「漁師に助けられた鬼の話。」
壺に閉じ込められた鬼は誓った。
此処から出してくれたものは一生大金持ちにしてやろうと。
そして100年経って鬼は思った。助けてくれたものには
ありとあらゆる神通力を携えてやろうと
しかし400年経ってもツボの中だった。
鬼は助けてくれても3つの願いしか聞いてやらんと思う様になった。
処がついに1000年が過ぎて鬼は思った。
俺を助けてくれる奴が居たらそいつを食い殺してやると。
人間は天使でもなければ獣でもない。しかし不幸な事に人間は天使の様に行動しようとしても獣の様に振る舞って仕舞う。過度に人に期待を持ち過ぎてもロクな事にはならないし。また他人は自己中心的に生きており、それを、改めさせる事は出来ない。私は恐らくは純粋すぎるのだろう。だからこんな精神障害者になって居るのだと思う。でもね、私は私なんですよ。誰がどう思おうと。どう接しようとも。だから致し方無いのです。此間は訪問看護師に姉の悪口を可也言った。はっきり言った、姉らしい事をして貰った記憶が殆んど無いからだ。私は愚痴を言えるのは,このblogと訪問看護師だけだからだ。しかし彼女らは黙って聞いては居るがそんな話を聞かされても人の事だ。興味は持てまい。ましては患者の言って居る事としてしか受け止めまい。だから私は最近部屋の中で独り言を言う様になった。たまに弟が話に出て来る事がある。何か聞こえる気がするのですよ。「兄さんそれは俺は違うと思うよとかね、」。まあ、頭がおかしくなったのでは無くて妄想なのですよ一人っきりの。幻聴とかそう言うものでは無くて、思いだけが分かると言うか。そんな風な事なんですよ。毎日起きて居る間はね。
私は10数年前に、薬を飲んで居なかった。自分の判断で飲まなくたっていいと思って飲まなかったのだ。そうしたら再発した。要するに言いにくいが脳の疾患なのだ。これは、先天的に備わって仕舞ったものなのだろう。障害です。だから私は身体障害者なのですよ。薬を飲んで居れば障害は止まるのです。だから一見健常者と変わらない。だが、無理は一切出来ない。私の場合、薬で寝て仕舞うし。体が怠くて仕方が無い。抗精神薬はキツいのです。掃除ですらなかなか出来ないし、今はこの間、幻聴が聞こえて居た。私は薬剤所の若い男の薬剤師に「このバカが!!、」と女の薬剤師と話して居たら言われたと思った。そう確かに私の話を聞いて言ったと思ったのだ。何故ならその男の人の声で聞こえたからだ。私はその時にその男の薬剤師の方を向いて怪訝そうに見たのだが、此間だ薬剤所に行くとその男の薬剤師が話し掛けて来た。和かに。私は話して居てこの男がこの間「このバカが!!」と本当に言ったのか?と思って帰って来てからよく考えた。そうなのですよ。それが幻聴なのです。「幻聴」とは恐ろしい病状です。まるでその男の薬剤師が言ったかの様にその人の声色で聞こえて来るのですから。
私は一時人間不信になって、訪問看護師とヘルパーを一時休むと主治医に行った。しかし主治医は休ませなかった。私はある訪問看護師と話して居て、話の合間に必ずその子が「けっ!!」と言うのだ。私はなんか変だと思った私が嫌いだったら、黙って居て口を聞かないはずだ。普通はそうでしょう?だからおかしいと思い、その子に思い切って聞いて見た。「君、さっきっから、何故「けっ!!」と言って居るの?」と。そうしたらその子はビックリして「そんな事は一言も言って居ない、、」と言って驚いて居た。私はまたしても幻聴だなと確信した。普通は精神疾患者の殆んどが幻聴を本当に言われて居ると思って仕舞う。確かに幻聴を間に受けて仕舞って怒ったり。暴れたりする人も居る事だろう......。だから前に主治医に言われた。「あなたはちゃんと区別が出来て居るから凄い」と。訪問看護師とヘルパーを雇うのは、此れは病院からの指示でもある。私の主治医が必要だと判断して契約を結ばせ派遣されて居るものです。精神疾患者は嫌われる。それは中には飛んだキチガイ的な人も居るからだ。でも大概は皆んな大人しいのですよ。ただ、頭の病気と言う事で嫌われるのです。あいつはキチガイだとね。
