今日は、喫茶店で「アイス・カフェオレ」と「ホットケーキ」を食べながら考え事をして居ました。
今日は、近所を探索するために散歩に出た。。。この近辺は店屋が多いです。
そして本屋に行き。書店内を見てみるが、購入したい書籍は見つからず。。。。
まあ、思うに物事を深く考える人は、大抵失敗しますね。私も昔はそうだった。知識が全てだなどと思って居た。だから、知識を欲したし。小難しい本も沢山読んだ。それはそれで血肉とは成ったが。人もその尺度で測って見ていた。だから知識がない人を見るとダメだと思った。だが生活とは人好き合いとはそんな事は関係無いのだと、20年程前に考え直した。良く能書きが言えるとその人を頭がいい人だと思いがちだ。しかしそんな物は、本を読めば幾らでも言えるのだ。私はそう言った人を身近に見て来た。そして大概の人は知識に振り回される。学校教育の弊害だと思う。大体が学校の先生は自分には知識がある。だから生徒で勉強が出来ない生徒が居ると訝しく思い。その生徒をバカだと決め付ける。よく事業中に漫画を描いていた生徒が居た。
先生はそれを見つけるとサド/マゾ的にバカにした。こんなものを書いて居ると。私は中学時代、授業中に漫画を描いていた生徒の絵を取り上げて、「漫画か?お前の頭も漫画なんだろう!!バカが!!」と冷笑を浮かべて、うすら笑う教師を軽蔑の目で見ていた。あんたの頭の中にあるのは「タンクタンクろう」やら、「のらくろ」なんだろうと反対に軽蔑をした。人間、50歳から70歳ぐらいの教師ほど訳が分からず。厄介な人間は居ない。文化を何も解っては居ない。戦前の考えか戦後の封建的な時代の考えで固まって居る。そんな教師こそ、太宰治がいいだとか、与謝野晶子がいいだとか言い出す。確かに日本文学を学ぶのも大切だ、だが、時代は変わるのだ。今や漫画が文学的な文脈で読まれて居るし。確かに日本文学はいいものだが、最近の漫画、そしてそう言う人が言う処の漫画であるアニメは私小説的な内容のあるものが最近は多い。
例えばもうちょっと古いが「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」などはその最たるものであろうし、漫画でも「つげ義春」などはもろ私小説だ。構造主義の文脈において多用される分析手法に「構造分析」がある。これは周知の通り、「神話や民話」を分析する分野において確立されてきた手法である。グレマスやプロップ。更にはレヴィ=ストロースの研究はこの種の「構造分析」に立脚している。「構造分析」は「神話や民話」の分析にしか用いる事の出来ない手法では無い。彼らがもっぱらそれらのテキストを研究対象としたのは「それらのテキスト」の真相に「有能な意味」が隠されて居ると考えて居ると考えた事によるものである。そしてこういう言い方も出来るかも知れない。「グレマスやプロップがもし現代日本に生きていたら必ずや彼らはアニメや漫画を構造分析の対象にしたであろう」と。「ポーの一族」において主人公エドガーは、
人間を自分が生き延びるために餌にする家畜だと考える事が出来ない。人間を家畜と同じ類的存在として見ずに、そこに個的存在を見出しながら、しかし、自分が生きる為に彼らの命を奪わなくてはならないとしたら、自分が生き延びる事それ自体が禍々しい暴力となって生起するだろう。「ポーの一族」と言う作品は、吸血鬼である事を険悪するエドガーの実存をとうして、自らが生き延びる為には他者を殺さねばならないと言う、そして他者が死んでもなお自分が生き延らえてしまうと言う、人間が生き延びると言うことが不可避的に孕んでいるある暴力性を示唆して居る。これは太宰治の「人間失格」と同格では無いのか。そしてエドガーは作家、太宰とその存在が被る。太宰はその生涯に何度も自殺を試み、39歳の時に成功した。21歳の時に女と鎌倉で死のうとした時は、一緒に死のうとした女だけ死んで、自分は生き残った。こう言った事からも、日本文学と漫画は不可視な均衡を保っている。ミステリーやSFというジャンル的な横軸と、書法としての自然主義的リアリズムーその中心が純文学だ。漫画・アニメ的リアリズムーという縦軸を分けて考える必要はもはやない。それぞれはもはや不可視な均衡なのだ。
勿論、私は日本文学が嫌いでは無い。太宰治も川端康成も三島由紀夫も好きだ。ただ、もはや時代はそれらの文学を内包して居ると思うのだ。結果出て来たものが、漫画、アニメだと思う。林静一が「ガロ」に漫画家として登場し、代表作「赤色エレジー」が話題になった1960年代後半から1970年代初等に掛けて時代はベトナム反戦やら、全共闘運動、カウンターカルチャーなどが嵐のように起こり、実に騒々しい世の中だった。「ガロ」もそうした喧騒の中でたくましく「COM」と共に漫画の時代を誕生させ現代に牽引して来た。具体的には、戦う白土三平と世捨て人のつげ義春を両輪として進んできた。「ガロ」に当時輩出した漫画評論家たちに押されるようにして劇画に代わる新しい漫画を予想させる一群の漫画が登場した。それと又話は変わるが。テレビアニメの制作には、一話作るのに1000万円ほどの費用が必要だ。この制作費を賄うためにビデオソフト・間連書籍・キャラクターグッズ販売やらテレビアニメに付随するビジネスで利益を生もうというスタイルが確立した。
