このblogは以前に挙げたものです。昨年書いた記事から自分で読んで、もう一度記載したく思った話です。読んで見て下さいね。皆さんは身体が丈夫な人たちだと思いますので。精神病の事など聞きたくも無いと言う人も居られる事でしょう。しかし文章なら読む事が出来るかと思います。私は今調子が悪い為、新しい記事を書けません。ですので当分更新が出来ませんので、、宜しくお願い致しますね・過去記事なども読んで頂けると嬉しいです.....。
まず、この動画を見て下さいね。
全員が泣いた感想文
世界中が感動したタイのCM3本立て
障害を持った女の子の話と.....。
その話と。そして会社に居た人たちの話。あと同棲についての話です。では読んで見て下さいね。宜しく........。
『ある障害を持った女の子の話.....。』
今回はある障害を持った女性2人の事を話したくなりました。何時もは文をよく確かめるのですが今回は確かめずに投稿します。そのほうが良いと思って。したがって誤字などありましたら御注意願います。人は弱いものです。すぐ楽な方にと片寄って行ってしまう。今の時代。悪い事は蔓延して居ます。健康面も道徳面も、そして私は今女性が狙われて居る事に危機感を持って、よくニュースなどを観て居ます。ネットを見れば、どれもこれも悪い情報が蔓延って居ます。今回、話す話は以前にも話しました。しかし、今回はもう少し深く話して見ました。聞いてやって下さい。今回はその話とあと2つの話だけです。
そして最初と最後にあるアニメの短い動画を入れて置きました。障害を持つ女の子といじめた男の子の高校生になってから再び出会った許しと再生の物語です。京都アニメーションの名作「聲の形」です。まずそちらからご覧下さい。
【MAD】聲の形「打ち上げ花火」
映画 「聲の形」 紹介 - THE SHAPE OF VOICE -
【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは)
こう言う話をある若い女の子から聞いた事がある。その子は京大を主席で卒業して居た。とにかく頭がいいのだ。しかしその子は精神を病んで居た。そして、その子が言うには本は買わないと言うのだ。私が「どうして?」と聞くと一度読めば全部頭の中に入って仕舞うと言うのだ。記憶してそして2度と忘れないと言う。一度読んだだけで、だから京大を主席で卒業したのだ。前にも書いたがその子は多重人格者だった。道を歩いて居ると突然、人格が入れ替わり。周りの人がびっくりして居るのは判るのだが、本来の自分はすぐに消えて仕舞い何も分からなくなると言うのだ。その子には3人の人格があり、そのうちには自分とは正反対の性格の乱暴だが陽気な人格と、8歳ぐらいの子供の人格があると言って居た。私は彼女を見守って居た。私なぞは頭が悪いから本を読んでもすぐに内容の事は忘れて仕舞う。だから、手元に本が無いと非常に困って仕舞うのですよ。だから、本は図書館で借りるのではなくて、なるだけ購入する事にして居る。最近では、あのホスト界の帝王のローランド君の自伝記も購入して居る程だ。ケア・マネジャーが夏に来た時に「これ、買ったんですかぁ〜」と呆れて居たが。確かに読んで見たら、彼はまだ若すぎて居て、内容は余りいいものでは無かったが。文体は彼のビックマウスにふさわしく。しかも丁寧な文体で面白くは読めた。そして彼の兄貴分と言われるGACKT君の本も2冊ほど購入した。読んで居て彼のセンスの良い文体と、緻密でずっしりと内容がある事に驚いた。彼は非常に苦労人で頭がいいのだ。
私のアパートの部屋は何せ狭い5畳半のお勝手に6畳間の和室に、風呂、トイレ別には付いて入るが、お勝手が幸いにも6畳近くあるので、本棚一つとカラーボックスに入れた本とCD,DVDが置けた。6畳間にも本棚が一つそれにDVDーRとDVDソフト、レコードが置いてある。書籍の冊数は900冊には一応はなる。まあ、本当に書籍を持って居る方から見れば、大した冊数では無いだろうが....。
