寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

まあ、読んで見て下さいね。。。。。

このblogは以前に挙げたものです。昨年書いた記事から自分で読んで、もう一度記載したく思った話です。読んで見て下さいね。皆さんは身体が丈夫な人たちだと思いますので。精神病の事など聞きたくも無いと言う人も居られる事でしょう。しかし文章なら読む事が出来るかと思います。私は今調子が悪い為、新しい記事を書けません。ですので当分更新が出来ませんので、、宜しくお願い致しますね・過去記事なども読んで頂けると嬉しいです.....。

まず、この動画を見て下さいね。

 

全員が泣いた感想文

世界中が感動したタイのCM3本立て

 

 

障害を持った女の子の話と.....。

その話と。そして会社に居た人たちの話。あと同棲についての話です。では読んで見て下さいね。宜しく........。

 

 

 

『ある障害を持った女の子の話.....。』

 

 

今回はある障害を持った女性2人の事を話したくなりました。何時もは文をよく確かめるのですが今回は確かめずに投稿します。そのほうが良いと思って。したがって誤字などありましたら御注意願います。人は弱いものです。すぐ楽な方にと片寄って行ってしまう。今の時代。悪い事は蔓延して居ます。健康面も道徳面も、そして私は今女性が狙われて居る事に危機感を持って、よくニュースなどを観て居ます。ネットを見れば、どれもこれも悪い情報が蔓延って居ます。今回、話す話は以前にも話しました。しかし、今回はもう少し深く話して見ました。聞いてやって下さい。今回はその話とあと2つの話だけです。

 

 

 

そして最初と最後にあるアニメの短い動画を入れて置きました。障害を持つ女の子といじめた男の子の高校生になってから再び出会った許しと再生の物語です。京都アニメーションの名作「聲の形」です。まずそちらからご覧下さい。

 

 

【MAD】聲の形「打ち上げ花火」

 

映画 「聲の形」 紹介 - THE SHAPE OF VOICE -

 

【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは)

 

 

 

 

こう言う話をある若い女の子から聞いた事がある。その子は京大を主席で卒業して居た。とにかく頭がいいのだ。しかしその子は精神を病んで居た。そして、その子が言うには本は買わないと言うのだ。私が「どうして?」と聞くと一度読めば全部頭の中に入って仕舞うと言うのだ。記憶してそして2度と忘れないと言う。一度読んだだけで、だから京大を主席で卒業したのだ。前にも書いたがその子は多重人格者だった。道を歩いて居ると突然、人格が入れ替わり。周りの人がびっくりして居るのは判るのだが、本来の自分はすぐに消えて仕舞い何も分からなくなると言うのだ。その子には3人の人格があり、そのうちには自分とは正反対の性格の乱暴だが陽気な人格と、8歳ぐらいの子供の人格があると言って居た。私は彼女を見守って居た。私なぞは頭が悪いから本を読んでもすぐに内容の事は忘れて仕舞う。だから、手元に本が無いと非常に困って仕舞うのですよ。だから、本は図書館で借りるのではなくて、なるだけ購入する事にして居る。最近では、あのホスト界の帝王のローランド君の自伝記も購入して居る程だ。ケア・マネジャーが夏に来た時に「これ、買ったんですかぁ〜」と呆れて居たが。確かに読んで見たら、彼はまだ若すぎて居て、内容は余りいいものでは無かったが。文体は彼のビックマウスにふさわしく。しかも丁寧な文体で面白くは読めた。そして彼の兄貴分と言われるGACKT君の本も2冊ほど購入した。読んで居て彼のセンスの良い文体と、緻密でずっしりと内容がある事に驚いた。彼は非常に苦労人で頭がいいのだ。

私のアパートの部屋は何せ狭い5畳半のお勝手に6畳間の和室に、風呂、トイレ別には付いて入るが、お勝手が幸いにも6畳近くあるので、本棚一つとカラーボックスに入れた本とCD,DVDが置けた。6畳間にも本棚が一つそれにDVDーRとDVDソフト、レコードが置いてある。書籍の冊数は900冊には一応はなる。まあ、本当に書籍を持って居る方から見れば、大した冊数では無いだろうが....。

話はその子の事です。彼女は自分の病気と言うか障害だが。この事を悔やんで泣いて居るような子では無かった。本を買わない彼女が専門的な精神医学の分厚い医学書を取り寄せて、自分で自分の病について読んで分析し考えて居た。知識はおそらく相当にあったろうと思う。恐らくは普通の精神科医並みにだ。彼女が言って居たが。主治医に自分で自分の病の所見を口頭で述べたり。レポート用紙に書いて渡したりして居たと言う。ある時は主治医よりも自分の見立ての方が正しかった事もある、と言って居た。私同様彼女も障害のせいで兄弟からは見捨てられて居ると言って居た、弟は居るがもう何年も音沙汰が無いと言う。どうやら彼女はたまに伯母が来て、食事などの面倒は見てくれて居る事もあったが。殆んど一人切りで小型の犬を飼い。雨の日でも犬の散歩に出掛けたらしかった。何時もblogには彼女が食べる定番のメニュー。スパゲッティー・カルボナーラ。たらこ・スパゲティー。そして庶民的な焼き鳥屋での焼き鳥とビール。の写真が載って居た。彼女は慢性的に左腕が痛かった。曲げる事すら出来ず。麻薬性の強い貼り薬と痛み止めを飲んで居た。痛み止めが効くのは5時間が限度。そしてそれ以上は飲めない劇薬だった。彼女から聞いた話だが腕が余りにも痛いので京都の病院でそう言ったら、

「嘘ついてるんじゃないの?」と言われたと言って居た。私はその話を聞いて「なんて医者だろう」とは思ったが。私も主治医に受け居られるまでは、罵声を浴びせられて居たから気持ちはよく分かって聞いて居た。そして、彼女は精密検査になった。結果腫瘍が体の中に5つも出来て居る事が分かった。彼女は言って居た。前にもそんな事があってうつ伏せになって、手術をしたと言う。彼女は腫瘍のレントゲン写真を見せられて、自分でも医学書を読んで調べ始めた。そしてそれから程なくして主治医から手術をすると言われた。腫瘍は全て悪性のものだった。癌だったのだ。彼女の腕が痛いのもそのせいだった。彼女は悩んだ。思えば自分が多重人格になったのは、両親が鉄道自殺で電車に飛び込んで轢かれたのを見たせいだった。彼女はそれ以来。人格が3つに分裂して多重人格になって仕舞ったのだ。

