==「コメント何でもいいので書き込んで下さいね。宜しくお願い致しますね。( ◠‿◠ )」==
私は結婚はしなかった。まあ、私の場合は精神病ですからね。何か哀しいけど。結婚は出来なかった。親も何もしなかったしね。ただ。夫婦と言うものは。2人で暮らすと言うのは愛し合って居るもの同士が文字通り身も心も一つになると言う事ですよね。大変な事ですよね。愛が深ければ深いほどいい夫婦関係が築けるかと思いますが。言って見れば内包生活ですね。愛し合って結婚しても上手く行かない事もあります。私が知って居るもう老年の方ですが。何時も奥さんから、うさんがられて居るそうです。何でも「俺は今度生まれ変わったら。またお前と一緒になるよ」と言ったら「私はまっぴらごめんよ!!」と返されたと苦笑して居ました。でも仲のいい夫婦も居るのですよね。宇崎竜童と阿木曜子とかね。彼らは本当に見て居て羨ましいですよ。なんか2年前の番組でだかな?阿木曜子が立って居たら。すぐに宇崎竜童が、「君、何立ってるんだ。俺が椅子持って来てやるよ」と優しく言って居ましたよ。仲がいいのですよね。
夫婦は、家族であり、一方で一番近い他人でもある。長らく関係性を続けていくには、二人にしかわからない努力もして来て居るはず。でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えて貰いましょう。
一対で仕上げるべきテーマはまだある。ともに柔軟に成熟して。
作詞家、作曲家としても絶妙なパートナーシップを築き、夫婦としてもう金婚式を迎える、宇崎竜童さんと阿木耀子さん。二人が’96年に作った赤坂のライブハウスで、気がつけば長い道のりと、互いへの今の思いに向き合ってもらいました。
宇崎竜童さん(以下、宇崎) 大学時代に知り合って、25歳で結婚したんだよね。僕が軽音楽部にあなたを勧誘したのが出会いでね。
阿木燿子さん(以下、阿木) しばらくは部活仲間という感じよね。
宇崎 すぐ結婚を申し込みたかったけど、ね。一目惚れというよりは、何回も前世で会っていて、やっと会えた! という気持ちだったんだよ。
阿木 最初のデートを憶えてる? 部活の先輩が入院してお見舞いに行こうと集合場所に足を向けたら、あなた一人しかそこにいなくて。
宇崎 えっ、そうだっけ。もう50年も前だし忘れちゃった。だいたい、「付き合ってください」と言った憶えもないし。
阿木 まさに歌詞ではないけれど、「知らず知らずのうちに」ね。気がついたら一緒に住んでた。
一見軽率でも価値観は同じ。表と裏の役割のバランスもいい。
宇崎 横浜から赤坂に移り住んだのが結婚して3年後ぐらい。
阿木 ヒット曲に恵まれ、忙しくなって取るものも取りあえず夜逃げみたいな感じで引っ越したのよね。当時の一ツ木通りは、大人の風情のあるいい街だった。
宇崎 日枝神社、豊川稲荷、赤坂氷川神社と神様に囲まれていて、ここに来たら運が上がる気がしたんだよね。
阿木 このライブハウスの上にある部屋に住んでいたんだけど、あの頃はとても忙しくて。
宇崎 ギターと紙と鉛筆とテープレコーダーだけで曲をいっぱい書いたなあ。
阿木 部屋がそんなに広くないから、私は近くの喫茶店で詞を書いて。『横須賀ストーリー』はそこで生まれたの。
宇崎 そういえば、ブギウギハウスというスナックもその頃、始めたよね。
阿木 あれはあなたがやろうって。
宇崎 店をやりたいというより、仲間が集まる場所が欲しかったんだけどね。
阿木 深い考えはなく、あなたは何事も気分で始めちゃう。で、私も「そんなことやめましょう」とは言わない。
宇崎 どっちかが言い出すと、もう一人が「それもいいかも」って。
阿木 軽率なのよ、人生が(笑)。ただ基本的な価値観が似ているの。
宇崎 性格はまったく違うんだけどね。「楽しくやろうよ」というところで意見が合うんだよね。
阿木 たとえば私は対談の仕事をする時は、その前に、その方の作品にちゃんと目を通して、徹底的に準備をする。
宇崎 僕は行き当たりばったり。
阿木 どちらがいいか悪いかじゃなく、あなたは直感型。
宇崎 でも楽曲を作る場合、最後の仕上げはあなたの判断を信じるね。スタートは自分の感覚とひらめきだけど、決着をつけるのはあなた。
阿木 表に出る人。裏を守る人。そういうバランスがうまくいってるのね。
宇崎さんと阿木さんが作った歌です。まだお聴きになって居ない方は、是非聴いて見て下さいね。いい曲ですよ.....。
世良 公則 X 野村 義男 「 身も心も 」
新宿心中 - 原田芳雄
宇崎竜童 「魂の1/2」
「モリのいる場所」。
映画『モリのいる場所』予告編