偏見ですね。酷い人になると。「精神病は移るのか?」と言う人まで居る。私の実の父親がそうだった。あのバカ親父は私の主治医に「こいつの病気は人に移るんですか?」と聞いた大バカ野郎だった。主治医は父親を烈火の如く怒鳴りつけた。無知と理解の無さが精神病患者を孤立させるのです。だから皆さん。精神疾患者は厄介では無いのですよ。たまに症状が酷くて、何言ってるか解らない人やら、おかしな挙動をする人間が居るので。精神病患者は頭がおかしいとなるのですね。まあ、確かに重症患者はそう言った人も居ますが。大抵は、それは薬の作用なのですよ。余程の事でも無い限り、そんな事は無いのですよ。ただ精神疾患があると言う事で兄弟は縁を切りますね。大抵。要するに頭がおかしくなった兄弟は。認めないと言う事だろうと思います。私の様に軽症の精神疾患者でも。姉弟は見捨てましたから。私は逆にそんな薄情な姉弟だとかは此方の方から願い下げですが。私は今持って差別と偏見の中に身を置いて居ますよ。だけども私は自分がそうだから、人の痛みが良く解る。障害者になって、人の痛みが解って人に優しくなりました。だから余程の事でもなければ怒りませんよ。そして私はブルースと言う音楽の意味が解り掛けて来た。本当の意味で”BluesMan”になれたと言えそうです。私に取ってブルースとは人生です....。
私はよく人から、「昔、絵が描けて居たのなら、何故、今描か無いのか?」と言われます。しかし絵はもう描きたくは無いのですよ。。私の母は変わって居る人でした。何遍も言いますが、私は美大に行きたかったのですよ。美大に入れなければ美術学校でも良かった。しかし、あの人は私に好きな道には絶対に進ませなかった。私のやる事は何でも否定してくれた。そして子供の私に依存して居た。私が絵画を描いて母に見せるとこう言われた「お前は嫌なものを、そうやって描いてくれるねぇ!!」そして言うのです「絵なんか描いたって一銭にもなら無いんだよ。だからそんなものを描くは金輪際辞めておくれ!!」それでも私はイラストを描いて見た。人物画だ。フランスの俳優、アラン・ドロンを描いた。そして似て居るかどうか母に「このイラストちょっと見てくれ無い・・・。」と言ったら激怒してこう言われた「ちっとも似てや仕無いよ!!いい加減に絵を描くなと、あれ程言って居るだろうバカ!!」私はその一言で絵はもういいや。永遠に描くのは辞めようと封印したのですよ。
あの人は皆、私の考える事は否定してくれた。よく私に勉強してお父さんの会社に入れと言って居たが。何が会社だ。あんなモノは、会社とは言え無い処だった。働いてるのは中学校中退。高校中退。良くて中卒か高卒しか居なかった。私は幼稚園の頃から私立に行きたかった。小学校から私立に行きたかった。だから勉強するから行かせてくれと頼んだ。何故なら従兄弟たちは、皆んな、私立の学校に通って居たからだ。私立の小学校。中学校。高校へ行けたらと切に思った。そうしたら有名大学に行けて就職も良い処に行けると思った。それには勉強しようと思った。うちに間借りをして居た下宿人の、上智大の学生やら東大の学生やらを見て居てつくづくそう思った。しかしどんなに頼んでも行かせては貰えなかった。親父は大概のバカで、小学校1年生の私をオートレース。競馬。競輪に連れて行き。お前もああ慣れと言ったほどの大バカ野郎だった!!私が高校になって漫画を描いて居ると母が部屋に入って来て「こんなモノは描くのは辞めろと、あれ程言って居るだろう!!」と言って描かせなかった。だから私は絵については、殆嫌になって仕舞った。弟にある日、以前書いて居たアラン・ドロンの似顔絵を見せたら、「アラン・ドロンでしょう?良く描けて居るよ。うまいじゃない....。」とは言ってくれたが。私はこんなにケチを親から付けられるのでは。もう嫌だと思う様になって行ったのだ。だから、私は金輪際。絵を描くのは、もう辞めようと筆を折ったのだった。