彼女は薬で私同様にフラフラになり、よく歩いて居て木にぶつかったり、ビルの壁にぶつかったりすると言って居た。そして彼女はそんな自分を鼓舞する様に、企業で働いて居た時に購入して居た、愛車に乗って病院通いをして居た。それから、なんと彼女は自分の病状をある企業に出向き明かして入社試験と面接を受けた。そして内定を取り付けたのだ。処が、主治医が許さなかった。彼女は1日4時間の契約で障害者枠で入ったのに。彼女は自分に最後の希望を与えて保とうとして居たのだ。そして彼女は手術の3日ほど前になって突然blogはもう辞めると言って来た。私は何かが変だと直感した。彼女は主治医から「手術をしても無駄だろう」と言われたらしいのだ。私は彼女に無意識に言って居た「早まるな!!早まらないで!!」その3日後。彼女のblogにはベットに腰掛けて微笑んでいる美人の彼女の写真が貼ってあった。「今まで、有難う。」そうその下に書いてあった。それが彼女の精一杯のお別れの方法だった。彼女は亡くなり。blogは親族に寄って閉じられた。もう彼女はこの世には居ない。彼女の痕跡もどこにもない。ただ。京大の病院に彼女のカルテがあるだけだ。

人は強い人間など1人も居ない。どんなに悪党でもどんなに卑劣漢でも心の中には弱いが優しい部分を持って居るものだ。例え演技であろうと。この間、北朝鮮の金正恩が人民大会で私が不甲斐ないせいで人民には苦労を掛けて居ると泣いて居る映像が映って居た。私は松田聖子は嫌いだが。彼女が若い頃に、歌謡賞を取った時にブリッコで泣いたが涙は出て居なかった。GACKT君と対談話になった時に、彼を単なるプレイボーイのバカと決め付けて、彼が「今度どこかに食事にでも行きましょうか?」とエスコートしたら。彼女はゲラゲラ笑い出して。「夜じゃなくて昼にねぇ〜」と彼を目一杯おちょくってバカにして居た。GACKT君は黙った侭だった。彼は聖子を先輩として立てたのだ。彼に取ってあんな女は嫌なはずだ。性根が腐って居る人間は治しようがない。幾ら誠意を見せても。此方の事はバカにしたきりだ。そしてそう言う人は大抵頭が悪い。頭が悪いとは勉強が出来ないと言う事とイコールではない。人間的にバカなのだ。私は今また。先ほど言った死んだ彼女の事を思い出して居る。彼女は精一杯生きたのだろうか、、激痛に耐えて自分の障害のある人生に耐えて。人から変人扱いをされて。しかし彼女は精一杯生きたのだと私はそう思いたい。辛い人生だったね。でも今は亡くなったお父さんお母さんと一緒に天国で暮らせて居るのだね。僕にはそれが唯一の救いだよ。

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】

 

それから、以前私は、障害を持って居る女性とまた話をして居た。彼女は脳出血で、寝たきりだ。彼女には優しい母親がいれば旦那さんも居る。私はよく彼女と障害について話して居た。彼女も私なんかよりも頭がいい。理系の大学を卒業して居る。脳出血になる前は趣味がバイオリンを弾く事だったと言う。私は彼女によく動画を掲示板に貼り付けてあげて居た。彼女は半身不随の上に耳が聞こえないのだ。私の彼女に対する夢はいつか耳が聞こえる様になった彼女に、下手だけども私がブルースハープを吹いて聞かせてあげる事だ。彼女に言ったら。一度聞いて見たいと言って居た。よく弱いものはダメだ彼らにあるのは馴れ合いしかない。この世は強いものが制すのだと言う人も居る。成る程そうだろう。世の中は弱肉強食だ。動物の世界だって弱いものから喰われて行く。その点。花はすごい存在だと思う。突風災害に遭っても咲き続けて人に安らぎを与えてくれる。花は何も言わない。そして何も見返りを求めては来ない。ただ美しく咲いて居るだけだ。

しかし彼女は最近になって掲示板を閉じて仕舞った。状態も悪い見たいです。私は陰ながら心配して居ます。勝手暗殺されたジョン・レノンは妻のヨーコ共々菜食主義者だった。内田裕也がアメリカに住んで居る彼の家に行って食事を出されて食べた処。彼は余りに食べて居るものが質素なので驚いたと言って居た。昨年はジョンの生誕80周年だった。生きて居ればもう80歳になる。時代は移り変わって行く。ジョンレノンさん。あなたが今から40年も前に言って居た、人種差別も戦争も無くなっては居ません。世紀は変わったけど、人間は愚かな侭ですよ。皆んないい人ほど先に行ってしまう。石原裕次郎、原田芳雄しかり。来ないだも、ロック・ギタリストの。エディー・ヴァン・へーレンが亡くなった。まだ65歳だった。喉頭癌だった。私は最近の若者たちに期待をして居る。特にミレニアル世代の優等生たちにだ。彼らは、何かやり遂げてくれるだろう。政治家も学者も哲学者も会社の社長も若い人材が輩出されて来て居る。時代はコロナと言う病が蔓延り出した。しかし近い将来何時かは克服されるだろう。ワクチンも出来た。人間の寿命の様に。コロナにも終わる時が何時かは必ず訪れる....。それまでの辛抱だ。さぁ、気合を入れるかな。私とてあと10数年は生きたいもの。この話は此処までにして置きます。此処まで付き合ってくれて有難う。。。

 

 

 
 
 
 
 
ディープ・パープル / ハッシュ
Deep Purple - Speed King (1970)
DEEP PURPLE - Black Night (1970 UK TV Performance) ~ HIGH QUALITY HQ ~
Deep Purple - Soldier of fortune (1974)
 
