オイラは湾岸線国道を走行していた。 車の流れも良く、高速走行をしていた。 ある長い橋を走行している時、車が左右にふられる感覚が起きた。 「風強いな~」などと思っていたら、照明がブルンブルン揺れている。 そのうち、廻りの車がハザードを付け停車しだした。 オイラもそうした。 橋の中間を少し超えた所だったが、照明だけでなく、橋も車も考えられない揺れ。 波打ってた。
「死ぬな」
生きていて始めて感じた思いだった。
揺れは長い時間続いていた。 オイラの前に停車した20代の営業マンが車から出ようとしていた。「車に戻れ!」と窓を空けて怒鳴った。 彼は蒼白だった。
そのうちおさまってくれた。 マジ、安堵した。 音楽を止めてTVに切り替えてみると、既に地震報道が過熱している。 震源地は、仙台地方のようだが、関東でもかなりの揺れを感じた。
余震は続いているようだが、道路の異常は感じられない。 本来ならば会社へ帰社したい所だが、中止して実家へ向かうことにした。 1時間半ほどで到着した実家。 東京湾に近い実家近くには、近所の住人が多く外に出ていた。 その中にとーちゃんを発見して、まずは安心。
「大丈夫か、おまえ」と言われて「見ての通りだよ」と答えた。 実家側の電柱は、液状化減少により異常なくらい水が溢れていた。 歩いて海の方へ向かってみると状況はさらに酷い。 と、その前に、かーちゃんや、他の住人が心配だ。 実家に入ると、ポリタンクに水を詰め込んでるかーちゃんを見つける。 「◯◯大丈夫だったの」と言われる。 あれ、ポチが居ない。 そのことを聞くと、姪2号と共にコタツの中に隠れていた。 ポチは相当恐かったのだろう、しきりに吠えていた。 うるさかったので、抱き上げてナデナデして落ち着かせた。
余震が続いている。
「塾行かなきゃ」などと言っている姪に「そんなもん行かなくていい!」と怒鳴ってしまった。 オイラは何に怒ったんだろうか。 正直分からない・・・。
姪1号は、どこに居るの。 聞くと学校から戻ってないという。 携帯を方方かけまくるがつながらず、ネットを開いてみる。 高速道路は「通行止め」になってるのか。 義兄から電話があった。 無事なようだが、今日は帰れないと思う、と言ってたらしい。 ねーちゃんは仕事先みたい(後日分かったが、ねーちゃんはずっと、幼稚園で働いていて、現在は保育園に居る。だから、帰宅難民になってしまった親御さんが迎えに来るまでまっていたようだ)。
ひとまず安心して、自宅へ帰宅するコトにした。 自宅では、様々なブツがひっくり返ってた。 片付けしながらTV見ていると「帰宅難民」にあってしまう人のことが気になってしまった。 一応携帯メールは送付するが、確認出来ているのか分からない。 でも、行こう! と、防寒着を用意して都内へ出発した。
道が広い湾岸道路が一番良いだろうと、湾岸線へ行くと、異常な位の渋滞が発生していた。 京葉線では、貨物車両が止まっている。 渋滞を避けながら舞浜へ行くと、オイラの寝床と同様に、液状化現象が酷いコトになっていた。 大量の水をかぶりながら夢の島。 青海地区で火災があった報道があったので、これ以上はピクリとも動かないと判断して内陸部へ。 そこの渋滞は、片側3車線が完全に塞がれた水たまりが出来ていた。 永代通りを使って銀座へ抜ける。 時間も時間だから、歩道にはかなりの人が歩いている。 「帰宅難民」は車道に出て歩く人々も居る。 逆走してくるバイクも居た。
昭和通りから目的地に向かうR4は、全滅状態だった。 すり抜けしまくって目的地到着。 結果、目的は達成だきなかったが、偶然確認できた掲示板で安堵する。
かなりの人が溢れるこの辺。 この場合、どうすれば良いのだろうか・・・。 オイラに、いった何が出来るのだろうか。
帰りは、葛西橋通りで湾岸へ向かう。 東西線沿いのこの道路も、大量の人で溢れていた。 車は動かない壁となって、その影から人が現れる。 スピードを落とし、気をつけながら走行する。 公衆電話に人が並んでいた。
数珠つなぎになっている道路をすり抜けして帰宅。 ガスが止まっていた。 今日はかなり冷え込んでいる。 普段使わないエアコンを付けるがやくに立たない。 充電しながら何度もかけていた電話がようやくつながった。
一安心。
食事を取りたい所だが、帰りに寄ったコンビニで弁当類が売り切れだったので諦めていた。 今朝は早かったので早めに寝ることにしたが、なかなか寝ることが出来ない。 救急・消防のサイレンが聞こえる。 どこに向かってるのだろうか。 いつまでも耳から離れなかったが、いつの間にか寝ていた。 体も精神も疲れていた。
だから、何に怒って、何に疲れたの?オイラ。
※投稿は、ほぼ11日にしている。 UPするつもりはなかったが、何となくUP(^^;