山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

追い込み

2009年08月11日 | 優しい時間
明日から 少し早めに長野入りするため

今日は 大方の夏休みの宿題や 帰村の準備に追われている子供たち。


私は 早朝の店長ミーティングや アマポーラの個別面談、

店舗統合の看板などの打ち合わせの合間を縫って

家に立ち寄り ところどころ Joの宿題の段取りのお手伝い。


“ 仕事に行ったら いつも時間通りには 絶対帰って来ない ” お母さん・・

というお墨付き?を家族から もらっている私なので

今日も 誰からも信用されず・・・家を出て・・・

予定通り? 1時間遅れの帰宅。 



ふと見ると motoの頭がボーボーのまま!

慌てて アマポーラへ連れて行く。

高橋さんに カットしてもらい、 

仕上げは 一著前に ヘアWAXなんぞつけてもらって満足気。


約4年ぶり?のアマポーラで その当時からいるスタッフとも再会。

かわいかった?小学生の頃のmotoから 一転 30センチも大きくなって

声変わりもした別物のmotoに スタッフも驚く・・・


でも からだは大きくなったものの

行動は小学生のときと そうも変わらず(^^;

勝手にサロンの中を歩き回って 母に注意される、、、、


アマポーラに暫く来ない間に 改装した部分や 

見慣れない新しいスタッフに

どうも気分は 浦島太郎。。。。。


かつては 私が アマポーラで 夜ミーティングをしている間

キッズルームで Joと二人で 遊ばせてたこともあったっけ。。。。


そんなことを思い出しながら

motoにとって 最後のアマポーラ・センター南店を後にした。


帰宅後は 宿題の追い込み。






一方の Joも 午前中になんとか苦手な読書感想文をやり終えて

午後からは 自由研究を模造紙になんとかまとめて、 

最後は 読書カード、歯磨きカード、お天気、 日記・・・ 




夕方、 山村留学先の美麻小学校の担任の先生が

昨日今日の地震を心配して

わざわざ お電話をくださいました。

遠方のこともあってか 何かと気にかけてくださり

ありがたいなぁ・・・ と家族でしみじみ。。。。



明日は長野入りし motoは 村のお友達宅へお泊り、 

Joは名古屋のお友達と合流し 数日後 センター入りします。 


横浜 最後の夜は お隣から お裾分けしていただいた

採れたてスイカを みんなで食べて 

いまいち夏らしさに欠けた感のこの夏の天気でしたが

夏らしさも一緒に味あわせていただきました♪ 甘くて旨かった~(^^

ごちそうさまでした!
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ドナー登録   

2009年08月08日 | 優しい時間
「 新しい保険証がきてるので 古いものと差し替えて・・」 と会社から。

子供たちも帰省中で それぞれの保険証を持ち帰っていたので丁度よかった。


で、問題は・・・ 保険証の裏面の “ ドナー登録の選択肢と自署の欄 ”


これは、 夫婦でも意見がまっぷたつ!

子供たちにも 説明し どう思うか聞いてみたけど

9歳のJoなどは 「 死 」そのものの捉え方さえ まだまだ未知の世界。

混乱しながらも 「 ぼくは決められない 」と。


中3motoは、学校の倫社でも この議題をクラスで話し合ったことがあるらしい。

最後の挙手では 臓器提供者の数が多く motoも手を挙げたとか。

けれども私や主人の話を聴いて 「 やっぱりわからない。難しい 」と。


今の年齢で 自分のこととはいえ、 確かに決めることは難しいけれど

それについて 「 考える 」 ことは、 とても大事だと思うんです。

きっと 考えも 年齢を重ねると変化してくるかもしれないし

人生経験の中身次第でも影響があるかもしれない。



個人的には・・・

「 脳死は人の死 」 ということさえ すごく 難しいなと思う。

家族としては 受け入れられない、 受け入れたくない・・・

というのが当然だと思うし、

実際、 主人や子供たちも 心臓が止まっていないのに 臓器を取り出すことに

かなりの抵抗感があるようだった。



私個人としては 基本的に臓器提供を選択していますが

自分が (脳死または心臓停止したら・・・) という場合の考えと

自分の家族が対象になった場合とでは やはり感情的にも差異はある。。。


私の体で だれかの役に立つなら・・ という気持ちがベースにはありながら

一方で 倫理観・・・というか 宗教観・・・というのか

「 人間は 生かされている 」 と信じている私は

寿命まで 精一杯 課せられた課題に取り組むために生まれてきたのだろうと

思い 日々挑んでいる「つもり」なので

役割や、 課題がクリアになったら 晴れて? 寿命(命のお祝い)で

この世を卒業♪・・・・

みたいな捉え方をしている。


その観点から言えば 人工的に、 意図的に、

寿命を引き伸ばすことは 果たしてどうなんだろう??? と

思うところもあったり・・・


それでも 当事者になったら

やはり そんな考えは どこかへぶっ飛んで

大事な人を失いたくない感情で 必死になるかもしれないし・・・


大人でも とても難しいこと・・・ですね。

どんなに人の意見を聴いても 

決めるときは 自分の考えで選択して決定しなければいけないこと。



自分の命、 からだ、 家族、 ドナーを待っている人・・・・

いろいろなシーンが 目に浮かびます。


「 脳死・心配停止 どちらの場合も臓器提供 」 に署名することに

決めていた私でしたが

今回、 家族の話を受けて・・・ 少し迷う部分も。

脳死になっても、 家族は 「 奇跡に賭ける 」 と口をそろえます。

医療も年々進化し 今まで治らないとされていた病気が治ることもあり

人の体、 生命のものもが 100%解明されていない限り

奇跡だって起こる・・・・・


と言うのが 主人を中心とした家族の考え。


聴けば・・・ なるほどね。。。。と思う部分もあります。

もう少し じっくり考えて見ることにします。。。。
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