この企業がすごい! …と個人的に思う

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株式会社L.A.P東海/こころテラス東海 代表取締役 香川 浩司

2022-10-24 15:43:13 | 日記

経営者インタビュー  EXECUTIVE INTERVIEW

 

 
プロフィール コンタクトレンズのメーカーや販売会社で営業職を経験したのち退職し、遺品整理業界に入る。その後、2015年に(株)L.A.P東海を設立。遺品整理をはじめ、古物・リサイクル品の買い取りや販売などを手がけるほか、解体工事業にも注力。自身も父親の遺品整理で大変な思いをした経験をいかし、当事者意識を持って顧客に寄り添いながら誠実なサービスを提供している。【ホームページ
 
 
 
少子高齢化が進む日本において、需要の高まる遺品整理業。愛知県豊明市を拠点に遺品整理業を営むのは、こころテラス東海だ。運営する株式会社L.A.P(エル・エー・ピー)東海の香川浩司代表取締役は、40代半ばで遺品整理の業界へと飛び込んだという。自分自身も父親の遺品整理で苦労した経験から、当事者意識を持ちながら顧客に寄り添い、誠実なサービスを提供している。そんな香川社長が、遺品整理の仕事にかける熱い思いを存分に聞いた。
 
 
 

自身の経験をいかしながら遺品整理を行う

 
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インタビュアー 嶋大輔(タレント)
 愛知県豊明市を拠点に遺品整理業を手がける、こころテラス東海さん。運営する、株式会社L.A.P東海の香川社長は、この業界では長くお仕事なさっておられるんですか?
 
香川 この仕事は今年2022年で10年ほどになりますね。もともとはコンタクトレンズのメーカーや販売会社で営業職をしていたんですよ。ところが、前職の会社がM&Aによって同業他社に吸収合併されてしまいまして。それを機に退職し、私が44歳のときにこの業界に入ったんです。そして2015年に、株式会社L.A.P東海を立ち上げました。
 
 40代半ばでそれまでとはまったく異なる業界に飛び込むのはすごいですね。ただ、なぜ遺品整理業を始めたのか、その理由もぜひ教えてください。
 
香川 実は私が30代の頃に父が他界しまして。私は兄弟と一緒に、父の遺品整理をすることにしたんです。しかし、数多くの遺品を仕分けるのは非常に大変でした。当時は遺品整理の業者は一般的ではなかったので誰にも相談できず、捨てるにしてもどう捨てればいいのかわからないという状態だったんですよ。そうした経験もあって、私たちのように遺品整理で困っておられる方が多くいることを知り、そのような方のお力になりたいと考えたんです。
 
 なるほど。ご自身の経験がもとになっていたわけですか。今日は香川社長のお仕事への思いを詳しくうかがっていきましょう!
 
 

法律を遵守し、丁寧で誠実なサービスを提供

 
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 日本では少子高齢化が進んでいますし、近年では子や孫らと離れて一人暮らしをする高齢者の方が孤独死するケースも増えていますよね。そうした社会的背景もあり、遺品整理業の需要も非常に多くなっていると思います。
 
香川 そうですね。私がこの仕事を始めた際も、まさに需要が伸び始めた頃だったんですよ。
 
 これからますます必要とされるお仕事なのではないかと感じますね。実を言いますと、私も2020年に父を亡くしまして、その際の遺品整理も本当に大変でした。香川社長もおっしゃっていたように、捨てるべきか残すべきか、また、捨てるにしてもどのように捨てるべきか、非常に悩みましたよ。香川社長は、数多くの遺品を仕分ける中でどのような点を重視しておられますか?
 
香川 基本的にはお客様、つまりご遺族の方が必要とされるものを見つけることですね。故人の形見の品として残したい写真や思い出の品はもちろん、通帳や年金手帳といった金銭にかかわるものを優先し、廃棄するかどうかすぐに判断がつかないようなものは、お客様にその都度ご確認していただく形で仕分けていくんです。また、古物やリサイクル品の売買も行っていますので、品物によってはその場で査定して買い取らせていただいています。
 
 とても丁寧に仕分けをしておられるんですね。お客さんも安心でしょう。
 
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香川 ありがとうございます。ただ、この仕事で最も重要なのが、廃棄物として処分することになった不用品の扱いなんです。本来であればゴミや不用品などは、行政から廃棄物収集運搬業の許可を受けた業者でしか扱えません。しかし、残念なことに、中には遺品をすべて廃棄物として不法に処分する業者も少なくないんですよ。
 
