gooブログはじめました!

基本は婚活ブログ、普段は温泉サウナ、グルメ等

自伝

2021-08-12 05:58:49 | 日記
まさか45歳になっても結婚どころか1度も彼女すら出来ないとは、あの頃は思いもしなかった…

僕の名はY。
北海道札幌市中央区で生まれ、中学1年の秋までを中央区で過ごす…。

1976(昭和51年)4月13日、ススキノT医院にて産声を上げる。
見合い結婚した両親との間に生まれる…
当時、父37才、母29才、と、当時にしては晩婚な夫婦だった…

父は全盲の盲人ながらも盲学校の教諭をしていた。
母は北海道沙流郡平取町出身。本州は伊豆半島で旅館の中居などをしていたが、漫画家になる夢を挫折して北海道へ帰郷した所、見合いの話しが有り、そのまま結婚に至る。
本人曰く、元々は普通体型だったが僕と弟を産んでから太って元に戻らなくなったとの事…

僕が生まれた当初は札幌市中央区の西友旭ヶ丘店の上の方に堺川(さかいがわ)神社が有るのですが、その辺りのエンナン荘(漢字不明)と言うアパートに両親と僕の3人で住んでいたそうです。父の同僚が経営していたアパートだそうです
しかし僕はその頃まだ1才に満たない年齢でしたので記憶は殆ど、無いです…。

その後すぐ、僕が1才になる頃には札幌市中央区南20条へ引っ越ししました。
今度は2階建て庭付き一軒家を賃貸で借りての住まいでした。
そこで、年子(1学年差)の弟Tが生まれました。
弟TもススキノT医院にて出産したそうです。そうですと言うのは何故か、僕が両親からそう伝え聞いたからです。

南20条の思い出や記憶も殆ど有りませんが、母が庭でよく僕と弟を日向ぼっこさせていたこと、僕が全盲の父を追いかけて階段を登って行ったら登り切った辺りで親父に間違えて蹴り落とされて、下の玄関まで転び落ちた記憶は今でも鮮明に残って居ます。その時運良く、転び落ちた先で正座スタイルになり母の話では大事には至らなかったとの事。

そんなこんなで南20条の家は僕が4才になるまで暮らしていたそうです。

次回、激動の南15条編。

続く…



最新の画像もっと見る

コメントを投稿