団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私も70歳の時、両目とも白内障手術をしました。

2025-02-07 01:12:08 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「白内障手術 視界良好に」というタイトルで、84歳の男性が投稿されていました。

 左、右の順に両目とも白内障の手術をした昨年12月以降、見え方が劇的に変わってきて喜ばしい限り。

 次第に遠くの方がぼやけて近視が進んだのかと思って、眼鏡店を訪ねたのは昨年8月。

 レンズの度数を強化しても0.8以上が見えなかった。

 店主から「目そのものを改善しないと良くなりませんね」と眼科医の診察を勧められた。

 訪ねた眼科で検査したら白内障と診断され、不安はあったものの、「よく見えるようになるのなら」と手術を受けることにしたのだ。

 術後の経過は順調で、車の運転はもちろん、新聞の活字もくっきり見えるようになった。

 何より午前と午後の計1時間半ほどの散歩ではさまざまな景色が飛び込んでくるので、楽しくて仕方ない。

 以上です。

 私も70歳の時、両目とも白内障手術をしました。

 白内障を患っていましたが、70歳になった時先生が急に「白内障手術をしましょう」と言われた時には、ちょっとびっくりしました。

 手術後、目薬を毎日5回ささなくてはいけないので、面倒だなと思いました。

 片目で1週間、もう一方の目で1週間、目薬をさしました。

 目薬をさすのは、かみさんに頼んだような気がします。

 頭が洗えないのは我慢しました。

 片目の手術が終わり、もう一方の目を手術する前に髪を洗いました。

 美容院で洗ってもらうなら、1週間待たなくてもいいですが。

 私は70歳になっていましたので、費用は2割で済みました。

 これが60代だと3割負担になるので70代でしてよかったと思いました。

 保険に入っていましたので、両目で20万円頂きました。

 焦点を30センチにしましたので、足の爪を切る時よく見えません。

 20万で老眼鏡を買ったので、爪を切る時は老眼鏡を使っています。

 通常の日はメガネはいりませんが、私は目が小さいので伊達メガネをはめています。

 ただしメガネに色を付けています、眩しさを回避するために。

 うちの妹は1昨年白内障手術をしました。

 メガネを使わなくても良くなったので、メガネをかけていません。

 若返ったと言われ、喜んでいます。

 3週間ほど前かみさんはメガネをかけてもよく見えないので、眼鏡屋さんに行きました。
 
 この投稿者と同じでめがね屋の店長さんから「目そのものを改善しないと良くなりません」と眼科医の診察を勧められたようです。

 眼科医に行くと、片目の方が少し白内障気味だと言われました。

 「手術するほどでなない、80歳ぐらいになったら手術したら」と、言われたようです。

 片目だけ手術しても、メガネは必要です。

 できれば両目を一度に手術したいということで、中断したメガネを新しく買うことにしました。

 80歳ぐらいになれば、両目とも白内障になる可能性が高いので、80歳ぐらいで手術するつもりのようです。

 まあもっと早く悪くなれば、その時点で手術するつもりのようです。




The April Fools(1969)Jack Lemmon Catherine Deneuve 映画「幸せはパリで」Theme song Burt Bacharach主題歌バート・バカラック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛知万博の写真は、撮っていません。

2025-02-06 00:55:33 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「万博の写真」というタイトルで、55歳の女性が投稿されていました。

 3年前に他界した父は、写真を撮るのが好きで、律義にアルバムに貼り、整理してくれました。

 そのおかげで、私は誕生からの写真を見ることができ、感謝しています。

 当時まだ1歳だった私は、全く覚えていませんが、1970年の大阪万博に家族で2回訪れたようで、当時の様子が写真に残っています。

 太陽の塔や各国パピリオンを背景に、母が編んでくれたカーディガンを着た私は、母と姉、祖母と一緒に写っています。

 注目は着物姿の祖母!

