フラワーアレンジメントを教えている友人から展示会に誘われた
個性豊かに 飾られた花に 目を楽しませて貰いました
一緒に帰りましょうと言われて車に乗せて頂きました
後部座席に 沢山の花が置いて有りました
展示会で余った花だそうです
貴女に全部上げるね と言われ(@_@;)です
久しぶりに会ったので 食事にも誘われてご馳走になりました
車で自宅まで送ってもらい 感謝感謝の一日でした
花はご近所におすそ分け 喜ばれました
フラワーアレンジメントを教えている友人から展示会に誘われた
個性豊かに 飾られた花に 目を楽しませて貰いました
一緒に帰りましょうと言われて車に乗せて頂きました
後部座席に 沢山の花が置いて有りました
展示会で余った花だそうです
貴女に全部上げるね と言われ(@_@;)です
久しぶりに会ったので 食事にも誘われてご馳走になりました
車で自宅まで送ってもらい 感謝感謝の一日でした
花はご近所におすそ分け 喜ばれました
爽やかな 晴天 京急の駅にコスモスまつりのチラシを見て
早速行ってみました
しかし コスモスの花がないのです
百日草が 綺麗に咲いていました
掲示板の案内を見ると コスモスは二分咲 上の方は熟成中とありました
折角 コスモスを楽しみに行ったのに ガッカリ(ー_ー)!!
取りあえず 百日草をカメラに収めました
9月10日で 後期高齢者となる
誕生日が来てもあまり嬉しくはない
遅まきながら自分でお祝いをした
傍にいる主人に 私も今月で75歳になったのよ
と 話したら 「あ そう おめでとう 」 それだけです
言わなければ良かった
何故か とても不愉快な気分になった
何年か厳しい生活が続いていましたが どうにも生きずまり
浄瑠璃を辞めてしまいました
数年間いろんな仕事に就きましたが 長続きしませんでした
東京駅で文楽の綱太夫師匠に出会い 豊竹師匠が病に倒れ
そう長くない命であり 兄を探していた所だと聞き
すぐに会いに大阪へ 一週間後に師匠は逝去された
毎日やるせない気持ちで過ごしているところ 文楽から戻って
来るようお誘いがあったが 過去の厳しい生活を思い二の足を踏んでいた
そんな時歌舞伎に入らないかと 君太夫さんからお誘いがあった
竹本の研修生となる
着々と力をつけ歌舞伎座で義太夫を語るようになった
42歳で歌舞伎界に入り 78歳まで好きな義太夫を語り
役者さんや沢山のフアンの方に支えられて本望だと思います
兄竹本清太夫を支えて下さった方々に感謝申し上げます
父の死後 末の弟が 高校卒業を機に 兄弟で話し合い
自己責任に於いて 自分の好きな道へ進む事に決めました
そのころ 兄は 芝居に興味を持ち旅役者の芝居を見に行っていました
まず 謡曲を習い始めました
素人義太夫の会もあり 良く聞きに行っていました
この会に来ていた旦那さんから 女流義太夫の 竹本東代春師匠の所に
連れて行ってくれました
そして 浄瑠璃の稽古が始まりました
素人義太夫の方が 文楽をやってみないかと声を掛けられた
十代目豊竹若太夫師匠の内弟子となる
若冶太夫の名で文楽デビューする
当時の 新聞 に文楽界に大型新人現れる と書かれていました