私はその代わりに音楽をやろうと思って居た、だからバンドを組んだ。そして、それも母はダメだと文句を言い出したが、私は親には何も言わずに高校の部活で楽器練習をして、そして家に私の正式な個人部屋が無かった事もあって、、高円寺のブルース喫茶「ビスケット・タイム」に高校の授業が終わると毎日通って居たのだけども。そこでバンドのメンバーと会って話して居た。そしてエレキギターも買っては貰えずに、また自分でも購入する事は出来ずに居て、殆困っては居たが。ある時に近所に住む。私の母とは顔馴染みだった通称"おばちゃん”が買ってはくれたが、値切ったらしく購入したエレキ・ギターの335は少し壊れて居たモノだった。造りが、何と言うか部品が甘いのです。でも、私はそのエレキギターで、ほぼ6年間バンド演奏をした。私は授業が終わると毎日ブルース喫茶で宿題をこなし。そこが閉店して。だから大学に入ると今度は、新宿やら明大前のジャズ喫茶に通ってレポートを書いて勉強をした。家には大学生たちの下宿人が居て。私の勉強は邪魔されるからだ。中学、高校の頃は、何時も家にいると使いパシリにされた。。。私はそう言う事で音楽だけは母の魔の手から、逃す事が出来た。
それに、いい加減に子供でも無いのに、あの母の私を監視する態度が我慢ならなかった。たまに私の処に来ては、「お前は何をして居る!!」と言うのだ。監視して居るのですよ。私は怒って言った。「俺は男だよ、気色悪い部屋に入って来ないでよ!!」一度親父が、私が高校生の頃に、「会社のアルバイトに友達を数人連れて来い」と言った事があった。何故なら、従兄弟のゆきかずとけんじが、そうして居たからだと言うのだ。子供は親のダシか!!私は当時の同級生2人に声を掛けて一緒に働いた。しかし母は昼になると、もう料理を何品も出して嬉しがって居て・・・・とうの友人たちは、仕事と働いて居る真面では無いバカな社員との間で、嫌な顔をしてウンザリして居たのに。それなのに母は「しっかり食べてね、、料理もう1品作るからねぇ〜〜私は料理が得意なのよ〜〜!!」と体を躍らせて嬉しがって居た。バイトが終わって、彼らにバイト代を払った時に私はこう言われた「お前の家はおかしいよな?お母さんって何なんだ?何が会社だ!!あんな処。二度と来ないよ!!」そう言われた。その後、私は障害を持つ様になり音楽活動は一切出来なくなって仕舞った。2000年代に入って私の姉さんの娘。姪がGizaという音楽事務所に所属して、作曲家そしてシンガーソンング・ライターとなった。しかし姉は自分の子供可愛さに、曲が出来ると当時はCD-RもMDやらカセットテープもあるのに、何故か毎回電話を掛けて来て。電話機の前で録音した出来立ての音源を、再生して私たちに強制的に聴かせた。
あのバカ親父などは、浪花節しか解ら無い人間だったから、姪の作るJ=POPなぞ聞かされても解りはしない。そうすると電話でネチネチと、バカ親父に感想を言えと言って。バカ親父が「おりゃ〜。こう言う音楽は解らないんだ....。」と言うと「このバカヤロ〜〜。あの子の作る曲は世界一なんだ!!それを貴様は誉めないのか?認めないのか!!バカヤロ〜〜!!。」と怒声罵声を浴びせて居た。親父は「あいつはなぁ、、」と呆れて居た程だ。そして最後には誰も自分の様には褒めてくれ無いと怒る始末だ。誰が自分とそっくり同じ様に褒めてくれるのだろうか.....。また書いて来て嫌な話になりました。だから、私はそう言う事で絵はもう2度と描く事は無いでしょう。それにもう、あれから40年も経って居るのです。その間に一度も絵を描いてはおりません。ですので、もう描こうとしても描けませんよ。幾ら、昔。ニューヨークとミラノから賞状を貰ったとは言えね....。そう言う事です。子供は親の背中を見て育ちます。私の父親は大概の大バカモノだった。母は私に干渉し過ぎた。何でも私のやる事はダメだと言った。お陰で、私は大学の時に、ある宗教団体のバカ信者に、しつこく付き纏われて統合失調症になり、全てを失う事になった。私は一体何だったのだろうか?私は感がするので言いますが、私は生きても後5、6年でしょうね。
何だか、最近悲しくて仕方がない。自分の境遇を考えるに、何故こんなにも虐待を受けなければならないのかと、、私の姉は何と言うか、乱暴な女だ。前に姪の婚約者に履かせる為に踵が高いブーツをどこで売って居るのかと聞いて来た時も「おい!!おまえが履いて居る靴。どこで売って居るか教えろバカヤロー!!」と言われた。人にモノを頼んで居るのだろう。「教えろバカヤロー!!」とは何だ。私の姉は子供の頃からそうだった。忘れもしない。私が小学生の頃に、中学生だった姉にセトモノで出来た人形を誕生日プレゼントでプレゼントしに、人形が売って居る店に行って、「好きに選んでいいよ」と言った時も1時間半経っても選ばないので、「いい加減に選んでよ.....。」と言ったら「うるさい!!バカヤロー」と人を人形が飾ってある棚に向かって思いっきりどついた。
