大手の人事を司る人々は人の本質を合った瞬間に70%感じることができるらしい。
なんかの本で読んで覚えてた訳だが、ソレがホントかはオイラに分かりません。
だってオイラは人事の人間ではないし、そのような労働教育を受けた訳ではないし(笑)
でも70%とは言わないまでも、一般ピ~ポ~でもある程度本質を感じることは出来る。
それが結局「やっぱな~」って事になったり「あれ?違ったな」と修正したり、
人は曖昧な考えで対人に対して認識変更が出来る。
その中で、ホントは「違う」と感じるべき人が「やっぱな~」と思われてしまう、
つまり「誤解のある行動」をする人が居る。
その人の本質は、単純に「違った見方」をすれば直ぐに分かる本質でも、
普段から「違った見方」をしない人(正確には出来ない人)から見れば、
その本質を理解することができない。
問題は実は「誤解のある行動」をする人ではなく、「違った見方」を出来ない人だとオイラは思っている。
ソレこそその「違った見方」を出来ない人の本質だ!と言われればそれまでだが、
社会人として、サラリーを頂戴している人としては(チッと偏見あるが)考えねばいけない行動だと思う。
実はオイラも「誤解のある行動」をしそうな人物でして、
同業(同僚)の誤解を最初感じてるだろうな~、と言う思いはあります(^^;
でも、ソコはオイラの周りのほとんどが「違った見方」をできる人だったので
今までの人生でありがたい事に苦労したことはありません。
で、オイラの同僚(部下)の一人に自身の本質を、
同期の人間とオイラにしか理解していない人がいるのであります。
オイラにとっては重要な同僚となるわけだし、
彼の行動が誤解されそうだと言う部分も分かっているので、
上司に当たるオイラはそれなりのフォローは出来る訳だ。
今までもそうしてきた・・・。
それなのに今日、全体の会議でソレについて、
つまり「誤解のある行動を本質として」考えた話を前提に話が進んだのには度肝を抜かれた。
オイラは今後活躍できるソノ同僚に期待している。
「企業の社会的責任」が「稼ぐこと」と考えているオイラには、
その同僚は絶対に不可欠だ。
その部分も十分に理解しているであろう企業側の人間が、
単純な「誤解のある行動」をしたことによって判断したならば、
情けない前に笑ってしまう。
もし、今日のことでソノ同僚が辞めてしまうことになればコレは「企業の責任」を果たさない企業に成り下がる事になるだろう。
辞める人間としては、10年後も「企業」として残っていてもらいたいと考えた上で思った事。