そのための権利調整の仕組みが「製作委員会方式」で、主にテレビ局や制作会社が出資する。テレビアニメでは90年代から盛んになり、今では多くがこれだ。ただこの方式は限界が出て来て居る。特に主力となるDVDが高画質な衛星放送とBlu-rayディスクレコーダーの一般化によって急落して居る。そして国を上げてアニメーターを育成して居る韓国や中国のレベルは相当向上して来ており、是等の方向性によってはそう言った部分が海外に流出してアニメーターの産業空洞化が起きる可能性もあり得ると言われて久しい。ただ、アニメ制作に関わる人間は動画、原画、背景、仕上げ等々、非常に幅広い大人数の人材が必要なチームの作業で、そのメンバーを同じ方向性で、揃えられるかと言う点や、アニメ文化が積み重なって初めて生み出されるセンスという観点ではまだ日本には1日の長があると思う。その上で「10年〜15年にわたって放送を続けられるようなアニメは日本にしか無い」と言う。
これは日本には優れた漫画家が居ると言うアニメと漫画の相互関係の賜物だろう。勝手、アメリカの西部劇はイタリアのマカロニ・ウエスタンによって淘汰されて以来、本道の西部劇は、ほぼ滅んだ。日本人が漫画やアニメに対して文学的な価値を見いだせなければ、文学も滅びると言えると思うのですが・・・。漫画は海外でも作り手が現れて居る。日本人の自助作用に置ける、これらのサブカルチャー文化をこれ以上、日本人が自ら排他的に削除しようとするならば日本文化は滅びるだろうと私は危惧を仕手居る。。。日本のお家芸である自動車産業も、時代が変わりガソリン車はそのうち淘汰されて、電気自動車やら水素自動車が主流になるのは近い将来の事だとは言えない時代だ。現にトヨタはソフトバンクと組んだ。自動車産業は IT産業との競合をしなければやって行けない時代に成った。時代は変わるのです、最早、今までの常識は考え直さなければならない。まだ、日本の良い面もある。音楽は今や世界的にリズム重視のサウンドが主流に成って居るが、外国の観光客が日本に来て安らぎを覚えるのは、日本にはまだメロディーを主流としたロックやら歌謡曲があると言う事だと言う。
日本人が海外で活躍した1980年代のバンド「サディスチック・ミカ・バンド」やら「YMO」やらのバンドは当時革新的だった。そして現代。アメリカのハード・ロックやヘヴィ・メタル系の音楽サイト、ラウドワイアーにて、必聴の日本発メタル・バンド10組が発表されている。記事によると、日本では多岐に渡るメタルのジャンルをすべて吸収しつつ、とてもユニークな独自のアーティストの幅を生み出していると紹介。特にインターネットが普及してからはさまざまなアーティストを発見しやすい環境が出来上がって居るので、ぜひ探検して欲しいと勧めて居る。日本はこの様に世界的に評価もされて居る。最近亡くなった日本文学を翻訳して海外で三島由紀夫やら川端康成を紹介した、ドナルド・キーン氏は、はじめ日本の文学は中国の模倣だと同じアメリカ人から貶されたと言う。しかし氏は素晴らしい日本の文学を海外に紹介するために翻訳をし続けた。その甲斐あって、今や川端康成や三島由紀夫は全世界で愛読されて居る。今やネットの時代だ。良いものは国を超えて称えられそして向かい入れられる。そんな時代だからこそ、サブカルチャーに本当の意味での市民権を与え様ではありませんでしょうか。。。。
上條恒彦&六文銭 出発の歌.m4v
だれかが風の中で 木枯し紋次郎
K・O(ノック・アウト) / SHIMIZU YASUO 清水保男
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さてと、また懲りずに自撮りの写真です。しかし見る度に年を取ったと思いますよ。。。
もう、染色とパーマの掛けどきですねぇ........。
パーマを掛けに行かないとだな・・・なんか、顔が腫れている。寝不足かな・・・
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「フィルムノワールとは」
フランス語で「闇の映画」という意味です。そのせいで一般にフランスの犯罪映画の印象が強いのですが、、もともとは1940~50年代初期にハリウッドで作られた低予算の犯罪サスペンスや探偵映画に対して使われました。ドイツ軍の占領から開放され、アメリカ映画を再び鑑賞する機会を得たフランス人たちが、B級アメリカ映画のハードボイルド作品を見て、アメリカ人も戦前のフランス映画と同じような、暗い画面で構成された映画(Film Noir)をつくることを知り、名付けられたものです。