話はその子の事です。彼女は自分の病気と言うか障害だが。この事を悔やんで泣いて居るような子では無かった。本を買わない彼女が専門的な精神医学の分厚い医学書を取り寄せて、自分で自分の病について読んで分析し考えて居た。知識はおそらく相当にあったろうと思う。恐らくは普通の精神科医並みにだ。彼女が言って居たが。主治医に自分で自分の病の所見を口頭で述べたり。レポート用紙に書いて渡したりして居たと言う。ある時は主治医よりも自分の見立ての方が正しかった事もある、と言って居た。私同様彼女も障害のせいで兄弟からは見捨てられて居ると言って居た、弟は居るがもう何年も音沙汰が無いと言う。どうやら彼女はたまに伯母が来て、食事などの面倒は見てくれて居る事もあったが。殆んど一人切りで小型の犬を飼い。雨の日でも犬の散歩に出掛けたらしかった。何時もblogには彼女が食べる定番のメニュー。スパゲッティー・カルボナーラ。たらこ・スパゲティー。そして庶民的な焼き鳥屋での焼き鳥とビール。の写真が載って居た。彼女は慢性的に左腕が痛かった。曲げる事すら出来ず。麻薬性の強い貼り薬と痛み止めを飲んで居た。痛み止めが効くのは5時間が限度。そしてそれ以上は飲めない劇薬だった。彼女から聞いた話だが腕が余りにも痛いので京都の病院でそう言ったら、
「嘘ついてるんじゃないの?」と言われたと言って居た。私はその話を聞いて「なんて医者だろう」とは思ったが。私も主治医に受け居られるまでは、罵声を浴びせられて居たから気持ちはよく分かって聞いて居た。そして、彼女は精密検査になった。結果腫瘍が体の中に5つも出来て居る事が分かった。彼女は言って居た。前にもそんな事があってうつ伏せになって、手術をしたと言う。彼女は腫瘍のレントゲン写真を見せられて、自分でも医学書を読んで調べ始めた。そしてそれから程なくして主治医から手術をすると言われた。腫瘍は全て悪性のものだった。癌だったのだ。彼女の腕が痛いのもそのせいだった。彼女は悩んだ。思えば自分が多重人格になったのは、両親が鉄道自殺で電車に飛び込んで轢かれたのを見たせいだった。彼女はそれ以来。人格が3つに分裂して多重人格になって仕舞ったのだ。
彼女は薬で私同様にフラフラになり、よく歩いて居て木にぶつかったり、ビルの壁にぶつかったりすると言って居た。そして彼女はそんな自分を鼓舞する様に、企業で働いて居た時に購入して居た、愛車に乗って病院通いをして居た。それから、なんと彼女は自分の病状をある企業に出向き明かして入社試験と面接を受けた。そして内定を取り付けたのだ。処が、主治医が許さなかった。彼女は1日4時間の契約で障害者枠で入ったのに。彼女は自分に最後の希望を与えて保とうとして居たのだ。そして彼女は手術の3日ほど前になって突然blogはもう辞めると言って来た。私は何かが変だと直感した。彼女は主治医から「手術をしても無駄だろう」と言われたらしいのだ。私は彼女に無意識に言って居た「早まるな!!早まらないで!!」その3日後。彼女のblogにはベットに腰掛けて微笑んでいる美人の彼女の写真が貼ってあった。「今まで、有難う。」そうその下に書いてあった。それが彼女の精一杯のお別れの方法だった。彼女は亡くなり。blogは親族に寄って閉じられた。もう彼女はこの世には居ない。彼女の痕跡もどこにもない。ただ。京大の病院に彼女のカルテがあるだけだ。
人は強い人間など1人も居ない。どんなに悪党でもどんなに卑劣漢でも心の中には弱いが優しい部分を持って居るものだ。例え演技であろうと。この間、北朝鮮の金正恩が人民大会で私が不甲斐ないせいで人民には苦労を掛けて居ると泣いて居る映像が映って居た。私は松田聖子は嫌いだが。彼女が若い頃に、歌謡賞を取った時にブリッコで泣いたが涙は出て居なかった。GACKT君と対談話になった時に、彼を単なるプレイボーイのバカと決め付けて、彼が「今度どこかに食事にでも行きましょうか?」とエスコートしたら。彼女はゲラゲラ笑い出して。「夜じゃなくて昼にねぇ〜」と彼を目一杯おちょくってバカにして居た。GACKT君は黙った侭だった。彼は聖子を先輩として立てたのだ。彼に取ってあんな女は嫌なはずだ。性根が腐って居る人間は治しようがない。幾ら誠意を見せても。此方の事はバカにしたきりだ。そしてそう言う人は大抵頭が悪い。頭が悪いとは勉強が出来ないと言う事とイコールではない。人間的にバカなのだ。私は今また。先ほど言った死んだ彼女の事を思い出して居る。彼女は精一杯生きたのだろうか、、激痛に耐えて自分の障害のある人生に耐えて。人から変人扱いをされて。しかし彼女は精一杯生きたのだと私はそう思いたい。辛い人生だったね。でも今は亡くなったお父さんお母さんと一緒に天国で暮らせて居るのだね。僕にはそれが唯一の救いだよ。
ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】
