寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

女性の愛。。。。

此れ聴いて見て下さい、アングラ・フォークシンガー。怨歌の世界、、「三上寛の世界」です、、

Kan Mikami 三上寛 The World of Kan Mikami 三上寛の世界 1971

 

 

 

 

此の映像をご覧下さい。初めの映像は本邦初公開です、、

 

Violet Evergarden Movie 2020 | Violet Finds Gilbert ((movie link in description))

Violet bertemu Gilbert | Violet Evergarden |

 

 

 

薬の効用で、眠くて仕方ないkiyasumeです。すぐにうたた寝をして仕舞います。。。。

 

「仏教の教え」

「世の中には醜さと言うものはない。世の中には正しさと言うものはない。世の中には素晴らしさと言うものもない。世の中には虚しさと言うものもない。そして苦しさと言うものもない。全てそれぞれ人が過去の経験と過去の経験によって強化されて来るものの網様体賦活系によって苦しき情報を集め、悲しき情報を集めそして自分で苦しんで居るものだ。」これはあるお坊さんの言葉ですが、よく人の魂はステージが決まって居て、上に上に上がる様になされて居ると言いますよね。人の位と言うものは金持ちだからいいと言うものではない。豪邸に住みランボルギーニに乗って居ても自分はダメだと嘆く人も居れば。私の様な6畳間に4,5畳間と2畳半のお勝手ひとつでも満足して居る人も居る。日頃の自分の生活は勿論自分が作り挙げたものだけども。

物事に感謝する人、例えば日々の食べ物に感謝する人。食事になるおかず例えば豚肉。魚。皆命を頂いて食して居ますよね。だからキリスト圏の特にアメリカなどでは謝肉祭と言うものがある。肉に感謝をして居る訳ですよね。自分の魂のステージを上げる為には人に対する感謝を持たないと行けない。例えば私が日頃気に食わないと言って居る。人をすぐ小馬鹿にした笑みやら「ハハハハハ」とか皮肉を言う人の魂が上昇する事はありません。一番魂の上がるステージを持って居る人とは。何かしても決して見返りを求めない人。愚痴を言わない人でしょうね。魂は上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)と分かれて居るとよく言います。

上品とは理想的な人格、清き正しく慈悲に溢れて居て、人の為に涙する優しさ、そして強く厳しい処もある。そう言ういい処ばかりを集めた魂。中品とは悪くも無く良くも無く普通の状態の魂。下品とは悪い人の全てを取り揃えた。妬み嫉み僻み、悪い状態の魂を一手に引き受けて居る人の最低な魂。私はどうやらこの下品の魂を持った人を沢山見て来た様だ。「今、此処」と言う事があります。私たちは未来に生きて居る訳でもなく、過去に生きて居る訳でもなく。「今此処」でしか生きられない、何か自分でやれるとしたら「今此処」を無心に生きると言う事。世の中生きて居れば、どん底に落ちる事もあるし。又どん底まで落ちて落ちる処まで落ちたら、又浮かび上がって元の処に戻って来る。

世の中も人生もおよそ下がれば跳ね返るアップダウンと言う事を繰り返し平均値に収まって来る。自分の力とか自分の進化とかが問われるのはアップして居る時ではなくてダウンしてる時ですね。アップが良いダウンが悪いではない。この波をどうやって生きて行くのかが人生では無いかと思う。「今此処」で関われる事をするしか無い。より良き自分を見据えた時にそれが解らない事であるがこそ、「今此処」で関われる事をするしか無い。そして今掴んだ点と点と点が線になり、形になって行く事を信じて生きて行くしか無い。生きがいが見出せないと思う前に「今此処」で与えられて居る環境で、そのポジションで一生懸命に生きなければならない。そうする事で生きがいも出て来るのだと思います。そう思う、今日この頃です。。。。

 

私は大学に一応は行きました。しかし、私は、今、美術学校に行けば良かったかなと思っても居ます。此間、まあ、前にですが20歳の訪問看護師から、「何でkiyasumeさんは、経済学部などに行ったの?漫画が好きなら漫画学科でもなんでもあったじゃ無いのヨォ!!」と言われたが、彼女は1970年代当時を知らない。私の時代は私は商学部でしたが。経済を学ぶのが一番いいとされて居た。次に良いとされて居たのは、工学部だった。文学部やら美術系はとことんダメだと言われて居た。時代も流行り言葉こそ「ビューティフル」だったが。時代的に見れば「モーレツ」な世の中だった。私は最近になって高校の担任が「お前、東京電機大学なら推薦が取れるぞ!!」と言って居た事を思い出す。担任は言って居た「お前らなぁ〜〜。経済学部出たってなぁ、よほどに良い大学でなければ良い会社、企業には入れんぞ?それより手に職が付けられる電気大学なら推薦で入れるし。これからの時代には必要で引く手数多になるぞ!!」そう言っても誰も推薦すら貰う学生は居なかった。何故なら当時としては電気職人いわゆるブルーカラーと言う意味合いが強かったからだ。だから他の高校はどうだか知れないが、私の高校では誰も推薦が取れたのに、行く人間は居なかった。私は高校3年の時に美大に行こうとしたが、やはり封建的な思想の親は猛反対をした。「美大なんか出たって食えやしない.....。」今みたいに開けた世の中では無かった。だって1974年当時だ。偏見もあった。