これらの作品では犯罪者ばかりでなく、追う探偵や刑事、怪しげな悪女(ファム・ファタール)と登場人物すべてが暗い影や孤独を背負っているのが特徴で、舞台も主として大都会の夜。雨の路地を走りぬける車のヘッドライト、切れかかったネオンといったスタイリッシュな映像を背景にストーリーが展開します。
現在でも広く犯罪映画を表す言葉として使われており、古くは1941年の「マルタの鷹」をはじめ「三つ数えろ」「キッスで殺せ」「ザ・ドライバー」「現金に手を出すな」「地下室のメロディー」「いぬ」「冒険者たち」「サムライ」「仁義」「リスボン特急」など数多くの傑作があります。比較的新しめの作品で正当なフィルム・ノワールとしては「ブラッド・シンプル」「エレメント・オブ・クライム」「クライングゲーム」「パルプ・フィクション」「L.A.コンフィデンシャル」などが挙げられます。少し変わったところでは、セルジュ・ゲンズブール&ジェーン・バーキンのコンビが主演した「ガラスの墓標」(1969)もフィルム・ノワールです。
女性が主人公になった作品も多く「氷の微笑」(1992)のシャロン・ストーン、「蜘蛛女」(1994)のレナ・オリン、「氷の接吻」(1999)のアシュレイ・ジャッドなどが印象的な悪女を演じています。これらの主人公はフランス語でファム・ファタールと呼ばれ「宿命の女」という意味です。映画では一般に「男を翻弄する魔性の女」のことを指します。特に横綱格は「蜘蛛女」(1994)でのレナ・オリンが扮した女マフィア、モナでしょう。想像を絶するバイオレンスで男を屈服させる姿はかつての悪女像を一撃で打破しました。これぞ、ガーリー・ノワール。。。。
日本映画のガーリー・ノワールの傑作は「さそり」でしょう。ヒットシリーズとなり、現在もアクトレスを変えて制作されていますが、やはり梶芽衣子ならではの「さそり」でしょう。特に第1作、第2作は主題からしてハードで、裏切られ疎外されながらも、人間として生きて行きたい思いを胸の奥底に秘め、それとは裏腹な復讐こそ人生とばかりに生きる、強くしたたかな、女と呼ぶにも躊躇する強烈なキャラクターは、そのクールな美貌と見事なコンビネーションで胸を打ちます。
香港ノワールとは、これは1980年代以降、ジョン・ウー、リンゴ・ラムなどが監督・製作した香港製犯罪映画の事を云います。香港ノワールは、アクション性の強さでは(アメリカン・フィルム・ノワール以外の)ハリウッド製アクション映画との親和性・近似性を備えますが、ギャング映画としての基本的ベクトルはフレンチ・フィルム・ノワールに近いです。
なかでも、チョウ・ユンファ主演作、「男たちの挽歌」「狼・男たちの挽歌・最終章」「ハード・ボイルド」、ティ・ロン主演作「野獣たちの掟」、トニー・レオン主演作「ワイルド・ブリット」などは一見の価値あり。最近作ではジョニートー監督の「ザ・ミッション/非常の掟」「冷たい雨に打て、約束の銃弾を」などが有ります。
フィルム・ノワールとは何か――あらためて映画史的にもう少しくわしく検討してみよう。
主としてジャック・ベッケル監督の『現金(げんなま)に手を出すな』(1954)以後のフランスの暗黒街映画(フランスでは単純に探偵ものを意味する「ポリシエ」とか、暗黒街ものを意味する「ミリューもの」とよばれる)の漠然とした総称になっていますが、真の――語源的な――フィルム・ノワールとは1940年代から50年代にかけて流行した暗黒のムードと謎めいたトーンに彩られたハリウッドの犯罪スリラー(あるいは犯罪メロドラマ)をさし、ハッピーエンドこそ美徳だったアメリカ映画が白黒の映像で(まれには1945年のジョン・M・スタール監督の『哀愁の湖』のようにカラー、それもとびきり美しいカラーで)初めてアメリカの暗黒面(ダーク・サイド)をさらけ出したといわれるジャンルである。スティーヴン・C・アーリー著「アメリカ映画史序論」には、「戦前のギャング映画に飽きはじめた大衆をひきつけるために、ハリウッドが1940年代に、暗いペシミズムのムードで味つけして生み出した新しいタイプの犯罪スリラー」と定義されている。