それから、以前私は、障害を持って居る女性とまた話をして居た。彼女は脳出血で、寝たきりだ。彼女には優しい母親がいれば旦那さんも居る。私はよく彼女と障害について話して居た。彼女も私なんかよりも頭がいい。理系の大学を卒業して居る。脳出血になる前は趣味がバイオリンを弾く事だったと言う。私は彼女によく動画を掲示板に貼り付けてあげて居た。彼女は半身不随の上に耳が聞こえないのだ。私の彼女に対する夢はいつか耳が聞こえる様になった彼女に、下手だけども私がブルースハープを吹いて聞かせてあげる事だ。彼女に言ったら。一度聞いて見たいと言って居た。よく弱いものはダメだ彼らにあるのは馴れ合いしかない。この世は強いものが制すのだと言う人も居る。成る程そうだろう。世の中は弱肉強食だ。動物の世界だって弱いものから喰われて行く。その点。花はすごい存在だと思う。突風災害に遭っても咲き続けて人に安らぎを与えてくれる。花は何も言わない。そして何も見返りを求めては来ない。ただ美しく咲いて居るだけだ。
しかし彼女は最近になって掲示板を閉じて仕舞った。状態も悪い見たいです。私は陰ながら心配して居ます。勝手暗殺されたジョン・レノンは妻のヨーコ共々菜食主義者だった。内田裕也がアメリカに住んで居る彼の家に行って食事を出されて食べた処。彼は余りに食べて居るものが質素なので驚いたと言って居た。昨年はジョンの生誕80周年だった。生きて居ればもう80歳になる。時代は移り変わって行く。ジョンレノンさん。あなたが今から40年も前に言って居た、人種差別も戦争も無くなっては居ません。世紀は変わったけど、人間は愚かな侭ですよ。皆んないい人ほど先に行ってしまう。石原裕次郎、原田芳雄しかり。来ないだも、ロック・ギタリストの。エディー・ヴァン・へーレンが亡くなった。まだ65歳だった。喉頭癌だった。私は最近の若者たちに期待をして居る。特にミレニアル世代の優等生たちにだ。彼らは、何かやり遂げてくれるだろう。政治家も学者も哲学者も会社の社長も若い人材が輩出されて来て居る。時代はコロナと言う病が蔓延り出した。しかし近い将来何時かは克服されるだろう。ワクチンも出来た。人間の寿命の様に。コロナにも終わる時が何時かは必ず訪れる....。それまでの辛抱だ。さぁ、気合を入れるかな。私とてあと10数年は生きたいもの。この話は此処までにして置きます。此処まで付き合ってくれて有難う。。。
私は思うが、高校時代にろくな成績も取れずに卒業して生きて来た様なおばさんは知能程度が低い。昔だが、私が明大前の床屋でカットして貰ったのだが。薬を飲んで居るせいで眼の淵が紫色になり、意識朦朧として駅まで歩いて行ったら。おばさんが私の方を向いて私をバカに仕切った顔をして笑みを浮かべて見て居た事があった。また、近所の京王ストアーに母が行って。薬局売り場のおばさんに「「赤チン」下さい」と言ったら。そのバカ女は「アラ〜〜。嫌だわ奥さん!!。アカチンだなんて、旦那さんのおちんちんが腫れてるのぉ〜〜」と言った大バカヤローババアが居た。「赤チン」とはメルブロミンの水溶液(メルブロミン液)は暗赤褐色の液体であり、商品名のマーキュロクロム液あるいは通称の赤チン(あかチン)として知られて居るのですよ。 通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのにたいして。本品の色が赤いことからつけられたのです。薬売り場にいて「赤チン」の意味を知らなかったのですよ。そう言う無知なおばさんたちが、この国には沢山居ます。明大前で私を見たおばさんは。私の外見上その風貌を見て「へっ!!こいつは頭がおかしい精神異常者だろバカか!!」と思ってバカにしたのでしょう。確かに私が母に読む様に購入した「精神分裂病の全て」と言う本には、「勉強が出来る人。要するに頭がいい人と勉強が出来ない人と比べると、頭がいい人の方が症状は軽く。また、小卒。中卒。高卒。大卒。大学院卒を比べると高学歴者の方が病状を自分で把握出来るから余りおかしな行動は取らないし病状も普通だ。」と書いてあった。しかしこれには私は異論がある。