人生=色々です。(古いかな) いい大学に入ってすべてがうまく行けば、高学歴ワーキング・プアなんて生まれません。 "意志ある処に道あり"ですよ。学歴は手段に過ぎません。就職ランキングで上位にある様な会社へ行きたいんであれば、その手段としていい大学へ行けばいい。でも、美容師を目指して居る人が大学へ行っても何の意味もありませんよね? 人間に取って一番大事なのは、どう生きたいか、どんな風になりたいか、ですよ。それが解って居るのなら逆算して目指して頑張ればいい。それを人は「意思」と呼びます。 世界は広いから、勿論、高学歴で無いとどうにもならない世界もあります。そして、それとまったく同じように、高学歴であってもどうにもならない世界もあります。 学歴が無いと役に立たないと言う人は、学歴が必要な世界に身を置いて居るからそう思って居るのであって、勿論まったく別の世界では何の役にも経ちません。料理人の世界では中卒で修行をして来た人の方が評価されるでしょう。 大事なのは、人では無く自分がどんな世界で生きて居たいのか、なのですよ。人間は自分で選んで生きる道を決めて行きます。高学歴と言うのは、あまたある選択肢の一つにすぎません。 自分でどんな道を選んでもいいと思います。そして、自分で選んだ道だから頑張れるのです。それがよく言う、「置かれた場所で咲きなさい。そこで精一杯の努力をすればいい。いつか必ず花は咲きます。」の意味なんだと思います。

 

欲を減らす。欲を捨てて行くと言う考えがありますが。でも実は欲を減らす捨てて行くばかりが、クローズアップされて居て欲を育てて行くと言う欲もあります。それは、「渇愛。私欲。」と言う2つの欲です。渇愛とは、十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては中核的概念のひとつであり、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指して居る。愛とも訳される。 欲愛 - 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛。 有愛 - 存在することへの渇愛 。非有愛 - 存在しなくなることへの渇愛と言います。 「渇愛」とは詳しく言うと、ベーシック・ニーズと言う生きて行くのに大切な睡眠欲。性欲。食欲などの身体に取っての感覚器官が気持ちいいと思う欲なんです。そして欲には際限が無い。お金を持って居なくても今はそこそこ美味しいものは食べられるし。服もUNIQLO /GUなどでデザインがいい服が安く手に入る時代です。

「渇愛」、もっと欲しいと言う欲は捨てなければ行けない。もっと欲しいと言う物欲は人生を破滅させて仕舞うくらい大きな物欲です。生きて行く欲が生きて行く以上に広がって行っては仕方がありません。「私欲」と言うのは己が良いと思った事に邁進して行く欲の事です。高度な欲は身を滅ぼします。身分に合わない浪費をすれば借金まみれです。または、能力以上に働き過労死待ったなしかも知れません。ただ、オリンピック選手の様に、とことんまで極める事に生きがいを感じる人も居ますので、例外はあると思います。これが私欲です。個人の価値観や完成による処が大きい。

適度に欲を捨てる。例えばお金の掛かる事、コスパの悪い事を辞める。ある程度で満足できる体質になる。すっぱいぶどうだと言って自分を騙せる体質になる。騙して居る事すら気づかなくなる。そうすると、無理に働いてお金を稼ぐ必要もないので様々な苦労から開放される。その開放された時間に上手に余暇を楽しめれば幸せでしょう。まぁ引退した高齢者を見ているとしっかりと働くほうが幸せな人も居ますし。価値観はそれぞれですが、欲が少なければ酷使する必要がないですので、欲に振り回される時間が減りますので、一般には幸せだと思います。

全て欲を捨てる。食欲すらなくなれば死にますので、幸福も不幸も感じなくなると思います。

 

皆んな、他人が自分に対して、不利益を与えて苦しめると言うがそれは違う。自分が自分に不利益を与えて苦しめて居る。ブッタの言葉で「自己をよく守れ」と言う言葉がある。此れは自分をよく守れと言う事ですね。自分が自分に不利益を与えて苦しめる。此れは人間の一番愚かな処です。ブッタの言葉は自分から自分を守れと言う事だ。私は統合失調症だ。しかしある人から言われました。「此れは障害と思わずに多様性だと思え」と・・・・。「だから世間と適合すればいい」と言われた。なるほど私は今まで過去の自分に縛られて居た。しかし、例えば認知症の母は私の側にはもう居ない、姉さんは近寄っては来ない。弟はとうに死んで居ない。親父もだ。自己の本来持って居るものをダメとするものはもう居ない。これは自己を守ると言う事だと言う。「此の私のトラウマを嫌わずに生きる事。怒りと言う猛毒を持ち続けて、生きて行くと言う事は愚かな事だ」と言われた。いい事を言われたとは思う。然し私の仁は抑えようが無い。