人間の最も奥深い、いやしい欲望、すなわち金とセックスにとり憑かれ、突き動かされる男と女の愚かさ、醜悪さが描かれ(と云っても、ハリウッドの美男美女のスターによって演じられ)、ファム・ファタール(運命の女、魔性の女、妖婦)とよばれた悪女に魅せられて運命を狂わせられた男が――最も多くの場合、女を道連れに――破滅していくという物語が多い。ハリウッドが生み出した初めての「ハッピーエンドのない」映画のジャンルなのである。セックスだけでなく、酒や麻薬やギャンブルに溺れて堕落した連中、うさんくさい実業家や実力者、悪徳警官が横行し、「ゆがんだ愛と皮肉な運命」が主人公(かならずしも純粋で正義派のヒーローではない)を待ちうけ、「愛と暴力がベッドを共にする」世界だ。周知のように、フィルム・ノワールという呼称はフランスから生まれた。フランス語で「黒い映画」「暗黒映画」の意味である。すでに述べたように、「ノワール」とは明るく幸福な「ローズ(バラ色)」に対する暗く不吉な「黒色」なのである。「ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)」という有名な古いシャンソンがあるけれども、フィルム・ノワールの世界はたとえ男と女が最後に結ばれることがあっても、バラ色の人生からは程遠い暗い人生だ。フランスには「セリ・ノワール(暗黒叢書)」という犯罪ミステリー小説の叢書があるけれども、戦後、1945年に、この叢書がパリのガリマール社から発行されるや爆発的ブームになり、これにあやかって、「ノワール」という形容がアメリカの犯罪スリラー映画にも適用されることになる。
ナチス・ドイツの占領下では見られなかったアメリカ映画がどっと公開され、アメリカ映画へのフランス人の熱狂はいっきょにその極に達したといわれる。「アメリカ映画ばんざい!フランス映画くたばれ!」とまで映画狂は叫んだほどだった。それでなくても、アメリカ映画びいきのフランス人であった。1946年6月には、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート、メリー・アスター主演の『マルタの鷹』(1941)、エドワード・ドミトリク監督、ディック・パウエル、クレア・トレヴァー主演の『ブロンドの殺人者』(1944)、オットー・プレミンジャー監督、ダナ・アンドリュース、ジーン・ティアニー主演の『ローラ殺人事件』(1944)、そしてフリッツ・ラング監督、エドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ベネット主演の『飾窓の女』(1944)が次々にパリで公開され、その年の「レクラン・フランセ」誌8月号に「これがフィルム・ノワールだ!」と題するニーノ・フランクの映画評が載った。これがフィルム・ノワールの最初の命名になった。同じ年の「ラ・ルヴュ・デュ・シネマ」誌11月号には、ジャン=ピエール・シャルチエが、ビリー・ワイルダー監督、フレッド・マクマレー、バーバラ・スタンウィック主演の『深夜の告白』(1944)、同じビリー・ワイルダー監督、レイ・ミランド主演の『失われた週末』(1945)、そしてエドワード・ドミトリク監督の『ブロンドの殺人者』をめぐって、「アメリカ人もまた“ノワールな”映画をつくる」という批評を書いた。
1955年、レイモン・ボルドとエチエンヌ・ショームトンの共著で最初の研究書「アメリカン・フィルム・ノワール概論」がフランスで出版された。1960年末から70年代の初めにかけて、やっとこの名称がアメリカでも使われるようになり、映画研究誌「フィルム・コメント」の1972年春の号に ポール・シュレーダー(のちに『アメリカン・ジゴロ』『ハードコアの夜』『人妻』などの監督になる)が書いた「フィルム・ノワール論」において、次のようにその映画的スタイルが定義された。
1――白黒の明暗のコントラストによって不安のムードや危機感をかもし出す視覚的効果。
2――多くの場合、主人公の一人称のナレーションによってストーリーを運ぶ。
3――回想形式を多用したプロット。
4――ドイツ表現主義映画やフランス映画の詩的リアリズムの影響による光と影のたわむれるライティングや奥行の深い画面づくり。
5――アメリカン・ハードボイルド文学の伝統に根ざした鮮烈なリアリズムによる暴力描写と力強く簡潔な文体。
6――戦争の幻滅と不安な世相を反映した象徴的な暗いイメージ。
こうした批評的文脈のなかで、1941年のジョン・ヒューストン監督『マルタの鷹』から58年のオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』に至る17年間が「フィルム・ノワールの時代」とみなされるのだが、それは、フィルム・ノワールという呼称もふくめて、あくまでも批評的な分類・分析でしかない。フィルム・ノワールなどという呼び方があたりまえのように使われるようになったのもごく最近のことだろう。ちょっとスノッブな流行語のように、すぐまた忘れ去られてしまうかもしれない。しかし、世に美女と犯罪のタネは尽きまじとのたとえよろしく、映画から美女と犯罪が絶えることはないだろう。