大学院を出て居る様な人間でもバカは沢山居る。言って見れば利口バカだ。勉強の知識は豊富にあるが人間的にバカな人が結構居る。知識を一杯知って居て、物事を言えるから利口とは限らない。一見、皆んな学歴で相手を見て仕舞いがちだが、よくこう思う事は無いだろうか。「勉強が出来る人って言って居るけど。そう言う人ってなんか変だ。」と、、人は勿論勉強も大切だが(こう言う事は勉強をして来なかった私が言ってもシャレにもならないけどね.....。)一番大切なのは人に対する真心だそして誠実さだと思う。現に私が入院して居た病院にも。大学院出身の患者が居たが。とても利口とは言えなかったし。病状も悪かった。例えば、大学教授が卒論やら博士号の論文が書かれた、原稿用紙やらレポートをよく机への中に放り込んで鍵を掛けて、ろくに見もしない事がある。そう言う事がしばしばある。何故ならその学生がお金を持って来るのを待って居るのだ。私の義理の兄もやられた。教授に提出したら、それっきり見ようともしなかったそうだ。だから論文がダメなんだろうと、それから3回も書き直して持って行ったが、全て机の引き出しに入れて鍵を掛けて一度も見ないのだそうだ。それで考えた末に姉がその教授の御宅に伺い300万を入れた袋を渡すと。その教授は、「よしよし、要約分かったかね、、」と言って。義理の兄は論文が通り博士号が取れたそうだ。教育者?私は反吐が出る!!。弟もまた多分そうだったのだろうと思う。あいつは私になりすまして銀行に行き。私の通帳から300万を引き出した。多分教授に渡す金だったんだろう。まあ、この事については私はいまだに腑に落ちないし怒っても居るが。何しろ弟は私にその事を言わなくて。認知症の母から聞いて、弟にメールで問いただしたところ「必ずお返しします」そう返事が返って来たのです。その後弟は亡くなり。その話もウヤモヤになって仕舞った。政治家だって何だって世の中は全て皆んな金で廻って居る。だから私の様な者は生きられない。金が無いのだから。此れを読んで居て自身が「自分は勉強が出来ない」と言う人が居たら言いたい。何も勉強が出来なくても教養は本を読めば身に付きます。本をよく読みましょう。買えなくても図書館に行けば幾らでも置いてあり。借りる事もそこで読む事も出来ます。真に頭がいい人と言うのは小難しい理屈を述べられる人では無いのですよ。物事を正確に見る事が出来て。実直で正直、そして正義感がある人が。本当に利口な人と言うのですよ。それから自分は美人じゃ無いと思って居る女の子へ。男は確かに顔に惚れる人も居るけど。殆んどの男がその子の優しさ誠実な可愛い心に惚れるのですよ。だから美人じゃ無いからと言って気にしないでね。優しい女らしさを磨いて下さい...。
===「2人の貧乏人」===
(現在は終売して居ます)
粉末ジュースは、今では殆んど飲まれなくなったが、粉末の状態で販売され、水に溶くと清涼飲料水になる商品の俗称です。1950年~1960年代に掛け人気があり、数多くのメーカーが取り扱って居た為、粉末ジュースは駄菓子屋に行くと必ず販売されており、子供達に取っては低価格でジュースが飲める人気の製品だった。しかし、人工甘味料(チクロ)が人体にもたらす悪影響が社会問題化して、使用禁止となった殆んどのメーカーが粉末ジュースから撤退して行った。今では松山製菓だけが販売しています。そして幼稚園児だった私が外でコップに入れて飲んで居ると。必ずHがやって来て貸せと言って半分は飲んで仕舞うのだった。私が幼稚園で風邪を引いて帰らされる時に必ずHが向かいに来た。
そしてミゼットに乗せると運転をして、私を自宅まで届けるのだが。私がものを一言でも言おうとすると「うるさい!!ガキは黙って居ろ!!」と怒鳴られた。そして食堂で皆んなしてご飯を食べるのだが。二人とも大口を開けてご飯をこれでもかと口一杯に押し込んで食べて居た。そしてこの事は前に書いたが。Pは食卓にウスターソースとか醤油が置いてあると、それをジャボジャボご飯に掛けて食べて居た。そうやって食べるのが当たり前の様に振る舞うので、母が怒ってソースやら醤油を取り上げて怒ると「奥さんは何故怒こるんだろうか?」と言う始末だった。貧しい漁村で育ったPは、貧しすぎて。毎回食事のおかずが無かった。食べられなかったのだ。食べられたのは塩で握った握り飯だけだった。だから握り飯も食べられない時にはご飯に直にソースやら醤油を掛けて食べていた。それがおかずだったのだ。Hはご飯の大盛りを自分で装って5杯は食べた。母は毎回怒って言って居るのだが、この2人は何も聞いて居ない様だった。
昭和30年代に走って居た。ミゼットの写真。