 祖母だけでなく、まだ多くの女性が和装でおめかしをして、万博に来ている写真に驚きます。

 結婚後は、撮影が得意な夫がカメラマンを担当しています。

 私は父を見習って、写真に見出しを付けてアルバムに残しています。

 特に2005年の愛知万博には、小学生だった子どもたちを連れて16回も足を運び、たくさん写真を撮影しました。

 日時や場所を丁寧に書き添えて数冊に保管してあります。

 子育て真っ最中で、忙しくも一番充実していた頃です。

 子どもたちが巣立った今は、かけがえのない思い出の詰まった宝物です。

 4月に開幕する大阪・関西万博。

 ぜひ足を運び、自分の目で見る大事な場面の数々を、写真に収め残していきたいです。


 以上です。


 最初の大阪万博は、私の憧れのジリオラ・チンクェッティがショーを行うということで行きたかったです。

 ショーの申し込みはしなかったように思いますので、お金がなかったようです。

 そういう訳で、残念ながら大阪万博は行ってません。

 かみさんは、会社が部屋を借り入れたとのことで行ってきたと言ってます。

 暑くて大変だったと言ってました。

 愛知万博は、1回行ってます。

 場所が不便なところにあり、行くだけで疲れました。

 目玉は、冷凍されたマンモスでした。

 「早く進んで下さい」とアナウンスされるので、ゆっくりマンモスを見ることができなかったです。

 パピリオンも人気があるパピリオンは、行列が凄くて諦めました。

 ディズニーランドでしたら行列が長くても待ちますが、万博のパピリオンなんてそれほどの物はないと思いますので。

 4月に開幕する大阪万博なんて、観る気はゼロです。

 歩けないという事もありますが、2度目の万博なんて意味がないと思っていますから。



ラストシーンが印象に残りました。何十年ぶりに再開したふたり、それぞれが別の人生を歩んでいました。戦争がなければ幸せな人生を送れたのに。
Les Parapluies de Cherbourg (1964) Michel Legrand 映画「シェルブールの雨傘 」ミシェル・ルグラン
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事、少年に渡ったでしょうか。

2025-02-05 02:23:20 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「少年の忘れ物 届いたか」というタイトルで、74歳の女性が投稿されていました。

 1月上旬の早朝、登山仲間の車で滋賀県高島市に向かう途中、愛知県一宮市の名神高速・尾張一宮パーキングエリアに寄りました。

 大阪に行きたい旨を示す紙を掲げた少年が、私たちの車に来て「乗せてくれませんか」と。

 私たちは快諾し、岐阜県養老町の養老サービスエリアまで乗せました。

 少年は一宮市在住の17歳とか。

 高校をやめて起業家になるため、その日の午後に大阪で開かれる講習会に出ると言っていました。

 私たちの車は進み、滋賀県長浜市の神田パーキングエリアに着いた際、少年が後部座席にかばんを忘れているのに気づきました。

 少年の連絡先も分かりません。

 慌てて養老サービスエリアに引き返し、施設の案内係の女性にかばんを託しました。

 無事、少年に渡ったでしょうか。

 以上です。


 少年に無事かばんが渡ったか心配ですね。

 かばんがなくても、お金に困らなければいいですが。

 起業家になるための講習会に、無事出席出来てればいいですが。

 17歳というと高校三年生ですね。

 慌てて高校をやめる必要はないと思いますが。

 1月上旬に大阪の講習会に向かわれたということは、2学期までは高校にいたのかな?

 あと1学期終えて、高校を卒業してから起業家の夢に向かえばいいとおじいちゃんは思いました。

 起業するって、なかなか難しいです。

 いらんお節介ですが、まずは社会に出て社会勉強をしながらしっかりと裏付けできる資格を取るなりして独立すべき計画書を作り、資金を貯める必要があるのではと思います。

 企業しても、すぐに潰れてしまえば何の意味もないからです。
 
 

ジェームス・ディーンは、憧れの人でした。私が中学2年の時3ヶ月ほど入院しましたが、その時読んだ雑誌に掲載されていた時には、すでに亡くなっていました。
「エデンの東」の曲は、洋楽のラジオ番組でいつもトップでした。
ジェームス・ディーンに憧れて、白いセーターを着てました。
ところが映画を観ると、白いセーターではなく、黄色のセーターでした。苦笑
「エデンの東、East of Eden」ビクター・ヤング Victor Young
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふすまは子供達が破ったり、自然と悪くなったりします。

2025-02-04 01:55:41 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「物を大事にする姿 感銘」というタイトルで、78歳の男性が投稿されていました。