 悪徳な不用品回収業者によるトラブルは、ニュースなどでもよく耳にします。
 
香川 ええ。そこで私どもでは、場合によっては正規の廃品処理業者さんに依頼するなどの方法もあるものの、基本的にはお客様ご自身で各自治体のゴミ処理場に直接持ち込むのをお手伝いするという形を取っています。こうすることで専門業者に依頼するよりも費用を抑えられますし、正当な手続きで廃品処理されていることが確認できますからね。
 
 産業廃棄物の不法処分なども、たびたび問題になりますからね。それが当然のこととはいえ、しっかりと法律を遵守しておられるのは素晴らしいですよ。
 
 

人の役に立ち、人から必要とされる存在に

 
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 香川社長の誠実な気持ちで業務に取り組む姿勢は、お客さんの印象にもしっかり残るでしょうし、評判は口コミで確実に伝わりますよね。
 
香川 そうですね。私どもでは遺品整理だけでなく、いわゆる特殊清掃の業務も行っています。そのため、おかげさまで最近では、不動産会社さんやマンションなどの管理会社さんなどとも提携させていただくことも増えました。私は以前勤務していた会社の社長の言葉を今も大切にしています。それは「人の役に立ち続ければ、自ずと人から必要とされる。そうすれば、どんな会社でも生き残っていける」というものです。やはり愚直にコツコツと成果をあげていき、お客様から必要とされる存在になることが大事だと思いますね。
 
 そんな香川社長が仕事を頑張るための、原動力となっているものはなんでしょうか?
 
香川 なんと言っても、お客様からの「ありがとう」というお言葉ですね。感謝のお気持ちをいただけることは大きなモチベーションになっています。それと、自分自身の達成感も原動力です。毎朝その日に行うことをリスト化し、それを一つずつこなしていくことや、効率よくスムーズに業務を行えたときなどは大きな達成感につながりますね。
 
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 なるほど。ご自身が達成感を感じられるように真面目に仕事をこなすからこそ、お客さんからも感謝されるのでしょうね。やはりどんな仕事でも顧客の立場で考え、当事者意識を持つことが大事なのだと思います。例えば、親が亡くなったときに残された遺品は、どんなにありふれたものであっても、子どもにとっても思い出のつまった大切なものかもしれませんよね。それらを雑に扱われてしまったら、当然ながら悲しい気持ちになってしまうでしょうから。
 
香川 おっしゃる通りですね。時々、業者によっては残された遺品を「残置物」と呼ぶ人もいるんですよ。お客様の中には、そのようにただの無機物のように扱われることに嫌悪感を抱く方もおられます。その中で、私どもの対応を評価してくださり、ご依頼いただけるのは非常に嬉しいことですね。それに先ほども言ったように、私自身も父の遺品整理で苦労した経験があります。それがお客様にも伝わると信頼関係にもつながりますし、とてもありがたく思います。
 
 

丁寧な仕事を心がけ、新たな事業にも挑戦

 
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 ここまでのお話をうかがって、香川社長がお客さんに寄り添いながら、公正かつ誠実にサービスを提供されていることがよくわかりました。お客さんにとってみても、誰に仕事を依頼するかでこれほど結果が違うのだというのが、感じられるのではないでしょうか。
 
香川 ありがとうございます。ただ、確かにお客様からすると、その業者が違法な業務をしていないかどうかや、どの業者に依頼すれば正解なのかなど、なかなかわからないですよね。例えば廃棄物を自治体の処理場に持ち込むためには、細かく分別しなければなりません。すると、同業他社と比較して、作業のお時間を余計にいただきますし、費用も高くなってしまうこともあります。しかしその分、丁寧な仕事を心がけていますし、時間や費用を考慮してもなお私どもに依頼したいというお客様にはご縁を感じているんです。誠心誠意しっかりとした仕事をしたいと考えていますね。
 
 本当に素晴らしい姿勢だと思いますよ。香川社長のこれからの目標についても、ぜひ教えてください。
 
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香川 遺品整理業と並行して、解体工事業にも力を入れていきたいですね。といっても、建物そのものの解体ではなく、古い建物に使われている石綿、いわゆるアスベストの除去を専門とするものなんですよ。
 