ひとつ具体的な議論を追って見よう。トラウマは脳にもその痕跡を残す。典型的には、トラウマを負った人では扁桃体が過敏に反応する様になって居るのである。扁桃体と言えば、情動反応の処理に於いてとくに重要な役割を果たして居て、脳に於ける「煙探知機」に喩えられる部位だ。脳画像でも確認されて居る様に、そうした探知機が過敏に反応するからこそ、患者は必要以上に危険を感知し、ストレスホルモンがたびたび強く分泌されて仕舞うのである。

ただし、トラウマと関係して居る脳部位は扁桃体だけではない。扁桃体との関係でとりわけ重要なのは、前頭前皮質だ。前頭前皮質はいわゆる実行機能を担っており、とくに内側前頭前皮質は脳の「監視塔」に喩えられる。煙探知機として警報を鳴らすのが扁桃体の役割だとすれば、その警報が妥当なものかどうかを判断するのが内側前頭前皮質の役割である。かりに煙探知機が警報を発したとしても、監視塔がそれを誤報だと判断すれば、ストレス反応は、じきに抑制される。だから重要なのは、扁桃体と内側前頭前皮質の均衡関係なのである。その証拠に、そうした関係が崩れてしまうと、現にトラウマを負った人がそうであるように、すぐさま闘争/逃走モードの様な状態に陥って仕舞う事になる。と言う様に、トラウマ性ストレスにうまく対処するためには、まさに両者の均衡関係を維持・回復する事が肝要だと考えられる。そして、そうした均衡を維持・回復する手段には、トップダウンの調節方法とボトムアップの調節方法がある。トップダウンの調節は、監視塔の力を強化するものであり、具体的にはマインドフルネス瞑想やヨガなどがそれに当たる。他方、ボトムアップの調節は、自律神経系の再調整を促すものであり、具体的には呼吸や身体動作、接触などを介して行われると良いと言われて居る。要するに薬を飲もうと言う事ですね。

今日撮った写真。調子が悪いので髪もザンバラです。。。

                                   
 

 

「美容室・・・。」

今から15年位前に長髪にして一度パーマを掛けて居ましたが。あの頃は認知症の母と一緒に暮らして居た為、母も笹塚の「カズ」と云う美容院で一緒にやって貰って居たのですが。いやぁ、、認知症だから美容師に色々とメチャクチャな話をして居て、困って仕舞いました。笹塚の前は新宿の京王デパートの中にある美容院でやはり母を連れて行ってやって貰って居ましたが、ある時、私に、男の美容師が付いて、やって貰って居たら、「最近、インフルエンザで人が来るでしょう。」とか、、何を云って居るのか良く解らないので「そうですか?」と云ったら、「お医者さんは忙しいのではないですか?」と云われて。「私は医者では無いですよ?」と云ったら、「だってお母さんが、お客さんが来る度に息子は医者だと云って居ましたよ!?」と云うので、「それは弟の方ですよ!」と云ったら、その男の美容師が、女の美容師を怒鳴り付けて居て。その日は料金が半額になって、要するに「医者だってよ!ふざけやがって!!」と云う事で、料金を倍に釣り上げて、吹っ掛けて居た見たいでして.....。

それで母が終わって帰りに、女の美容師と二人で送り出しに来て、私に「これも美容師としての仕事の一環ですから」とか云って居て。どうやら、母にも皮肉を云ったらしい。それで次に行って見たら、受付がその男の美容師はクビになりましたとか、云って居た。それから、もうその美容室は行くのを辞めて、どうしようかと思って居ましたが、笹塚の「カズ」と云う美容院を見つけてそこに行く様にしたのだけれども、料金がそれまでの半額でした。しかし、そこも母がどうしようもない事を言い出したので行か無くなって、それから母は施設送りになり、私はアパマンの近くの美容室でやって貰って居ましたが。「カズ」よりも値段が安いし、ほぼ男性の客しか行かない美容室だから。独りになって此処4年程、そこの店に通って居ましたが。そこも嫌がらせを言う様になって来たので。それから越した事もあり越して来た側の美容室に行って居ました。前の実家の側には床屋は近くにありましたが、前に行ったら、ジジイの理髪師が、「お客さん、あんた自由業だろう。髪長くしていて、サラリーマンじゃないだろう?」「いけないですか?」と云ったら「あんた、会社勤めした事あるんかい!」「ああ、会社勤めは27年程してますが?」そう云ったら今度は、「あんた高校はどこ出たんだい。」「一応大卒ですが。」と云ったら要約聞いて来なくなった。まあ、美容師の方が良いですね。余計な事は聞きませんから。

