寝起きです、、髪がボサボサです。
此間、「タコシェ」からメールが入って居て、最近、頼んで居た「幻燈」12号が届きました。アングラ漫画誌です。前はアマゾンでも売って居ましたが、、今はAmazonでは買え無い見たいです。「タコシェ」にも在庫が無くて、出版元の北冬書房に問い合わせて、要約有った在庫を「タコシェ」に速達で送って貰い。すぐに私の処に送って来ました、、
幻燈12(北冬書房)¥1680
目次
「おつかい」うらたじゅん
「或る押し入れ頭男の話・公園」藤宮史
「階段町の人々・風」 おんちみどり
「雪中記」安部慎一/西野空男
「私ノ青ヒ塔ノ中ニ誰ガイルノ」山田勇男
「胡桃だより(一、二)」木下竜一
「仕掛りの家」甲野酉
「雨に濡れた慕情」角南誠
「わたしのいない世界・温水池」藤宮史
「夏至」海老原健悟
「福助小咄」川勝徳重
「重力」斎藤種男
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「五・七反原発デモ逮捕・勾留記」大麦ジョージ・大麦ロコモコ
A5判220P 2011.11.14
訪問看護師さんが「タコシェ」を知らなかったので教えたら、笑って仕舞って。いや、名前に付いてです・・・・・。「タコ🐙」って(笑)・・・・と言うのですよね。
その人は、サブカルチャーに付いては、殆んど知りませんからね、「バイオレット・エヴァーガーデン」も小学校4年生の娘さんが、6年生の先輩の女の子たちが、神アニメだと言うので知って居て、私が劇場版が「金曜ロードショー」でやりますよと教えたら、、娘さんが始まる、30分前からテレビの前に正座して居たとかで。私が彼女から貰ったチラシとノートを挙げたら、娘さんが、物凄く喜んで居て、「お母さん?なんで私が好きなアニメの事を詳しく知ってるの?」と言うから。「患者さんがお前にとくれたんだよ」と言ったら何でも大切なものを仕舞ってある「宝箱」に仕舞って、、喜んで居ると言って居ましたからね。
しかし、その訪問看護師さんは哲学書だとか良く知って居ますよ。ジル・ドールズだとか、読んで居る見たいですね。だからか、フランス語が少し解る見たいですね、、。ただ、その人でも、事、哲学となるとライバル心を、ぶつけて来ますよ。普段の穏和な感じからは、想像が出来ませんけどね・・・・・・。私が「動物化するポストモダン」と言う東浩紀の本を置いて居たら、めざとく見付けて、手に取ってパラパラ読んで居ましたから・・・・・・。
私の調子が悪いのは、要約治り掛けて来た見たいです。今日は1日寝て居ようと思います。そして、出来たら、観れたら、映画でもいい加減に見様と思いますよ。。。。
そして、髪の毛が要約思い通りに伸びて来て居るので、今度パーマを、久々掛けに行こうかと思いますよ。私は髪の毛は、最近切れ毛に成って仕舞って、、上手く生え揃わ無いから、此処2ヶ月ぐらいはパーマを掛けに行かなかったのですが、、
ところで、皆さんは「群盗荒野を裂く」と言うマカロニ・ウエスタンは観て居ますか???此の映画と「血斗のジャンゴ」と言う作品は名作ですからね・・・・・・。この動画だけでも、是非見て下さいね🙏
Quien Sabe / A Bullet for the General / 群盗荒野を裂く (cover by Ryuki)
Faccia a faccia / Face to face / 血斗のジャンゴ (cover)
フランコ・ネロ主演作「ケオマ」のあらすじなどを詳しく紹介して居る動画です。他の名作映画と比べて居て。深いですよ、観て下さいね。
マカロニウエスタンの鎮魂歌? ケオマ・ザ・リベンジャー
最後は、昨年制作された。今、スターチャンネルで放映中の「ジャンゴTVシリーズ」です.....。マカロニ・ウエスタンでは最新作ですね。。。
『続・荒野の用心棒』を現代的解釈でドラマ化「ジャンゴ ザ・シリーズ」本予告編
それでは、blog記事をお読み下さい・・・・・・・。(๑>◡<๑)
今回は短い投稿ですが、、記事動画共に、為になると思います「マカロニ・ウエスタンって何?」とか、訳が良く解らない人が読んでも、解る様に書いて居ますから、良く読んで見て下さいね。なんか、知らない事を知るって、楽しく無いですか?それと厳選されたレオーネの映画の動画と。そして、私が語るマカロニの考え方など。此のblog記事を読めば粗方解ると思いますから。全体的に短いので、良く読んで見て下さい。
『セルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン.....。』
セルジオ・レオーネ Sergio Leone |
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1975年撮影