さて、今回の特集映画です。今回は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」こと、「ウエスタン」です。マカロニウエスタンの名作の大作映画です。。。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
1968年製作のイタリア・アメリカ合作映画です。セルジオ・レオーネ監督作品。黄昏の西部開拓時代を舞台に、当時の人間模様を活写した大作群像劇である。原題を意訳すると「昔々、西部で・・」となる。
レオーネの代表作であるのみならず、西部劇の金字塔として高く評価されている。この作品から『夕陽のギャングたち』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』までを、それまでの「ドル箱三部作」に対して「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ぶこともある。
『ウエスタン』はレオーネの後期作品群である「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の第一作目に相当する作品である。三部作の間に話の繋がりは存在しないものの、いずれもレオーネなりに解釈した西部開拓時代から近代社会までのアメリカという共通のテーマを扱っている。レオーネは当初本作品を自身が監督する最後の西部劇映画だと認識していた。『ウエスタン』にはレオーネの西部劇への決別の意志と共に、当時全盛期を終え徐々に衰退しつつあったハリウッド製西部劇への愛惜の念が込められている。作中には実際に過去の西部劇の名作からの引用が多く為されている。
それまでの賞金稼ぎや無法者たちが闊歩する「ドル箱三部作」の世界観と異なり、『ウエスタン』の舞台はフロンティアが消滅しつつあった西部開拓時代末期である。映画に登場するハーモニカ、フランク、シャイアンの三人のガンマンたちは単純な西部劇の英雄や悪漢ではなく、時代の流れに抗しきれず居場所を奪われた男たちとして描写されている。本作品では鉄道が彼らに西部開拓時代の終わりを告げる象徴的存在として登場している。
また、『ウエスタン』はそれまで映画中に女性をあまり登場させなかったレオーネが、初めて本格的に女性に焦点を当てた作品でもある。クラウディア・カルディナーレ演じる気丈な未亡人ジルは、それまでの西部劇に多く見られたような悪党に苦しめられ助けを待つか弱い女性ではなく、はっきりと独立した意思を持った物語の中心人物として描かれている
『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』のいわゆる「ドル箱三部作」を撮影し終えたレオーネは、もう西部劇というジャンルでやりたいことは全てやりつくしてしまった、として新しく禁酒法時代のユダヤ人ギャングを描いた映画(17年後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』として結実)を製作しようとしていた。しかし、ハリウッドがレオーネに期待したのは、あくまで従来のマカロニ・ウエスタンでしかなかった。当初「ドル箱三部作」の配給会社であったユナイテッド・アーティストはチャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、ロック・ハドソンたちが出演する映画製作を打診したが、レオーネは気が進まなかったのでその申し出を辞退した。しかしパラマウント映画がヘンリー・フォンダが出演する映画製作のオファーを出した時には、それを受け入れた。パラマウントが提示した潤沢な製作資金が魅力的であったことの他に、ヘンリー・フォンダがレオーネの敬愛する俳優であったことがレオーネの心を動かしたといわれている。
レオーネは新鋭監督のベルナルド・ベルトルッチと当時まだ映画評論家であったダリオ・アルジェントに映画の原案を委託した。彼らはレオーネの自宅で『真昼の決闘』や『大砂塵』といった西部劇の名作を鑑賞しながら、『ウエスタン』のプロットを練ったという。そのためか『ウエスタン』はこれまでの娯楽性を追求したレオーネの「ドル箱三部作」(いずれも典型的なマカロニ・ウェスタンである)と異なり、登場人物の心境の変化や作品のテーマ性によりフォーカスを当てた構成、いわば伝統的な西部劇スタイルへの回帰が見られるとされる。
「アメリカの良心」を体現してきたヘンリー・フォンダが悪役を演じることに抵抗を感じた観客が多かったアメリカでは、『ウエスタン』は期待されたほどのヒットにはならなかった。しかしヨーロッパや日本では大ヒットし、それらの国におけるレオーネの評価を更に高めることになった。2005年にはアメリカの雑誌『TIME』によって映画ベスト100中の1本に選ばれた。