私はもんどり打って棚にぶつかって倒れて仕舞ったのだ。そのお陰で人形が落ちて割れて仕舞った。私は慌てて店の主人に弁償をしたが。そのせいでお金が無くなり、姉のプレゼントは安いものしか買えなく成って仕舞った。すると姉は私を拳骨で思いっきりぶん殴って言った「お前のせいで私のは安いモノしか買えなく成っただろう、バカヤロー!!」それから私がアラン・ドロンのインタビュー記事が載って居た大人向けの週刊誌「プレイボーイ」を見ながら自分の部屋で居眠りをして居たら。突然入って来て私の胸ぐらを掴んで起こして往復ビンタをした。私は何が何だか解らなかったら。どうやら「プレイボーイ」を読んで居たのが気に喰わなかった見たいだ。「沼郷君はこんな雑誌は読んで居ないよ!!」どうやら女の子のヌード写真も掲載して居たから、それを見て喜んで居るとでも思って居たのだろう。誰が彼女の前でプレイボーイを見るバカが居るんだ。そう言う風に暴力女なのです。それから女性特有のモノの時にも私の部屋に来て、私を打って引っ掻いた。私が怒って母に言うと母は「許してやってね.......。」としか言わない・・・。
そして私はいまだに許す気はないが、私が親に言われて行きたくもない会社に行って。従兄弟のゆきかず、けんじから嫌がらせをされて居た時に電話が掛かって来て「おい!!貴様が何で会社で働いて居るんだ、会社の次期社長はな、ゆきかずに決まってるだろう、サッサっと会社を辞めろ、このバカチクショー!!」と言われた。弟からはこう言われた「兄貴が2年間大学でオール優を取ったって?それって丸嘘だろう!!バカな癖して!!」親父については言うまい。散々言って来て居るから。私の主治医は私が大学2年で発病したと経過を話したら「大学と言うな、大学じゃないだろ!!」多分私が夜学の為にバカにしてそう言ったのだろう。夜学でも大学は大学だ。そしてこうも言われた「身長が170センチ未満しかないんだろう〜〜!!みっともねえなあ!けっ!!」私の怒りは誰に向ければいい。
最近物騒な事件が起こるが。私も事件を起こしたく成って来た!!。前にハッキングの事で警察に相談して居た頃だ。幾ら相談しても警官がちゃんと捜査をしてくれないので、「こんな事が続くと俺は人を殺しますよ!!」と言ったら「主治医に診て貰ったら〜(笑)。」と相手にもされなかった。今、ハッキング行為は殆んどされては居ない。ただ警察も最近になってサイバー警察が増強されたし、法律の改正でハッキング行為をして居る連中は、殆んどを検挙して投獄すると言い始めて居る。現に最近に成ってから検挙数が増えて居るらしい。私は今鬱だ。だから人の言葉が突き刺さって聞こえる。こう言う事を聞いた事がある。統合失調症などと言う病気は無くて、精神病院に罹ると出される薬で皆んな病気にさせられて居ると言うのだ。要するに陰謀論だ。
陰謀論を信じやすい傾向と強く関連していた性格特性は、よく挙げられそうなものだそうだ。(社会保障などの)給付金受給、自己中心的な衝動性、冷淡さ(独断的なインジャスティス・コレクター)、抑うつ的な気分や不安のレベルの高さ(年齢や環境によって制限を受けている不機嫌な人)などだ。
パーソナリティ障害を調べて居たら、もう1つの特性が浮かび上がって来た。それは、「サイコティシズム」と呼ばれる思考パターンだった。サイコティシズムは、統合失調症型パーソナリティ障害の中心的な側面であり、その特徴は「奇妙な信念、および魔術的思考」「妄想的思考」などだ。やがては、科学者やセラピストが、現実から大きく外れた「大ウソ」の陰謀論を信じる人に、何かしらの診断を付けようとするだろう。いまのところ覚えておくべきなのは、人は心が乱れている時には、情報源を十分に吟味する事なく、記事や見出しなどを他人に転送する可能性が高くなると言う事だと、ペニークックは言う。