 アスベスト専門の解体工事ですか。それは興味深いですね。
 
香川 実は2022年4月から石綿、いわゆるアスベストを建築材として使用している建物は、専用の処理を施さない限りは、解体が禁止されることになったんです。そこで私どもでは、これまで特殊清掃にも携わってきたノウハウをいかし、アスベストを飛散させずに除去する解体工事業もスタートしました。まだ法律が施行されたばかりで、専門業者も少ないため、大きなチャンスであると考えているんですよ。今後も不動産会社さんなどとも協力しながら、多くの方のお役に立っていきたいと思います。
 
 40代で未経験の業界に飛び込み、そして今もまた新たな事業に挑戦する香川社長のバイタリティは本当にすごいですよ。これからも、持ち前の誠実さとチャレンジ精神を大事にしながら、お困りの方々の助けになってあげてくださいね。私も応援しています!
 
 
 
「仕事を楽しむ」とは‥
自分がなすべきことを一つひとつこなしていくことで得られる達成感ですね。それが生きている喜びにもつながり、仕事の楽しさになるんです。
(香川浩司)

ポート株式会社 代表取締役社長 春日 博文

2022-10-22 14:07:22 | 日記

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、春日 博文氏(ポート株式会社 代表取締役社長)です。(2021年8月18日 2021年8月25日 配信)

今回は、領域特化型のインターネットメディア事業を展開する、ポート株式会社の春日博文社長にお越し頂きました。

春日氏は、大学在学中に新卒採用支援やプロモーション支援を個人事業主として開始されました。
そして、大学卒業と同時に、現・ポート株式会社を創業され、2018年に当時30歳という若さで、東京証券取引所マザーズ市場及び福岡証券取引所Q-Board市場重複上場へと導かれました。
学生時代は何をしても「そこそこ」だった春日氏が、現状打破のためにおこなった「挑戦」とは?人生を切り開く、経営哲学のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、ポート株式会社の春日博文社長です。まずは経歴のご紹介です。1988年埼玉県生まれ。大学在学中に新卒採用支援やプロモーション支援を個人事業主として開始。2011年、卒業と同時に株式会社ソーシャルリクルーティング(現・ポート株式会社)を創業されます。そして、2018年には東京証券取引所マザーズ、福岡証券取引所Q-Boardに重複上場をされています。本日はよろしくお願いします。

春日博文:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身は埼玉県とのことですが、幼少期はどのようなお子さんでしたか?

春日博文:人より優れているわけでもなく、マイナス点を取るほどでも無い、特徴のない普通の少年でした。たまに委員長などを任されることもありましたが、旗振り役タイプではありませんでした。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

春日博文:サッカーをやっていたのですが「レギュラーにも入れないし、辞めてしまいたい」と思っていました。しかし、父は教師でとても厳しかったこともあり、何も言えずに6年間堪えていた記憶があります。

新谷哲:とても厳しいお父様だったのですね。中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

春日博文:中学でも、これもまたスポーツ・勉強、オール4で「普通すぎる」ことが逆に思い出に残っています。

新谷哲:サラリーマン的な思考をお持ちだったのですか?

春日博文:父が教員だったこともあり、将来は私も教員になることを前提に教育されてきました。そういう意味では、比較的サラリーマン思考だったのかもしれません。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

春日博文:高校は地元の公立男子校に進学しました。それまで何をしても普通で「人生そんなものかな……」と思っていました。しかし、そんな自分を変えようと思い、大学受験に真面目に挑みました。ひたすら勉強しましたが、良い結果は得られませんでした。実は、受験はしなくても指定校推薦で学習院大学に行けたのですが「それではまた普通になってしまう!」と感じ、1年浪人をしました。しかし、最終的に受かったのは学習院大学です(笑)常に「自分の現状を打破したいけど打破できない。」そんな状況が18年間続いていました。

新谷哲:「オール4」の成績を取れて、学習院大学に進学されるのは優秀だと思います。

春日博文:悪くはないですが、勉強した量に比べ成果がいまひとつでした。

新谷哲:大学では何を専攻されていたのですか?

春日博文:経済学部です。英語の教員になろうと思い、英文学が学べる文学部・教育学部などを受験していましたが、全部落ちてしまいました。たまたま、バレンタインデーが学習院大学の受験日で、何もないので経済学部の受験をしたらそこだけ受かったのです(笑)

新谷哲:その後、在学中に事業を創業されました。始められたきっかけはございますか?