美容院に行くまでは、近所の床屋やら、隣町の床屋やらに通って居ましたが、床屋は偏屈が多くてダメですね。私は若い頃から髪を長髪にして居るので、まあ、床屋は髪を切るのが仕事だから、でもね、、バリカンで剃る訳には行かないし、何か最近の若者のヘアスタイルはわざと部分的に剃りを入れてる様だけど。私は往年のミュージシャンやら芸術家がやって居た、長髪のスタイルなので、まあ、良いでは無いですか。歳など関係ないですよ。最近の若い人たちは(あくまで20代から30代前半と考えて居ますが)音楽とか芸術を良く知って居る人はそうではないのですが。例えばロックをやって居るのは若者だけだと思い込んで居る。まあ、普通の人も音楽をやって居るのは若者という認識が高い。今は、、60代でも70代でもロックをやって居ますよ。私は小学校3年生からロックを聴き始めて、それ以来ずっと聴いて居ます。反対に若者が今の流行りの音楽しか聴いて居なくて、本当に良かった頃のロックを知りません。今の流行りのロックはポップスですよね。ヒップホップとか言って居るけど。何か違いますね。要するにロックの要になっているブルースを聴いて居ないので、フォークに成っている。大音響でギターを弾いても、何だか違いますね。ブルースとは要になるもので、何もブルースロックをやれと言って居るのではないけど。何とも、言い様がないです。何遍も言う様ですが今回に入院中に「ワン・OK・ロック」が好きな若い子が居て、「この曲最近の曲ですか?」と聞いたら「知らないの。馬鹿かと思われるよこの曲知らないなんて!!」と言うので君さ「レッド・ツェッぺリン」だとか「ディープ・パープル」「ブラック・サバス」とか聞いてる?と言ったら「知らない」ブルースは?と聞いたら「ブルースって何初めて聞いたそんな言葉???」と何も知らなかったのですよ。今の流行りの曲しか知らなくて・・・・。こりゃダメだな?と思いましたよね。まあ、ジジイの戯言だと思って下さい。しかし、私はラップとかも聴きますよ。ロック談議は此れ位で。。しかし引っ越してしまったから美容室をまた変えなければ行けないかなと思って居て芦花公園近くの美容室探したがこれと言った美容室がない。だから八幡山の美容室にまた掛かる様にした。今度の日曜に染めとパーマです。。。

 

私が好きで応援している青木志貴ちゃん。。。。彼女は声優で、モデルで、舞台俳優で、YouTuberです。。。

 

強い女の顔面作り。

 

 

〜〜「懐かし洋画館」〜〜

さて映画です。今回はサム・ペキンパーの「ガルシアの首」です。古いですが、バイオレンス映画の金字塔です。バイオレンスの巨匠サム・ペキンパーが生涯愛したメキシコを舞台に血と暴力とそして熱い男の友情を描いたバイオレンス・アクション映画の大傑作です。主演はペキンパー映画の常連ウォレン・オーツ。音楽もペキンパーとの名コンビのジェリー・フィールディング。

ストーリーはメキシコの大地主の娘を妊娠させた男、プレイボーイのガルシアを殺すため100万ドルの賞金が出され、ガルシアの首をめぐって、殺し屋たちがメキシコに集まり、ガルシアの消息を探しているなか、ひょんなことからこの件に関わることになった安酒場の歌い手のベニー(オーツ)が人生最後のチャンスとばかり、殺し屋たちを出し抜いて、ガルシアの首を手に入れるべく、血みどろの殺し合いに巻き込まれて行く。

ペキンパーと言えば、そのバイオレンス描写と共に男たちの友情を描く事では右に出るものはなく、本作では主人公のベニーと死んで生首となってバスケットケースに入れられたガルシアとの友情(当然相手は死人なので、あくまでベニーの独り言なのだが)がメインで、車を走らせ、助手席に乗せたガルシアに話し掛けて居るうちに次第にガルシアと言う男に共感を抱いて行くと言う奇妙な展開は他の映画に見られないような一見アブノーマルな表現だが、それを真正面から熱い男の友情として描いて居るペキンパーの手腕は見事と言うほかなく、このペキンパーの意図が理解出来なければ、最後のベニーの破滅的行動も理解出来ず、この事がこの映画の評価の別れ処だろう。

