では前の話の続きを始めよう。本を書くときにその著者の人格が色濃く刻印されるものである。これは科学的にもすでに証明されている。そして普遍性をもった作品を作る人々は大抵、複雑な性格を伴っている。それが昂じている顕著な例、キルケゴールなどは見る人によって悪魔的に見え、また天使にも見えたのである。それはキルケゴールの人格が彼の体内で錯綜しているためにそう見えたのであろう。人々がよく口にする天才とは、単なる凡人か、さもなくばせいぜい非凡な領域にとどまっている人の事をさしている。はっきり言って、これは間違いである。天才とは複雑な頭脳、神経構造を伴っているため、その背後に謎めいたオーラが出ている。そしてその複雑な神経構造は精神病の発症とも深いかかわりがある。その理由として挙げられるのが、あまりに複雑な神経を伴っている人はおうおうにして、過敏で常に疎外感を感じるものである。これは天才の本や自伝を見ればわかる。ルソーの自伝などは精神医学方面から見れば、非常に重要な文献であり、内容を度外視しても読む必要がある。そしてそれら様々な知見から一つの結論が出てくるわけである。「人は決して、自分以上のものを描けない。」という結論である。
人は知らず知らずのうちに自分を基準にして、人や物事を図っている。これは紛れもない事実である。この事に対して反論するものがいるとすれば、それは盲者である。ようは自分のことをまったく認識していない人間だという事である。自分のことを深く洞察していない人間に相手を批判する権利はない。その事だけは肝に銘じてほしいものである。
今の世の中、大体の人間が位階や権力に服従し、権力者に向かって意見を述べないのは非常に残念な事である。そしてまた国が有能な国民を受け入れる制度を設けていないのも悲しい事である。
最後に一つ言わせてもらおう。私は自分自身を聡明だと認識している。しかしその様な事を世間一般の人々に言えば、彼らは嘲笑をもって出迎える。そして私はそのときに静かに口を開き、こう述べるのである。
「アインシュタインはノーベル賞を取ったから天才なのですか?それは理屈に合わないでしょう。彼がノーベル賞を取った理由は彼の能力にあるのです。それが真実です。」
こう私が述べると先ほどまで私を嘲笑していた人々は黙り込み、何の反論もできなくなってしまうのが常である。
少々、話が脱線したがここで作家の事は締めくくる事にしよう。だがこれだけは覚えておいてほしい。「作家の資質がないものが、本を書くべきではない」と。
人は知らず知らずのうちに自分を基準にして、人や物事を図っている。これは紛れもない事実である。この事に対して反論するものがいるとすれば、それは盲者である。ようは自分のことをまったく認識していない人間だという事である。自分のことを深く洞察していない人間に相手を批判する権利はない。その事だけは肝に銘じてほしいものである。
今の世の中、大体の人間が位階や権力に服従し、権力者に向かって意見を述べないのは非常に残念な事である。そしてまた国が有能な国民を受け入れる制度を設けていないのも悲しい事である。
最後に一つ言わせてもらおう。私は自分自身を聡明だと認識している。しかしその様な事を世間一般の人々に言えば、彼らは嘲笑をもって出迎える。そして私はそのときに静かに口を開き、こう述べるのである。
「アインシュタインはノーベル賞を取ったから天才なのですか?それは理屈に合わないでしょう。彼がノーベル賞を取った理由は彼の能力にあるのです。それが真実です。」
こう私が述べると先ほどまで私を嘲笑していた人々は黙り込み、何の反論もできなくなってしまうのが常である。
少々、話が脱線したがここで作家の事は締めくくる事にしよう。だがこれだけは覚えておいてほしい。「作家の資質がないものが、本を書くべきではない」と。