本作を観たジェーン・フォンダは父ヘンリーが極悪非道な殺し屋のボスを演じた事が自分と弟ピーターそして自殺した母たちへの謝罪だと感じ涙を流し一人のファンとしてヘンリーにファンレターを出した。因みにクラウディア・カルディナーレはジェーンより1歳年下である。
ストーリー。
西部に初めて鉄道が敷かれようとしていた頃……。アイルランドから移住して来たマクベイン(F・ウルフ)は、この荒野に大きな夢を抱いていた。そして、彼は砂漠を買い、ニュー・オリンズにいる婚約者ジル(C・カルディナーレ)を呼ぶ準備をした。その彼の地権を狙う二人の悪党がいた。鉄道局の役人モートン(G・フェルゼッティ)と、ガンマンのフランク(H・フォンダ)である。そこへ、フランクを捜して一人のよそ者(C・ブロンソン)がやって来た。彼は“その男”と呼ばれた。もの凄いガンさばきとハーモニカがうまいのが特徴であった。彼と同じ馬車でジルもやって来た。彼女はマクベインに呼ばれて来たのだった。しかし、その時すでに、マクベインはフランク一味の銃弾に倒れていた。この事件は、ハーフのシャイアン(J・ロバーズ)の仕業ということになったが、居酒屋で“その男”に出会ったシャイアンは、犯行を否定した。一方、法的な利権がジルに与えられると知ると、フランクは彼女を狙いはじめた。身の危険を感じたジルは、保安官(K・ウィン)の助力を得て遺産をせりに出した。フランクは裏工作をしたが、“その男”とシャイアンが権利を買いとり、再びジルに与えた。その後も、フランクは執拗に彼女を狙ったが、目的を果せなかった。そしてついに、フランク一味の襲撃を待っていた“その男”の怨みの銃弾がフランクを倒した。その時“その男”の脳裏には一五歳の時フランクに虐殺された兄の事が浮かんでいた。彼は再びこの土地を去って行った。夫の夢をうけついでいこうとするジルを残して……
Once Upon a Time in the West / Ennio Morricone ウエスタン(映画)/ エンニオ・モリコーネ
決闘、復讐のバラード(ウエスタン) 高画質HD
この作品はテレビで観たのですが、クリント・イーストウッド主演のドル箱三部作のマカロニ・ウエスタンとは趣が変わっていて、どちらかと云うとアメリカの正統派の西部劇みたいに撮れています。ですが、そこはレオーネ、ちゃんとマカロニ・テイストも含んでいて、まあ、マカロニと本場西部劇の良いとこ取りをして、混血西部劇を作ったと云う処でしょうか。復讐に燃えるチャールズ・ブロンソン、悪党のヘンリーフォンダ、そして未亡人のクラウディア・カルディナーレ、三者三様の人生絵巻が展開されます。冒頭のクラウディア・カルディナーレの婚約者とその家族がヘンリーフォンダに撃ち殺され、皆殺しにされるシーンから一気に、ボルテージが上がりました。そして、ブロンソンが演じる”その男”が最後に敵の悪党のフォンダを倒して、自分に好意を持っている未亡人カルディナレーに背を向けて去っていくシーンまで一気に観てしまいました。私は本場アメリカの西部劇もジョン・フォード監督作品「リバティバランスを撃った男」やニコラス・レイ監督の「大砂塵」など結構好きな映画があります。
この映画は『真昼の決闘』(1952)へのオマージュであるのをはじめ、様々な“西部劇映画”からの引用に満ちています。『アイアン・ホース』(1924)『シェーン』(1953)『追跡』(1947)『捜索者』(1956)『赤い矢』(1957)『大砂塵』(1954)『ウィンチェスター銃'73』(1950)『ワーロック』(1959)等々、しかし、これをレオーネはマカロニ・テイストで纏め上げています。最近この「ウエスタン」の3時間復元ノーカット・バージョンがCSで放映されて、それをBlu-rayに録画しました。レオーネは自身の初のマカロニ・ウエスタンの「荒野の用心棒」が黒澤 明監督の「用心棒」にそっくりだった事から分かるように、日本の時代劇からの影響も受けています。反対に日本の時代劇もマカロニ・ウエスタンの影響を受けていて、三隅研次監督の「子ずれ狼・三途の川の乳母車」などは、トニーノ・バレリ監督の「ミスター・ノーボディ」からヒントを得たようなシーンがあります。まあ、映画はお互いに影響されて創られて行くものです。今回このblogで紹介の動画を挙げていますが、出来れば、このblogでこの映画を知った方は、レンタルでもして「ウエスタン」を堪能して下さいね。
マイ・ハーモニカ....。
