はブルースと言う音楽の意味が解り掛けて来た。本当の意味で”BluesMan”になれたと言えそうです。私に取ってブルースとは人生です....。
kiyasumeのビパッブ・ブルースです。。。
kiyasumeの下手くそなブルースバラード。。。
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私が中学生だった頃、隣のアパートに鹿児島から日大に来ていた学生が居た。まあ、九州男児と言う事でバンカラな男だったが、面倒見がいいらしくて、友達の学生がよく来ていて、何時もワイワイ楽しそうに、アパートに数人来ては、食事をして居た。或る日、私が隣のその学生の部屋の前を(道沿いにその学生の部屋があり、1階だったからよく外から見えた)通ったら、食事を美味そうに皆んなで食べて居て、丁度、此方は腹が減って居たもので立ち止まって、「皆んな美味そうに食べているなぁ・・・」と思い見ていたら、その学生が私に気がついて「坊主!腹減ってるのか?」と部屋の中から声を掛けて来た。私は少しびっくりしていたら、部屋の中まで入って来いと言う。どうしようかと思っていたら。「いいから来なよ」と言われたのでアパートのその学生の部屋まで入って行くと、「来たか、まあ飯食っていけ!」とご飯を奢ってくれた。
それ以来、私はその学生のアパートにちょくちょく行く様に成った。その学生は今まで私が接してきた大学生とは違っていて、バンカラな男で私の興味を惹いた。極真空手が好きで、よく一升瓶を新聞紙で包みその上からバスタオルで包んで、手刀を下ろし割っていた。まあ、私は土曜の晩に来いと言われて居たので、よく遊びに行くと、そのうち勉強を教えてやると言う。私は何だかなぁと思いつつ、勉強を教えて貰って居た。そうしたら、うちに来て母に「〇〇君の家庭教師に成りました。」と言うではないか。私は驚いて話を聞いて居たら。うまく母に取り込んで、一ヶ月、毎週土曜日2時間ほど自分のアパートで勉強を教えると言うのだ。私は参ったなあ・・・うまく乗せられたと思っては居たが、勉強を教えると言う事で母も了承して仕舞った。月謝は月1万6千円ぐらいだ。私は困ってしまって居たが、母は勉強を教えて貰いなさいと言う。まあ、やられた、と思ったが仕方がない。毎週、その学生のアパートまで行く事となった。
その学生は、付き合ってみると少し偏屈で当時の流行のロックは大っ嫌いだった。勉強はいつも土曜日に行くと夜11時迄は私と話をしていて、それ以降夜の1時まで勉強を教えると言うやり方だった。何時も夜中の1時に勉強が終わると当時のラジオの深夜放送を二人して聴いた。処が、尽く私とは話が合わなかった。当時の深夜放送ではブリテッシュ・ロックがよく掛かり、当時の学生は皆んな喜んで聴いて居たのだが、その男はロックが掛かると「ああ、また、俺の嫌いな音楽だ」と呟くのだ。私はだんだんその男に対して興味が無くなって行った。するとある日、その日大の学生は私と同じ位の子供を連れて来て、一緒に素潜りをやろうと言うのだ。強制的にシュノーケルと水中マスクとフィン(足ひれ)を店に行って買わせて、川まで連れて行って強制的に、練習をそのもう一人の中学生とさせられた。私はだんだん不満が募り、やってられないとばかりにその学生のアパートには行かなくなった。そして、家庭教師を辞めて貰った。しかしその学生は、今度は家庭教師を辞めて貰ったし、私はその学生のアパートには行かないのに、私の部屋に突然現れては勉強をしろと言うのだ。私の家は下宿をやっていた手前、鍵が開けっ放しに成って居る。部屋は1階の玄関の前だ、ほぼ毎日来るのだやってられない。気が付いてみるとその男には友達が誰も居なく成っていた。そして高校受験のある日、その子分らしき中学生を連れて私の処にやって来て。私が2階に居たら、勝手に部屋に入り込み。「これが受験生の部屋か、なんだエレキギターなんて置いていて!!」と言って居るのだ。私は慌てて自分の部屋に降りて行って「なんですか、勝手に部屋に入らないで下さい!!」と言うと、「俺はロックなんざ大っ嫌いだ!!」と言う。
