この話は私事に関わる話である。まあ、気長に聞いてもらいたいと思う。私は不眠症だ。この病気は十九歳の終わりに発病し、今なお完治のめどはたっていない。私の場合、この病気は遺伝性のものである。医者が決めたのではない。私が自己を深く洞察して、そう結論付けたのである。もちろん、この見解に私の主治医たちも納得してくれた。さてはて、でも困ったものである。眠れない日々が続くと精神に不調をきたす。そのため、創作活動にも影響が出てしまう。しかし精神科医のクレッチュマーの言葉を借りれば、私の病は宿命的なものらしい。頭の良さと引き換えに病弱な体に生まれついてしまったのである。よくさほど頭の良くない人は頭の良い人にあこがれるが、それは間違っている。よっぽど、のんべりくらりと阿呆な人間で人生を送りたいと私は思っている。だがそれは私の遺伝子が許してはくれない。突発的に起こる急激な才気は抑えようがない。また私の病を完全に撲滅するのもできない。この両バサミの状態で私は右往左往している。
話しはずれるが、ゲーテやヘルマン・ヘッセ、ルソーも不眠症にかかっていた時期があった。やはりこれも宿命的なものであろう。彼らはその著作の中で不眠の苦しみと効用を訴えている。一般的に考えて、不眠には苦しみしかないと思われがちである。しかしそれは違うのである。夜中、目がさえて一人たたずんでいると色んなものに敏感になる。音やにおいなどには特に敏感になる。そのおかげで色々良い事もあるが、やはり悪い事の方が多い。眠れないのはつらいのである。その苦しみはまさしく煉獄である。この煉獄とは地獄と現世の間に位置する場所のことをさす。たいした罪を犯していない人はそこで重労働を課せられ、働かされ、刑期が終われば無罪放免になる。どうやら私もその境遇にいるらしい。その境遇とは、「原罪」である。キリスト教の根本概念である、「原罪」を私は身にしみて感じている。頭の良い人は精神的に原罪を感じ、さほど良くない人は物質的な、金銭などの事で原罪を感じるといえる。もっとも本人たちにはその認識がないであろうが。
なにはあれ、眠れない事はつらいという事だ。今の私の脳裏にはそれしかないようである。
話しはずれるが、ゲーテやヘルマン・ヘッセ、ルソーも不眠症にかかっていた時期があった。やはりこれも宿命的なものであろう。彼らはその著作の中で不眠の苦しみと効用を訴えている。一般的に考えて、不眠には苦しみしかないと思われがちである。しかしそれは違うのである。夜中、目がさえて一人たたずんでいると色んなものに敏感になる。音やにおいなどには特に敏感になる。そのおかげで色々良い事もあるが、やはり悪い事の方が多い。眠れないのはつらいのである。その苦しみはまさしく煉獄である。この煉獄とは地獄と現世の間に位置する場所のことをさす。たいした罪を犯していない人はそこで重労働を課せられ、働かされ、刑期が終われば無罪放免になる。どうやら私もその境遇にいるらしい。その境遇とは、「原罪」である。キリスト教の根本概念である、「原罪」を私は身にしみて感じている。頭の良い人は精神的に原罪を感じ、さほど良くない人は物質的な、金銭などの事で原罪を感じるといえる。もっとも本人たちにはその認識がないであろうが。
なにはあれ、眠れない事はつらいという事だ。今の私の脳裏にはそれしかないようである。