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本名 | Sergio Leone |
別名義 | Bob Robertson |
生年月日 | 1929年1月3日 |
没年月日 | 1989年4月30日(60歳没) |
出生地 | イタリア王国 ラツィオ州ローマ |
死没地 | イタリア ラツィオ州ローマ |
国籍 | イタリア |
職業 | 映画監督 映画プロデューサー 脚本家 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1950年代 - 1989年 |
主な作品 | |
『荒野の用心棒』 『夕陽のガンマン』 『夕陽のギャングたち』 |
セルジオ・レオーネ(Sergio Leone、1929−1月3日- 1989−4月30日)は、イタリアの映画監督。ローマ出身。1960年代に『荒野の用心棒』を始めとするイタリア製西部劇をヒットさせ、世界中でマカロニ・ウエスタン・ブームを巻き起こした。
生い立ち
セルジオ・レオーネは1929年1月3日にローマに生まれた。父親は黎明期のイタリア界で活躍した映画監督のヴィンチェンツォ(別名ロベルト・ロベルティー)、母親は元女優のエドウィジェである。両親共に映画関係者だったレオーネは、幼い頃から映画を身近なものとして慣れ親しんだと言う。
1946年に当時17歳のレオーネは、父親の反対を押し切って映画界入り、イタリア国内でイタリア人監督と映画を撮影中のアメリカ人監督の下で助手として働き出す。レオーネが映画製作に携わる事には反対したものの、父親の映画監督としての人脈は若いレオーネにとって大きな助けとなった。父親の友人であった映画監督のマリオ・ボンナルドには特に目を掛けられ、レオーネは多くのボンナルド監督作品で助監督を担当する事になる。また、19歳の時に初めて映画の脚本を執筆する。
長い下積み時代
1950年代後半のイタリアは俗に「ソード&サンダル」と呼ばれる空前の歴史劇ブームを迎えており、このブームに乗ろうとして数多くの歴史劇映画がイタリアで撮影された。レオーネもイタリア資本、アメリカ資本を問わず多くの歴史劇映画製作に参加する事になる。1959年にレオーネはハリウッド超大作『ベン・ハー』の第2班監督を担当する。後年レオーネは『ベン・ハー』の有名な戦車競争のシーンを監督したのは自分だと主張して居たが、これはやや誇張が入っており、実際は戦車競争のシーンの撮影に協力したイタリア人スタッフの一員に過ぎなかったとされる。レオーネは歴史劇以外にも様々な作品の製作に携わり、映画製作のノウハウを身につけて行った。監督のマリオ・ボンナルドが病気のため降板した『ポンペイ最後の日』(1959年)をレオーネが引き継いだ事もあったが、レオーネの名前が実際にクレジットされた監督デビュー作は1961年に公開された『ロード島の要塞』である。
『ポンペイ最後の日』も『ロード島の要塞』も興行的には成功を収めたものの、レオーネ本人が後年、是等の作品に全く郷愁を感じないと述懐して居る様に、この頃に監督した歴史劇映画はあくまで職業監督としての仕事に過ぎないものだった。レオーネ研究家たちもこの時期の作品にはレオーネらしさが見られず、また映画の質自体も、同時期に製作されたハリウッド製の歴史劇に劣るとして低い評価をつけて居る。
「ドル箱三部作」
1960年代に入り『ソドムとゴモラ』(1962年)、『山猫』(1963年)、『クレオパトラ』(1963年)と言った歴史劇大作が次々と興行的に失敗、イタリアの歴史劇バブルは急速に終焉し、同時にイタリアの映画産業自体も大打撃を受ける。この頃、レオーネはイタリアで公開された黒澤明の『用心棒』(1961年)に深い感銘を受けて。1964年に『用心棒』を西部劇に翻案した『荒野の用心棒』を監督する。『荒野の用心棒』は低予算での製作ながら本国イタリアのみならず世界的に大ヒットし、1960年代後半のマカロニ・ウエスタン・ブームの火付け役となった。しかし、製作にあたり正式な許可を、得て居なかった為に公開後盗作問題が浮上、黒澤側に著作権侵害だとして訴えられる事になる。裁判の結果を受けてレオーネたちは、黒澤プロにアジアでの配給権と全世界における興行収入の15%を支払う事になった。
『荒野の用心棒』の成功を見た不況のイタリア映画界はその後、ヨーロッパ全土でマカロニ・ウェスタンを量産、またレオーネ自身もすぐに新作に取り掛かる事になる。レオーネが『荒野の用心棒』の次に放った作品が、1965年製作の『夕陽のガンマン』である。『夕陽のガンマン』は前作同様大ヒットを記録、この映画でレオーネは独自の演出スタイルを確立し、名実共にマカロニ・ウェスタンの巨匠と目される様になる。