私がその子分にしていた中学生に「あの人は少しおかしいよ、君もいい加減に離れなよ」と言うと、その中学生も「解っています」と言って居て私に深々とお辞儀をすると帰って行った。それから暫く経ってその男は自殺未遂を起こし、私の処には来なく成った。私は高校へは別段苦労もなくすんなりと受かった。中学の頃は不良に舐められない為に相手には悪かったが、学級委員をぶん殴った。案の定不良たちから「おめえは根性あるからカツアゲはしねえよ」と言われたが。高校は都立でもなく私立なのだが制服がなかったので、私は敬愛する原田芳雄と松田優作の真似をしてジーンズのジャケットとジーパンで高校に通って居た。するとある日、姉がその学生が陸橋の上でミニスカートを履いた女の子が転んだら駆け寄って行って「大丈夫?」と言いながらお尻を叩いて、多分、埃を払ったつもりだったのだろうがやりすぎだ。そうしたらその子が「何するんですか!!」と怒って去って言ったのを見たと言い。「あの人何?」と言うのだ。そして或日、突然家に乳飲み子を連れてやって来て。「この子もどうせ不幸になるんだ!!」と見せて来るので。姉と私は「可愛いですね。」と言うと「名前は佳菜子と言うんだ、辞書で調べて見な」と言うのだ。結局その学生は大学を中退してから自動車の整備学校へ行き。整備士の資格を取ったのだと言う。なんで大学まで行ったのか解らない、本末転倒だと思った。その日大の学生はバンカラで何時も下駄を履いて居て、しかも一枚刃の下駄を履いて居たのを自慢にしていたのが印象に残って居る。
我が良き友よ - かまやつひろし
Charlie Kosei Lupin III
高校の頃だ、学園紛争が終わってもう数年経って居るのにクラスの奴で、マルクス・レーニン主義にかぶれている男が居た。そいつは共産党員で、私に「〇〇、共産党の世の中に成ったら、お前たちがやっているバンドのミュージシャンたちは国家お抱えになり、平等に金を貰えるんだよ」と言うのだ。そいつは民青に入って居て共産党の党員の下部組織員見たいだった。音楽をやって居る学生全員に、民青に来いと言っては印刷所の2階の民青の下部組織員が集まる小屋と言うか部屋に連れて行っては共産党員になれと誘って居た。彼らは気前が良い。そこに行くと料理やらが出てくるのだ。ビールも出た。或日親友の〇〇が「お前に良い思いをさせてやるよ。」と言い、その小屋に私を連れて行った。そいつは部屋のドアを開けると「たっぷり楽しんで来い」と行って私を部屋の中にど突いで入れた。小さな部屋の中には天丼やら刺身、ビールが置いてあり。そして!!部屋の中は女だらけだった、8人は居たか。「あっ。君が有名なブルースギタリストの〇〇君なのね!わたし〇〇順子。〇〇由希子よ、宜しくね!」とミニスカートを履いた17歳の女の子たちが周りを囲み出した。私は「なんだ〜〜此処はキャバクラか?」と思いながら座って居るとビールを注ぎ出したので私は反射的に「俺はビール飲めないし!君達は何なんだ?」と叫んで居た。こんなキャバクラみたいな手で喜ばして共産党員に誰が成るか!!と思ったら、