モノクロ中心の「フィルム・ノワールの時代」以後も、たとえば、ドン・シーゲル監督『殺人者たち』(1964)、『ダーティハリー』(1971)、ロバート・アルトマン監督『ロング・グットバイ』(1974)、ロマン・ポランスキー監督『チャイナタウン』(1974)、ローレンス・カスダン監督『白いドレスの女』(1982)、デニス・ホッパー監督『ホット・スポット』(1990)、ウォシャウスキー兄弟監督『バウンド』(1996)マイケル・マン監督『ヒート』(1995)と云ったカラー版フィルム・ノワールの名作があり、これからだって時ならぬフィルム・ノワールの傑作が生まれるだろう――映画があるかぎり、美女と犯罪があるかぎり。
フレンチ・フィルム・ノワールの重鎮。
Jean-Pierre Melville
ジャン=ピエール・メルヴィル (1917年~1973年)
1917年10月20日、パリで生まれる。本名はジャン=ピエール・グリュムバック。メルヴィルの名は愛読書『白鯨』の著者ハーマン・メルヴィルから取った。青年時代は対ナチ・レジスタンスに参加。46年、『Vingt-Quatre Heures de la Vie d'un Clown』という短編映画を発表し、48年、自分で設立したプロダクションで製作・監督・脚本・編集を兼ね、長編劇映画『海の沈黙』で本格デビューする。同作は、ルイ・マル作品でも知られるアンリ・ドカエが撮影と照明を担当した。ドカエは70年の『仁義』まで多くの作品の撮影を担当する。一方、『海の沈黙』を見て感動したジャン・コクトーは、自分の原作の『恐るべき子供たち』(49)の監督を委ねる。自身のプロダクションによる製作システムをベースにした自由な映画作りは、後のヌーヴェル・ヴァーグに大きな影響を与えた。
自分のスタイルを確立するきっかけとなった『賭博師ボブ』(55)は、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』と並んで高く評価された。このアウトローの友情や裏切りの世界は、より磨きをかけられてジャン=ポール・ベルモンドを起用した『いぬ』(63)に結実する。
続く『L’Aine des Ferchaux』(63)にもベルモンドを起用する。そして67年、アラン・ドロンを主演に起用したフィルム・ノワールの傑作『サムライ』を発表。その後もメルヴィルは『仁義』(70)、遺作となった『リスボン特急』(72)と計3本にドロンを起用する。
そして、56歳という若さでこの世を去った。フィルム・ノワールの巨匠メルヴィルは、帽子やトレンチコートなどのファッションを効果的に使い独自の美学に貫かれたイメージを構築。どのドラマも友情や裏切り、復讐といった要素が濃厚で、男女のロマンスが軸になることは少ない。映像も、冷たく暗いトーンで一貫しており、クールなリアリズムが感じられる。
Filmography
Vingt-Quatre Heures de la
Vie d'un Clown('46)
海の沈黙('48)
恐るべき子供たち('49)
Quand tu Liras Cette Lattre('53)
賭博師ボブ('55)
マンハッタンのふたりの男('58)
牧師レオン・モラン('61)
いぬ('63)
L’Aine des Ferchaux('63)
ギャング('66)
サムライ('67)
影の軍隊('69)
仁義('70)
リスボン特急('72)
待望の翻訳本、登場!!
「サムライ/ジャン=ピエール・メルビィルの映画人生」
ルイ・ノゲイラ著
井上真希 訳
フィルム・ノワールDVD続々発売中!!
メナース ¥3800。
バロッコ ¥3800。
ヒート ¥5300。
パリ警視j ¥4700。
ラ・スクムーン ¥4700。
フリック・ストーリー ¥3800。
ボルサリーノ2 ¥3800。
サムライ ¥3800。
危険がいっぱい ¥3800。
現金に手を出すな ¥2800。
仁義 ¥3800。
オー ¥3800。
墓場なき野郎ども ¥3800。
地下室のメロディー 「アメリカ公開バージョンカラー、フランス公開バージョン2枚組み」
¥6600。
冒険者たち ¥3800。
いぬ ¥3800。
ハーフ・ア・チャンス ¥4800。
さらば友よ ¥3800。
ル・ジタン ¥3800。
太陽がいっぱい ¥4700。
ブーメランのように ¥3800。
帰らざる夜明け ¥3800。
パリの灯は遠く ¥3800。
暗殺者のメロディー ¥3800。
ビッグ・ガン ¥3890
チェイサー ¥3800
暗黒街のふたり ¥3800
ポーカーフェイス ¥3800
鷹 ¥3800
危険なささやき ¥3800
死刑警察 ¥3800
情報は俺が貰った ¥3800
現金に手を出すな ¥3800
穴 ¥3800
影の軍隊 ¥3800
マンハッタンの二人の男 ¥5040
男の争い ¥5040
天使が隣で眠る夜 ¥5040
チャオ・パンタン ¥5040
狼は天使の匂い ¥5040
リスボン特急 ¥1800
以上、今まで発売されたフレンチ・ノワールを中心に紹介しました!!