「基本的には、人は間違った内容を広めたいとは思って居ない。しかし、人々がウイルスの事を心配している現在の様な時には、『新型コロナはビタミンCで治る』とか、『全部でっちあげだ』などの言葉が広まりがちだ。
しかしこう言った陰謀論では無いが。抗精神薬を飲まされると薬による副作用が起こります。
残念ながら副作用の無い薬はありませんが、その中でも抗精神病薬は比較的副作用の起こりやすい薬です。気にしなくても良い副作用もありますが、危険な副作用も時には起こりえますので、その徴候があるかどうかは注意しなければなりませんし、その為にも十分に副作用について理解しておく必要があります。
「統合失調症と生活保護、、」
私はNHKのドキュメンタリーが好きだ。私の知らない情報を特集して教えてくれるからだ。世の中にはNHKが嫌いな人たちも居るが。大方はNHKの受信料がネックに成って居る。私はNHKには受信料を払ってでも見る番組があると思って居ます。私はNHKのドキュメンタリーは大抵録画する。そして何遍も見る事にして居る。皆さんはNHKの受信料が掛かって、それがネックになって嫌がって居るのでしょうけど。私は生活保護受給者で「精神障害者手帳の2級」と言うものを持って居る為に。NHKの受信料は全額免除に成って居るのですよね。精神障害者手帳と言うのは全部で3級まで在りまして。1級は自分一人では何も出来ない訪問看護師やらヘルパーさんを雇わないと、トイレの事も一人では出来無い様な、重症患者が貰う等級で。2級は、日頃の事すら自分一人では儘ならないが。ヘルパーやら訪問看護師さんに来て貰えれば自分の事は何とか出来る等級。3級とは、訪問看護師さんだけ来て貰えれば自分の事は何でも出来る人の等級です。私は2級なのです。だからNHKの受信料は只になるのです。そして此の精神障害者手帳がある為に、生活保護費は大体が12万しか貰えませんが。障害者加算と言う名目で1万7千円は別途にお金が付くのですよね。だから13万7千円程に成るのです。そしてバスとタクシーは1割引にして貰えます。そして、自立支援法と言うものが精神障害者には在ります。精神病、特に私の様な統合失調症の患者は、精神科の治療費と薬代が罹りません。只になるのですよ。国はそうやって統合失調症の患者の事はよく見てくれて居るのですよね。こう書くと、また、ふざけやがってと言う人が出て来るかも知れませんが。統合失調症の患者は持病を持って居る為に働けません。だから生きては行けません。したがって生活保護で生きて行く事に成ります。
今から2年前に福祉事務所に生活保護の申請に行って来ましたが。まず初めに訊かれたのが。「生命保険は入って居るか?」でした。だから入って居たけど解約して。其のお金を生活費に廻して生きて来たと言ったら。「解約したのならそれでよろしい」と言われましたよ。そして言われたのが、「年金幾ら貰えるのか聞いて来て下さい」と言われました。だから初めは区役所の年金課に行って訊きましたが。年金事務所で訊いて下さいと言われて、年金事務所に行って訊いて見たら。予約を入れてくれと言われて、予約の時間に行ったら、64歳から1年間は月に2万6千円だけども65歳からは年に基本金が約600万それに約300万貰えるとの事で月に換算すると一月で、約7万数千円貰える勘定になります。しかしですね、いくら年金が一月に7万幾ら貰えても、生活保護費が13万数千円貰える訳じゃ無いのですよ。年金の7万数千円分が保護費から引かれて、生活保護費は貰える金額が、6万数千円に成って仕舞うのですよ......。世の中、上手い事には行かない様に成って居るのですよね。だから私の様な精神障害者は兎も角、元気で働ける人は、働いた方がいいと思います。前にgooblogの誰かが言って居ましたが、国は生活保護費は20万で行こうと思って居たらしいんですよね。しかし非正規の人たちが、それでは生活保護費より金が貰えない我々はどうなるんだと言ったらしく、保護費は12万に成ったらしいです。と言うか、ほんの10年前までは保護費は15万だったらしいんですよね。それが「生活保護者は楽して金貰って居る」だとか、「ふざけるんじゃねえよ!!やりすぎだろ!!」「私の税金よ!!」だとか一般の苦労をして居ない人たちから、散々に言われて、段々と貰える金額が減らされて来たと言います。記憶に新しい処では、安倍総理が保護費の大幅な削減をしました。あの時ですら生活保護者は暮らして行けないので集団で国を訴えたぐらいでしたよ。だから解って下さいね。誰だって精神障害者などには成りたくは無いんです。。。。