最近思う事があります。こんな事は言いたくは無いし、語弊が立つとも思うけど。敢えて苦言を呈すると。最近、イケメン、イケメンと中国のドラマとか、韓流ドラマを見て熱烈に騒いで居るけど。その韓国と中国が日本に対して何して居るのでしょうか???韓国はもうお解りだと思うけど。統一教会で日本を牛耳り。中国は日本侵略を始めて居ますよ。中国は北海道の土地を買い漁り、何と京都の土地やらも買い漁り。新幹線やら富士山を商標登録して居ます。お陰で日本人でありながら新幹線も富士山も使えません。そして中小企業の町工場を1億から3億円の値で買収して中国のものとし、日本のアニメーター達を53万円の値で買い叩き契約させて。中国に来させて中国アニメを作らせて居ます。だから、思うのですよね、、それは韓流も中国ドラマも面白いとは思いますが、もし中国、韓国の政治的思惑で、日本で両国のドラマが放映されて居るのだとしたら。それは、危険な事では無いかと、、まあ日本のドラマも韓国 中国で放映されて居るのだとは思いますが・・・・・。まあ何見ようと人の勝手ですけど、最近の中国やら、韓国を観て見るに、大丈夫かなと思いまして。一言言いたく成りました。北朝鮮も弾道ミサイルを打ち込んで来るしね物騒な時代です。。。
私は韓国人やら中国人に対して今まで悪い感情は持っては居ませんでした。然し、最近の風潮を見るに心配になって来たのですよね。確かに中国の料理を日本は真似て、例えば中国では水餃子とか蒸し餃子しか無かったものを、改良して焼き餃子を作り出しました。日本で生まれた焼き餃子は、今、中国の中華料理店でも定番のメニューと成って居ると言います。日本人は外国の文化に対して通底概念を持って居ます。政治に参加する市民はどんな考え方をすればよいか。そうした意味で「政治のための教養」を切り口として、丸山思想について紹介したいと思います。丸山は戦前・戦中期から思想史研究者として活躍して居たが、言論人としての本格的活動は戦後からです。その出発点としての庶民大学三島教室は、庶民に自分の思想を語り、対話の中で自分を見つめ直す相互教育の場として、丸山のデモクラシーへの信念を支えた根源的経験でありました。
同時にリベラル・デモクラシーが、20世紀の社会では基盤を掘り崩されて居ると言う問題も彼の意識にあった。それは早く「政治化」現象として論じられたが、戦後には、大衆社会でマスメディアが人々の感情を刺戟して熱狂的な政治参加へと動員し、あるいは娯楽情報に関心を集中させて政治的無関心を招き、価値観が画一化する危惧が語られて居る。
リベラル・デモクラシーを支える理性への信頼と、その存立を困難にする現代的条件の認識とが葛藤するなかで、丸山は思考を続けた。彼が矛盾解決の糸口として考えた一つは「遊び」としての知では無いかと思われる。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をふまえて丸山が考えたのは、実用性を意図しない「遊び」としての知的営為の役割だった。ルールを共有した上で競いあう「遊び」の修練を重ねることで、異質な者が共存する営みとしての政治に関わるための判断力も培われる。丸山が大学教育、ひいて成人教育一般に期待したのはそれであった。彼は勝手言いました。日本人はその思想にすぐに外からの思想を抱き合わせる。そしてそれを内包して仕舞うと。現代は、「ボーダーレス」と言う言葉に代表されるように、国境を越えた交流が盛んな時代であると思います。応用倫理学と言う分野においても、現実的課題への応答として、共通の論点に関する 国境を越えた議論の交流が行われて居る。 ただし、国境を越えた議論の交流は、必ずしも普遍的規範の共有へ至る訳ではない。例えば、生命倫理学において米型・仏型・独型と区別されることがあるように、論点や課題を共有しつつも、それへの対応の仕方には国の個性が現われると言う側面がある。
此処には、丸山の言葉を借りると、「自己を世界に開くと同時に自己を画する」側面が現われて居るのではなかろうか。 しかしまた、「日本的なもの」は自明なものではない。それゆえ、「日本的な」思想、文化、 思考様式とはいかなるものであるのかと言う問いが喚起されることになる。この問いに応答するための手がかりの一つとして、丸山の「古層」論が大きな意義を有するだろうと考える。 何故なら、「古層」論とは、戦中・戦後を生き抜いた丸山が、「日本」と言う国の自己規定と、 「日本」が目指すべき方向性を、「日本人」として探求する試みから生まれたものだからである。 日本人の意識の「古層」概念について論じるにあたっての重要概念である「古層」には、丸山による別の二つの名称がある。 一つは「原型」であり、もう一つは「執拗低音」である。これら三つの語が意味する内容は同じものであるが、 現代は、「ボーダーレス」と言う言葉に代表されるように、国境を越えた交流が盛んな時代である。応用倫理学と言う分野においても、現実的課題への応答として、共通の論点に関する国境を越えた議論の交流が行われて居る。 ただし、国境を越えた議論の交流は、必ずしも普遍的規範の共有へ至る訳ではない。