映画の原題は「アルフレッド・ガルシアの首を持って来い」と言うものである。女誑しの首を巡って血みどろの争いが繰り広げられると言う、見るからに一般受けしない題材のため、本国アメリカでは興行的に惨敗した。だがその一方で、監督であるサム・ペキンパー自ら「俺が作りあげた映画」と豪語するほど監督の嗜好が色濃く現れた作品でもあり、ペキンパーの代表作に推す声も少なくない。

ペキンパーの十八番とも言えるハイスピードカメラで撮影されたスローモーションや、激しい銃撃戦などの暴力描写が作中でふんだんに用いられて居る。この映画は、『戦争のはらわた』と並んでペキンパー自身が最後まで編集権を握る事が出来た数少ない作品の一つである。ペキンパーは巧みな編集によってキレのよい銃撃戦を演出して居る。ペキンパーが自分のやりたいように作ったこの映画は、もっともペキンパーらしい作品であるとも評される。下は予告編です。

 

Trailer: Bring Me the Head of Alfredo Garcia - 1974

 

1980年代に「ゴリラ」というアーノルド・シュワルツネッガー主演、監督ジョン・アービンのバイオレンス・アクション映画だと云う触れ込みで、公開された映画を観に行ったのですが。何だかな、全然バイオレンス映画の事を解って作って居ないじゃないかと・・・・。お気軽なマッチョな男がローリング・ストーンズの「サテスファクション」を聴きながら悪党を皆殺しにするだけの映画、「ガルシアの首」の男たちの友情も、男の哀愁も虐げられた女性も、子供の描写も無し。スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画。何時からアメリカ映画がダメになって仕舞ったのかと、御都合主義で人を殺すだけの映画にうんざりした事がありました。私は石井 隆監督が日本のサム・ペキンパーじゃないかと思って居ますが。やはり映画は人間の業を描いてなければいけないと思って居ます。

1980年代の傾向として、スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画が世の中に蔓延り、その結果、それに影響を受けた犯罪が起こり。良識のあるアクション映画オタクは怒りました。この傾向は最近でも見られます。ハリウッド映画はダメになりましたね。幸いにも香港からジョン・ウーと云うバイオレンス・ノワールを作らせたら最高の映画を作る監督も出てきましたが、ハリウッドに取る込む事で、才能を台無しにして仕舞いました。アメリカ映画として作らされた彼の映画には幻滅しました。最近の映画は特にハリウッド映画は見ない事にして居ます。人間の業をきちんと描いて無い映画に興味はありません。サム・ペキンパーは良かった。もう、死んで仕舞いましたが。彼の作った映画は燦然と映画史にその足跡を刻んで居ます。どうか、このblogで「ガルシアの首」の事を知ったら映画を観て下さい。男意気に泣けると思いますから。Netflixなどで見られるかと思いますよ。よろしく。。。

 下は「ガルシアの首」のDVDです。

ガルシアの首 [DVD]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

June Yamagishi & Shinji Shiotsugu

GUITAR STORIES-情熱のスーパーギタリスト列伝- #2鮎川誠 編 20150601

ブレイクダウン/上田正樹とサウス・トゥ・サウス

塩次伸二 妹尾隆一郎 永井ホトケ隆 2008.1.18 京都Mojo West

ブルースパラダイス 永井ホトケ隆 堺ブルースフェス2018アンコール

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私が所有して居るラジカセです。重低音は出ませんけど、、いい音で鳴ってくれます。

70年代、80年代の音楽記録媒体と言えば、コンパクトカセットでした。これは一般的に“カセットテープ”と呼ばれて居ます。それを再生するためのオーディオ機器がラジオカセットレコーダー、即ち“ラジカセ”です。

カセットテープは、ハンドバッグの中に収納できる“夢の小型記録媒体”でした。しかもラジオ番組の録音も簡単な操作で出来ると言う事もあり、当時の若者は誰しも自宅にラジカセを置いて居ました。それはCDやMDが登場してからも変わらず、90年代はカセットテープとCDが仲良く共存して居た事を、私は覚えて居ます。

そんなカセットテープですが、実は今でも根強い需要と人気があります。高齢者が宴会場や結婚式場にカセットテープの音源を持ち込んで演歌や民謡を歌う、と言う事もよくあるとか。また、最近ではアナログ独特の音質が見直され、カセットテープで新曲を発表するアーティストも居ます。

 

此のラジカセ『TY-2111』の軍艦部には、3つのツマミがあります。左からボリューム、バス、トレブルです。曲によっては低音を利かせたほうがいい、高音をシャープにしたほうがいいと言う差異があり、それに応じて自分の手で操作できると言う仕組みです。高価格帯のラジカセには、必ずバスとトレブルのツマミは付いて居ました

此れが安価な製品になると、ボリュームとトーンしかありません。このトーンは低音か高音の二者択一で、高音を際立たせると低音がスカスカになる……。と言う様な現象が起こります。ウッドベースが曲をリードするビバップ以降のジャズを聴く場合、トーン・ツマミしかないラジカセではあまりにも性能不足。本格的な音質を追求するなら、ツマミの多い機種を買うのが正解です。