私は「今日は急用があるから、君たちには悪いけど、これで帰るよ」と言って天丼だけ食べて帰って来た。翌日学校に行ったら、親友が「〇〇、昨日は良かっただろう?」と聞くので「お前はなぁ〜〜俺は色仕掛けで来られても共産党員にはならないぞ!」と言ったらあの野郎は笑っていた。。。そして「まあ、ボヤクなよ。あの子らもお前のライブ観に来てくれてんだぞ・・・」と言うのだ。そして「お前さあ〜ハーモニカ持っていれば良かったのにさ」とか言いやがる。私はちょっと日本の将来が心配に成って居た。学生運動は数年前の新宿騒乱で終わって居るのだ。まあ思想は民主主義だからある程度は許されて居るが、果たして共産主義になったら思想の自由が許されるのだろうか?答えはノーだ。中国を見れば分かる。共産党一党支配ではないか。19世紀ドイツの哲学者マルクスは、人間の活動を上部構造と下部構造に2分類した。上部構造とは、政治・思想・言論・意識・道徳性・倫理・宗教・芸術などを指し。下部構造とは生産手段・生産活動など経済に関わる活動を指す。従来の哲学は上部活動は下部活動から自立したものと捉えて居た。これに対してマルクスは歴史や社会を動かすのは下部構造であって上部構造ではないと考えて居た。下部構造によって形成される人や社会の主義主張を、マルクスはイデオロギー(虚偽意識)と呼ぶ。一般にイデオロギーとは、人間の行動を決定づける考え方を示すが、マルクスの定義は一般的なニュアンスと異なる点に要注意だ。下部構造による社会体制は、原始共産制から始まり、封建君主制、資本主義と発展して来た。これが階級闘争による社会主義を得てやがて共産主義にいたると言うのがマルクスの考え方だった。マルクスのこの考え方を一般に唯物史観や史的唯物論と呼んだ。私も映画で「労働者階級は天国に昇る」とか観たし、ヨイトマケの歌やら山谷ブルースは大好きだけども。この映画やら歌の希望は現在には無い。
ヨイトマケの唄 〜紅白歌合戦より〜
山谷ブルース / 唄:青江三奈 (オリジナル:岡林信康)
スウェーデンみたいな福祉国家に日本が成ってくれたならばとは思います。学生は勉強をしても学費はタダ。研修期間でも国から給料が支給される。夢ですね。そして高校を卒業して、大学に行く様に成って、ブルース喫茶も閉店しそうな頃。その共産主義者の〇〇から電話が掛かって来て、会いたいと言うので、仕方がないなと思って高円寺の駅で待って居るとやって来て、あい変わらず大学に行っても、マルクス・レーニン主義の信望者で周りの学生からは誰にも相手にされずに友達が居ないと言い。喫茶店まで行くのに、なんでこんなに歩くんだと愚痴を溢す。私は黙ってブルース喫茶に連れて行くと、マスターは客が来たと喜んで「ジェイムス・カー」とかのサザン・ソウルやら「ギタースリム」「ヒューバート・サムリン」とか駆け出した。そいつは音楽には耳を傾けずに。いかに自分の主義主張が正しいか、いかにマルクス・レーニン主義は偉大かと話し出したら止まらない。要するに精神を病んで居るのだ。私は頃合いを見計らって話を遮って、「処でお前は何が好きなんだ?」と聞いたら「何の話だ」と言うので「音楽だよ。」と言ったら「ビートルズ!!」と叫んだ。マスターと私は二人して苦笑いを浮かべて、「もうそろそろ大学の講義に遅れるよ帰りな」と言うと「俺はまだまだ話していない」と言うので「いいから大学に戻れよ!!」と言ったら要約帰って行った。マスターが「水割りでも飲む?」と言うので「そうだね」と言ったら。「今日はジプシー・ギタリストの「ジャンゴ・ラインハルト」のLPあるよ」と言うので。「聴く聴く!!」と言って掛けて貰って、二人っきりの店の中で暫く黙って聴いて居た。
Django Reinhardt - Minor Swing - HD *1080p
Chicchana Toki Kara
Maki Asakawa 浅川マキ 「ふしあわせという名の猫 (歌詞付) 」
Yo Ga Aketara (夜があけたら)