春日博文:飲み会で、学生起業をした中央大学4年生の先輩と知り合いったことがきっかけです。私は、浪人をして大学に入ったので「この4年間で逆転するしか方法はない!」と思い「何かないか……」とずっと探していました。資格の勉強を始めたりもしましたが、上手くいかず結局1か月で諦めてしまいました。そんな時に、先輩と知り合ったのです。現在では比較的普通になってきましたが、14年前に学生起業をする方は多くはいませんでした。私は「大学生で株式会社を運営する社長がいるのか!」とたいへん衝撃を受けました。その時先輩に「道があり、その中をどれほど早く・効率的に進むかが求められているのは大学生まで。そこから社会に出れば、いかにアウトプットしてインプットしていくかが求められるので、構造的な改革をしていかなければいけない。それを学ぶには、ビジネスを大学時代に経験するべきだ。今までインプット→アウトプットが苦手だったのならば、アウトプット→インプットで勝負しないと、何もないぞ!」と言われたのです。結局、私は18年間何も成し遂げられず、この構造の中では戦えないと分かっていました。ならば、違うステージで戦うチャンスを掴むしかないと、大学1年生の冬からビジネスを始めました。

新谷哲:なるほど。当初から採用支援事業をされていたのですか?

春日博文:最初は NPO 法人を設立し「大学生が練った起業プランを発表し合い、優勝すると起業資金として100万円の賞金がもらえる」という、ビジネスプランコンテストを運営しました。開催資金を獲得するため企業に訪問し「このコンテストには、前向きな学生が集まるので、その人達を採用しましょう!」と協賛を頂くための営業活動をしていきました。これが、経営者や人事、採用担当の方々と沢山出会うきっかけとなりました。コンテスト開催後には多くの企業様から「コンテスト以外でも、いい学生がいたら紹介してくれない?」というお声を頂きました。「このようにビジネスができていくのか!」と気づき、マーケティングで多くの就活生を集め、企業とマッチングさせる採用支援事業を個人事業として立ち上げました。偶然が重なった結果ですね。

新谷哲:偶然といえども、運命を感じますね!

春日博文:はい。大学で学生起業した先輩と出会えたこと。そこでアクションを起こしたこと。ビジネスコンテストで出会えたネットワーク。目の前で起きたこと全てに運命を感じます。これらを通して「目標に対し120%で突き進んだ結果、得られるものはものすごく多い」と、原体験を得ることができました。

新谷哲:学生起業をされて、学んだことはございますか?

春日博文:私が「優秀な学生を集められます!」と企業様に提案すると、とても興味関心を持って頂きました。その中でも特に、大企業やベンチャー企業ではものすごい採用活動費を掛け、全社一丸となり優秀な人材の採用に向け本気で取り組んでいました。それだけコストをかけていることを知り「ビジネスチャンスがある!」と肌で感じることができました。

新谷哲:ありがとうございます。その後、大学卒業と同時に株式会社ソーシャルリクルーティング(現・ポート株式会社)を創業されます。就職活動はされなかったのですか?

春日博文:就職活動はかなりしました。内定も頂き、ある会社で半年ほどインターンとして働きましたが、最終的に大学を卒業する2月前に内定を辞退し、3月に創業しました。

新谷哲:なぜ、内定を蹴って創業をしようと思われたのですか?

春日博文:「やるなら今しかない!」と感じたからです。就職活動の時も「大学の4年間で逆転をする」という入学当初の思いが残っていました。4年間を振り返り「自分でビジネスをやりたい」という気持ちと、個人事業で会社として経営をしていたわけではないので「自信が無い」という気持ちが交錯していました。そのため「大企業に就職するのも、逆転をする1つの選択である」と感じ、早い段階で日系の大企業への内定を頂き就職を考えました。しかし、年齢が上がれば上がるほど、新しいアクションを起こすリスクは大きくなります。いろいろと考えた結果「とりあえず2年~3年やってみて、ダメだったら大学院に行ったと思えばいい」と思うようになりました。そうしたらもう、今やらないという判断には至りませんでしたね。

新谷哲:ご両親からの反対はございませんでしたか?