URIAH HEEP JULY MORNING 1972
Uriah Heep - Sunrise 1973 "Tokyo" LIve Video HQ
 
 
 
 
 
 
==「バカな人とは・・・」==
 

私は思うが、高校時代にろくな成績も取れずに卒業して生きて来た様なおばさんは知能程度が低い。昔だが、私が明大前の床屋でカットして貰ったのだが。薬を飲んで居るせいで眼の淵が紫色になり、意識朦朧として駅まで歩いて行ったら。おばさんが私の方を向いて私をバカに仕切った顔をして笑みを浮かべて見て居た事があった。また、近所の京王ストアーに母が行って。薬局売り場のおばさんに「「赤チン」下さい」と言ったら。そのバカ女は「アラ〜〜。嫌だわ奥さん!!。アカチンだなんて、旦那さんのおちんちんが腫れてるのぉ〜〜」と言った大バカヤローババアが居た。「赤チン」とはメルブロミンの水溶液(メルブロミン液)は暗赤褐色の液体であり、商品名のマーキュロクロム液あるいは通称の赤チン(あかチン)として知られて居るのですよ。 通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのにたいして。本品の色が赤いことからつけられたのです。薬売り場にいて「赤チン」の意味を知らなかったのですよ。そう言う無知なおばさんたちが、この国には沢山居ます。明大前で私を見たおばさんは。私の外見上その風貌を見て「へっ!!こいつは頭がおかしい精神異常者だろバカか!!」と思ってバカにしたのでしょう。確かに私が母に読む様に購入した「精神分裂病の全て」と言う本には、「勉強が出来る人。要するに頭がいい人と勉強が出来ない人と比べると、頭がいい人の方が症状は軽く。また、小卒。中卒。高卒。大卒。大学院卒を比べると高学歴者の方が病状を自分で把握出来るから余りおかしな行動は取らないし病状も普通だ。」と書いてあった。しかしこれには私は異論がある。

大学院を出て居る様な人間でもバカは沢山居る。言って見れば利口バカだ。勉強の知識は豊富にあるが人間的にバカな人が結構居る。知識を一杯知って居て、物事を言えるから利口とは限らない。一見、皆んな学歴で相手を見て仕舞いがちだが、よくこう思う事は無いだろうか。「勉強が出来る人って言って居るけど。そう言う人ってなんか変だ。」と、、人は勿論勉強も大切だが(こう言う事は勉強をして来なかった私が言ってもシャレにもならないけどね.....。)一番大切なのは人に対する真心だそして誠実さだと思う。現に私が入院して居た病院にも。大学院出身の患者が居たが。とても利口とは言えなかったし。病状も悪かった。例えば、大学教授が卒論やら博士号の論文が書かれた、原稿用紙やらレポートをよく机への中に放り込んで鍵を掛けて、ろくに見もしない事がある。そう言う事がしばしばある。何故ならその学生がお金を持って来るのを待って居るのだ。私の義理の兄もやられた。教授に提出したら、それっきり見ようともしなかったそうだ。だから論文がダメなんだろうと、それから3回も書き直して持って行ったが、全て机の引き出しに入れて鍵を掛けて一度も見ないのだそうだ。それで考えた末に姉がその教授の御宅に伺い300万を入れた袋を渡すと。その教授は、「よしよし、要約分かったかね、、」と言って。義理の兄は論文が通り博士号が取れたそうだ。教育者?私は反吐が出る!!。弟もまた多分そうだったのだろうと思う。あいつは私になりすまして銀行に行き。私の通帳から300万を引き出した。多分教授に渡す金だったんだろう。まあ、この事については私はいまだに腑に落ちないし怒っても居るが。何しろ弟は私にその事を言わなくて。認知症の母から聞いて、弟にメールで問いただしたところ「必ずお返しします」そう返事が返って来たのです。その後弟は亡くなり。その話もウヤモヤになって仕舞った。政治家だって何だって世の中は全て皆んな金で廻って居る。だから私の様な者は生きられない。金が無いのだから。此れを読んで居て自身が「自分は勉強が出来ない」と言う人が居たら言いたい。何も勉強が出来なくても教養は本を読めば身に付きます。本をよく読みましょう。買えなくても図書館に行けば幾らでも置いてあり。借りる事もそこで読む事も出来ます。真に頭がいい人と言うのは小難しい理屈を述べられる人では無いのですよ。物事を正確に見る事が出来て。実直で正直、そして正義感がある人が。本当に利口な人と言うのですよ。それから自分は美人じゃ無いと思って居る女の子へ。男は確かに顔に惚れる人も居るけど。殆んどの男がその子の優しさ誠実な可愛い心に惚れるのですよ。だから美人じゃ無いからと言って気にしないでね。優しい女らしさを磨いて下さい...。

 

===「2人の貧乏人」===

私の会社には、小学校もまともに行って居ない男。仮にHと言おう。そして中学中退の男。仮にPとするこの2人は、ほぼ同時に会社に入社して来た。Hは身長が146cmしかなく体重は90kgあった。反対にPは身長が186cmはあったが。体重は53kgしか無かった。二人ともそれまで勤めて居たのはHは駄菓子屋の工場で駄菓子職人に弟子入りして働いて居て。Pは行商人をして居たと言う。二人は社宅のうちの実家の4畳半に寝泊まりして働いて居た。丁度、私は幼稚園児でよく昭和30年代はジュースと言ってもジュースの素の粉末があってオレンジジュースだとしたらオレンジの粉末の素を水に解いて飲むものしかなかったのだが。それでもジュースはジュースだった。詳しく言うと粉末ジュース(ソーダ、)は、日邦製菓から販売されて居た粉末ジュースで。発売当時は5~10円で購入する事が出来た。

(現在は終売して居ます)

 

 