しかしHは私が会社に入社して。私が車に乗ると大抵は埼玉まで行くのだが。得意先が埼玉のケーキ屋とかスーパーの中にあるパン屋だからだけども。そして食事は毎回「山田うどん」を食べた。「山田うどん」は安いし確かに美味しい。築地に行った時には珍しく私に刺身定食を食べさしてくれた。Pと乗ると大抵、高速の脇にライトバンを停めて寝て仕舞った。私はトイレにも行けず。道路の端なので横に停めてある車から歩いて。高速を降りてパーキング・エリアまで行って缶コーヒーを飲んだものだった。彼の口癖は「ちょうちゅね〜」でよく得意先からバカにされて居た。職人が彼に大皮肉を言うのだ。ある時には「Pさんは学歴無いから。『ちょうちゅね〜』としか言えねえんだろ?」と私が居る前で大笑いをされて居た。彼は、何時も私の実家の1階が会社だった頃に。私の自宅の脇に道があり。そこに車を止めて、昼になると、うたた寝をして居て。
私が休みだから中古レコードやら中古ビデオテープを買って袋に入れてその車の横を通ろうとするとガバッと起きて「〇〇ちゃん!何買って来たの!!」と車から降りると。言うのが早いか袋をもぎり取り。勝手に袋を開き中古レコードやらビデオソフトを取り出し。「此れが蓄音機に掛けてゴーゴー踊るやつだろう?」と時代錯誤、甚だしい事しか言えない。私は「勝手に見ないで下さいよ!!」と何時も怒って居た。ある時にパートの若い女の子とコンタクト・レンズの話をして居たら、突然その人が割り込んで来て「コンタクト・レンズってなんだ!!」と聞いて来たので。「あれ〜!よく眼鏡屋にコンタクト・レンズありますって書いて居ませんか?道歩いて居て見かけるでしょう?」と言っても知らないと言うので「目に入れる度付きのレンズの事ですよ」そう言ったら。「緑内障の手術なんかで手術で入れるものだろ?」」と聞いて来たので。「違います。メガネの代わりですよ。黒目に直に被せて装着するものですよ。度付きのもあるけど今は若者の間ではファッションで色が付いたものもありますよ。瞳の色が青とか緑色とか変えられますからね」そう言ったら初めて知ったと驚いて居て。私とその若い女の子2人して、苦笑いをした。ある日だが。私がPさんと帰って来て。業務日誌を付けて居たら。突然「俺を!!バカにしてるとしか思えないよ!!」と言って。ヤカンに入って居るお茶を私の業務日誌のノートの上に持って通過して。私の業務ノートに掛けてびしょびしょにして仕舞った。私は怒ろうとしたが。皆んなは無視をして居た。親御さんが亡くなって親父と母が葬式に行って見たら、畳がなくて、板張りの上にゴザが敷いてあったそうだが。結局Pさんは最終的には、会社が嫌になり50歳ぐらいになって卵屋を始めると言い出したのだが、まず片眼が見えなくなり潰れて。姉の旦那が眼科医だったから見て居たのだが、医療費が払えずに居て、、義理の兄はそれでも診て居たのですが、その後もう片方も失明しました。
育つ過程で栄養不足だったのですよね。
人には色々と事情があります。いま。その人はどうして居るか解りません。
会社は辞めましたから、、、、
Hに付いては、色々言いたい事は、もう今まで散々言って居るので。此処ではもう言わないが。彼も、人が食べて居る食事を「オラさが食ってやる〜〜!!」と言っては食べたり。人が飲んで居る缶コーヒーを飲んだりして居た為か、筋萎縮性側索硬化症と言う難病に掛り死んで行った。ただ、この男は死ぬ時が解って居たのか、3千万円の保険金が貰える生命保険に入って、死んでも家族には3千万を残した。
まあ、貧しいと言う事はろくな事にはならない。この文章を書いて居る私も。あとほぼ1年と少しで、金は尽きる。さあ、生活保護が通らなかったら自殺するしかない。誰も助けてはくれませんからね。世の中とはそんなものだ。姉さんに頼れって?ダメダメ。あの人はこう言うでしょうね「障害者の弟なんかの金が出せられるか。人生甘くはねえんだよ。生きられなかったらさっさと自殺しな」私はもう何も期待はして居ない。所詮、障害者。精神障害者は見殺しにされるのです。ただ、昨日。ケアマネージャーにあと少しで金が尽きると言ったら。「生活保護の受給書貰う前に相談に行きましょう」と言って居た。ほらね。そう簡単には更新書はくれないでしょう?ただ私は持ち金として数10万は持って居ようかとも思って居たが。それも、ケア・マネージャーに言わせると通帳を調べて。例えば20万の引き出しの記入があった場合。その金の用途を詳しく尋問されるらしい。警察と同じですよ。使徒不明金は持てない仕組みになって居る。文字通り一銭たりとも無ければ生活保護は受けられない。私は銀行の通帳だけ見て此間は「あと10ヶ月しか持たない」と言ったが。郵便局にもあと100万円近くのお金がある事を忘れて居た。だからこの金を合わせてあと1年半は暮らせる勘定になる。大体が今私は月に17万ぐらいで暮らして居る。そうしたらケアマネージャから言われた。「14万ぐらいで生活する習慣を今から作って置いた方がいいですよ。最近。生活保護費の削減で今は147,880円ですからね....。」去年までは151,800円だったのに菅総理が保護費を削減しやがった!!保護費の内訳はこうです。。。