春日博文:ものすごく反対されました。「頼むから大企業に行ってくれ」と泣いて怒られました。その時私は、どうせ何を言っても理解はしてもらえないのだろうと「どっちだっていいでしょう」と返したのです。本気で向き合うことから逃げていたのかもしれません。そしたら「本当にやりたいと思っているのであれば、本気で言いなさい!」と言われ、思いをはっきりと伝えました。すると、両親は気持ちを受けとめてくれ、応援をしてくれるようになりました。そして、50万円を貸してくれたおかげで、起業をすることができたのです。

新谷哲:なるほど。創業時に感じていた「自信の無さ」は克服できたのですか?

春日博文:正直、個人である程度成り立っていたので、デメリットはないと思っていました。

新谷哲:創業時から上場をお考えでしたか?

春日博文:ビジネスのことをそこまで知らなかったので、上場までは考えていませんでした。弊社はベンチャーキャピタルからの出資を受けて創業をしました。そこから半年ほどで事業がグッと伸び、担当の方から「春日くん!利益が1億円あるので上場できるよ!」とお話があったのです。そこから、上場に向けスタートしました。

新谷哲:ちょうど、同業種の株式会社リブセンスなどが上場された時期ですね。周りからも影響を受けたのですか?

春日博文:正直、周りのライバルがどうとか、そこまでの視点を持って経営できていなかったです。今までの経験から、マルチな人間ではないと理解していたので、一点突破で目の前の事業以外は考えてもいませんでした。

新谷哲:上場までにどのようなご苦労がございましたか?

春日博文:たくさんありました。1つ目は、マネジメントです。弊社は学生起業からのスタートなので、大学生集団のサークル的な雰囲気がありました。組織化していく過程で、中途メンバーも増え会社らしくなってくると、肌感が合わなくなってきて辞めていくメンバーが多く出てきてしまいました。当時はそこまでマネジメント的な思考は高く無かったので、結果的に離脱してしまったのだと感じます。会社の舵取りをしていく経営者として、マネジメント能力は常に引き上げて行かなければいけないと感じます。2つ目は、管理体制を整えながら新事業を盛り上げていくことです。上場準備では、ガバナンスを整えることは重要ですが、同時に事業も成長させていかなければいけません。当時はそのために新規事業をいくつか作りました。どちらに対してもプレッシャーをかけながら事業成長をさせるのは、ものすごく難しいと感じました。また、上場するまでには、銀行の借入やベンチャーキャピタルからの投資を含めて、総額約20億円を調達しました。キャッシュアウトするリスクと向き合いながら、会社を大きくするためにレバレッジを効かせていくことは心的な苦労でした。

新谷哲:創業時から20億円もの調達を実現されるとは、まさにユニコーン企業ですね!さらに投資で会社を大きくしていくなど、Amazonなどと似ています。そのような知識は最初からお持ちだったのですか?

春日博文:ありませんでした。たまたま出会った投資家の方々とディスカッションを重ねていく中で「こうやって会社を大きくする方法があるのか!」と学んでいきました。創業時から3年間は、業績も回っていたので調達はしていませんし、出資を受け、投資して、Jカーブを描いていく、とは頭にもありませんでした。しかし、「これは自分にフィットする。勝負をしよう。」と思ったのです。極端な話、当時の会社規模は、潰れたとしても社会的影響が出るほどではありません。存続を目的にして経営をする必要性はないので、リスクを生んだとしても大きくなれるチャンスがあるのならば、積極的に行くスタンスでした。

新谷哲:なるほど。上場する前と後では、どのような変化がございましたか?

春日博文:あらゆる面で、対外的な見られ方が変わったと実感しています。採用では、上場したことで信用力が増し、大卒者からはポジティブな印象を持っていただけます。加えて、顧客開拓をする上でのアプローチも断然やりやすくなりました。弊社では様々な領域でのお客様を獲得する必要があります。中には金融機関様とのお取引もあるので、契約書の締結ひとつとっても、与信力が付いたと感じます。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、ポート株式会社の事業内容をお教えいただけますか?

春日博文:弊社は、ユーザー様と事業者様をマッチングし、「非日常体験」の領域において、意思決定の支援をするビジネスを展開しています。非日常体験とは、食事、旅行、お洋服を買うなど日常的に体験されていることではなく、就職、リフォーム、ファイナンス、などの普段意識をしていない領域を指します。ユーザー様へは、非日常で不透明なサービスに対し、よりオープンで、より多くの集合知を提供し、意思決定を支援しています。また、事業者様は、紙のチラシや、リアルでの営業活動など、多くの販促費を掛け活動をしています。そこを、弊社のサービスをご利用頂くことにより、成果報酬で効率的にユーザー獲得をすることができます。このように、マッチングDXにより事業者様の業務効率化を後押ししています。この事業で、来期タイミングで売上高100億円以上、EBITDA 20億円以上を達成する中期経営計画を立て、急成長を果たそうと取り組んでいます。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「仕事」とお答えいただきました。仕事以外のご趣味はないのですか?