 高さ2メートルぐらいの破れたふすまを持った若い女性とその母親らしき人がホームセンターにいた。

 直すための道具でも買いに来たのだろうか。

 私が「家から外して持って来たの?」と尋ねたら、母親らしき女性が少し恥ずかしそうにうなずいていた。

 世は大量消費社会となって久しいのに、古いものを大切に使おうとする2人の姿に感激した。

 私が生まれ育った戦後すぐには物資が乏しく、今は亡き母が障子の紙をよく張り替えていたことを思い出した。

 気付けば私の頬は緩んでいた。

 ホームセンターの駐車場で、車にふすまを載せようとする2人を見かけた。

 若い女性が手を振ってきたので、私は「頑張ってね」と返した。

 私こそ見習わなきゃと思った。

 以上です。

>高さ2メートルぐらいの破れたふすまを持った若い女性とその母親らしき人がホームセンターにいた。

 わざわざ2メートルぐらいもあるふすまを持参せず、測って行けば良いのにと思いました。 

 よく母親方のおばあちゃんが、投稿者さんの母親がやられたように障子を張り替えていました。

 最初におばあちゃんが「障子の紙を破って」と言うので、障子の紙を何ヶ所も破った記憶があります。

 全部破り終えると、おばあちゃんが障子を張り替える作業に着手していました。

 かみさんに「昔は障子を張り替えたよな」と言ったところ、かみさんがホームセンターのお2人が直したように「私は、ふすまを何度も張り替えた」と、言いました。

 ふすまは子供達が破ったり、自然と悪くなったりします。

 見た目が悪くなるので張り替えたようです。

 「俺、張り替えているところ、見た事がない」と言ったところ「あなたが会社に行っている間に直した」と、言いました。

 主婦の作業は、多岐に渡りますね。




「シャレード Charade」サウンド・トラック~ アンディ・ウィリアムス
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生最後に歌うなら、どの曲を選びますか、という質問に対して

2025-02-03 00:59:56 | 日記
学園広場

舟木一夫さん 高原のお嬢さん 改40年 紅白

 中日新聞に舟木一夫さんの記事が載っていました。

 今年の1月から全国ツアーを始められたようです。

 80歳を迎えられましたが、絶好調だとのお話です。

 今後の目標は、3年後の芸能生活65周年まで現役でいるとの事です。

 そういうことは、83歳まで頑張るという事ですね。

 人生最後に歌うなら、どの曲を選びますか、という質問に対して

 「高原のお嬢さん」と「学園広場」かな。

 20歳の時「高原のお嬢さん」がヒットして「これでしばらく歌い手でいられる」と、地についた安心感があった。

 「学園広場」は今では「高校三年生」以上の僕の代表曲です。

 ヒットした順番にステージで力を発揮するわけではなく、長年のステージの中で育つ歌もあるんです。

 私は「高原のお嬢さん」の映画を、高校三年の秋に同級生と観に行ってます。

 受験勉強に頑張らなければいけない時期に、映画を観に行くなんてちょっとね。

 だから志望校に落ちるんだ。苦笑

 舟木さんが「学園広場」の曲が気に入っているのは、ゲスの勘ぐりですが松原智恵子さんが好きだったからでは。

 確かこの映画で松原さんと共演されているのでは。

 愛知県同士という事で、話も合ったと思います。

 舟木さんがはっきりしないので、彼女は別の人と結婚してしまわれたのでは?

 舟木さんがそれを知って、後悔したインタビュー記事が女性月刊誌に載っていたように思います。

 舟木さんは20代の後半ぐらいから人気が落ちて、どん底に陥ります。

 家も売られたのでは。

 自殺未遂も起こされたのでは?

 復活されたのは、団塊の世代が子育てを終えて時間の余裕が出来てからだと思います。

 団塊世代は、舟木さんの学園ソングを聞くと、青春時代の甘酸っぱい思い出が甦ってきます。

 私も三度ぐらいかみさんとコンサートを観に行ってます。

 学園ソング以外も歌われますが、そんな歌には興味がありません。

 学園ソングを聞くと青春時代が甦るので、舟木さんと共に歌っています。

 うちのお婆さんが、人相を見ると橋幸夫さんが一番いい相をしていると言っていましたが残念ながら外れました。

 御三家のうち、西郷輝彦さんは亡くなってしまい、橋幸夫さんは長年お母様の介護をしてくださった奥様と別れられました。

 もちろん離婚の費用は、すべての財産を奥様に差し上げられたそうです。

 今は好きな方と再婚されてるようです。

 一人でツアーされる程の人気がないので、橋幸夫2世たちとステージに上がっていられるようです。

 若い頃と違ってだいぶ苦労されているようですが、新しい奥様の為に頑張る以外ないでしょうね。

 御三家で一番いい目にあっているのは、舟木さんですね。

 人生、分からないものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする