早速ではありますが、最近…
いや、推しのアイドルグループからメンバーが脱退した頃から特に真剣に考え出した事柄を一つ。
私は関ジャニ∞を応援しています。
eighterです。
メンバーが脱退した事についてを語りたい所ではありますが、その件は私の中でまだ折り合いがついているようで、ついていない気もするので、それはまたいずれ。
今回思うところがあるのは、アイドルがグループを抜ける時の言い回し。
私はグループを抜ける際に使われる、卒業と言う言葉が嫌いです。
いつからか卒業と言うようになりましたよね。まあ、別に卒業と言おうが、脱退だと言おうが、言いたいことは一緒だとは分かっていますが。。。
ただ、卒業と言う事で、グループから抜ける事へのハードルというか、重みが変わってくると思います。
私はグループから抜けることを、軽く考えたくありません。
だって、誰が1人でも欠けたら、その時大好きだったあのグループは無くなってしまうのですから。
まあこれは完全に関ジャニ∞を重ねて言っています。私は重い女です。
それに卒業って言葉で初めに思い浮かぶのは学校ですよね。
学校は学ぶことを学んだと認められたら、その場を去ることが前提の場所。
だから、卒業って言葉を使うと、そこで自分が学ぶだけ学び、成長したから、抜けて次のステップに行きます。というようなニュアンスを感じざるをえないのです。
踏み台感です。
私の大好きなグループは踏み台か!?
あなたを次のステップに活かせるために私は応援をしていたの!?
とはいえ、基本的に関ジャニ∞のメンバーが抜けた事に関して、卒業と言う人は少ないと思います。報道とかでも脱退という言葉を目にすることの方が多かったです。
まあ、だからと言って脱退について納得してるわけではないですが。
今や卒業システムは一般化していて、特に女性アイドルでは入れ替えが当たり前。
それが私は悲しいのです。
女は若くないとダメと言われてる気がして。
ジャニーズは40代でも当たり前な顔してアイドルしてるのに、女性アイドルは30歳を過ぎたら…みたいな空気。
その男女の差がムカつくんですよ!!
なんでみんなアイドル続けないんだよ!!
年をとったら女優に転換しないといけないのか!?
そんな事ないよ!!
卒業と言う言い回しとは別のところで熱くなりましたが、卒業システムはこの考え方を助長していると言うか、強要してるというか…
卒業という言葉の問題だけの話ではないですが、女性アイドルも好きなグループは多くいるので、入れ替え制が当たり前になって欲しくないのです。
つまり何が言いたいのか…
自分でもまとまってないことは分かってます。
卒業の乱用で、グループから抜ける重さを誤魔化して、卒業がゴールかのような錯覚、おめでたい感覚が一般化するのが怖い。
つまりはそんな所なんでしょうか。
なので、メンバーの入れ替えがない誰一人欠けずにバカ売れして、国民的な女性アイドルが生まれたら嬉しいです。
文才のなさに幻滅して、この話は終わります。また考えがまとまったら、書きます。
これが、私の考えの垂れ流しか…
年の瀬に何をしているのだろう。