春日博文:考えたのですが、ありませんでした。仕事というのは会社でするものだけではなく、お金にならないことや、サポート、当然ながら個人活動なども含まれます。私は、世の中にとって価値のある何かを生み出すことに、全ての時間を使いたいと思っています。自分が何かを楽しみたいという感覚はそんなにありません。

新谷哲:すばらしいですね!座右の銘もお聞きして「一意結実」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

春日博文:これは「1つのことに一生懸命取り組まないと、身にはならない」という言葉です。私は、大学受験では人の何倍も勉強をしたし、短距離走よりも長距離走の方が得意でしたり、負けず嫌いでとことんチャレンジするタイプです。逆に言うと、そうしないと勝つことができないタイプでもあります。これまでの人生を振り返り、何かを成し遂げ、実現させたいならば、そこに集中することが最も大事だと身をもって体験してきました。そのため、多くを求めず「何かをやると決めたらそれ以外は捨てる」そんなスタンスで臨もうと座右の銘として定めました。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

春日博文:起業し会社経営を始めた瞬間から、完全総合格闘技です。この戦いで勝つために意識をしていることが2つあります。1つ目は、早く意思決定をすることです。起業には、リスクが付き物です。さらに、リスクは年々上昇していきます。意思決定をする時にリスクばかり意識していては何も進みません。ならば、やりたいこと、やらなければならないことのリスクを解除していく必要があります。例えば、「起業したいけど、能力がない」と感じるのであれば「勉強をしよう」となりますよね?リスクに対し、悩みながらも一つひとつ解除をして行ければよいのですが、 総合格闘技のリングに上がればいつどんな技がくるかも分からず、悠長に考えている時間はありません。そのため、目標を達成するために必要なことに向かって、まず、一歩踏み出してしまうことです。そうすることで、期限とゴールを明確にし、必要な力を最速で増やしていけます。意思決定に迷うところがあるとしたら、早くするに越したことはありません。2つ目は、自分が得意で勝率の高い戦い方を見つけ、忠実に経営することです。20年も生きていれば、自分の勝ち方の法則が何となく見えていると思います。私の場合、限りなくやることを減らし、限られた範囲で徹底的にとり組むことで、勝ちにいくというスタンスです。そこを自分なりに見つけて表現実行することが成功する秘訣だと考えます。

新谷哲:勉強になります!春日博文社長、本日はありがとうございました。

春日博文:ありがとうございました。

編集後記

今回は、春日博文社長でした。大学生で起業し上場までもっていかれるとはすばらしいです!なんだかんだ言いながらも、お話を聞いていてとても聡明だと伝わってきます。さらに、修行僧のようにコツコツと努力をされていて、人としての正しさを感じますね。「一意結実」一生懸命に努力をすれば物事は結実するということで、共に成功社長を目指していきましょう!

春日 博文氏
ポート株式会社 代表取締役社長

1988年埼玉県生まれ。学習院大学在学中に新卒採用支援やプロモーション支援を個人事業主として開始されます。そして、2011年、大学卒業と同時に株式会社ソーシャルリクルーティング(現:ポート株式会社)を創業。「世界中に、アタリマエとシアワセを。」をコーポレート・ミッションに掲げ、領域特化型のインターネットメディア事業を展開し、2018年12月21日には、当時30歳という若さで東京証券取引所マザーズ市場及び福岡証券取引所Q-Board市場に重複上場を果たされました。世の中に数々のアタリマエを創造することを通じて社会課題を解決し、多くの人々にシアワセを届けるため邁進されています。

ポート株式会社 コーポレートサイト

https://www.theport.jp/


株式会社門崎 代表取締役 千葉 祐士 

2022-10-19 14:43:58 | 日記

「一ノ関と東京を食で繋ぐ」世界で一番、お肉に真剣な会社

株式会社門崎 代表取締役 千葉 祐士 様


 

Q.どのような理念・想いで事業をやっているのか?

