ここは旧足尾銅山 の中才鉱山住宅(なかさい)という。
足尾銅山は江戸時代の慶長15年(1610)に鉱床が発見され、幕府直轄の鉱山となった。
銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われる発展を見せた。
この鉱山開発と製錬事業の発展の裏では、足尾山地の樹木が坑木・燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬する工場から排出される煙が大気汚染を引き起こした。
そして樹木が無くなった山地からは、大雨になると鉄砲水が精錬所の有害廃棄物を渡良瀬川に押し流し、下流に鉱毒を押し流した。
いわゆる足尾鉱毒事件である。
足尾鉱毒事件は、別に編集していますので、ここでは足尾千軒と謳われた街並みが鉱山閉鎖後にどうなったのかを見るのが目的である。
1973年2月28日銅山は採鉱を止めその歴史を閉じた。
鉱山はなくなったが、鉱山住宅は古河鉱業からそのまま市に寄贈され、現在もノスタルジックな風景を見ることができる。
しかし年々入居者が減り取り壊しも進んでいます。
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