サントラCD紹介
フレンチ・フィルム・ノワール・アンソロジーVOL.1~'50s&'60s \2700 MSIF9687
50年代から60年代にフランスで制作されたサスペンス映画のサントラを集めたオムニバス盤。
『現金に手を出すな』『男の争い』『筋金(ヤキ)を入れろ』などの古典を中心として、
パロディ探偵ものの『草葉の陰』、異国趣味の『東京の争い』、現代風の『ピアニストを撃て』、
そしてテレビ作品の『最後の5分間』など、様々な趣の作品を収録したコンピレーション。
音楽はドルリュ、マーニュ、ミスラキ、ウィエネほか。全30曲収録。
フレンチ・フィルムノワール・アンソロジーVOL.2~'70s \2700 MSIF9688
『フレンチ・フィルム・ノワール・アンソロジー』の第二弾は2大スター、
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンド主演作など70年代のポリス・アクションを
中心としたコンピレーション。音楽はド・ルーベ、レイ、サルド、モリコーネほか。
収録作品は『暗黒街のふたり』『雨の訪問者』『愛人関係』『リスボン特急』
『相続人』『ブーメランのように』『友よ静かに死ね』『狼は天使の匂い』他。全27曲収録。
Two Men in Town (1973) - Trailer
jeff01
『サムライ』予告編(字幕なし)
The sicilian clan - Ennio Morricone (Cover)
冒険者たち Les Aventuriers François de Roubaix Laetitia レティシア
Christian Dorisse - Le Battant (1983)
McQ Car Chase (1974)
アランドロン1983年来日(当時48歳)インタヴュー
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「マカロニウエスタンとは」
マカロニ・ウエスタンとは、1960年代前半からイタリアの映画製作者が主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称です。ただし、これは日本だけでの呼び方で、イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタン、あるいはヨーロッパ製ウエスタン、イタリア本国では単純に「ウエスタン・アル・イタリアーナ」(=イタリア製西部劇)などと呼ばれています。
実は『荒野の用心棒』が大ヒットして世界中にマカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、数は多くないもののドイツやイギリス製の西部劇が作られていました。さらにブームのさなかにはフランスやアメリカ製西部劇もマカロニの聖地であるスペイン・アルメニアの荒野で製作されました。もちろん、本場スペインも独自の西部劇を作るようになりました。こうした「ヨーロッパで作られた西部劇」を総称して「ヨーロッパ製ウエスタン」と呼びます。
まあ、これが本質的には一番正しい呼び名でしょう。スパゲッティ・ウエスタンとは、基本的にアメリカ人が本場ハリウッド西部劇に対してチープなニセモノ西部劇をさして呼ぶジャンル名とされています。そして、わが日本でも少々バカにした気分で、映画評論家の淀川長治と深沢哲也両氏が最初にマカロニ・ウエスタンと命名したとされています。いまでこそ「マカロニ」といわれても定食屋で出てくるマカロニ・サラダくらいしかなじみはありませんが、当時の日本ではイタリアの食べ物の代表といえばマカロニだったのでしょう。スパゲッティはともかく、パスタなどという呼び方は誰も知らなかった時代です。その証拠に、日本のパスタ・メーカーの組合は最近まで「全日本マカロニ協会」と命名されて居たのですよね。歴史観、正義感、道徳、整合性、リアリティ……。そんな、映画評論家が大事に胸に抱きしめているような教科書的ルールのおとがめ一切なし、面白ければそれでいいじゃないか、の精神で作られた娯楽アクション映画の元祖。それがマカロニ・ウエスタンです。
娯楽至上主義のマカロニ精神は、のちにカンフー映画やブラック・プロイテーション・ムービー、さらにはスター・ウォーズなどのSF映画にも確実に伝えられました。悪人しか住まない町、何発でも発射される主人公のコルト、こんなもん存在したの!? と観客が呆れる暇もなく銃弾を撒き散らすガトリング機関砲、次々と倒れる数百人の悪人、どんな酷い目にあっても最後には必ず勝つヒーロー(例外もあるけど)、よく考えてみるとひどい奴にしか思えない主人公なのに、エンディングに流れるクールな主題歌にのせられて「カッコイイぜ」と思いこんだ観客たちはガンマン気取りで町へ繰り出した……。
時は1960年代、世界中が変わろうとしていました。イギリスからはビートルズが、フランスにはヌーベル・ヴァーグが、アメリカでは人種差別撤廃・ベトナム戦争反対のムーブメントが巻き起こっていました。そんな時に、純粋な娯楽として作り出されたイタリア製ウエスタン映画が世界中で熱狂的に受け入れられたのです。それは、ハリウッドが作りつづけてきた正統派ウエスタンへのアンチテーゼ、伝統に対する異端、安定に対する行動、クラシックに対するロックンロール!だったのです。
セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64年)は黒澤明の時代劇『用心棒』の盗作とされ訴訟騒ぎになり(結局レオーネは謝罪し黒澤はアジアでの配給権を得た)、所詮「マカロニ」とさげすまれ馬鹿にされました。しかし、ダイナマイトの大爆発、その硝煙爆風をバックにポンチョに身を包んだイーストウッドが姿を現すクライマックスの決闘シーンは、明らかに本家よりもスタイリッシュでカッコよかった。たとえ、イーストウッドの銃が、その先にいない敵を撃ち倒そうとも、続編『夕陽のガンマン』(65年)が実は共演者であるリー・ヴァン・クリーフの物語であろうとも、イーストウッドはマカロニ・ヒーロー第1号となり、その後ハリウッドへ戻るとまるでマカロニ的としか言いようのないワイルド刑事『ダーティ・ハリー』(71年)として再生したのです。かつてジョン・ウエインらが演じていた往年のハリウッドのヒーロー像とはまったく違う、「悪」の一面を持つ人間的なヒーローのスタイルはその後もシュワルツェネッガー、スタローン、メル・ギブソンらによって華やかにスクリーンを飾り続けているといえるでしょう。
『続 荒野の用心棒/DJANGO』(66年)に登場する西部の町は泥だらけで、底無し沼があり、女たちは泥レスに興じ男たちは殺しあうばかり……真面目なアメリカ人なら「そんな酷い町はわが国に存在しなかった」と異議を唱えるのでしょうが、そうは問屋がおろさない。19世紀のアメリカは、大都会のニューヨークでさえ、公共の場所には痰ツボが置かれ(そのまわりにはドジな男のはずした痰が……)、馬車が主要な交通機関なために道路には馬糞がいっぱい転がっていたといいます。それが、文明から遠く離れた西部の町なら……誰でも想像できるはず。『続荒野の用心棒』の監督セルジオ・コルブッチはただ「面白くするために」そんな町を創造し、めったやたらに殺戮シーンを撮りまくっただけなのでしょうが(そのために役者が足りなくなり悪党一味の部下に顔を隠す赤いマスクをかぶらせたほど)。異端は正統になり、ハリウッドから出稼ぎに来ていたイーストウッドとは違う、純粋イタリア産ヒーローとしてジャンゴ=フランコ・ネロをも産みだしたのです。
マカロニ・ウエスタンは一説では10年足らずの間に500本は作られたと言われています。
『続 荒野の用心棒』とは全然関係ない「ジャンゴ」シリーズも50本はあるという。もちろん、イーストウッド、ネロのほかにも、アクロバチックなアクションと甘いマスクで女性に人気の高かったジュリアーノ・ジェンマ、ネロの贋者的にデビューしたが後期のコメディ路線でバカ売れしアメリカにも進出したテレンス・ヒル、人気があったかどうかは怪しいが何本も主演したアンソニー・ステファン、ジャンニ・ガルコ、ジョージ・ヒルトン、ハリウッドから出稼ぎに来たトーマス・ミリアン、トニー・アンソニー、マーク・ダモンといったマカロニ・スターを輩出しましたが、その作品のほとんどは映画史的あるいは映画批評的にまったくもって無視されてきました。
21世紀の今、60年代、70年代に量産されたマカロニ・ウエスタンを改めて見ると、意外にもしっかりした作りの作品が多いことに気づきます。史劇やコメディを作っていたベテラン監督が手がけた作品は構成がしっかりしているし、スタントマン(後にスターになった者も多い)は体を張ってアクションしている。セットは使いまわしが多いにせよ、本職が作りあげたリアリティあふれる背景だ。衣装にせよ、小道具にせよファッション大国イタリアの実力が発揮されているのです。素人がいきなり映画を撮ることが多くなり、なんでもCGで「絵」にしてしまう現代の映画作りとはまったく違う次元にマカロニ・ウエスタンは存在する。まさに、映画の中に肉体が躍動しているのです。
なぜ今もマカロニ・ウエスタンは世界中で熱く語られるのか。もうひとつの秘密は音楽の素晴らしさでしょう。朗々と歌い上げるバラードに乾いたギターやホーンが絡み、スクリーンに映し出されるスペインの荒野(=アメリカじゃないニセモノ)を、本当の大西部以上に雄大に感じさせ、主人公(たいていは流れ者)の孤独感を盛り上げる。オペラやカンツォーネの国イタリアの特色が最も顕著に出た特徴でしょう。決闘シーンにはここぞとばかりにドラマチックな演奏が轟き、トランペット、ハーモニカ、鞭や鐘の音や銃声といったSE……そして特筆すべきはエレキギターが主役を演じたこと。ドラマチックなオ-ケストレイションに絡むエレキ・サウンドはGSブームに乗って日本中で大ヒット。66年〜67年にかけての洋楽ベスト10は常に半分以上がマカロニ主題歌、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもその後塵を拝したほどでした。
イギリスの大学教授でスパゲティ・ウエスタンの研究家クリストファー・フレイリング氏はこう語っています。「アメリカの西部劇に日本の黒澤明の時代劇をうまく混ぜこんで生れ、世界中で好まれたたスパゲッティ・ウエスタンは、中国の麺がイタリアへ伝わりパスタとして農民たちの主食になったのに似ている」一説では、「マカロニ」の語源は古代ギリシャ語の「マカリア」で、それは葬儀で供される麦のお粥のようなものだといいます。残虐シーンと銃弾の数より多く多く人が死ぬマカロニ・ウエスタンにはぴったりの由来だと思いますが、いかがでしょう。
処で、東洋と西洋が交じり合い、世界的に通用する「味」となる傾向は近年特に強い気がします。ハリウッドへの香港映画人の進出、日本のアニメの世界的人気……こうした娯楽商品の国際化のさきがけとなったのがマカロニ・ウエスタンとも言えるのです。マカロニ・ウエスタン自体は、先に述べた60年代後半の世情に乗せられてか、コルブッチの『ガンマン大連合』(68年)、レオーネの『夕陽のギャングたち』(71年)など、次第にその背景をアメリカの西部からメキシコの革命へと移していき、その後、衰退していきました。最後の作品はアンソニー・ドーソン監督の『ワイルド・トレイル』(75年)と言われています。が、それは、すっかり「マカロニ」本来の濃厚な味付けとは程遠い、気の抜けた似非コカコーラのような西部劇でした。その後、『続 荒野の用心棒』の正統派続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(87)が作られたりもしましたが、マカロニ・ウエスタンはほとんど息絶えました。が、そのスタイル、演出、音楽などは今も世界中の西部劇、アクション映画に受け継がれています。