粉末ジュースは、今では殆んど飲まれなくなったが、粉末の状態で販売され、水に溶くと清涼飲料水になる商品の俗称です。1950年~1960年代に掛け人気があり、数多くのメーカーが取り扱って居た為、粉末ジュースは駄菓子屋に行くと必ず販売されており、子供達に取っては低価格でジュースが飲める人気の製品だった。しかし、人工甘味料(チクロ)が人体にもたらす悪影響が社会問題化して、使用禁止となった殆んどのメーカーが粉末ジュースから撤退して行った。今では松山製菓だけが販売しています。そして幼稚園児だった私が外でコップに入れて飲んで居ると。必ずHがやって来て貸せと言って半分は飲んで仕舞うのだった。私が幼稚園で風邪を引いて帰らされる時に必ずHが向かいに来た。

そしてミゼットに乗せると運転をして、私を自宅まで届けるのだが。私がものを一言でも言おうとすると「うるさい!!ガキは黙って居ろ!!」と怒鳴られた。そして食堂で皆んなしてご飯を食べるのだが。二人とも大口を開けてご飯をこれでもかと口一杯に押し込んで食べて居た。そしてこの事は前に書いたが。Pは食卓にウスターソースとか醤油が置いてあると、それをジャボジャボご飯に掛けて食べて居た。そうやって食べるのが当たり前の様に振る舞うので、母が怒ってソースやら醤油を取り上げて怒ると「奥さんは何故怒こるんだろうか?」と言う始末だった。貧しい漁村で育ったPは、貧しすぎて。毎回食事のおかずが無かった。食べられなかったのだ。食べられたのは塩で握った握り飯だけだった。だから握り飯も食べられない時にはご飯に直にソースやら醤油を掛けて食べていた。それがおかずだったのだ。Hはご飯の大盛りを自分で装って5杯は食べた。母は毎回怒って言って居るのだが、この2人は何も聞いて居ない様だった。

 

昭和30年代に走って居た。ミゼットの写真。

 しかしHは私が会社に入社して。私が車に乗ると大抵は埼玉まで行くのだが。得意先が埼玉のケーキ屋とかスーパーの中にあるパン屋だからだけども。そして食事は毎回「山田うどん」を食べた。「山田うどん」は安いし確かに美味しい。築地に行った時には珍しく私に刺身定食を食べさしてくれた。Pと乗ると大抵、高速の脇にライトバンを停めて寝て仕舞った。私はトイレにも行けず。道路の端なので横に停めてある車から歩いて。高速を降りてパーキング・エリアまで行って缶コーヒーを飲んだものだった。彼の口癖は「ちょうちゅね〜」でよく得意先からバカにされて居た。職人が彼に大皮肉を言うのだ。ある時には「Pさんは学歴無いから。『ちょうちゅね〜』としか言えねえんだろ?」と私が居る前で大笑いをされて居た。彼は、何時も私の実家の1階が会社だった頃に。私の自宅の脇に道があり。そこに車を止めて、昼になると、うたた寝をして居て。

私が休みだから中古レコードやら中古ビデオテープを買って袋に入れてその車の横を通ろうとするとガバッと起きて「〇〇ちゃん!何買って来たの!!」と車から降りると。言うのが早いか袋をもぎり取り。勝手に袋を開き中古レコードやらビデオソフトを取り出し。「此れが蓄音機に掛けてゴーゴー踊るやつだろう?」と時代錯誤、甚だしい事しか言えない。私は「勝手に見ないで下さいよ!!」と何時も怒って居た。ある時にパートの若い女の子とコンタクト・レンズの話をして居たら、突然その人が割り込んで来て「コンタクト・レンズってなんだ!!」と聞いて来たので。「あれ〜!よく眼鏡屋にコンタクト・レンズありますって書いて居ませんか?道歩いて居て見かけるでしょう?」と言っても知らないと言うので「目に入れる度付きのレンズの事ですよ」そう言ったら。「緑内障の手術なんかで手術で入れるものだろ?」」と聞いて来たので。「違います。メガネの代わりですよ。黒目に直に被せて装着するものですよ。度付きのもあるけど今は若者の間ではファッションで色が付いたものもありますよ。瞳の色が青とか緑色とか変えられますからね」そう言ったら初めて知ったと驚いて居て。私とその若い女の子2人して、苦笑いをした。ある日だが。私がPさんと帰って来て。業務日誌を付けて居たら。突然「俺を!!バカにしてるとしか思えないよ!!」と言って。ヤカンに入って居るお茶を私の業務日誌のノートの上に持って通過して。私の業務ノートに掛けてびしょびしょにして仕舞った。私は怒ろうとしたが。皆んなは無視をして居た。親御さんが亡くなって親父と母が葬式に行って見たら、畳がなくて、板張りの上にゴザが敷いてあったそうだが。結局Pさんは最終的には、会社が嫌になり50歳ぐらいになって卵屋を始めると言い出したのだが、まず片眼が見えなくなり潰れて。姉の旦那が眼科医だったから見て居たのだが、医療費が払えずに居て、、義理の兄はそれでも診て居たのですが、その後もう片方も失明しました。

育つ過程で栄養不足だったのですよね。

人には色々と事情があります。いま。その人はどうして居るか解りません。
会社は辞めましたから、、、、

 Hに付いては、色々言いたい事は、もう今まで散々言って居るので。此処ではもう言わないが。彼も、人が食べて居る食事を「オラさが食ってやる〜〜!!」と言っては食べたり。人が飲んで居る缶コーヒーを飲んだりして居た為か、筋萎縮性側索硬化症と言う難病に掛り死んで行った。ただ、この男は死ぬ時が解って居たのか、3千万円の保険金が貰える生命保険に入って、死んでも家族には3千万を残した。