例えば、生命倫理学において米型・仏型・独型と区別されることがあるように、論点や課題を共有しつつも、それへの対応の仕方には国の個性が現われると言う側面がある。此処には、丸山の言葉を借りると、「自己を世界に開くと同時に自己を画する」側面が現われて居るのではなかろうか。 しかしまた、「日本的なもの」は自明なものではない。それゆえ、「日本的な」思想、文化、 思考様式とはいかなるものであるのかと言う問いが喚起されることになる。この問いに応答するための手がかりの一つとして、丸山の「古層」論が大きな意義を有すると考える。 なぜなら、「古層」論とは、戦中・戦後を生き抜いた丸山が、「日本」と言う国の自己規定と、 「日本」が目指すべき方向性を、「日本人」として探求する試みから生まれたものだからである。 日本人の意識の「古層」には、丸山による別の二つの名称がある。 一つは「原型」であり、もう一つは「執拗低音」である。これら三つの語が意味する内容は同じものであるが・・・・・。「執拗低音」とは音楽用語であり、低音部において同一音型を執拗に反復する技法の一種である。思想史家の丸山眞男は、日本が外来思想を受け入れる際の、日本的変容の働きを説明する言葉としてこの用語を援用しました。
勝手日本も、アメリカのエンパイア・ステートビルを、一時所有して居たことがありました。 1991年に実業家の横井英樹氏が買収して居ます。 ただし新聞ネタになって米国人から非難されたのは、1989年の三菱地所によるロックフェラー・センター買収の方です。 当時の、日本脅威論の代表例とされて居ます。
だから、今、中国が日本の土地だとか優秀な人材をお金で買い叩いて居るのは、私は見て居て勝手、日本がアメリカに対して行った事だなとも思っても居ます。経済大国になった中国は。勝手、経済大国だった日本を真似て居るのか???ただアメリカと日本は同じ民主主義を持って居る同盟国です。中国の場合は同盟国でも無く共産主義です、そして勝手に買い漁って居るのですよね。此のことが、中国の「一帯一路」に取り込まれて居るとしたら怖い事ですよ。皆んなもっと危機感を持った方がいいと思いますよ。韓国の大統領は「日本と共に外敵を向かい撃つ」とか。日本寄りにすり寄って来て居ますが、、そんな大統領は韓国人は嫌いな様ですね。韓国と日本の溝を埋めることは出来るのでしょうか??何か一言言いたく成りました。それではこの話はこれで・・・・・。(๑>◡<๑)
私は親父も嫌いだし親父の会社の従業員も大っ嫌いだった。親父は8人兄弟の3男坊だった。親父のお袋、おばあちゃんが亡くなった時に親父はこう言った。「子供を8人も産んでなぁ、、どこにそんな女がいるんだ....。」だからか、子供の頃に私が漫画の単行本を買うと。寄越せと言って裏表紙に私の名前をマジックで大きく書いた。私はその都度怒りまくって言った。「どこに漫画の単行本に自分の名前を書く人間がいるんだよぉ〜〜!!」そしてたまに顔を洗う時に食器を洗う洗剤で自分の顔を洗っていた。私は自分の父親がこうも常識を持っていない事に驚き。そして心から軽蔑していた。貧乏をするとその人間はどうしようもない人間に育つ。バカ親父は自分は明治大学を出たと言ってはいたが本当だったかどうか?母に寄るとちゃんと卒業式の夜に卒業証書を持って母の間借りしていた、4畳半の下宿にやって来て。母にちゃんと見せたとは言うが?ゆきかずが、ある日。私に、こう車の中で聞いた「お前は大学の卒業論文は何書いたんだ?大学なんか行っていないのだろう。嘘をつくなバカヤロー!!」
だから言った「ケインズとハイエクの歴史認識についての論文ですよ」そう言うと「ケインズとハイエク〜?」。だから私は「あれ、ゆきちゃん?ケインズの経済論とハイエクの経済論。そして2人の立場の違い知らないの?」そう言ってこう言った。「ケインズとハイエクは、一般にはそれぞれが景気対策としての財政・金融と言ったマクロ経済政策による市場への介入を是とするか否とするかを唱えて対立したライバルとみなされていますよね。またもう少し現代の主流派経済学に通じた言い方では、両者の相違は異時点間の資源配分にかんし合理的な選択を行うと言うミクロ的な基礎付けを無視するか直視するかと捉えられる事もある。さらには両者の資本理論と金融政策を知る人であれば、不況時に裁量的な金融緩和を認めるか金本位制のルールを厳守し企業の閉鎖も看過すべきかで対立したと言うかも知れない。けれどもそれらは両者の一時期の議論に焦点を当てた理解であったり、経済人の合理的選択と言う新古典派経済学に過度に引きつけた解釈である。俺が書いた事はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までにたどった思想的な挫折や転換といった経緯を辿り返し、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどう捉えたかを論じるものですよ。