マカロニは消滅しようとも、その存在が世界中に与えた影響は甚大でした。香港では『燃えよドラゴン』(73年)による爆発的なカン・フー映画ブームを、マカロニ的やっつけ仕事で盛り上げました。どこかで見たような話に残虐味をふりかけ英語版を作って世界中に売り出したのです。ブルース・リーならぬ、ブルース・リ、ブルース・リャンなどが主役になったのは、かつて、二流三流のマカロニ西部劇の主役がみんな「ジャンゴ」だったことの倣いでしょうか。ジョン・ウーの『カラテ愚連隊』(73年)の国際版予告編には『復讐のガンマン』のテーマが使われていたほど。皆、マカロニを食べて大きくなったのだ。
その頃、日本ではテレビでの映画放映が大ブームになっており、なかでもマカロニは得意メニューで、日曜洋画劇場で放映された『荒野の用心棒』は視聴率24%を超え、かつてマカロニをバカにした淀川さんも、マカロニのおかげで面目を保っていたのです。レオーネ三部作、『続荒野の用心棒』『ミスター・ノーボディ』など、彼のおかげでマカロニ・ファンになった男たちが日本中に無数に歩き回っていました。さらには、作品が足りなくなり未公開のマカロニ西部劇が次々とブラウン管で日本デビューを飾りました。そして、テレビ時代劇にマカロニ調の主題曲やガトリング銃が登場するようになり、マンガの世界でも「マカロニほうれん荘」やら「浦安鉄筋家族」といったマカロニの影響大(?)と思わせる作品が生み出されていったのです。
世界的にもマカロニ再評価は進んでいます。レゲエ映画の名作『ハーダー・ゼイ・カム』(72年)では、映画館で『続荒野の用心棒』を見る観客が喝采する。悪徳の横行するジャマイカの首都キングストンで歌手を目指す主人公ジミー・クリフは「ジャンゴ」のようにマカロニ機関砲で悪い奴らをなぎ倒したい気分なのだ。『シド・アンド・ナンシー』のアレックス・コックスは当時のアイランド・レーベルのミュージシャンたちを集めてスペイン・アルメリアのマカロニ・ロケ地を使い『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)を作りました。主題歌はポーグスによる『続・夕陽のガンマン』のカバーです。映画界でもマカロニの影響力は顕著です。黒人監督のマリオ・ヴァン・ピーブルズは『荒野の1ドル銀貨』(65年)のアイディアをいただいた『黒豹のバラード』(93年)を撮り、さらにはもうひとりのマカロニ・マニア、クリストファー・ランバートと組み『続・夕陽のガンマン』そっくりのストーリー展開の『ガンメン』(93年)も放ちました。クエンティン・タランティーノは「レオーネの『ウエスタン』は俺にとっての『市民ケーン』だ」とうそぶき、香港の名監督ジョン・ウーはハリウッド進出第1作『ハード・ターゲット』(93年)で『続 荒野の用心棒』さながらの“耳裂き”シーンを撮りました(アメリカではカット。またイギリスでは“耳裂き”のおかげで『続荒野の用心棒』自体が30年間上映禁止だった)。トリニティという女主人公が登場した『マトリックス』のウォチャウスキー兄弟は、『暗殺者』(95年)の脚本を担当し『ミスター・ノーボディ』 (73)の中で語られた小話を引用しちゃいました。
ミュージック・シーンにもマカロニ・ファンは多いのです。モリコーネの曲を必ずレパートリーに入れていた70年代のイギリスのバンドがベーブ・ルース、最近ではヘヴィ・メタルの代表的バンド・メタリカはライブのオープニングで鳴り響く『続・夕陽のガンマン』の「ガンマンの祈り」とともに登場しました。2007年にアカデミー名誉賞を受賞したエンニオ・モリコーネのために捧げられたトリビュート・アルバムでは、ブルース・スプリングスティーンが『ウエスタン』のテーマを奏でました。
こうして、マカロニ・ウエスタンは世界中の、映画、テレビ、音楽、マンガ、ファッションといった世界で確実に生き続けています。いわば、評論家の野心には響かなかった(そんなもの褒めても評論界じゃ偉くなれない)が、純粋な映画ファンや、アーティストたちの心には確実に根をおろしたのです。純粋に娯楽を目指す作り手たちには、マカロニはポップ・アートとして映るのかもしれません。または、徹底的に無責任に無秩序に作られた娯楽作品は、時として見るものによっては哲学的に捉えられる事もあるかも知れない。
For A Few Dollars More - Final Duel 1080p HD
続・夕陽のガンマン The Trio [The Good the Bad and the Ugly]
Django 1966 tribute
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Un Dollaro tra i Denti (Trailer Italiano)
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此処からは、懐かしいポップスです。古い曲ですので、知っている方は知っていると思いますが。歌謡曲。アニメソングも入っています。若い人であまり知らない人も、是非聴いて下さいね。
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