23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。
「エコルド・パリ」とは~
1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。
「パブロ・ピカソ」1881年~1973年
パブロ・ピカソは、生涯の大半をフランスで過ごしたスペイン出身の画家、彫刻家、版画家、陶芸家、舞台装飾家、詩人、劇作家である。20世紀で最も影響を与えた芸術家の一人で、ジョルジュ・ブラックと共にキュビスムの創立者である。代表作は、キュビスム黎明期の「アヴィニョンの娘たち」(1907年)や、スペイン市民戦争におけるドイツ軍のゲルニカ空爆を描いた「ゲルニカ」(1937年)である。ピカソ、アンリ・マティス、マルセル・デュシャンの3人は、20世紀初頭の視覚美術に革命的な発展をもたらし、絵画のみならず、彫刻、版画、陶芸など幅広い美術分野に影響を与えた。ピカソの死後、80年代にアート・ワールドで新表現主義が流行り始めると、晩年のピカソの作品は注目を集めることとなりました。
「パブロ・ピカソ」
「視覚美術の革命的な発展に 影響与えた芸術家こそ」
「泣く女」1937年
本作は、1937年に描かれた「泣く女」シリーズのなかでも最も有名な、イギリスのテート・ギャラリーに所蔵されている作品。写真家であり絵も描いた愛人ドラ・マール(本名、アンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ)をモデルにした、有名な作品の一つ。ドラ・マールをモデルに描かれた作品には《ドラ・マールの肖像》など油彩に限らず他にもあるが、最もよく知られるのはこの《泣く女》である。ただし「泣く女」をモチーフとした作品には100種類以上のバリエーションがあるといわれる。
参照
https://www.musey.net/54
23年7月17日撮影
イングリッシュローズ「ジェームスギャルウエイ」
強い性質で茎に刺がなく、つるバラとしても最適なばかりでなく、大きな丸いシュラブ樹形にする事もできます。オールドローズのとてもよい香りを持ちます。 大輪で花弁が密に詰まる花に開花し、中心は温かみのあるピンクで端になるほど淡くなります。
品種名 ジェームスギャルウエイ
咲き方 四季咲き
花色 ピンク
香り 中香
作出年 2000年
作出者 デビッド・オースチン
作出国 イギリス
参照
https://www.ogafarm.co.jp/detail.php?seq=433&&kw=
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