ケインズとハイエクにとって、容認する「政府の大きさ」は副次的な問題でしょう?。両者には、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとしたケインズと、ミクロで扱おうとして市場経済だけでは自律性を論証出来ない事から慣習法の必要性を悟った後半生のハイエクと言う様に、市場経済をマクロで捉えるかミクロから理解するかと言う違いがある。ハイエクからすれば、「マクロ」を市場の分析単位とする事そのものが市場への介入の第一歩でしょう?。
彼らはともに将来を新古典派の様にリスクではなく不確実性で捉え、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察した。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないと言う意味での不確実性が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」であり、ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行すると言うルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとしたよね。両者は対立したと言うよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したと言う解釈ですね。ケインズとハイエクは社会政策全般を様々に説いているが、それは以上の様な市場経済像を前提とするもので、そこから慣習と変化、政策と自由のあるべき組み合わせ方、すなわち保守主義・自由主義・民主主義を展望しているのですよ。」
するとゆきかずは何も言えなくて黙って仕舞った。彼奴はケインズとハイエクの論争も知らなかった見たいだ。私は大学でこう言うことを学んでそれを論文としたが。私は反対にゆきかずに聞いた「処で、ゆきちゃんはどんな論文書いたの?」すると「ケッ!!フン!!」と言って何も言えないのだ。彼は大学を本当に卒業しているのか?人の事をバカにして難癖つけても自分では何も語れないではないか?大体が会社の社員が。何故、よくて皆んな高校中退か夜間高校卒しか採用しないのだ。入社面接もいい加減だし。殆んどが中卒か小学校もろくに行っていない輩だ。それはゆきかずに学がないからだ。昔、一時期。大卒を数名雇ったが、殆んどの人から造反されて辞めて行かれた。何も私は自分に学があるとは思ってはいませんよ。ただ殆嫌だった。働いている時は・・・・。ある時にゆきかずに付いている橋本と言う小学校中退の男と一緒に車に乗った。ちょうど夏だった。そうしたらそいつがこう言い出した。「昔はよくアイス・キャンディー売りが来たものだよなぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいなぁ。〇〇ちゃん?アイス・キャンディー売り、最近。見掛けないな?」私は呆れて仕舞った。当時は、1980年代の初頭だ。「アイス・キャンディー売り」。とは昭和20年代から30年代の半ば頃まで自転車に箱を括り付けて。中にアイスキャンディーを入れて売っている行商人の事だ。昭和10年代から売っていたが。終戦後の昭和20年代から昭和30年代によく公園やら民家が密集している場所に売りに来たものだ。お年を増した人はご存知かと思いますが、若者は知らないでしょう....。
大正時代半ば、アイスクリームの工業化が始まります。それまでは、レストランでしか食べられなかったアイスクリームが、家庭でも食べられる様になり、さらにカップアイスの登場で普及に拍車がかかります。
昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われ、日本の夏の風物詩にもなりました。
【アイス・キャンディー】は、棒状の氷菓。
「アイス・キャンディー」は和製英語で、英語ではポプシクル (Popsicle) と言う。アイス・キャンデー、アイスバーとも。水、果汁、牛乳などに、砂糖などの甘味料、香料、着色料、固形の原料などを加えて、円筒形もしくは直方体の型に流し入れ、長軸方向の中央部で作る。木製またはプラスチック製の棒を差し入れて凍らせたもの。固形の原料としては、果肉、小豆、緑豆などが使われる場合が多い。凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆う場合もある。