「エッセイ・・・・。」
確かに、今の時代に生きて居れば、それは面白いでしょうけど。しかしそれだけだと、いずれどん詰まりに成りますよ。例えば、「ラップ」とかは、楽器が何も出来ない若者が、詩を節をつけて口ずさんだ事から発展して出来たものです。「パンク・ロック」も、それまでのロックを技術的に演奏出来ない、はっきり言って楽器が満足に演奏出来ない若者が作り出した音楽です。今までの文化に対して、それに乗り切れなかった人たちが作り上げたものですよ。だから、若者の中では、すべての古い価値を叩き潰せば新しいものが生まれると思って居る節がある。しかし、私はこう言った文化はすぐにダメになると思って居ます。勝手、ロックを作り出したミュージシャン達、例えば、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジは黒人のブルースを勉強しました。そして彼らはそれを発展させてハード・ロックを作って行った。
ジャズも同じです。例えば、ソニー・クリスと言うアルトサックス奏者は普段、子供達にブルースを教えて居たし。彼の演奏がエモーショナルであるのは、可也ブルースを研究した結果です。チャーリー・パーカーがディジー・ガレスビーと共に開発し、その後、ジャズの王道と成った。ビバップですが、これも元はブルースが関係して居ます。要するに基本なんですよ、ブルースは。例えばブルースの要素がある音楽は一杯あるし、ブルースに影響を受けた音楽は沢山あります。しかし最近はブルースの影響を受けた音楽が無くなって来て居る。だから情緒がある音楽が無く成って居ます。そしてクラシックの影響。例えばロックのポップス・バンド「ビートルズ」は初め、ロックンロールとブルースを吸収して居ましたが、ポール・マッカートニーは当時の恋人の家に入り浸って居る時にクラシックを詳しく知ってクラシックを取り入れました。
日本でも公開されたジョージ・マーティンのドキュメンタリーで本人が語って居ます。「イエスタディ」における弦楽四重奏団の登用。これは今更指摘するまでも無いですが、ビートルズが始めてクラシック的アプローチに挑戦した曲として余りにも有名です。ただこれも有名だけど挑戦したのは、ビートルズと言うより、ポール・マッカートニーとプロデューサー、ジョージ・マーティンの二人による挑戦だったと言えなくもない。曲もポールが一人で作ったとされて居ます。(朝起きて直ぐメロディが浮かんで簡単に作られたとされる。あまりに手頃に朝一で出来た為、
この「イエスタディ」はレコーディングを実際にするまでは「フライド・エッグ」と言う仮タイトルが付けられて居たと言うこれも有名な話)です。さてポールの「イエスタディ」に刺激されたのか、以後ポールよりむしろジョンの方がクラシック、それも現代音楽のジャンルにのめり込む事となります。「イン・マイ・ライフ」はその「現代音楽」へのアプローチの一歩手前の作品。此処では、非常に美しくクラシック音楽でも「古い」バッハの音楽の如きバロック・スタイルのピアノが聴けます。但しこれを弾いて居るのは、ジョージ・マーティン。しかも彼は本職がオーボエ奏者の為このピアノは速度を半分に落としゆっくり弾いたものを倍にして採用したと言われて居ます。その代わり速度が倍になった為、ピアノが硬い音になり、チェンバロの様に聴こえ、より「バロック風」の表現には役立つ結果と成りました。良いですか?無から有は生まれないのですよ。有から有が生まれるのです。。。
In My Life (Remastered 2009)
Eleanor Rigby
The Beatles - Penny Lane
【哲学とは何か?】
皆さんの中には「そもそも哲学って何?」と言う疑問を持って居る方も多いと思います。ちなみにGoogleでは「人生・世界・事物の根源の原理を理性によって求めようとする学問。また経験から作り上げた人生観」とあり何か非日常的な響きがあります。
