普段は見ることができない「津軽為信霊屋」(おだまや)<重要文化財>が公開されていたので、拝見させていただきました。
住職さんの説明もあり、「なるほどな~」と勉強になりました。
津軽家の家紋は京都「近衛家」から戴いた『杏葉牡丹』ですが、葉っぱの数が「近衛家」は9枚、「津軽家」は7枚、「黒石藩」は5枚になっている。
また、津軽為信は「豊臣秀吉」とは「猶子」(ゆうし)同士の「義兄弟」であり、石田三成とも関係が深い。「五七の桐」の紋もある。
「霊屋」・・・真ん中が「墓石」、石の名前は失念しましたが保存状態が良い為非常に価値のあるものだそうです。 右にあるのが「秀吉公の坐像」(秀吉が作らせた3体の内の1つで、石田三成の子が津軽に逃れて来た時に持ってきたもの)
天井
弘前城から西にある「岩木山」を向くと、この「革秀寺」と岩木山百沢の4代藩主津軽信政の霊廟「高照神社」と為信が養子に入った鰺ヶ沢種里の「大浦家」を一直線に拝むことができるという。
帰りに、遠州流のお点前で「抹茶」と「蓮の焼印のあるお菓子」を和服のお姉さまから頂戴いたしました。「めぇがったよ~」
もうひとつ、2代藩主「信枚公御手植え」といわれる、樹齢約400年の「百日紅」
歴史を垣間見ました。