しかも『TY-2111』には切り替え式のバスブースト機能も搭載され、より迫力のある低音を楽しめるようになって居ます。しかし、矢張り、それでも往年のラジカセみたいな重低音は出ませんでした。でも私は、そこそこ此れでいいかもなと思って居ます。何せ値段が2万5千円ですから。往年の昔のラジカセは小型で4万円ぐらい。中型で6万円ぐらい。大型で8万ぐらいはして居ましたから。皆さんに言いたいですが。お薦めなのはCDラジカセなら東芝のTY-AK1かTY-AK2..今はTY-AK2がいいですよ。Bluetooth機能付きですから。これは結構低音が出ます。それか、単体のラジカセならば。私が、今回購入した、此のCICONIAのTY-2111がいいでしょう。先ほど重低音は出ないと言いましたが。此のクラスのラジカセでは、十分結構な低音が出ると思います。

病み上がりでシャワーさえ浴びられて居ないkiyasumeです。

 

「可愛い女の子....。」

今日は病院に行って来た。処が今日は、いい思いをした。と言うのは栄養指導の先生だが、何時もの28歳ぐらいの、女の子は今日は居なくて。24歳ぐらいの、身長が156センチぐらいの小さな物凄く可愛い子だったのだ。眼見ててもどんぐり御眼々だし、大体が声も話し口調も可愛い。私は大体に於いて可愛い女性には弱いのです。だからからか何時も長く話すのだけども、今日はそれより長く話してしまった。その子は今はマスクをして居るから口元は見えないが。眼だけ見て居ても可成可愛い。私が青木志貴ちゃんの事をなぜ好きかと言うと。彼女は歳に見えない少女的な面を持って居る。そこが可愛いのですよね。此れは彼女が好きな人は皆同じだろうと思う。要するに歳より幼く見えるのだ。いい意味でね。その子にもそう言った感覚を見る事が出来た。あのオードリー・ヘップバーンが何で妖精と言われてあんなに好かれたか。映画を見れば解る。

何とベイビートークを話して居るのだ。要するに物凄く話し方が可愛いのですよね。彼女はその可愛らしさが歳を取っても無くならなかった。そしてその事は私の彼女にも言える。此の間書いたが、サイレント映画の女優さんにリリアン・ギッシュと言う女優さんが居る。彼女は妖精のように可愛かった。出て居る映画は悲惨な映画が多かったけど。私は彼女の主演作でグリフィスの映画「散りゆく花」と言う映画が好きだった。飲んだくれのDV親父に毎晩打たれて、最後はその親父に殺されてしまうと言う映画だった。此の映画は、あの淀川長治さんがお気に入りで、彼女のブロマイドを抱いて寝て居たと言う話は余りにも有名だ。昔はこう言った子供虐待の家庭は可成あったのだろう。ただ彼女は真冬に氷河の中の突き落とされる映画に出て。物凄く怒って居たと言うエピソードが残って居る。今日和かに、可愛い声で私の栄養指導をしてくれた女の子にはもう会う事は無いと思うが。一服の清涼剤になったのは確かだ。。。。

 

散りゆく花/リリアン・ギッシュ/グリフィス

 

「幻影の女性」

私は15年前の入院中に、辛い事ばかりで気が滅入って居ました。と言うか。身内も誰も見舞いに来ない中で薬の凄まじい副作用で、、精神的に追い詰められて居ました。毎日、頭がせぼまって来て。自分でマッサージしながら寝て居ました。そうしないと眠れないのですよね。精神科の医師はサディストだと思ったぐらいでした。そんな時に、何時も不思議な事に1人の可愛い美人の女の子が頭に浮かんで出て来るんですよ。そして私を励ましてくれたのです。「大丈夫よ。しっかりしてね、私があなたの事は見て居て上げるから。」多分幻覚妄想だったのだろうとは思うけど・・・・・・・。

人間、孤立無援になると、人恋しくなるものです。でも精神病院では誰も手助けはしてくれません。ただ以前、言いましたが。ある時、寝て居たら女性の声で「もう少しの辛抱よ。あなたはいい人ね。頑張って。あと3日ほどで退院よ」と誰かが言うのですよね。私は眠って居たけど声だけは聞こえて居たので、薄眼を開けて観て見たら。丁度、看護師さんがカーテンをめくって出て行く処でした。その看護師さんが言ってくれたのでした。私は救われた感じがして、涙が出て来ました。そんな事はその一度限りでしたけど。でも幻覚幻影の方は、私が4回入院しても、その可愛い美人の女の子は何時も、その都度頭に浮かんで来ました。そして最後の入院の、退院の前の日の夢の中に現れて「頑張ったわね、もう私とはお別れね、、」と言って微笑んで消えて居なくなりました。