- 生活保護費の内訳
- 計算式
- 金額
- 生活扶助
- ①基準額
70,956円
②基準額
76,310円
※①②の高い方を選択 - 76,310円
- 障害者加算
(在宅者) - ■身体障害1・2級、精神障害1級
0円
■身体障害3級、精神障害2級
17,870円
- 住宅扶助
- 東京都杉並区の家賃補助
- 53,700円
生活保護を受給するためには条件があります。
- 試算結果は保護費の目安です。決定額ではありません。
- 条件によっては他にも加算される項目がありますが簡素化のため此処では割愛します。
- 正確な保護費を知りたい場合は市区町村の福祉窓口にお問い合わせください。
だから言われましたよ。皮肉混じりに、「金あるうちに色々と買って置かないと生活保護になったら何も買えませんよ。」それから此れは訪問看護師から言われた。「生活保護になったら3千円する服とか買えませんからね。」着るものも買えない。食費も出ない?此れで「最低限度の裕福な暮らしが出来る」その事が保てるお金か???皆んな食費に金掛けられないから。1日1食だと聞きましたよ。その上に、国の都合とか役所の都合で生活保護が打ち切りになる場合があるのですよね。皆んな餓死して死んでますよ。こんな状態なのに普通の人達は「生活保護貰える何ていいわよねぇ〜〜。働かなくて国に面倒見て貰えて居るのだからさぁ ...。」こう言う皮肉しか言わない。いやね、私も少し生活資金としてお金持って居ようかと思ったんですよね。しかし、そんな事をしたら生活保護は通りませんから。あくまで。文無し。全く収入が無い人しか貰えませんから。国がやる事なんてこう言う事ですよ。
でもね、私も考えました。今、月に17万掛かって居るのを14万8千円まで落として、そう言う生活に慣れないと行け無いとね。まあ、散々周りから言われましたから。「kiyasumeさんはお金持ちぃ〜〜!!」ってね。ヘルパーとか看護師からね。例えば私は此間チェスターコートの6千8百円のものを前が2つボタンなんですよ。それと袖が長いもので直しに「リフォームの洋裁店」に持って行ったんですよね。このチェスターコート実はデザインが「ヨウジヤマモト」に瓜二つで。だからか、ボタンを2つにしてあるのですが?これを3つにしたら外見上は「ヨウジヤマモト」と見分けが付かないんですよね。しかも。もうこのチェスターコートは生産終了で、その作って居たメーカーも無くなって居るのですよ。だから安価なコピー商品の紛いものとも取れるのですが?作りは可成り値段にしては高級で大体。冬場暖かいんですよね。私は大満足して居るのですよね。それと私が秋春用の薄手のコート。これは山本耀司のお弟子さんが作ったもので。若者向けだからデザインがカッコイイし。私は太って居るからサイズが少しキツイのですが・・・・。
それからコートはマキシ・コートを10年前に見つけて購入して持っていますし。山本耀司の「Y s」と言うブランドのブレザーを。昨年の春先に一着7千円で古着だったものを購入して居ます。まぁ、今からもう20年位前のモノですけどね。要約「ヨウジヤマモト」の服が買えたと思って居ますよ。それは掘り出し物だったんですよね。今から20年前と言えども、山本耀司ブランドの服は最低でも20万はして居ますからね。それが7千8百円で売って居たのですから。古着屋で購入したのですが。そこの店長さんが背が低くて。その上サイズもSサイズらしくて。自分には大きすぎると言って居ましたっけなぁ。私にはちょうど良い大きさですけどね。あと2年前の夏に購入したのですが「リョウ・タカシマ」のトレンチコート、此れは5万8千円しましたけど。カッコイイので思い切って購入しました。買って正解でした。まだ来ては居ませんけどね。