これら2作品の興行的成功で実力を認められたレオーネは、1966年にハリウッドのユナイテッツ・アーテイスツから出資を受け、120万ドルの予算を費やして大作『続・夕陽のガンマン』を監督する。南北戦争の動乱を舞台に3人のガンマンが隠された金貨を巡って争うこの作品は、従来のマカロニ・ウェスタンの枠組みを超えたスペクタクル巨編として完成する。クエンティン・タランティーノは本作をベスト1に推す。『荒野の用心棒』から『続・夕陽のガンマン』までのクリント・イーストウッド主演の三作品は、「ドル箱三部作」と呼ばれる。この頃からレオーネはハリウッド大作主義を意識した作品を手掛ける様になる。
「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」
ハリウッド製西部劇を模倣したマカロニ・ウェスタンで名声を得たレオーネであったが、「ドル箱三部作」を完成させた後、本格的にアメリカに招待され、そこで西部劇を製作する事になる。『続・夕陽のガンマン』で出資を行ったユナイトから持ちかけられたグレゴリー・ペックやカーク・ダグラスたちが出演する大作西部劇製作の企画を断り、レオーネは1968年にパラマウントで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』を撮った。この作品は自身の愛する西部劇に対する挽歌であり、是迄もオファーを迫った事のあるチャールズ・ブロンソンやヘンリー・フォンダをはじめ、多数のハリウッドスターを出演させた野心作である。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』日本公開名『ウエスタン』はレオーネらしいドラマ性、叙情性が遺憾なく発揮され、フランスや日本では成功を収めた。アメリカでは公開当時こそヒットしなかったものの、1970年代に入って批評家や映画監督たちに再評価された。現在ではIMDbのランキングで上位に入る人気作品になって居る。
1971年には再びユナイトの下で、ロット・スタイガー、ジェームス・コバーン主演の大作映画『夕陽のギャングたち』を製作する。当初レオーネは監督をピーター・ボグダノビッチか長年レオーネ映画で助監督を務めてきたジャンカルノ・サンティーに任せ、映画のプロデュースのみを担当するはずだった。しかし出演俳優たちがレオーネ監督でなければ降板すると言い張ったため、やむを得ず監督を引き受けたと言う。革命劇の中に西部劇の要素も含め、時代の流れに翻弄されながらお互いの友情を育んでいく2人の男の出会いと別れが描かれた本作は、豪快な見せ場と人間ドラマを活写した作品に仕上がった。
その後、レオーネはトニーノ・ヴァレリが監督したマカロニ・ウェスタンのパロディ映画『ミスターノーボディ』(1973年)のプロデュースや、イタリア車のCMなどを監督するが、本格的な監督業からは暫く遠ざかって居た(一説には『ミスター・ノーボディ』のアクションパートはレオーネが監督したとも言われる)。1984年に10年以上の沈黙を破ってロバート・デニーロ、ジェイムズ・ウッズ主演のギャング映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を公開する。この映画はレオーネが長らく憧れていたアメリカに対するオマージュであり、『ウエスタン』から始まる「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の掉尾を飾る作品である(実際、制作開始当初は主演にヘンリー・フォンダが予定されて居たが、亡くなった為に実現しなかった)。公開当初は、あまりの長大さに映画会社が公開に難色を示し(オリジナル版は205分)、アメリカを始め多くの国では再編集短縮版(139分)が公開されたため、酷評された。しかし、日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開され高い評価を得る。その後、レオーネ自身による再編集完全版(229分)が公開され、ギャング映画の古典としての評価を確立する。
その死
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の完成後、レオーネは次回作として「レニングラード包囲網」を描いた戦争映画の製作を開始する。主演には前作と同様、ロバート・デ・ニーロの起用を考えて居たと言う。しかし、映画の脚本を執筆中に過労による心臓発作で1989年4月30日に60歳で逝去した。此れ以前からレオーネは肥満による健康問題に悩まされており、その事も発作の原因となったと考えられて居る。