一見難解そうに見えますが、私は「日常の常識に疑問をもち、それに自分なりの答えをもつ」と言う事「事物を1から考える」こそが哲学を行う事の真髄だと思っております。
例えば最も難解な哲学家と言われて居るハイデガーは「存在や時間とは何か」と言う常識に関して自分なりの答えを出しただけだし、古代の哲学家であるアリストテレスは「理想の生き方」について自分なりの答えを出しただけだと思います。
だからこそ物理や数学と違い”敷居の低い”学問であると私は思っております。なので「哲学は難しそうだから自分には無理」と言う理由で諦めて仕舞うのは私はもったいない事だと思うのです。
【哲学を学ぶべき理由】
では何故、私は皆さんが哲学を”学ぶべき”と思って居るのか。理由は以下の三点になります。
①再考と熟考について知る
哲学は日頃の常識に関して疑問を持ち再考する事が求められ、だからこそ偏見に縛られずに自由な発想をする習慣がつきます。これはビジネスにおいても、人間関係においても役に立つ習慣になります。
また哲学は物事の表面的な理解で留まらず物事に関して深く考察する事が求められて居ます。だからこそ日常の自分の行動の動機や目的を深く考えると言った習慣を皆さんに与えてくれ、一般的には自己分析や自分の天職について現在よりも深く考える事を可能にしてくれると私は思っております。
②市場価値をあげる
一点目と関連して居ますが、再考や熟考をする習慣は高い市場価値を持ちます。なぜなら求められるスキルが短期間で変化する現在の市場にとって、哲学に求められる常識を疑い認識されて居ない前提を明らかにする能力は不変の価値を持ち続けるものであるからです。
③価値観を広げる
最後に哲学を学ぶ理由は価値観を広げると言う物になります。情報量が圧倒的に多い現在では、個人が何を信じれば良いかと言う事が不明瞭で個人は特定のコミュニティの価値観を頼りにせざる負えず、それが可能性を限定して居ると私は感じております。だからこそ多様な価値観や考え方を示してくれる哲学を学ぶ事は価値観をより柔軟にしてくれると同時に将来の可能性を広げてくれると私は信じております。
【哲学家×哲学書一覧】
では一概に哲学家と言っても誰を学べばよいのか、此処でお勧めの哲学家×哲学書を紹介したいと思います。
■アリストテレス「論理学」
”最古の論理学”と呼ばれるアリストテレスの著作です。論理学の最も基本的とされる考え方が乗って居るので考え方の基礎を教えてくれると思います。
■デカルト「方法序説」
近代哲学の祖と呼ばれているデカルトの思考体系を一冊で学ぶ事が出来るものになっております。難解で大著ですが読む価値のある本です。
■ハイデガー「存在と時間」
アレントが”思考王”と呼んだハイデガーの大著になります。数ある哲学書の中でも最も難解かつ深遠なものの一つで、思考能力に自信のある方におススメです(笑)
■ミシェル・フーコー「監獄の誕生」
ブルジョワの家系に生まれながらブルジョワの生き方に疑問を持った哲学家になります。本著作は哲学書の中でも最も人気の一冊で近代権力の様子を描いて居るものです。
■ロールズ「正義論」
某ハーバード大学教授の講義で一躍有名になった【正義】に関する議論の中で最も引用され最も影響を与えた一冊と言っても過言ではない著作になります。ページ数が非常に多いので解説書を先に読むといいかも知れません。
■カント「純粋理性批判」
後世に影響を与えたと言う意味においては最も偉大な哲学家の一人だと思って居るカントによる大著です。比較的難解ですが解説書があれば読めないものでも無く内容も非常に身近なものとなって居るので哲学の入りとしてはお勧めの一冊です。
【哲学と言っても硬くならずに】
哲学書の数は多く、皆さんの関心を満たす本も必ず存在すると思って居ます。上記にあげた本は学問的に”哲学書”と呼ばれるものですが、世の中には数分で読めるようなものもあると思います。私としても哲学は決して敷居の高く無意味なものと考えて欲しくはなく、逆に敷居が低く多くのものを与えてくれるものだと考えております。
皆さんも興味があればちょこっと哲学をはじめて見ては如何でしょうか?