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あとはUNIQLOとかGUのブレザーの3千円から4千円のモノですよ。来て居るのはね。前に、ある女性の掲示板にそう書いたら。偉くバカにされましたよ。。。まあ、服の話になって仕舞ったけど。結構持って居ますよ服はね。コートは8着はあるかな、、コートフェチですねぇ、、我ながら、、困って仕舞いますけど。でもね、もうお洒落しても13年ぐらいだろうからね。そのぐらいしか生きられないと思います。丁度、73歳ぐらいでしょうかね。私は薬を大量に、しかも抗精神薬を大量に飲んで居るせいで。体のあちこちが異常を起こして居ますから。一々言いませんからねぇ。今日もヘルパーが私が調子が悪いと言ったら。「どこも悪くなく見える....。」と言うのですよね。私の病。障害は精神障害ですから。見た目やら、少しぐらい話たって分かりませんよね。此間は思考吹き込みと思考奪取が起こりました。3日前に病院だったので。主治医にそう言ったら薬の量が増えましたよ。
(注)思考化声(考えていることがそのまま声になって聴こえる)、思考吹入(考えが外から吹き込まれる)、思考奪取(考えが抜き取られ空っぽになる)、思考伝播(考えただけで周囲に伝わってしまう) こう言った症状が出て仕舞いました。こう言う時はそれは辛いのですよ。大抵の患者がその事で声に出して話したり妄想を抱く様になったりしますよ。私もなりかけましたが。幸いのも主治医が、そう言う時用の頓服を出して居るので、それ飲んで助かりました。皆さんも、精神病にだけは成らない様にして下さいね。自殺願望も出ましたしね。死にたくなるんですよ、色々考えてしまうとね。私はこの先。生活保護費、貰えるのかとかね。貰えても今の生活は保たれるのだろうかとかね。物は買えなくなるのは判るけど。だから最近はテレビも見て居ませんし。あれだけ好きな映画も観られて居ません。此間購入した「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だけです観たのは。少女趣味か?62歳にもなって?と言いたいでしょうけど 。私はこのアニメの主人公の様な過酷な生い立ちを背負って頑張って生きて居る、あくまでアニメですが、、彼女がいじらしくて。観てられなくて。可哀想で。見る度に胸が締め付けられるのですよね。あとリアルな女性では青木志貴ちゃんでしょうか・・・。まあ、憩いのひと時でしょうか。。。
==「同棲に付いて」==(過去記事から引用です)
結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれて居る。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映して居る訳だ。以下は佐藤信: 東京大学先端科学技術研究センター助教の書いた本から抜粋し少しだけ加筆して居ます。
しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。
かつてはそんな事はなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶して居た。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。
この時代には林静一の漫画「赤色エレジー」やら上村一夫の漫画『同棲時代』も話題になり、、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付く事になった」と書いて居る(『歳月の鉛』)。知らない世代の読者のために記しておけば、この「神田川」と言う歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。
このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にして居ると言うから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになって居る。
紛争の時代。とくに日大なんかそうだった訳だけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずにジャズ喫茶でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。