1992年に公開されたクリント・イーストウッド監督の西部劇『許されざる者』では、ドン・シーゲルと共にレオーネに対する献辞が捧げられた。
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「荒野の用心棒」が、黒澤明監督の有名な「用心棒」(1961年作)の非公式リメークであることはよく知られている。しかし、監督のセルジオ・レオーネがその三部作の中で、黒澤の作品から得た何を表そうとしたのかを考えてみると、それは単に登場人物と筋書きを彼の最初の映画のためにコピーしたということではなく、黒澤が提示した概念をいかにレオーネが吸収して他に例を見ないようなやり方で昇華させていったか、ということだと思う。
風来坊の浪人が二つの反目している一族同士を戦わせて、共倒れにしようとするという筋書きの「用心棒」で、黒澤は前近代日本における最も重要な価値観をあえて風刺していた。それは、君主に対する絶対の、無条件な服従こそが、武士道における最も大切な美徳である、という価値観だ。
孔子の教えである忠誠心というものが、江戸時代の日本の権力構造を支え、実際、それは近代にも受け継がれ、明治時代の国家への忠誠、そして戦後の会社への忠誠へと形を変えながら引き継がれた。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」予告編
荒野の用心棒 完全版 製作50周年 Blu-rayコレクターズ・エディション PV
Ennio Morricone 映画「夕陽のガンマン」 Per qualche dollaro in più
「続・夕陽のガンマン The Good, the Bad and the Ugly」サウンド・トラック Sound・Track
Giu La Testa / Duck, You Sucker / 夕陽のギャングたち (by RYUKI)
1/30リリース『ウルトラプライス版 ミスター・ノーボディ HDリマスター版』DVD
「聖書とガンマン.....。」
>レオーネ監督が教会の廃墟(はいきょ)に集まる悪党たちを、レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐(ばんさん)」のようなルネサンスの宗教画に似せて撮って居る事だ。悪党の親分、インディオとその12人の子分は、教会の中央に、まるでイエスとその12人の弟子のように配置されていて、3人ごとのグループに分けられている。病的なまでの殺し屋、インディオはいわば反イエスで、まるでイエスが説教をする時のように、彼の子分に話しているが、それはありがたいキリスト教の教えではなく、次の犯罪についてである。すると彼らの元に、賞金稼ぎのイーストウッドがやってきて、悪党の仲間のようにふるまっているが、実際は「最後の晩餐」におけるユダ(裏切り者)である。
黒澤が日本の道徳規範の中心にある「忠誠心」を覆したのだとしたら、レオーネはヨーロッパ・カトリックの「権威」をひっくり返したと言えるだろう。ヨーロッパ文化における究極の悪党であるユダがレオーネの天使のようなヒーローに、そしてイエスとその使徒は悪役に変えられた。
イタリアはその子宮に「バチカン」というカトリック総本山を宿す、大キリスト教国です。マカロニ・ウェスタンと言うジャンルが「血と硝煙と殺戮」と言うキーワードで語られても、そこには「イタリア人」ならではの目線が間違いなく存在して居ます。
マカロニ・ブームの先鞭をつけた「荒野の用心棒」でセルジオ・レオーネは、神話の英雄像をガンマンに重ね、その英雄が「マリアと幼子イエス」を連想させる、囚われの母子を救出するエピソードを描いた。
多くがクリスチャンではない日本人は、マカロニ・ウェスタンの中にキリスト教のイメージを重ねる事に抵抗を覚えるかも知れないが、実は意外と重要な要素なのですよね。なぜなら、西部開拓精神が判らないイタリア人が、この模倣のジャンルに手を染めようとした時に「では、自分たちがこの物語に託すべきものは」何かと言う事は、考えなかった訳が無いのです。
マカロニ・ウェスタンの主人公たちはドラマの中盤で、皆、例外なく敵に捕まり、手酷いリンチに遭う。これは「受難」のイメージに他ならず、そして 中でもレオーネやらコルブッチの作品には「異端」や「受難者」のイメージが特に強くつきまとう(キリストもローマ帝国から異端と見なされ、受難の途をたどり処刑された)。
コルブッチの初期の作品「ミネソタ無頼」は視力を失ってゆくガンマンの話。また「さすらいのガンマン」は、妻を殺されたインディアンが白人に復讐する話 ― 共にキーワードは「受難者」「異端者」です。