 まあ、貧しいと言う事はろくな事にはならない。この文章を書いて居る私も。あとほぼ1年と少しで、金は尽きる。さあ、生活保護が通らなかったら自殺するしかない。誰も助けてはくれませんからね。世の中とはそんなものだ。姉さんに頼れって?ダメダメ。あの人はこう言うでしょうね「障害者の弟なんかの金が出せられるか。人生甘くはねえんだよ。生きられなかったらさっさと自殺しな」私はもう何も期待はして居ない。所詮、障害者。精神障害者は見殺しにされるのです。ただ、昨日。ケアマネージャーにあと少しで金が尽きると言ったら。「生活保護の受給書貰う前に相談に行きましょう」と言って居た。ほらね。そう簡単には更新書はくれないでしょう?ただ私は持ち金として数10万は持って居ようかとも思って居たが。それも、ケア・マネージャーに言わせると通帳を調べて。例えば20万の引き出しの記入があった場合。その金の用途を詳しく尋問されるらしい。警察と同じですよ。使徒不明金は持てない仕組みになって居る。文字通り一銭たりとも無ければ生活保護は受けられない。私は銀行の通帳だけ見て此間は「あと10ヶ月しか持たない」と言ったが。郵便局にもあと100万円近くのお金がある事を忘れて居た。だからこの金を合わせてあと1年半は暮らせる勘定になる。大体が今私は月に17万ぐらいで暮らして居る。そうしたらケアマネージャから言われた。「14万ぐらいで生活する習慣を今から作って置いた方がいいですよ。最近。生活保護費の削減で今は147,880円ですからね....。」去年までは151,800円だったのに菅総理が保護費を削減しやがった!!保護費の内訳はこうです。。。

生活保護費の内訳
計算式
金額
生活扶助
①基準額
70,956円
②基準額
76,310円
※①②の高い方を選択
76,310円
障害者加算
(在宅者)
■身体障害1・2級、精神障害1級
0円
■身体障害3級、精神障害2級
17,870円
住宅扶助
東京都杉並区の家賃補助
53,700円
-------------------
合計147,880 円
 
 
注意事項

生活保護を受給するためには条件があります。

  • 試算結果は保護費の目安です。決定額ではありません。
  • 条件によっては他にも加算される項目がありますが簡素化のため此処では割愛します。
  • 正確な保護費を知りたい場合は市区町村の福祉窓口にお問い合わせください。

 

 

 だから言われましたよ。皮肉混じりに、「金あるうちに色々と買って置かないと生活保護になったら何も買えませんよ。」それから此れは訪問看護師から言われた。「生活保護になったら3千円する服とか買えませんからね。」着るものも買えない。食費も出ない?此れで「最低限度の裕福な暮らしが出来る」その事が保てるお金か???皆んな食費に金掛けられないから。1日1食だと聞きましたよ。その上に、国の都合とか役所の都合で生活保護が打ち切りになる場合があるのですよね。皆んな餓死して死んでますよ。こんな状態なのに普通の人達は「生活保護貰える何ていいわよねぇ〜〜。働かなくて国に面倒見て貰えて居るのだからさぁ ...。」こう言う皮肉しか言わない。いやね、私も少し生活資金としてお金持って居ようかと思ったんですよね。しかし、そんな事をしたら生活保護は通りませんから。あくまで。文無し。全く収入が無い人しか貰えませんから。国がやる事なんてこう言う事ですよ。

 でもね、私も考えました。今、月に17万掛かって居るのを14万8千円まで落として、そう言う生活に慣れないと行け無いとね。まあ、散々周りから言われましたから。「kiyasumeさんはお金持ちぃ〜〜!!」ってね。ヘルパーとか看護師からね。例えば私は此間チェスターコートの6千8百円のものを前が2つボタンなんですよ。それと袖が長いもので直しに「リフォームの洋裁店」に持って行ったんですよね。このチェスターコート実はデザインが「ヨウジヤマモト」に瓜二つで。だからか、ボタンを2つにしてあるのですが?これを3つにしたら外見上は「ヨウジヤマモト」と見分けが付かないんですよね。しかも。もうこのチェスターコートは生産終了で、その作って居たメーカーも無くなって居るのですよ。だから安価なコピー商品の紛いものとも取れるのですが?作りは可成り値段にしては高級で大体。冬場暖かいんですよね。私は大満足して居るのですよね。それと私が秋春用の薄手のコート。これは山本耀司のお弟子さんが作ったもので。若者向けだからデザインがカッコイイし。私は太って居るからサイズが少しキツイのですが・・・・。

それからコートはマキシ・コートを10年前に見つけて購入して持っていますし。山本耀司の「Y s」と言うブランドのブレザーを。昨年の春先に一着7千円で古着だったものを購入して居ます。まぁ、今からもう20年位前のモノですけどね。要約「ヨウジヤマモト」の服が買えたと思って居ますよ。それは掘り出し物だったんですよね。今から20年前と言えども、山本耀司ブランドの服は最低でも20万はして居ますからね。それが7千8百円で売って居たのですから。古着屋で購入したのですが。そこの店長さんが背が低くて。その上サイズもSサイズらしくて。自分には大きすぎると言って居ましたっけなぁ。私にはちょうど良い大きさですけどね。あと2年前の夏に購入したのですが「リョウ・タカシマ」のトレンチコート、此れは5万8千円しましたけど。カッコイイので思い切って購入しました。買って正解でした。まだ来ては居ませんけどね。

 

 

SUNSEA(サンシー)のryo takashima トレンチコート メンズのジャケット/アウター(トレンチコート)の商品写真

 

あとバーバリのトレンチコート購入当時17万はしました。今から30年前ぐらいで宝物です。。。


バーバリー/BURBERRY

トレンチコート
KENSINGTON
ブラック
 
アップデートされた定番のクラシックフィットトレンチコート

バーバリーを象徴とするギャバン地&ヴィンテージチェックの裏地仕立てとスクエア肩周りと端正なシルエットが特徴的なアーカイブをブラッシュアップしたトレンチコートです。

 

 あとはUNIQLOとかGUのブレザーの3千円から4千円のモノですよ。来て居るのはね。前に、ある女性の掲示板にそう書いたら。偉くバカにされましたよ。。。まあ、服の話になって仕舞ったけど。結構持って居ますよ服はね。コートは8着はあるかな、、コートフェチですねぇ、、我ながら、、困って仕舞いますけど。でもね、もうお洒落しても13年ぐらいだろうからね。そのぐらいしか生きられないと思います。丁度、73歳ぐらいでしょうかね。私は薬を大量に、しかも抗精神薬を大量に飲んで居るせいで。体のあちこちが異常を起こして居ますから。一々言いませんからねぇ。今日もヘルパーが私が調子が悪いと言ったら。「どこも悪くなく見える....。」と言うのですよね。私の病。障害は精神障害ですから。見た目やら、少しぐらい話たって分かりませんよね。此間は思考吹き込みと思考奪取が起こりました。3日前に病院だったので。主治医にそう言ったら薬の量が増えましたよ。