「日本の食と農の未来を消費者と生産者と共にデザインする」という経営理念を掲げ、その実現に向け生産者と消費者をダイレクトに繋げる連携6次産業化を推し進めている。また、生産者と消費者を結びつけるハブとして、「格之進」というブランドで飲食店を展開している。中期ビジョンとしては、2020年までに、「100名の正社員」、「400名のパート社員」、「30億の年商」を実現することで、連携6次産業で東北を代表する企業となることを目指している。

Q.そのための事業戦略は?

マーケティング戦略としては、「体験する」、「交流する」、「発信する」をベースに据え、格之進のファンを広げる取り組みを行っている。

「体験する」とは、熟成肉と非熟成肉の食べ比べを通して、その違いを体験してもらうこと。突き詰めれば、「違いの分かる自分」になってもらうことで、自己実現欲求を刺激される機会を提供している。また、「食事=消費=投資」という考えのもと、「自分が何を食べるかによって、日本の未来の畜産・農業を守ることにつながる」ということに共感してくださる食リテラシーの高い消費者の仲間を増やしていきたい。

「交流する」とは、生産者と消費者をいかに交流させていくのかということ。お店とは、ショールームでありハブであるという考えのもと、お客様がワクワクする未体験の食イベントを通じて生産者と消費者の相互理解を深めている。

「発信する」とは、交流することによって私たちの想いに共感してくださった方々に、自分事としてSNSなどで情報発信して頂くこと。具体的には、生産者への訪問ツアーの実施や、生産者を招いたお店での交流会、また、“お肉”にまつわるストーリーを聞きながら希少部位を食す“お肉”の解体ショーなどを開催している。

Q.店舗戦略については?

当社では、牛一頭の価値を最大化する仕組みをどのように構築していくのかを大切にしている。そのため、価格帯、提供する牛の部位などでポジションを明確にした店舗づくりを徹底し、店舗ごとのカラーを明確に打ち出した展開を行っている。

加えて、飲食店はハブであり、ブティックであり、ショールームだと捉えている。飲食店では、座席数以上の売り上げを作ることができない。そこで、店舗だけでなく自宅でも格之進を楽しんでいただくためにオンライン販売に注力している。そのためには、店舗をいかにブランディングし、自宅で味わっていただけるかが重要である。

また、六本木エリアで10店舗を展開することを目標としている。店舗数拡大の狙いは、国内でのブランディングと海外出店を見据えており、その際、国際交流都市である六本木エリアにおいてお肉で10店舗を展開しているという事実が、ブランド・信用の裏付けになると考えている。

岩手の生産物を使い、それらを店舗(ハブ)を通じて、オンラインショップでも購入いただけるよう、独自のO2O施策で地方創生に貢献していくのが私たちの使命だ。

Q.このようなビジョン・戦略をどのようにして練り上げたのか?現状うまく実行できている理由はどこにあるのか?

「お肉を通じて世の中にどのような価値を提供できるのか」という自分の天命を突き詰めた結果、一関と世界を繋げることに全力で取り組むことを直感的に見出した。どのような事業であれば沢山の人に応援されるのかと考えたところ、「一関という地方にいる」ことが最も強い武器だと考えた。岩手に本社を持ち、岩手という地域を活性化したいという強い想いがあるからこそ、消費者の方々に他の飲食店との違いを感じていただき、格之進を応援してもらえていると考えている。

加えて、事業に懸ける想いが強ければ強いほど、想いの強い人たちに信頼されるブランドになることができると信じている。自分が世界一になれる土俵を自ら創り上げることにより、その土俵で楽しんで頂ける人々を増やしたいと考えている。

Q.このような構想を実現していく上で、千葉社長らしさ、格之進らしさ、根源となる強みはどこにあるのか?

私は「無知の知」ということを認識している。つまり、自分の専門分野についても、まだまだ無知であるということを認識している。その上で、専門分野で世界一を極めるための努力を続けている。一方、自分が得意でないことについては、それを得意とする人に協力してもらえるような人間になるための努力をしている。その結果、たくさんの人々に応援されるような土俵を築きつつあると感じている。

また、当社で最も大事にしているのが理念浸透であり、「何のために自分たちは集まり、何のために仕事をしているのか」をスタッフ全員に考えてもらう機会を創っている。具体的には、研修会やキャリアアップ面談を毎月開催するなど、社員教育に対しては積極的に投資している。

Q.格之進のファンになっているのはどういう人々なのか?