服部弘一郎氏の「シネマの宗教美学」によると、もう一人のセルジオ・・・・・・・、セルジオ・コルブッチの『続 荒野の用心棒』と「殺しが静かにやって来る」は、主人公のガンマンとキリストのイメージが、スティグマ(聖痕)によって重なると言う。残念ながら短いコラムの紹介文だったので、もうちょっと細かく分析すると ―
『続 荒野の用心棒』はコルブッチがこだわった受難と言うテーマの中でも「両手を潰される」と言う、キリスト磔刑のイメージが強く投影されて居る。もちろん、ジャンゴはキリストの様な聖人君主などではなく、それどころか欲にまみれ、仲間さえ裏切る一匹狼のアウトローである。しかし、映画のクライマックスではヒロインの娼婦マリア(!)が、ジャンゴの原罪を背負った身代わりのように、死んでゆく。そして、ジャクソン一味に両手をつぶされたジャンゴは「十字架」で銃を支え見事に敵をなぎ倒し、最後、銃と十字架と背後に残し「丘」を上ってゆく ― それは「俗」から「聖」への昇華=キリストの死と復活を暗示させるようなラストシーン、なのです。
また、白銀の世界をバックに展開する異色作「殺しが静かにやって来る」では、声帯を切られた主人公のガンマン(これは沈黙の誓いをたてた修道僧のようだ)がラストで、右手を焼かれ、左手を撃ち抜かれた挙句、殺されてしまうと言う衝撃的な展開を見せる。コルブッチがこの作品のラストに託したメッセージは何だったのか ― 前述の服部氏は「神の死」と解釈するが、その後、ルチオ・フルチ監督が「荒野の処刑」という映画の中で、この舞台の再来のような雪の町で、救世主の誕生を思わせるラストシーンを描いて居る。
こうして、「キリスト」のイメージはマカロニ・ウェスタンの中で、人知れず、幾度となく死と再生・輪廻転生をくり返して行くのです・・・。
イタリア製西部劇は、勝手、映画評論家からは完全に黙殺されたジャンルだった。「マカロニは食い飽きた。久々に本場のステーキが食べたい」とかおっしゃった先生も居たと思うが、そうした人たちの中の何人が、埃にまみれたアウトローの姿に身をやつした聖者の存在に気付いたであろうか?
レオーネもコルブッチもアウトローに聖者を見出したのです、、、
そして、アメリカとヨーロッパ(特にイタリア)とは宗教の捉え方が違うのでは無いでしょうか・・・・・・・。人の命が金になった(賞金稼ぎ)と言う、、西部開拓時代。確かに教会も儘ならぬ、有様だったでしょう。確かに敬虔なクリスチャンは居たでしょうけど、大抵は拳銃が支配する世界でした....。
私が言いたかった事は、イタリア人が西部劇を作るに当たってのモチベーションの問題です・・・・・・・・。彼らは西部開拓時代から南北戦争までを舞台にイタリア人のアイデンティティーを、黒澤明の時代劇(用心棒)を元に作り上げました。勿論アメリカの西部劇「シェーン」の様に風来坊のガンマンが敬虔なクリスチャンの家庭に厄介になって、食事を食べる時に皆んなで祈りを捧げると言う描写は勿論あります。でもイタリア人はキリスト教と言ったらバチカンを有する宗教国家です。だからアメリカ人が表ツラでキリストを敬い、陰で殺しをすると言うアンビバレントな状態はよく理解出来なかった。
それ故に、ガンマンやら風来坊は「異端」や「受難者」のイメージが特に強くつきまとう設定にしたのだと思いますよ。。。
マカロニではありませんが。アメリカの西部劇でジョン・フォードの晩年のマカロニが登場する少し前の1962年の西部劇で、、「リバティー・バランスを撃った男」と言う作品があります。此の映画は一人の美しい女性を巡るガンマンと学校の教師との駆け引きを描いて居ますが、、主人公(ジェームス・スチュアート)は、確か学校の先生でありながら教会の牧師でもあったと思います。
そして学がない風来坊のガンマン(ジョン・ウエイン)は最後に女性を悩ませて居た、悪党を射殺して、その手柄を教師に譲って死んでゆきます。此の映画はアメリカの西部劇の中では名作とされて居て。私も大好きな映画ですよ・・・・・・・・・。
決してアメリカの西部劇が宗教を疎かにして居た訳では無いのですが、、先の文で書いた様に、レオーネの「荒野の用心棒」では主人公のガンマンが「マリアと幼子イエス」を連想させる、囚われの母子を救出するエピソードを描いたり。またコルブッチの「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」では娼婦とガンマンを聖母マリアとキリストに見立てました。娼婦の名は”マリア”でした。それらの事が、西洋の宗教の構造と制限、そして如何にその宗教が過ちを犯しやすい人々を審判するものかと言う事を、再構築した。のでは無いでしょうか・・・。
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