(注)思考化声(考えていることがそのまま声になって聴こえる)、思考吹入(​考えが外から吹き込まれる)、思考奪取(考えが抜き取られ空っぽになる)、​思考伝播(考えただけで周囲に伝わってしまう) こう言った症状が出て仕舞いました。こう言う時はそれは辛いのですよ。大抵の患者がその事で声に出して話したり妄想を抱く様になったりしますよ。私もなりかけましたが。幸いのも主治医が、そう言う時用の頓服を出して居るので、それ飲んで助かりました。皆さんも、精神病にだけは成らない様にして下さいね。自殺願望も出ましたしね。死にたくなるんですよ、色々考えてしまうとね。私はこの先。生活保護費、貰えるのかとかね。貰えても今の生活は保たれるのだろうかとかね。物は買えなくなるのは判るけど。だから最近はテレビも見て居ませんし。あれだけ好きな映画も観られて居ません。此間購入した「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だけです観たのは。少女趣味か?62歳にもなって?と言いたいでしょうけど 。私はこのアニメの主人公の様な過酷な生い立ちを背負って頑張って生きて居る、あくまでアニメですが、、彼女がいじらしくて。観てられなくて。可哀想で。見る度に胸が締め付けられるのですよね。あとリアルな女性では青木志貴ちゃんでしょうか・・・。まあ、憩いのひと時でしょうか。。。

 

デザイナー山本耀司

 

青木志貴🍤 on Twitter:

 

 

 

 

 

 

 ==「同棲に付いて」==(過去記事から引用です)

結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれて居る。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映して居る訳だ。以下は佐藤信: 東京大学先端科学技術研究センター助教の書いた本から抜粋し少しだけ加筆して居ます。

『日本婚活思想史序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。

かつてはそんな事はなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶して居た。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。

この時代には林静一の漫画「赤色エレジー」やら上村一夫の漫画『同棲時代』も話題になり、、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付く事になった」と書いて居る(『歳月の鉛』)。知らない世代の読者のために記しておけば、この「神田川」と言う歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。

このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にして居ると言うから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになって居る。

紛争の時代。とくに日大なんかそうだった訳だけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずにジャズ喫茶でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。

 

 

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人文地理学者の中澤高志が言うように、親の家に住む(パラサイトする)未婚者は、いくら成人して居ても、親が定めた住まい方のルールに従う「子ども」でありつづける事になる(由井義通編著『女性就業と生活空間』。

だからこそ、実家を出る事は自立の為の大きな一歩だ。東京では60年代から一人世帯が急増しており(一人世帯の増加は全国的傾向ではあったが、それと比較しても2倍ほどの割合だった)、下宿はそうした一人世帯の増加を引き受けたのだった。

だが、その下宿の時代も70年代前半には下降傾向に入る。寄宿舎・下宿屋の数で見ると、70年代前半をピークに数は減って行くし、住宅総数との比率で見るとピークはもう少し前に存在して居る。とにかくそれから下宿の数は右肩下がりに下がって行くのだ。「神田川」が若干の郷愁を誘いながらも、若い人々にもよく理解されたのは、70年代前半がまさにこの転換期だったからにほかならない。私の家も下宿屋をして居たが。1975年頃にもなるともう学生はあまり入って来なくなった。それに安い風呂とお勝手付きの賃貸アパートが多く出来て来たのだ。

夢の同棲

この下宿こそが若い男女2人の慎ましやかな同棲を準備する。喜多條の当時の詩に「ふたり」と言うのがある。

今日のあらゆる喧噪から離れて
今はあくまでふたりであろうとする
あしたはスープをつくろっと
おいしいスープを
みち子は冷蔵庫を開けながら
微笑する
僕はそれを横目で見て
美しいと思う
(「ふたり」『神田川』1974年)

 

 

 

 

「喧噪」とは学生運動のこと。詩の最後には「今日は一つの学校が潰れた日/此処まで滅びさせた奴らだけが/再建だ入試だとほざいた日だ」とある。彼にとっての下宿とは、そうした闘いから逃避する場所にほかならなかった。

冷蔵庫があるくらいだから、生活も決して貧しい訳じゃなかったんだろう。彼は、大学を出てからも同じ様な同棲をしたいと夢見て居る。

ときどきふっと淋しい気持に落ちて行く。隔絶した両親、厚い壁のできたR、近いが手を握れないH、そしてみち子までが、僕から遠ざかってしまう時がある。僕はあわててみち子との「壁が四方にある部屋のなか」での楽しい生活を夢見る。
(「5/December」『神田川』)

その個室は外界からの避難所であるだけではなく、淋しさを埋める場所でもある。温かさが漏れ出さないために四方はしっかりと囲まれて居なければならない。コンクリートで囲まれた団地の住居に比べるとずいぶん守備力は落ちるとは言え、彼にとっての木造アパートは「2人の城」だったのだ。

もっとも、その「2人の城」を手に入れる事は簡単ではなかった。同棲生活の象徴の様に扱われる「神田川」でも、彼/彼女は二人とも大阪の人で、上京して居るのは喜多條だけだから、同棲が実現したのは彼女が一時的に上京したほんのわずかな時間だけだ。まして実家暮らしの都会出身者にとっては同棲など夢のまた夢。だからこそ、三畳一間での同棲が憧憬と郷愁をもって語られるのだ。

現在でも上京した若者に取って同棲は憧れの的だろう。とは言え、今も昔もそれは将来への展望を欠いたものとなりがちだ。木造アパートでの彼女との貧乏同棲生活を続けて行く事を夢見ていた喜多條自身、母親から「あんたが結婚するまでお父さんが生きて居たら、家の建て売り一軒くらいはプレゼントする」と言われた瞬間、将来の生活のイメージがガラガラと変わって行く。