私は、それ以来。その幻でも何でもいい。その女性にもう一度会いたく思って居ました。そんな時でした、私は青木志貴と言う。声優で、モデル、タレントで、歌手で、YouTuberの女の子を知りました。なんだか懐かしい感じがしました。勿論、病院で出て来た女の子とは違っては居るけど。今は彼女の事を応援して居ます。彼女は優しい女性です。確かに少し変わって居る面もありますが、、私は気にして居ません。彼女は、自分のアパレルブランドも経営して居ます。そして先月で33歳になりました。そして私には1年前に彼女が出来ました。「妹」と呼んで居ます。私より年下ですが。可愛くて利口な女性で、頭がいい人です。彼女なら、また私の、侘しい心に火を灯してくれるんじゃ無いかと思って居ます。昨日なんかも真夜中に38,8度の熱出したので相談して観たら。薬をネットから買ってくれて。私は今まで女性の愛にそうやって救われて来ました。ただ、いまだに思うんですよ。あの入院の時の女の子の幻覚幻影はなんだったんだろうかと。そして、また会いたいなと・・・・・。

 

さよなら心のララバイ 松山晴介 Seisuke Matsuyama セルフカバー

 

 

志貴ちゃんの、モデル撮影時の可愛いオフショット

【お仕事録】東洋大トークショーの裏側!!

プレゼント開封の儀!!

 

「市川準/東京兄弟」

処で、「東京兄弟」、要約、DVDになったのですね、、市川 準監督作品では最も好きな映画です。今も都電が走る、東京の小さな町で暮らす1組の兄妹の日常生活の風景をスケッチ風に描いたヒューマン・ドラマ。俊才 市川 準監督が敬愛する小津イズムを継承しながらも、市川 準監督、独特の間と視点を生かした演出術で兄と妹の結びつきを描いた名作です。この作品は、ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞/シンガポール国際映画祭銀幕賞/第46回芸術選奨文部大臣賞/文化庁優秀映画作品賞 を受賞しました。1995年キネマ旬報ベストテン第2位。読者選出第8位と国内外でも高く評価されました。ちなみに1位は、原田芳雄主演の若松孝二監督作品「寝取られ宗介」だったと思います。。。

 

初DVD化!!市川準&緒形直人『東京兄妹』ベルリン国際映画祭受賞の名作

 

「東京兄妹」 1995年の映画だが、時代設定はもう少し昔か。2人慎ましく暮らす兄と妹。懐かしさを感じさせられる映像と共に、2人の生活が映し出される。そんな穏やかな雰囲気だが、根底には"変化"ないし"死"がある。全てが儚げだ。そして美しい。固定カメラで撮られた一枚一枚が本当に洗練されて居る。同じような日常場面を繰り返すと言う手法も効果的。セリフが少ないながらも観るものを引き込む力には凄まじいものがある。昔々あるところに、こんな兄妹が居て、こんな東京がありました、を見せてくれる映画。小津映画のような、そして『東京物語』を彷彿させる雰囲気がありながらも、その生活様式と当時(1990年代)のズレを自然に描いている点が面白い。たんなる小津作品の模倣ではなく、今現在の東京でのリアルな生活を描いて居る。監督の追悼と言う気持ちを持つと、その撮り方は、作品の世界観を鑑賞者にとって、受け入れやすいものにするための配慮(市川 準さんの心優しい一面)に見えてくる。あるいは、CM監督でもある市川 準さんが大切にしてきた「同時代性」の表れなのかも知れない。冷奴の美しさ、を逃さずに映し出した映画でもあります。是非一度ご覧下さいね。緒形拳の息子である緒形直人の演技がいいですよ。何でも此の映画で彼は演技派として開眼したそうです。。。。

