2003年3月7日。
その日、マウナ・ケア(Mauna Kea)に向かってサドルロード(Saddle Road)を走っていると、
右手の草むらの向こう側で砂塵をもうもうと巻き上げ猛スピードで走るハンヴィー(HMMWV,Humvee:高機動多用途装輪車両)が見えました。
片や、左手の車窓からは、
丘の上に停められた軍用トラックやヘリコプターが見えました。
随分物騒な所だなと思い、あとで地図を見て驚きました。
そこは、
Pohakuloa Military Training Area Resevation:ポハクロア軍事演習場、
だったのです。
ぼくはこの時、ハワイ島のもうひとつの顔を知りました。
ハワイ島は、
地球上にある13の気候帯のうち
北極とサハラを除く11の気候帯を有する稀有な島。
だからこそ、
多様な景色と語りつくせない魅力にあふれているのですが、
いっぽうで、その気候を利用して米軍が軍事演習を行っていたのです。
そもそもハワイ島は半世紀以上、
ハワイ州から米軍にたったの1ドルでリースされていた島。
今は一般に開放されていますが、
ハワイ火山国立公園も元々は軍事エリアだったそうで、
今も軍関係者用の宿泊施設があります。
ポハクロアは現在も立ち入ることの出来ないエリア。
しかも、アメリカ本土のほとんどの人達は、
108,793エーカーもあるこの軍事演習場の存在を知らないというのです。
そんなポハクロアで何故演習が行われていたかといえば、
ずばり砂漠気候だから。
つまり、砂漠地帯での戦闘を想定しての軍事演習だったのです。
「まさかハワイ島がこんな使われ方をしていたなんて・・・。」
ハワイ島のもうひとつの顔を知ったぼくたちが日本に戻った1週間後、
2003年3月20日、アメリカがイラクと戦争を開始したのでした。
日本がWBCに沸いていた昨日、あれから6年が経ちました・・・。