棒には「あたり」「はずれ」の焼き印が押されたものもあり、「あたり」が出るともう一本アイスキャンディーが貰えると言う売り方がされる事もあった・・・。
まあ、最近の人は金魚売りやら風鈴売り。豆腐売りとか、飴細工売りとかが。自転車に積んで売りに来ていた事も知らないですよね・・・・・・。そして紙芝居。昔は、貸し本漫画家が紙芝居の絵を描いていましたよね。「水木しげる。」だとかね、、、
「風鈴売り」
「飴細工売り」
「金魚売り」
「紙芝居」
「豆腐売り」
最近流行って居る。「移動書店」、、
これも最近流行りの「移動カフェ」
そしてその橋本が言うのだ。「なぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいよなぁ?。コンビニで売ってると思うから買って来てくれや。」そして私に10円を渡すのだ。私は絶句した。今時、昔のアイス・キャンディーがコンビニで売っているとでも思っているのだから。その上、10円????。1本ですら買えないだろう?私は言った「もっちゃん、何考えているの?昔のアイス・キャンディーなんて今時売ってはいないよ?」と言うと。何だ、アイス・キャンディーは昔は赤いのだとか青いのだとか売っていたぞ?」と言うので「あのですねぇ・・・。今は昭和60年代ですよ。昭和20、30年代とは違いますよ?」と言ったら、「いいからアイス・キャンディーで、今売っているものを買って来てくれ....。」と言うので「それからですね。今時10円じゃ何も買えませんよ」するとこう言うのだ。「昔は、1本5円で買えたぞ!」だから怒り気味に言った。「今は1本100円はしますよ!!」そうしたら渋々200円を出して買って来いと言うのだ。私は是だから昔の人間は。と思いコンビニに行って、アイス・バーをミルクのものを2本購入して来て渡すと。私にも食べろと言って渡すのですよ。
私は「なんだかねぇ、、」と思いながら舐めていると自分も舐めていて「これは昔のものと味が違うけど、うまいよなぁ」と言って舐めている。そうしたら軽トラックの運転席でいい歳をした男が。アイス棒を2人して舐めているので対向車の運転手が皆んなして大笑いをしてすれ違って通って行くのですよ。それを見て橋本はこう言った「見てみろ彼奴らも食べたいんだぞ。アイスキャンディーを〜〜。」私は差別はしたくは無いが、貧乏育ちで学がまるで無い人間は。どうしようも無いと思って話を聞いていた。そして言うのだ自分の娘が絵が上手いと貼り出されたと。まだ小学生だ。そして言う。「おらさの娘の方が〇〇ちゃんより上手いぞ。断言する〇〇ちゃんなんて幾つ貼り出されたんだい〜〜!?」私はもうこんなバカと話もしたくも無いから黙っていたら、こう言うのだ。「うちの娘の絵は消防署に張り出されたんだぞ凄いだろう。〇〇ちゃんよりも凄くて立派だろう!!」そして言うのだ。「〇〇ちゃんはどこに貼らせて貰たんだい!!」「・・・・・・」「言えない所か?(笑)」「あのですね。俺は賞を貰いましたけど。」「消防署からか、学校の医務室からか?」私はもう嫌になったけど言った。「ああ、ニューヨークと、イタリアからね....。」
Savannah Woman (Remastered)
そしたら「え”っ!!」と言って要約黙った。その日は、丁度バンドをまだやっていたからライブが夕方からあって。「あの。今日はライブハウスに行くので早めに帰らせて下さい」と言ったら。「らいぶはうす???」と言うので「軽食やら客が食べたり飲んだりしながらバンド演奏を聞く所ですよ」と言ったら。「嘘も休み休み言え。そんな店は在る訳無いだろ!!」と言い切る。私はキレて仕舞い車の中で大声で怒鳴った!!「あるんだよ!!あんたが何も知らないだけだろ?東京中にあるよ!!」そう言ったら。「いや、おらさも知っているぞ。モンキーダンスを皆んなして踊るとこだろう!!」私はキレて殆嫌になった。「ゴーゴー喫茶」は1960年代の話だ。ぶん殴ってやりたくなって来た。私はその日。夕方5時に会社に帰ると、営業日誌も書かずに家に帰り。と言っても家は会社と一緒だからどうと言う事はないが。迎えに来たバンドのベーシストと共に、ギターケースを担いで道に出て歩き出したら、近所のあの悪ガキ時代から私が嫌っている。藤堂が道を歩いていて私を見て言うのだ。「なんだ。てめえなんぞが、ギター弾けるのかよ!!」私は黙って歩いていると言う「弾けるのなら此処で弾いて見ろや!!」私は黙って歩いたが追いかけて来て言うのだ。だから言ってやった。
