かおりんふぁんこてくんのひまつぶし自分史

かおりん(南かおりさん・関西のMCタレント)ふぁんのこてくんの独り言が書いて あります。将棋「も」大好きです。

鎌倉殿の13人「壇ノ浦で舞った男」

2022-05-09 20:02:49 | こてくんの言葉遊び

なんとなんと、屋島の戦いは

 

 

嵐の海を渡った時点で終了。

 

 

那須与一の出番はなく、あたり一面を埋め尽くす

〇体の山でおわった。

 

範頼は、ナレーションで九州攻めに成功。

平家の逃げ道を絶った。

 

義経は壇ノ浦で平家を迎え撃ち、

禁じ手とも言われる漕ぎ手を狙い撃ち・・・・

(そもそも、揺れる船の上から、漕ぎ手を狙うのだから、

坂東武者の弓の技術は圧巻である。)

 

義経自体は八艘飛びを披露して、

平家の兵士をぼこぼこにするのだが・・・・・

 

 

安徳天皇(6)入水・・・・

またも若者が一人、退場させられてしまいました。

ああ・・・・。

 

義経「義仲も死に、平家も滅んだ。この先、私は誰と戦えばよいのか。

わたしはいくさばでしか、役に立たぬ・・・・

 

 

 

その後、宗盛を護送するために、鎌倉に行く義経。

 

梶原景時は「すべては法皇様と九郎殿が示し合わせたこと。

よほど九郎殿を気に入られているご様子。

これでは勘違いされても不思議はございませぬ。

鎌倉殿の後を継ぐのは、自分だと思われたとしても。

 

九郎殿を鎌倉に入れてはなりませぬ。

何を企んでおるかわかりませぬ。」

 

と言うと、頼朝も

 

「決めた。九郎には会わぬ・・・・

 

・・・・。

 

いやいやいや・・・・

義経が出陣するときは、戦が終わったら語り合おう

なんて言ってたような気がするのだが・・・・。

 

そりゃ、「なぜだーーーー」

と義経も言いたくなるでしょうに。

 

 

そして、『腰越状』が書かれるのですが・・・・

 

なんとなんと、それは、めんどくさがった義経のかわりに

平宗盛が書いたものであった・・・・。

 

頼朝「なんだこれは・・・・、

九郎が書いたものではない」

 

(大江は、頼朝の官職を知らないものが書いたものだと

言っていたが、あのいくさバカの義経が書いたとして、

果たして頼朝の官職を知ってたのだろうか??

少々気になるところである・・・・)

 

えええっ、まさかまさかの『腰越状』が原因なのか?

本人が書けばだいじょうぶだったのか??

 

う~ん。よくわからん、よくわからんのだが・・・・・

 

 

「平三っ、歴史はそうやって作られていくものだ」

 

by義経

 

と、ちょっと前に義経に言われていた、梶原景時。

今度は自分が頼朝に進言(讒言でもあるかな?)することによって、

「歴史はそうやって作られていくものなのだ」と

義経に返しているような気がして、

 

どーもおかしな状況だなぁ~~~~と

思ってしまう、こてくんなのでした。

 

ではではっ。

 

 

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