お肉を通じて、私たちの事業活動に共感し、ファンになってくださる人が多い。店舗では、スタッフとお客様の距離が近く、気さくなコミュニケーションが飛び交っている。スタッフとお客様とのキャッチボールが頻繁だからこそ、お客様のご意見もリアルタイムで頂けることが多く、まさに店舗・スタッフともにお客様に育ててもらい成長している。

また、格之進では、本物のお肉を徹底追及しているからこそ、想いに共感してくださるお客様が付いてきてくれ、お客様がまた新たなお客様を連れてきてくれる。このようにして、「人の信用」と「口コミ」で格之進を応援してくださるファンの輪が広がっている。

Q.格之進はなぜそこまで、お客様が応援してくれるのか?

他よりも安く仕入れて、他よりも低価格で提供するというデフレスパイラル的な思想ではなく、長期的視点で地方創生のために事業を展開するという明確な志を持って、行動しているからこそ、それに共感してくださるお客様からの信頼を獲得できると考えている。

格之進の特徴は明確であり、消費者が主体となるような店づくりをシステマチックに実現していること。お店が主体とならないように、「どのような顧客体験を提供し、どのように他との違いを理解していただき、お客様一人一人の自己実現の欲求を満たしていくか」ということをお客様と一緒に創ることによって、お客様に心から応援され愛されるお店を目指している。

Q.「想っていることが形になる」千葉社長がそのことに気づいたタイミングは?

出来ることを大前提に考えている。どうやったら出来るかということだけをシンプルに考えそのような思考回路をもつ努力をしている。震災で会社が潰れそうになり、個人財産を手放し、資産を全て会社に投入した時に覚悟がついた。会社を生かすことに全てをつぎ込み、人を辞めさせないことを決意してからは、一番大切なのはお金ではなく、「ヒト・モノ・カネ」という順番通りだと痛感した。人に必要とされることを本当の意味で突き詰めた結果、今の自分がある。

Q.今後の課題は?

理念浸透経営によって、「なんのために働き、なんのために事業を行い、何のために当社は存在しているのか」ということをスタッフ一人一人が意識し、自分なりの答えを持てるような環境を引き続き創っていきたい。

 


会社概要


会社名 株式会社門崎
事業内容




・牛肉販売、卸業
・牛肉加工品製造
・飲食事業
・飲食店運営サポート事業
・牛肉の啓蒙活動
代表者名 千葉 祐士
代表プロフィール















1971年生まれ。岩手県一関市出身。牛の目利きを生業とする家に生まれる。27歳で「一関と東京を食でつなぐ」ことをビジョンに掲げ、1999年4月岩手県一関市にて「焼肉屋 五代格之進」を創業。
“お肉”のユニクロを実現するために2008年10月に株式会社門崎を創設し、和牛の生産をとおして日本を盛り上げたいと考え、熟成肉生産の先駆者であり、和牛の魅力を表現する食のバリエーションを酢次々と開発し、提供。 6次産業という言葉が誕生する前から、生産、加工、流通の相乗効果に重きをおき、お客様に日本の食文化を楽しめる最高のサービスを提供できるよう尽力。また、日本の食文化の基盤を強固にし、育み、発信することを目的として活動を行う「全日本・食学会(http://aj-fa.com/business/)」の肉料理部会分科会である「肉肉学会」を主宰し、農林水産省および見識者と共に肉の可能性について探求している。外国人および学生向け講演会も多数。
著書:「熟成・希少部位・塊焼き 日本の宝・和牛の真髄を食らい尽くす(講談社+α新書)」
沿革









1999年 創業
2004年 丑舎格之進 川崎本店開店
2007年 格之進TOKYO(練馬区桜台)開店
2010年 格之進R(六本木)開店
2013年 ミートレストラン格之進(一関)、焼肉のろし(岩手県陸前高田)開店
2014年 肉屋格之進F(六本木アークヒルズサウスタワー)開店
2015年 格之進Rt(代々木八幡)開店
2016年 KABCO(六本木)開店
2017年 格之進Nikutell(六本木)、格之進EX(談合坂SA)開店
本社所在地

〒029-0202
岩手県一関市川崎町薄衣字法道地21-16
年商 8億円
従業員数 130名(2016年10月)
URL http://kakunosh.in/