僕は今まで心に描いて居た、彼女との四畳半一間の天井にシミのついた家から、木の匂いがして、窓から庭の植木の見える二人だけの壁のある部屋へと、イメージチェンジして行く[…]寒さに凍え、縮まる事もなく、空腹故の心の絶望的なまでの苛立ちや、今までの、今の、そして明日からの見通しのないさめた顔を見つめ合う時も持たずに、その代わりに、温かい湯気の向こうからみち子の顔がうっすらと見え、僕は柔らかな音楽と甘い視線のなかで「生きている安定」を噛みしめる。
(「20/December」『神田川』)

貧乏同棲の魅力が潮引けば、同棲の外側で共同生活を伴わない恋愛が追求される様になる。事実、非親族世帯(2人以上の世帯で、世帯主の親族がその世帯内に居ない)の割合は1970年代後半から1980年にかけて大きく落ち込んで居る。

しぜんと、同棲を実現しやすい一人暮らしより、金銭的に余裕が出来る実家暮らしが尊ばれる様になる。1988年の『ポパイ』に「結論ひとり暮しはモテる!」(9月7日号)と言う特集が打たれたのは、それ自体がすでに「ひとり暮らしはモテない」というイメージが固着して居た事の表れだろう。

この間、「婚活」の原型とも言うべき現象を作った1983年創刊の雑誌『結婚潮流』も創刊後すぐに同棲に反発する特集を打って居る。それは結婚と結び付けて同棲を否定するものと言うより(処女性との関連でそうした議論をしたものはあったが)、むしろ恋愛からそのままなだれ込む同棲を無批判に賛美する事に疑問符をつけるものだった。そして、同棲とは離れた恋愛が追求される。

どうやら私たちがいま慣れ親しんで居る、結婚からバックキャストして考える同棲の日本での源泉は、このあたりにありそうだ。

「前奏曲」としての同棲

結婚の前駆として同棲を捉える事は、なにも日本に特有の現象ではない。欧米では若者における同棲が結婚の「前奏曲」(プレリュード)として機能することが増えていると指摘されて居る

例えば、スウェーデンのサムボという同棲を法的に保証する制度を見て見よう。35~44歳のカップルについて見ると、法律婚カップルの9割はサムボを経験して居る。それらの結婚に至る年数は3年以内が半分程度となって居て、確かに結婚の試験期間として機能して居る事が分かる。

同棲は結婚を準備するだけでなく、出生率や子どもの厚生にも貢献しうる。例えばアメリカでは、4割の子どもが未婚の母の下に生まれる。さらに、ある推計によれば、未婚の母の4割は子どもが12歳になるまでに同棲を経験し、さらにその割合は全児童の5割近くにまで上昇すると見込まれて居る

一般的に同棲の下にある子どもはシングルマザーの下の子どもに比べて社会的にも経済的にも生活の安定性が高いから、安定的な同棲を促進する事は、出生率改善や次世代の厚生にも繋がりうるのである。

実際、同棲は出生率、しかも計画的な妊娠を促進すると言われて居る

勿論、日本で突然同棲カップルが増えると言う事は考えにくいし、まして子どもを産むのは結婚してからと言う固定観念の強い中、突然に婚外子の出生が増える事はないだろう。

それでも、此処で論じたとおり日本社会の中でも同棲の意味づけは大きく変化して来た。此れからも若者たちが同棲をどの様に捉え、実際に同棲するかは変化して行くだろうし、そんな極めて「私」的に思われる事は、実は日本社会の恋愛観や結婚観や、出生率と言った「公」的な問題とも絡み合って居るのである。とこの本では言って居る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ最後に一言言いたいが。日本ではまだ結婚相手の「処女性」を重視する傾向がある。だから美容整形などではそれまで散々男と遊んで来た様な、若い女性が見合いなどで結婚が決まり。処女膜を再生する手術を受ける事があると亡くなった医師だった弟から聞いた事がある。しかし私は同棲を嫌っては居ない。先ほども書いた様に結婚を前提として同棲して見ると言うのはいいのでは無いかと思うし、日本人が特に歳を行った男が気にする「処女性」の事だが。昔ある女性の陸上の運動選手が言って居たが。「男性は偏見を持って居るけど。激しい運動をすると「処女膜」は簡単に破れる事がありますよ。」と言って居たのを覚えて居る。私は好きになって本気で愛した女性ならば処女かどうかなど考えないし。男性経験が有ったって、その女性の過去を気にしない。その時にお互いが好きになり愛し合い信頼しあって居ればそれでいい。本当の愛とはそう言うものだと思う。ただ、同棲して居る女性が、だらしがない場合はゴメン被りたいけどね。誰だってそうでしょう。男ならばね。。。。

 

あがた森魚 赤色エレジー

 

尾崎紀世彦 また逢う日まで 1971

 

 

今回は此処までです。読んでくれてありがとう。また記事が書けたらアップするかとは思いますが、、何遍も言う様に調子が悪い物でして、今回も必死でblogを挙げました。それではまた。。。。。

 

コメント一覧

kiyasume
ビオラさん書き込み有難う御座います。

そう言った優しい人でありたく私も想います
今から8年ぐらい前ですけども、、
私立に通って居る裕福な家の子供が塾で、、
インタビューをテレビ局から受けて居たのですが、、

その子らの半分ぐらいが「将来、総理大臣なって、、
裕福に暮らすんだとか・・・・・・」。
「僕の家はお金が数10億あるんだ」とか言って居ました。

そしてお互いにお前何かが成れるのかよ!!
成るのは俺だと度付き合って居て、、
私はその様を見て嘆いて観て居ましたよ。

この統計は平成28年度のものですが、今でもそうだと思いますが。
母子家庭で貧困層の子供が日本の子供の7割近くも居るのですよね。
こう言う事を言うと、なんか売名行為見たく取られますが、、、