「これはなエレキギターだよ!!」そう言うと「ケッ!!格好付けやがってチビの癖に!!」私は「どいつもこいつも皆殺しにしてやろうかバカどもが!!」と思ってスタジオに行くのに電車に乗った。その日は皆んな、ブルースには飽きていたので。ディープ・パープルとトミーボーリンの曲を演奏した。そしてこう言う事があった。スタジオで練習して皆んなで居酒屋チェーンの「村さ来」でおつまみとビールを飲んだのだが。私はビールは弱いのですよね。酔って仕舞って帰りに電車に乗ったのだが、どうやら終電で。客がその車両に私ともう一人しかいなかったものだから。酔いも手伝ってラジカセで演奏した曲をつい掛けて聴いて仕舞った。そうしたら前に座っていた男が微笑んで私に言った。「バンドのテープですか?」私が「あれ、すみません、、今止めますから....。」と言うと「いや聴かせて下さい。私も実はホルンやっているんですよ。」と言われた事があった。音楽やっている人は皆好意的だ。しかし昨日か。コンビニに食料買い出しに行ったら。身長187センチはある、長い長髪の男2人連れが、私の前から来てスノップに歩いてすれ違って行った。多分ヘビメタのロックバンドのミュージシャンだろう。歳は30代ぐらいに見えた。カッコイイなぁとは思ったが背が高すぎてどうもなぁと思った。私とは、ほぼ20センチは違う....。橋本が生きていたら「格好付けやがって!!」と。さぞかし僻んだ事だろう。何せ橋本の身長は148センチだったから、話は此処迄にしときます.....。話はまだ続きますが、なんだか薬の後遺症で眠いです。だから少し寝ます。此れだから何も出来ないんですよね。まあ、言ってもしょうがないか・・・・・。
今起きた。1時間半は寝ていた。私は変な話だが此処の処オナラが物凄く出る。今日は訪問看護師に言ったのだが「ガスが出るんだから良いじゃない」と惚けられた。全て薬の後遺症なんですよね。本当に嫌になる!!今日は、先ほど起きて駅前のATMまで行って来た。何故なら昨日届いた保証人会社の更新料と、家賃の更新料1月分と火災保険料で全て合わせて8万8千円を銀行に振り込んだからです。「保証人会社が通るかなぁ」と心配だったが、自動更新にしてくれていた見たいだ。2年分の更新料をコンビニから入金した。2万円です。不動産の更新料は家賃1ヶ月分5万円と火災保険料1万8千円の合わせて6万8千円です。ネックになっていたのは連帯保証人が持ち金が少なくて保証人会社が通るかどうかと言う事だったが、2年前に金が無くなったら障害持ちなので生活保護になりますからと言って置いたから。そう言う対応をしてくれたみたいだ。私は今年の初めには生活保護に成ったので更新料は保護課から出して貰えた。更新が出来て良かったです。感謝です。そして不動産に行って更新書類にハンコを押して来た。
今日の昼です、、喫茶店で、サンドイッチを食べました。サラダとポタージュスープとプリンとアイスコーヒ付きです。此れで780円です。。
『アイドルマスター シンデレラガールズ』の二宮飛鳥役をはじめ、多彩な役柄と光る個性でファンを魅了してきた声優・青木志貴さん。しかし、これまでの道のりは複雑極まるものでした。
いじめにあった学校時代、女性か男性かでさまよった性自認の苦悩、また、体型のコンプレックスから摂食障害になったことも…。でも、そのつらい経験のたびに、自分自身と向き合い、決して見捨てることなく、やりたいことを貫いてきました。そしてその結果、声優という自分にぴったりの職業にたどり着き、新たな役をつかみ、舞台やイベント出演など、どんどんと活躍の幅を広げています。
昨年、自身のYouTubeチャンネルで、性自認が男性であること、パンセクシュアルであることを公表し、大きな反響を呼びました。自分の考えを臆することなく語る姿が、ファンをはじめたくさんの人の共感を得ています。本書は、そんな青木さんの揺るぎないマインドがたっぷりと詰まった内容になっています。
収録内容
撮りおろし写真ページ16P
PART1 僕の生い立ち
PART2 本当の自分がわかってきた時代
PART3 声優というかけがえのない仕事
PART4 自分と向きあいやりたいことをやる
など
タイトル:わがままに生きろ。
著者:青木志貴
定価:(本体1,350円+税)
発売日:3月10日(水)
ISBN:978-4-04-680223-1
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000769/
著者プロフィール●青木志貴(あおきしき)
「アイドルマスター シンデレラガールズ」の二宮飛鳥役をはじめ、声優、モデル、タレントとして多方面で活動の他、YouTuberとしても注目を集めている。また、ゲーム配信も人気なコアゲーマーでもある。愛称は「魔王」・「eerie」など。