A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

夏目漱石の気持ち

2007年01月30日 23時22分07秒 | 思想、警句
 いくら優れた作家にも全作品を網羅し、読むといくつかのあまり良くない作品が混じっている事がしばしばある。そしてそれは夏目漱石の場合も例外ではなかった。彼の「坊ちゃん」は確かにすばらしい作品である。その本の中から情熱が伝わってくる。それに表現もさることながら、漱石の「坊ちゃん」は私の文学観に大きな影響を与えたのである。その巧みな表現技法。私はこの本に夢中になって、およそ一日で読み終わってしまった。
 さて、次に目を転じて他の漱石の作品を見ていくことにしよう。代表作であると一般的に思われている「吾輩は猫である」は実際読んでみると、非常に冗長でつまらない観を覚える。また「三四郎」を読んでみても、同じ印象を受ける。冗漫で退屈な印象を受けるのである。
 作者とはいやいや文章を書くと、それが作品にも反映されてしまう。嫌な気分で書いた小説は、その色調を帯びるであろうし、また快い気分で書かれた作品は、陽気で軽やかな小説を生み出すのである。もはやそこに冗長さはない。もちろん読みにくさもない。むろん、これは哲学や科学の論文を除外しての話だが。
 そして忘れてはいけないのが、当時、漱石がおかれていた場所である。彼は自分の寿命がいくばくもないと悟り、多少あせっていたのかもしれない。しかし文学の倫理観からみて、漱石の行った事は暴挙に近い。だがそれでも当時の時代情勢や漱石の資財を考慮すれば、漱石の行為はいたし方ないものかもしれない。この事については「私の個人主義」に書かれていているので、割合するが、それでも彼の行った事は暴挙なのである。彼の鋭い嗅覚は自分の余命を見抜く力を持っていた。その結果、彼は家族に残しておく金を用意する必要があった。そのため、彼はいやいやながら小説を書いた時期があったのであろう。
 しかしそれでも彼の行為は文学的観点から許されないのである。そして私は最後に、ショーペン・ハウアーの箴言を述べておこう。
「天才にとって一番不幸な事は金がないことである。そのような状況におかれた天才たちはとんどの場合、右往左往する事がせいっぱいである

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