私はお金無いですよ...。でも1ヶ月に1千円なら出せられます。
だからMPO法人の「足長おじさん基金」に寄付して居ます。
まあ、それも生活保護を貰う様になったらもう挙げられませんけど。

たった月1千円で、貧困層の子供の夕食代と日々の職員さんとの
勉強の資金になるんですよ。どれだけ困って居る子供たちが居るか、、
あるシングル・マザーは子供を抱えて生活保護を頼ったらしいんですが、

冷たくあしらわれたそうです。そのお母さんはある野党の議員さんに
相談して。その議員が怒って話に行った処。生活保護はすんなり通った
そうです。しかし、その家庭も子供が中学生ぐらいになったら、、
そのお母さんと子供に働く様にと言い出して居るそうです・・・・・・。

今回、私のblog記事にて書いて居ますが。生活保護の更新書は殆ど
くれません。だから私のケースワーカーさんが「受給書を貰う前に役所に
行って。説明して。相手の話をまず聞きましょう」と言ってくれました。

お父さんが居ない。要するに一家の大黒柱が居ないと言う事なんですよ。
幾ら、お母さんが働き者でも。男性見たいな職は無いし、働く所も限られます。
たった全体の7%じゃ無いかと言う人も居ますが。先進国では大きな数値
です。世の中には3食食べられない子供達が大勢いるんですよ。

よく人は言います。今はパソコンでお金は稼げる時代だと.....。
しかし実際問題そんな話は眉唾物です・・・・・・・。
アフリエイトで月幾らになるでしょうか。プロのYouTuberは
1万人ぐらいの登録者が居て。最低5分の動画を毎日アップして、、

再生回数でお金が発生すると言う事だそうです・・・・・・。
それでも稼げる人で月に5万円ぐらいがいい所だそうですね。

実は私もYouTubeチャンネルは持って居ます。
私の場合は純粋に自分の演奏した音楽を挙げて居るのですが、、
まあ、演奏が下手なもので、再生回数も要約50回ぐらいしか無いですよ。

YouTuberになるには大変な労力と若さが要ります。。。
私の様なジジイでは、最早着いて行けません(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

お金を稼ぐと言う事は大変な事ですよね。
私が親父の製菓材料卸問屋の会社勤めをして居た時です。
レーズンを秤にかけて500gのと1kg。くるみを、
同じ様に測り、尚且つチョコチップも300gと500gを袋に
測って詰めました。私はレーズンだとかクルミはまあ、納得出来たけど。

チョコチップは図って売って居るものを購入して売ればいいでは
無いかと専務である親父に言うと。「商売とはそんな甘い事は出来ねえ!!」
と言うのですよね。それはそうですよ。袋詰めにするのは私なんだから
人件費は掛ませんからね。私はそんな仕事がつくづく嫌だったですよ。

でも食べる為には仕事ですからやらざるを得ない。

前に私は女子高生が男性と散歩してお金を貰って居る記事を
見つけてblogに書きました。此れには裏メニューと言うのがあり、、
一緒に歩くだけとは限らず別な事もするのですよ・・・・・・・・。

嫌たらしく成るのでそれ以上は書きませんが。家が困って居る
女子高生が殆どの子がそんな事でお金を得て居る実態があるそうですね。
この事に付いては国連の高等事務官らが日本政府に警告を2年前にした
そうです。しかし日本の政治家はそんな事はどうでもいいと思って居る
のでしょうね。

長くなりましたが。

親が居ないと言うことは暮らせないと言う事なんですよ。
子供達に取っては、、ビオラさんは優しい人だから、、
今回の私のあげた動画とか見て下さって、感想を言って
下さって。有難く想って降ります。

私は暫くblogの更新が出来ませんが。
よかったら、過去記事なんかも見てやって下さいね。
まあ〜。愚痴ばかりですけど💦
中には為に成る事も書いてあるかも知れません、、(〜〜)

また、見に来てやって下さいね。ビオラさんのblogは読んでいるだけで、、
何か此方も美味しいスイーツとか頂いた感覚に気分になります。
また見に行きますね。それでは、また。。。。
goohanasaku
今日は〜。

コメントさせていただこうと思い、何度か、訪れていたのですが、
今日の今頃に、なってしまいました。

先日は、ティーガーデンに、コメント、どうも、有難うございました〜💖

今回の記事では、
「いじめっ子も 先生も 皆が泣いた」と言うところ、
心に、響きました。

私は、幼い頃から、母から、色んなご事情のご家庭がある事を、
日頃から、教えられていましたし、
実際、色々なご家庭の方と、日常、接する機会がありましたので、
このお話の途中、作文を読まれる前から、男の子の、ご家庭のご事情は、想像できましたが、作文を読む以前に、もっと、皆が、優しい気持ちで、接してくれていると、もっと良かったかなって思いました。

・・・が、人には、ダイレクトに、伝えないと、わからない事もあります。

・・・それによって、自分の素直な気持ちを、伝える事で、
周囲のお友達やそして、大人達も、少しずつ、気持ちが通じ合ったり、
お互いを、理解し合えるようになって行く事になり、良かったと思います。

世の中に・・・、
人に優しい気持ちで、接する事、人の行動の後ろにある境遇(この場合は、男の子が、作文に、父の事を書かなかった行動の理由)を、理解できるような優しい人が、沢山いる事を、願います。

ビオラ
kiyasume
誠にすみません、、
奥さんが帯状疱疹で3週間入院しても、
1年経っても治らないのですか?

お大事にして下さいね。

私はこのblog記事以降は当分、記事が書けそうにありません。
今度こそ駄目そうです。ですから、この記事とか、、
過去記事なども読んで見て下さいね。宜しくお願い致します。

そちらのblogには調子がいい時に見に行きますので、、
宜しくお願い致しますね。それではまた・・・・・・。
1021akira
お邪魔いたします。
調子がお悪いんですから、気にしないでください。返信は良くなられてからで結構です。楽しみにお待ちしてます。
私も妻が、去年の6月に帯状疱疹にかかり、三週間入院したのですが、一年経った今も治ってません。体調の悪い方の気持ち、察しております。十分養生をなさって下さい。
では・・・
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