ウィキペディアを見て今頃
源範頼を評価しているこてくんです。
文治元年(1185年)1月26日、豊後国の豪族・緒方惟栄の味方などを得て、
範頼はようやく兵糧と兵船を調達し、
侍所別当の和田義盛など勝手に鎌倉へ帰ろうとする関東武士たちを強引に押しとどめて
周防国より豊後国に渡ることに成功。
九州の平家人である原田種直を2月に豊前の葦屋浦の戦いで打ち破り、
さらに博多・太宰府に進撃した。
これにより、長門国彦島(下関市)に拠点を置く平氏は背後を遮断されたことになり、
平氏の後背戦力は壊滅したのと同じであり、
平氏は援助も隠れる場所すらも失い、
ただ彦島のみを拠点とせざるをえなくなった。
(ウィキより)
知らんかったなぁ~~~~。
なんで「壇ノ浦」で平家が滅亡してしまうんだろう。
九州に逃げられるやん。
と、なんとなく大昔に思っていた事が、
40年近くの末に解決しました。
(いやいやいや、気づけよ。こてくん・笑)
ちゅうわけで、義経が恐ろしく冴えをみせるために、
戦争が下手なイメージしかない
源範頼なのですが、
やることは普通にやっています。
なお、逐一頼朝に報告している所も
なかなか偉いと思いました。
それでも『最期』は・・・・。
う~む・・・・。
ではではっ。