今回は以上です。入院時の幻影幻覚の女の子は今回の入院では現れなかったけど、その代わりと言ったらいいのか、僕担当に着いてくれた担当看護師が可也可愛いくいい人で、何かと心配してくれて世話を焼いてくれました。今回の入院は嫌な事はスマホを貸せと言われた事と、スマホの充電器を毎回持って行かれた事でしょうか。病院を退院してから芦花公園のアパートに引っ越して来てからテレビをつければ音がうるさいと6回も警察沙汰にされて、反対にアパートの管理部と高井戸警察署に電話を掛けて、テレビを普通の音量で見て居たぐらいで警官を6回も呼ばれたりするのは相手が異常だと言ったら双方ともよく解ってくれて警官は来なくなり、管理部が「テレビの音なんて生活音でしょ!!警察になんか6回も電話を掛けて!いい加減にして下さい!!」と言ったら「警察に電話を掛けて居ません」と嘘をつくのだそうです。そして暫くはテレビを見て居ても何も言わなくなりましたが。この間見て居たら今度は壁を思いっきり6回ぶっ叩くのです。明らかに精神異常者ですね。もうだから放っといて居ます。まあ、テレビも可也小さめな音出掛けていればそう言う事も無い見たいですが。なんか相手はテレビ持って居ない様でして、スマホでなんでもイヤフォーンで聞いて居るからそう言うことになるのだろうと思いますよ。恐らくはスピーカーと言うものがよく解って居ないのだろうと思いますよ。私の掛かり付けの主治医に相談したら、今度壁を叩いたら110番通報をして今までのことを全部話しなさい。その隣の男は精神異常だから警察が措置入院の処置をとってくれると思うからね。警察が精神病院に相手を収監すると言う事らしいです。「こう成ったら暫くは出て此れ無く成りますよ」と教えてくれました。ところで今度の28日に直腸の検査ですよ。お尻から管を道されるので下剤を前日に一瓶飲んで翌日大下痢になり。排便を済ませてから白湯を2杯飲んで9時に病院に行き。注射を打ってから今度はもっと大量の下剤を飲まされて排便してから直腸に管を入れて内視鏡検査です。何でこんな事に成ったのかと言えば、あまりに毎日警官にこられたのでストレスから血の下痢が出たからです。元はといえば隣が悪いんだから。。。言っても仕方がない。今は変な時代ですよ。それではまた。🙏

 

コメント一覧

kiyasume
ハナさん、ライブドアblog開設したのですか。。
見にいきましたが、特色があるblogですね。

しかしハナさんのバイタリティーには感心しますよ。
私は昨日も熱が38,8分もありまして、横柄して居ました。
今もまだ鼻水が止まりませんです。。。。

元気があって何よりですね、、
良い事です。それではまたね🙏
haha2017
いつもありがとうね🌹

どこまでいきる
生きるって、なんなんだろう。どこまで生きるのが本当の幸せなんだろう。毎日楽しく生きると周りにいる人も楽しくなる。自分の好きな事・画像・文学・写真・動画・映画・ファッション・旅行・料理・ネット検索・いろいろ美味しいもの探して 欲張りに 日々の出来事つぶやきます。

https://haha2018.livedoor.biz/
あそんどりますじゃ😄🩷

ライブドアは ひとつの登録で10個もブログ開設出来ますから
めちゃめちゃ 混線しながら楽しんでます😆🐕🐳
ひょっとしたら 私にお似合いかも・・・?
kiyasume
すき家の朝定食に納豆卵かけご飯というものがあるのですか????
そうですか、建築などに興味があって土木系の学校に行ったのですか
理系に行っても文系の科目が好きだったんですね。・・・・・。
色々とありますよね。私などは何遍も言う様に美大に行きたかったん
ですよね。でも親の猛反発を喰らって受験できませんでした。だから、
私は商学部の経営科を出ました。何にもなりませんでしたね、途中で
統合失調症にはなるし、親の言うことなど聞くものじゃ無いとこの時
程痛烈に思った事はありませんよ。私の絵の才能を頑なに拒んでいた
母親は今や無能の人です。アルツハイマー認知症で寝たきりになって
何も言えなくなって居ます。まあ、人の運命などはそうやって解りま
せんよね。

また来て下さいね。宜しくね🙏😳
nekono-hironya
こんにちは。
自分は納豆卵かけご飯🍚「すき家の朝定食」があれば幸せ🥰です。
 自分は土木系の学校に行ったんですけど(テストの成績が悪くて)本当は、機械とか建築したかったんでよね。
 学生時代は、城や奈良や京都の寺とか行ってまして、歴史好きだったんですよ。
 理系行ったんですけど。文系科目の方が得意で。。。
 人生の選択は何が正しかったのか?自分も分かりません。
kiyasume
よくフェラーリになどに乗り豪遊している人が居ますが?彼らのうち半分以上の人が孤独だと言います。強欲は身を滅ぼします・・・・・・。
反対にアパート住まいで私みたいに6畳間と4,5畳間に2,5畳間のお勝手と言う質素な暮らしでも満足して居る者も居ます。

欲はあっても良いのですよね。多少の欲は返って人生に必要なものです。物欲も然り、物を収集する事が出来ないのは不幸の始まりです。
精神的な安らぎは愛する人の愛を確かめる事でしょうか・・・・・。

そして幾つに成っても人を好きに成る事でしょうか・・・・・。
何時も人によって愛されて居る、そんな感覚が持てたら良いですよね。

「老いて初めて幸福とは何かを知る」けだし名言だと思います。

また来て下さいね。宜しく。🙏
hennkyoujinn
しばらくぶりです
人間、欲を棄てると
確かに楽になります
老いて初めて幸福とは何か、を知る
欲に溺れた人生は惨めです

老いて、自分は何も遺してこなかったことに
後悔しきりです
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